探偵は犯人と対峙する

 事件の翌日の午後、龍二は中井を連れて再びスーパー銭湯へと来ていた。サウナ室へと入ると、既に竜太郎が最上段に腰掛けている。先に1セット済ませているようで肌はツヤツヤだ。何より、その眼には「筋読みの櫓竜ロウリュウ」と呼ばれた現役時代を彷彿とさせる輝きが宿っている。探偵は、中井の姿を認めると、軽く会釈をして切り出した。


「中井さん、ご足労いただき、ありがとうございます。やぐらと申します」

「初めまして。刑事さんから伺いました。捜査協力されている探偵さんですよね」

「はい、その通りです。よろしくお願いします」

「こちらこそ。なんでも、事件の真相がわかったとの事ですが……」

「はい。今から私に、その時計が1周するだけの時間をください。この事件のすべてをご説明します」


 そう言って竜太郎は、壁にかかっている12分計、――いわゆるサウナタイマーを掌で指した。耐熱式のこの時計は、見かけはアナログ時計と変わらないが、ひと周りで12分となっている。サウナ室で時間を計るための専用の時計だ。


「なに、長引くことはありません。大体、12分もサウナに入っていれば熱くてたまらなくなりますのでね。少しの間、お付き合いください」

「ええ、構いませんが……」


 平日の昼間という時間帯からか、サウナ室には他の客はいなかった。簡易の取調室としては、おあつらえ向きだ。中井が戸惑った様子ながらも、竜太郎の横に腰掛けると、龍二もその横へと座った。


「星山さんの件ですが、心中ではありませんでした。事件、それも殺人です」


 竜太郎がそう切り出すと、中井が息を飲むのが見て取れた。重々しく頷くと、かすれ声で尋ねる。


「そうなんですか。では、誰がお二人を……」

「あなたです。犯人はあなたですね。中井さん」


 龍二は油断なく身構えて見守っていた。しかし、中井は一瞬体を強張らせたものの、特に暴れるような様子は無い。むしろ、犯人だと指摘されることを覚悟していたかのように、落ち着きはらっている。しばらく軽く目を閉じ、ゆっくりと開くと竜太郎をまっすぐ見つめる。


「お二人が亡くなった晩、私は陽斗君と静岡市に行っていました。陽斗君に確認して貰えればわかるはずです」

「はい。確認済みです。ドライブ先の公園の駐車場のカメラにも中井さん達が写っていました」

「だったらどうやって……」


 竜太郎は中井から視線を外し、浴室の方へ目を遣った。


「死因は溺死。つまり、細工トリックろうしてから家を出れば、現場にいなくても犯行を行うことができるのです」

「そんな。だったらどんなトリックを使ったというんですか」

「お二人の体からは、大量のアルコールが検出されました。酩酊する程のね。中井さん、あなたは被害者にお酒を勧めて眠らせ、そのまま浴室に運んだ。そして、浅く湯を張った浴槽に横たえて蓋をしたんです。あとは、蛇口を軽く捻ってお湯を浴槽に流し込むだけです。お湯はゆっくりと浴槽を満たし、被害者はやがて溺死に至った、というわけです」


 中井は黙ったまま竜太郎の推理を聞いていた。すべてを聞き終えると、ゆっくりと頷く。


「なるほど。確かにそれならば可能性はありますね。でも、本当にそれで大人2人を溺死させられるでしょうか。蓋をされ、暗いとはいえ、頭上にあるのは、たかだか風呂の蓋です。2人もいれば、いえ、1人でも簡単に持ち上げて脱出できるのではないでしょうか」

「ええ。蓋だけでしたら。だから、その上にを置いたんです。浴室にあっても違和感のない物、――桶を使ってね」


 龍二は星山家の浴室に置かれていた寿司桶のような大きな桶を思い出した。娘の茉祐まゆが使っていたベビーバスの代わりになりそうな程の大きさだった。あの桶であれば、15リットル以上ものお湯が入るだろう。昨日の水風呂の框におかれた桶と比べても、比較にならない程の重さだ。


「浴室には大きな風呂桶があったそうですでね。それにお湯を張れば、15kgにはなるでしょう。そうなれば、男性でも寝ている状態では軽々と、というわけにはいきません。ましてや、周りは暗く、お湯に満たされていくようなパニック状態ですしね。さらにあなたは……」


 竜太郎がそこまで言うと、中井は手を前に出して推理を遮った。


「もういい。もういいです、探偵さん。そうです。私がお二人を殺害しました」

「中井さん……」


 中井は、ふぅっと大きく息を吐くと、淀みなく淡々と告白を始めた。


「昨日の夜、剣持さんを送って部屋の片づけをしていると、紘一さんが帰宅しました。その音で目が覚めたのか、先生も起きてきて、飲みなおしを始めたんです。その席上、先生は『陽斗の子育てもひと段落着いたので事務所を畳む』と言い出しました。もう十分稼いだので、しばらくは紘一さんとのんびり過ごすと言うのです。紘一さんもその意見に賛成しました。冗談じゃありません」


