刑事は事実を確認する

 俊之に遺体を確認してもらうと、確かに遺体は妻の裕子だと証言した。龍二は悔やみを述べ、別室へと案内して落ち着くのを待ち、事情を聞くことにした。


 まさか、浴場で助けた彼が事件関係者とは。意外な偶然に驚きつつも、龍二はあらためて俊之を観察した。今度は先ほどとは違う、刑事の目で。


 岩田俊之。身長は170cmほど。体格は華奢きゃしゃだ。27歳との事だが、整った顔立ちの為か、もう少し若く見える。浴場で見た時と同じくらい、いや、それよりも顔色が悪いのは、事件のショックのためだろう。


 青ざめてうつむく様子からは、大胆な事ができるようには見えない。だが、龍二は職業柄、普段おとなしい人間が些細な事で激昂して事件を起こしてきたのを何度も見て来た。今回もそうかもしれない。――いや、それは穿うがち過ぎか。まずは事情を聞こう。判断はそれからだ。龍二は淡々とした調子で声をかけた。


「俊之さん、よろしければ事実確認のためにお話を伺いたいのですが」

「はい。何でも聞いてください」


 俊之は弱々しく頷いた。自分を鼓舞するつもりなのか、小さく笑みを浮かべている。龍二は手帳を取り出して、質問を始めた。


「今夜18:30頃、ご近所から、お宅で大きな音がすると通報がありました。警官が駆け付けたところ、荒らされているのを発見したそうです。そして、中から金属バットを持った女性が現れました。我々はその女性が事件に関りがあると考え、容疑者として身柄を確保しました。容疑者の名は、羽賀亜紀はがあき、27歳」

「えっ、亜紀が?」

「ご存知ですか」

「は……はい。幼馴染の同級生です。じゃあ、裕子は亜紀が……」

「可能性はあります」


 俊之は、明らかに動揺していた。本当に知らなかったのだろうか。しばらく俯いたまま目を泳がせていたが、やがて何か思いついたかのようにスマホを取り出して操作を始めた。そして小さく、あっ、と声を上げてスマホを差し出してきた。


「刑事さん、これを見て下さい」

「拝見します」


 それは、亜紀とのメッセージアプリのやりとりだった。俊之が別れを切り出すメッセージを送信し、その後は亜紀がひたすら俊之を詰る言葉を送り付け、さらには考え直すよう迫るよう哀願したり、脅したりしている。文面からは、凄まじい執着心が見て取れる。


「これは……、羽賀さんとは愛人関係だったのですか」

「はい。だいぶ前から。愛人というかストーカーと言うか、そういう関係です」

「男女間の関係があり、多少度が過ぎる好意を寄せられていた、と」

「はい。そんなところです。実は今日、このままの関係をずるずる続けるのが嫌になって、メッセージを送りました。すぐに返信が連投される音が聞こえて。見なくても内容はだいたい想像つきますから無視していたんですが、今、確認したら……、刑事さん、最後の奴を見て下さい」


 龍二はスマホを操作して画面を動かす。するとそこには、「今から家に行く。直接顔を見て話すから」と書き込まれていた。タイムスタンプは、「17:38」。通報があった時間の少し前だ。


「なるほど。羽賀さんは別れを切り出されたがために、こちらに押し掛けた、と」

「はい。そこで裕子を見て……。前々から、亜紀は裕子を良く思っていませんでした。その……私を騙して結婚しただの、いつか取り返すだの、そんな事ばかり言っていて。お恥ずかしい話ですが、私も亜紀に調子を合わせて、裕子の悪口を言ったり、いつか別れるなどと軽口を叩いていました。本気ではなかったですよ。そう言わないと亜紀が怖くて。でも、まさかこんな事に……」


 俊之は両手で顔を覆って項垂うなだれた。俊之の言うとおりであれば、事件は羽賀の単独犯という事になる。龍二は、俊之の許可を取ってスクリーンショットを取ると、裏を取るよう与五沢に依頼して質問を続けた。


「俊之さん、ご遺体は浴槽内に氷を入れられ、魚と一緒に冷やされていました。なぜ、そんな状態にされていたのか、心当たりはおありでしょうか」

「心当たり……。亜紀は裕子の事を、『魚屋の泥棒猫』と罵っていました。魚はその当てつけなのかもしれません。氷で冷やしていたのは……なんでしょう。魚でしたら鮮度を保つためでしょうが、私にはさっぱり……」


 氷で冷やす。そういえば先日、竜太郎も氷について言及していた。サウナ好きとミステリ好きは氷が好きだと。もしかしたら亜紀は、ミステリ関係の何かから、遺体の体温を下げて死亡推定時刻をずらす知識を得ており、偽装を行おうとしていたのかもしれない。その一方、あの苛烈な文面からすると、俊之の言う通り、裕子を魚に見立てた一種の意趣返しという可能性も考えられる。


「意趣返しだとすると、あの魚は持ち込んだものかもしれませんね」

「いえ、良くは見ませんでしたが、あれはうちの魚だと思います。いつも台所の冷凍庫にも何尾か入れてありますので。……待てよ。刑事さん、もし亜紀が氷で冷やそうとしていたのなら、魚を入れたのは、当てつけでなく、単に氷の代わりに使ったのかもしれません」

