探偵は早咲きの梅を愛でる

 宮崎は整った顔をこわばらせ、緊張した様子で話を始めた。


「あのとき落ちたのは、岬なんです。実は今、僕は足を捻挫していて走ったりできなくて。そこで、あの日は代わりに岬に頼んだんです。岬も張り切って引き受けてくれたんですが、やっぱり慣れてないせいか落ち方がまずくて……」

「頭を打ったんだね」

「はい。自力で上がってこれなくて、慌てて3人で引き上げたんです。その時はぐったりしていましたが意識はちゃんとあって。それで、岬が『平気だから動画の続きを撮っちゃえよ』って言うんで、岬を休ませたまま続きを撮影したんです。な」


 最後の言葉は、左右の2人に向けたものだった。増田と星野が頷くのを見て、宮崎はさらに説明を続けた。


「それで、撮影が終わって、皆で体育館へ行くことにしたんです。僕たちは皆、体操部なので、次は器具を使った派手なを考えようという事になって」


 耳慣れない言葉がでてきたが、おそらく彼ら流のイタズラ撮影の呼び方なのだろう。龍二はそう考え、水を差さずに最後まで聞くのを優先して頷いた。


「体育館に忍び込んだんですけど、岬はなんだかボーっとしていて。脇で休ませておいて、僕たちは3人でいろいろ試してたんです。そしたら、突然岬が倒れて」


 その場面を思い出したのか、宮崎は長い睫毛まつげを伏せて首を左右に振った。


「どうすればいいか分からなくなって、顧問の波木井先生に連絡したんです。そしたら、先生が来て、『岬が一人で忍び込んで怪我した事にしておくから、お前らは家に帰っておけ』と言われて……。本当にすみませんでした」


 宮崎たちは深々と頭を下げた。すると、黙って聞いていた寺西が、穏やかな口調で波木井に尋ねた。


「事情はわかりました。話してくれてありがとう。さて、先生。先生はどうして岬君が一人で忍び込んだことにしたのですか」

「はい。実は宮崎達は、生徒指導の教員に目を付けられている所がありまして。それで、顧問としては庇うというかなんというか……、そういった気持ちが働いて、帰してしまいました。すみませんでした」


 波木井が頭を下げると、3人の生徒も再び深々と頭を下げる。波木井は顔を上げると、緊張した面持ちで言葉を続けた。


「私も動画を見るまでは、てっきり体育館で怪我をしたと思っていましたし、そう聞いていました。ですが、あれを見て改めて事情を聴いたところ、そうではなかったと認めました。何はともあれ、まずは警察の方に本当の所をお話しなくてはと考えてご連絡をさせていただきました。それで……あの……」


 言葉を切って何やら逡巡していたが、覚悟を決めたかのように切り出した。


「この事は、学校側には黙っていていただけないでしょうか。こいつらも反省していますし、穏便に収めたいんです。学校での怪我という事であれば、岬も災害共済を申請できます。警察の方にこんな事をお願いするのは間違っているとは思いますが、そこをなんとか」


 そう言って波木井は再び頭を下げる。龍二は、その姿に驚いていた。波木井としては、体育館ではなく、自分の監督外の場所で怪我をしたことが公になった方が有利なはずだ。報じられている通りに部活の延長線上での怪我という事になれば、責任問題にもなるし、学校や教育委員会からの処分もあるだろう。しかし、学校には関係ない外で怪我をしたのであれば、それは管轄外の事故だ。それなのに、あくまでも自分の責任下である体育館で事故が起きたと主張しようとしている。生徒を庇い、泥を被ろうとしているのだろうか。


 生徒達も不安げに龍二の方へと視線を向けてきたが、この件に関しては、龍二や竜太郎は事故の扱いをどうこうするという立場ではない。寺西に任せるのが筋だろう。どうするつもりなのだろうと寺西の方を見ると、相変わらずの穏やかな表情で波木井の肩に軽く手を置いた。


「先生、わかりました。顔を上げて下さい。警察としては、事件ではなく事故だという事がわかれば、特に口を出すような事はしません。ただ、岬君のご両親には、本当のことを言っておいた方がいいかと思いますよ。そのあたりはお任せします。今はまず、岬君の回復を祈りましょう」


 波木井は寺西の手を取り、押し頂くようにして三度みたび頭を下げた。生徒達もホッと胸をなでおろしているようだった。


##


 一行はファミレスを後にし、生徒たちはそれぞれ自転車で帰っていった。駐車場では、波木井と寺西が談笑している。龍二と竜太郎が、少し離れた場所でその様子を眺めていると、竜太郎のガラケーから着信音が鳴った。メールを確認すると、竜太郎は顔を上げた。


「龍二君、これを見てくれ」


 画面には簡潔なメッセージが表示されていた。


―――

ミサマコは落とし穴の場所を知りませんでした。

犯人は故意に危険な落とし穴に落としました。

その方法を推理して下さい。

―――


「義父さん、これは」

「ああ。メールのアドレスから言っても例の依頼者だろうね。そして、このタイミングで来たという事は、おそらくはあの3人の生徒のうちの誰かからだろう」

「『犯人』とはまた物騒な言葉を使ってきましたね」

「そうだね。依頼者は、一貫して誰かを糾弾しようとしているようだね。しかも、先ほどの説明では納得していないようだ。もう少し調べてみようか」

「寺西さんたちにはメールの内容を知らせますか」

「いや、今は黙っておこう。まずは確認が先だ」


 そう言うと、竜太郎は波木井たちの方へと歩み寄って行った。


「寺西さん、事故の現場が分かったわけですし、見に行ってみませんか。波木井さん、お時間よろしければ案内をお願いできますでしょうか」

「あ、はい。大丈夫です。ご案内します」


 波木井が時計を見て返事をすると、竜太郎は当たり前のように波木井の車へと向かった。龍二は少し戸惑ったが、波木井の車へと同乗して現場へ向かう事にした。関係者と接するときには、二人一組で行動するのが大原則だ。波木井も困惑しているようだったが、助手席に龍二を、後部座席に竜太郎を乗せてエンジンをかけた。