 思わず語気が強くなった事に気づいたのか、中井は自嘲気味に笑った。


「私にはまだまだお金が必要でした。剣持さんに確認して貰えばわかる事ですが、実は、少し前から星山さんはしきりに私に独立を勧めていました。そこに来て、昨晩のです。こういうわけか。10年以上も尽くしてきた私を切り捨てたかったのか、とはらわたが煮えくり返る思いでした。よし、そこまで2人でのんびりしたいのならば、その願いを叶えてあげようじゃないか。私はその思いを隠して適当に話を合わせ、お二人にどんどん酒を勧めたのです。直ぐに二人とも眠りこけました。そして――、そして私は二人を浴室に運び……あとは、探偵さんのおっしゃる通りです」


 中井は告白を終えると、ぺこりと頭を下げた。そして、龍二の方へと向き直ると、両手を差し出した。逮捕をして下さい、という意思表示なのだろう。生憎手元に手錠は無く、持っているのはタオルだけだが、龍二は軽く頷いた。


 と、その時、竜太郎が声を上げた。


「違います。違いますよね。中井さん。あなたは確かに紘一さんを殺害したのでしょう。しかし、星山さんには手をかけていない。手をかけられるはずがないんです」


 中井は、がばっと振り返ると、大きくかぶりを振った。


「いえ、私です。私がお二人を心中にみせかけて殺害しました。あまりに能天気に仲良くされているのにカッと来て……」


 今度は先ほどとは逆に、竜太郎が中井の言葉を遮る。


「いいですか中井さん、確かにお二人は共に溺死でした。しかし、そのご遺体は、あまりに差異が大きかったのです。死亡推定時刻は19時と23時と実に4時間の差が。そして、星山さんの手指は綺麗なままなのに、紘一さんの方は指先がシワシワになっていました。長く風呂に浸かりすぎた時のようにね。この皺ができる現象は、漂母皮化ひょうぼひかといいますが、これ程までに差異があるという事は、お二人は少なくとも、同じ時間だけ水に浸かっていたのではないという事です。同時に浴槽に横たえられたのではありません。あなたの説明には、無理がある」


 中井は先ほどまでの落ち着きを完全に失っている。額から流れる汗は、サウナの熱さのためだけではないだろう。口をぱくぱくと動かすものの、声は出てこない。


「そして、漂母皮化の差異にはもうひとつおかしな点があります。漂母皮化が起きるのは水に長く浸かっていたのが原因です。逆に、それが無いという事は、そのご遺体は、水の中に長くは浸かっていなかったという事です。死亡推定時刻によれば、先に亡くなったのは星山さんだった。ならば、星山さんの方が長く水に浸かっていた可能性が高いという事です。それなのに、なぜ漂母皮化が起きていないのか。おわかりですよね。中井さん。あなたが、先に亡くなっていた星山さんのご遺体を、お湯には触れない場所に横たえたからです。そう、浴槽の蓋の上にね」


 そうなのだ。先ほど、竜太郎は浴槽内に被害者を閉じ込めておくため、桶に水を張って重石にしたと言った。しかし、いくらパニック状態で寝ているとはいえ、15kg程度の重石であれば、さほど労せず動かせるはずだ。もう少し重さが必要だ。しかし、先に典子が亡くなり、その遺体を重石として再利用したのであれば、桶ひとつの時よりも、はるかに重い重量となる。そうなれば、紘一ひとりで蓋を持ち上げる事は困難になり、漂母皮化の状態にも矛盾が無くなる。


「真相はおそらく、こんな所でしょう。星山さんが死亡したのは、19時前後。中井さんが剣持さんと仕事の話をされていた時です。あなたに星山さんを手にかけるのは不可能です。事前に浴室に細工をしていたとしても、紘一さんが一度、浴室を見に行っています。その時点で細工があれば露見するはずです。でも、そんな事は無かった。では、なぜ星山さんは亡くなったのか。純粋な事故なのか、それとも殺害されたのか。もし、殺害されたとすれば、それが可能だった人物は一人しかいません。紘一さんです。あなたはそれに気づいた。そして、復讐のために紘一さんを溺死させたのです。お二人は心中などではありません。2つの殺人が、時間をおいて2回行われただけなのです。まるで、サウナに2セット入るかのようにね」


 竜太郎がまっすぐ中井を指さすと、中井はやっとの事で声を絞り出した。


「しかし、19時であれば、紘一さんは外に飲みに行っていました。どうやって先生を溺死させたのですか」

「それは中井さん、あなたなら分かっているはずですよ。――だが、いいでしょう、お話しましょう」


 探偵は、少し悲し気に犯人を見つめて推理を続けた。

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