「と、言いますと」

「うちの魚は、3尾ほどを袋に入れて、さらにその中に水を注入して丸ごと凍らせているんです。『とれたてを富士山の伏流水と一緒に急速冷凍した鱒』というのがウリでして」

「なるほど。そうなると、製氷皿の氷やロックアイスの氷と比べると、かなり大きな塊になりますね」

「はい。亜紀もそう考えて氷代わりに浴槽に投げ込んだのかもしれません。なんで冷やそうとしたのかはわかりませんが……」


 俊之はしきりに首を捻っている。完全に亜紀の犯行だと信じているような素振りだ。愛人を作り、その気も無いのに妻との離婚をちらつかせるとは、褒められた人物ではない。だが、裕子を殺害した犯人ではないのかもしれない。羽賀が「俊之の手伝いをしただけ」と口走っていたのも、俊之が裕子と別れたがっていたと信じていたのであれば辻褄が合う。俊之に対する嫌疑はひとまず置いておき、龍二は時系列を確認することにした。


「裕子さんと、それから俊之さんは、今日は一日、どうされていたのでしょうか」

「はい。たぶん裕子は一日家にいたと思います。私の方は、早朝から静岡の用宗もちむね港へとシラス漁の見学に出かけていました」

「ほう。静岡に。何時ごろですか」

「朝の5:30には家を出て、西富士宮駅近くのパーキングに車を止めて、そこから電車で移動しました。用宗駅に着いたのは、7:00頃でしょうか。そこからは17:00近くまで一日中、漁協を見学したり、営業をしたりです」


 そうなると、俊之は朝からほぼ一日現場周辺にはいなかった事になる。龍二はメモを取りながら先を促した。


「その後、帰りの電車に乗って揺られている時に、ふっと思い立って亜紀にメッセージを送りました。18:00頃に駅に着いた後、どっと疲れが出たのか風呂に入りたくなりまして。お湯をためる気力も沸かずに、銭湯で済まそうと思ってあのホテルへと行ったんです。そこでご存知の通り、倒れてしまいまして。あの後、少し休んでから帰ってきたら、こうなっていました。ですので、裕子の事は正確には分かりません。すみません」

「いえ、大変参考になりました。ありがとうございます」


 一旦聴取を中断し、家の中の様子を確認して貰ったり、現場の捜査員からの報告を受けたりしていると、県警から一課の中山や鑑識の山崎やまざきらが到着した。中山は龍二の姿を認めたのか、嬉しそうに手を振っている。


「水田さん! 休暇中にお疲れです! お待たせしました」

「別にお前を待ってない。はしゃぐな。それより山崎ヤマさん、お願いします」

「ああ、行こうか」


 中山は、えー、つれないなあ、などと文句を言いながらも、早速所轄の警察官を伴って聞き込みへと出かけた。犬のようにまとわりついて煩わしい男であるが、あれでなかなか愛嬌があって人当たりが良い。こと聞き込みに関しては優秀だ。きっと何か成果を上げてきてくれるだろう。


 龍二は、山崎を連れて浴槽へと向かった。山崎は、遺体に手を合わせると、すぐにしゃがみこんで検視を始める。その脇に立って結果を待つ間、龍二は事件を整理してみることにした。


 俊之と羽賀、そして捜査員の報告をまとめると、事件の発端は俊之から羽賀へのメールだ。激高した羽賀が岩田家に金属バットを持って乗り込み、屋内を荒らしまわっていたところ、裕子を発見、撲殺。そして意趣返しか工作か分からないが、氷で冷やしている所を現行犯逮捕された。状況から見ると、こんな流れのようだ。


 この分なら、案外早くカタが付きそうだ。あとは中山と所轄の皆に任せて、休暇に戻って続きを満喫できるかもしれない。そんな事まで考えていた龍二は、山崎が上げた疑問の声で我に返った。


「どうしました。ヤマさん」

水龍すいりゅうちゃん、このご遺体、なんかちょっと難しいぞ」

「何か不審な点があるんですか」

「不審な点とあるいうか、取っ散らかってるというか。血痕は洗い流されてるし、頼みの直腸内温度は冷やされてるって事で、今すぐ正確な死亡推定時刻は出せねえ。わかるのは前頭部を鈍器で殴られているって事くらいだ。凶器は出てる?」

「おそらく容疑者が手にしていた金属バットと思われますが」

「バットかあ。そう言われるとそうかもしれんが、何か違うような……。ううん。この綺麗な赤い死斑に、死後硬直の状態からすると、それ程時間が経過していないように思えるけど、それにしちゃあ角膜の混濁具合がなあ……。わからん。どっちにしろ変死体だからな。朝になったら浜松送りにして那須なす先生に開いてもらう必要がありそうだな」

「そうですか。時間がかかりそうですね」


 どうやら単純な怨恨による犯行の可能性は消滅しそうだ。――家族水入らずの休暇と共に。龍二は腕組みをして、ため息をひとつ吐いた。

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