 車が走り出しても、竜太郎は後部座席で大きな体をごそごそと動かしていた。座り場所が定まらないのだろうか。ようやく落ち着くと、のんびりした口調で波木井に尋ねてきた。


「波木井さん、事故現場はここから近いんですか」

「ここから10分程です。岩本山いわもとやま公園という場所の近くの休耕地なんです」

「ああ、あそこなら今頃は梅の花が綺麗ですね」

「みたいですね。あいにく私はあまり詳しくなくて。今回の件があるまでは、行ったことはおろか、聞いたこともあまりなくて」

「ハハハ。そうですか。私はつい最近、徘徊されてるご老人を探しにあの辺りまで行ったばかりなんですよ。のんびり蝋梅ろうばいを見てましてね」

「あんな所まで。その方は足腰がまだご健在だったんですね」

「そうなんですよ。なまじ元気なだけに遠くまで歩いて行ってしまうんです。ハハハ。でも、おかげでキレイな梅を見れました。蝋梅はそろそろ終わりですけど、紅白の梅はこれからですからね。野鳥も来ますし、なかなかお勧めですよ」

「はあ、落ち着いたら見に来てみます」


 そんな世間話をしているうちに車は現場に着いた。小高い山の頂上辺りにあるその場所のあたりには、確かに色とりどりの梅の花が咲いていた。こんな時でもなければ、ゆっくりと見て回りたいところだがそうもいかない。波木井の案内で休耕地へと踏み込むと、穴を捜し始めた。


「ええと、この辺りだと思うんですが」

「ふむ。あそこかな。ほら、目印の木がまだ立っている」


 竜太郎の指さす方を見ると、確かに一本の木の枝が斜めに立っている。傍によると、果たしてそこに穴があった。その穴を見て、寺西がひとつため息をついた。


「埋めもしないでそのままだったんですか」

「いや、申し訳ない。まったくあいつらときたら」

「まあまあ、おかげで見分ができるじゃないですか。龍二君、いちおう中に入って見てきてくれるかい」

「はい。わかりました」


 龍二はスマホで何枚かの写真を撮ると、穴の中に降りた。それほど広くはないが、龍二の背丈ほどはある。


「ん? なんだこれは」


 足元に妙に硬い感触を感じ、軽く土を掘る。すると、大きな岩が顔を出した。岬はこれに頭を打ち付けたのだろうか。だとしたら、怪我で済んで幸運だったのかもしれない。その岩も何枚か写真に収め、龍二は穴から顔を出した。


「龍二君、お疲れ様。何か気になるものはあったかい」

「土に隠れて、穴の底に大きな岩がありました。あれに頭を打ち付けたとしたら、大きな怪我になったのも納得できます」

「そうかね。ありがとう。こっちもひとつ気になるものを見つけたよ。ほら」


 竜太郎が差し出したのは、先ほど地面に突き立っていた棒だ。何の変哲もない木の枝だが、その先端には何やらきらきらと光る物が結び付けられている。


「これは……テグス? 釣り糸ですか」

「ああ。落とし穴の前に足をひっかけるようにしていたのかもね」

「ふむ。あまり感心できないですね」


 寺西が眉根を寄せている傍らでは、波木井が恐縮している。その様子を見て、竜太郎が呵々と笑って場をとりなした。


「まあまあ寺西さん。とりあえず現場はここで間違いないようです。生徒たちが適当な嘘をついていたわけではないようですね。今日の所はこれで我々も帰りましょう。波木井さん、お手数をおかけしました」

「いえ、こちらこそ、お手間をかけて申し訳ございません」


 龍二たちは波木井と現場で別れ、寺西の車で富士署へと向かった。その車中、寺西がのんびりとした口調で切り出した。


「今日はありがとうございました。おかげで少しはっきりしてきました」

「こちらこそ。ところで寺西さん、例の依頼者からメールがありましてね」

「ほう、それはそれは」


 竜太郎がメールの内容を読み上げると、寺西は何回か頷いた。


「なるほど。どうやら少なくとも一人は、まだ納得いっていないようですね」

「はい、そして寺西さんも」

「分かりますか。流石ですね」

「ええ、そして、少なくとも一人は嘘をついています」

「ほう、それは誰でしょうか」


 竜太郎は答える代わりに、ポケットからハンカチを取り出して開いて見せた。運転中の寺西に代わり、龍二が助手席から覗き込む。


「それは……黄色い花びら?」

「ああ。そうだね。早咲きの蝋梅の花びらだ。黄色い梅なんて、このあたりでは岩本山公園にしか植えられていない」

「義父さん、それをどこで」

「さっき、波木井先生の車の中でね」


 龍二は後部座席でゴソゴソと動いていた姿を思い出した。あの時竜太郎は、これを拾っていたのだろう。そこで龍二ははたと気づいた。あれは確か、岩本山へと来る前だったはずだ。


「じゃあ義父さん、嘘をついているというのは」

「ああ、波木井先生だ。彼は岩本山へ行ったことは無いと言っていた。だが、車内にはその痕跡が残っていた。それには何か、理由があるはずだ」


 探偵は自信たっぷりに頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る