刑事は容疑者を絞り込む

 龍二が19時過ぎに現場に到着した時には、所轄の鑑識がまだ作業を行っている途中だった。休暇中だった龍二は事情を話して白手袋と足袋を貸してもらい、死体の発見現場へと案内してもらいながら状況を聞いた。


 事件が起きたのは、龍二が滞在していたホテルから10分程の距離にある、富士宮市宮原みやはら養鱒ようそん場だった。正確には、養鱒場と並んだ敷地に建てられた住宅内。所轄の与五沢よごさわ巡査部長によると、被害者は岩田裕子いわたゆうこ、30歳。養鱒場を営む岩田俊之としゆき、27歳の妻だ。なんらかの鈍器で頭を殴られたと思われる状態で、住宅内の浴槽で発見されたという。


 容疑者はすぐに捕まった。というよりは、近隣の住民から「養鱒場の方から凄い音がしている」と通報を受けた所轄の警官がかけつけたとき、住宅内から金属バットを片手に出て来たのが容疑者だったのだ。容疑者の羽賀亜紀、27歳は、警官を前にして目に見えて狼狽うろたえ、そのままバットを振り回して殴りかかってきたそうだ。その場で現行犯逮捕され、現在は、富士宮警察署に送られているとの事だった。


「それで、発見時にはご遺体はこんな風になっていたんですか」

「ええ。羽賀を逮捕した直後には、既にこんな風だったそうです」


 ごくごく一般的な浴室内には、これまたよく見る浴槽がある。だが、湯船に浸かっているのは、全裸の女性と溶けかけのロックアイス。それに、何匹かの魚だった。


「今は証拠が流れ出すのを防ぐために、蛇口は止めていますが、発見時は水が流れっぱなしだったそうです。大きなスイカを冷やしでもしているように、ちょろちょろと湯船に浸かった遺体に水が流れ落ちていたそうです」

「なるほど。なんらかの理由で死体を冷やしていたようですね」

「はい。なんでマスも一緒なのかはわかりませんが……」


 鱒と聞いて、龍二はホテルでのお刺身を思い出した。あのプリプリとしたお造り。そして添えられたビール……。いかんいかん。龍二は首を振って、両手でパチンと頬を叩いた。


「この鱒は、隣の養鱒場の鱒なのでしょうか」

「おそらくは。この岩田養鱒場は、鱒の飼育を行い出荷する養鱒場ですが、いわゆる釣り堀として営業もしています。あまり数が釣れなかった方には、残念賞として何匹かサービスしてくれるんですよ。もしかしたら、それ用の鱒なのかもしれません」

「なるほど。養鱒場は家族経営のようですね。家族と言えば、被害者の夫、俊之氏はどちらに」

「それが……、連絡が取れんのですよ。今、部下に当たらせています。詳しいことは本人待ちですが、おそらくは、どこかに出かけているか、あるいは……」

「犯行を行い、逃亡している可能性もある、と」


 龍二が続きを引き取ると、与五沢は頷いた。


「俊之氏の犯行も視野に入れているようですが、根拠はあるのでしょうか」

「それがですね、どうも俊之氏と容疑者は、愛人関係にあったのかもしれないのです。容疑者を逮捕後にいろいろ聞きましてね。まあ、興奮状態で要領を得ないのですが……。その中でしきりに『私は俊之の手伝いをしただけ』だとか、『私が俊之を守る』だとか。そんな事を繰り返し口にしているのです」


 与五沢は、あくまでも容疑者の一方的な言い分ですが、と念を押した。なるほど。もし、羽賀の言い分が正しければ、事件の筋書きはこうなる。俊之と羽賀は共謀して裕子を殺害、もしくは、俊之が単独で裕子を殺害し、後始末を愛人の羽賀に依頼した。そして、羽賀が何かしらの工作を行っている最中に警官と出くわし、現行犯逮捕された。


 では、羽賀の証言が単なる苦し紛れの虚言で、羽賀の単独犯行だった場合はどうだろうか。何らかが引き金となり、羽賀は金属バットを手に岩田家に押し入った。邸内をさんざん荒らしている最中、浴室で裕子を発見する。時間帯から言って、裕子は普通に入浴中に邸内に何者かが押し入ったのに気づき、出ていくのは危険だと感じて、そのまま隠れて様子を見ていたのだろう。しかし、羽賀に見つかりそのまま殺害された。そして、我に返った羽賀が何かしらの工作を行っている最中、警官に現行犯逮捕された。


 あくまでも仮設の段階だが、筋読みとしてはこのどちらかあたりだろう。なんにせよ、羽賀が関わっている事だけは確実だ。現場で金属バットを持って暴れていたのだ。どう転ぶかはまだわからないが、まともではない。


 それにしても俊之氏だ。いったい彼は、どこにいるのだろうか。事件に関わっているのだろうか。そして、この遺体と共に冷やされている魚だ。これは、いったいどんな理由で遺体と一緒に冷やされているのだろうか。龍二が顎に手を当て考え込んでいると、所轄の警官が飛び込んできた。


「岩田俊之さんが見つかりました!」

「何! どこにいる!」

「それが、つい先ほど、普通に車で帰宅しました」

「普通に? とにかく連れてきてくれ」


 与五沢が指示すると、すぐに所轄の警官が俊之氏を連れて来た。警官の後を、おどおどとしながら付いてくる。何が起きているのかが、まったく把握できない様子のその男を見て、龍二は思わず声を上げた。


「あなたは……」

「えっ……ああ、え?」


 龍二と俊之は、互いに困惑していた。龍二の目の前に立っていたのは、ホテルの浴室で貧血を起こしていた男だった。

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