探偵はサウナ後の水風呂を勧める

 2人は、富士見大通りの蓼原大橋たでわらおおはし手前を東に折れ、スーパー銭湯へとやって来た。すぐ隣の敷地がスポーツクラブであるためか、普通に風呂に入りに来る人の他にも、ひと汗かいて、それを流しに来る人も多い施設だ。


 広々とした浴室は明るく、ひなびた銭湯というよりは、レジャーの延長線上の温浴施設といった趣がある。白湯にジェットバスに電気風呂に水風呂。そして広々とした露天スペースには、季節の変わり湯や足湯のほかに、なんと畳敷きのスペースまで用意されている。温まった体を畳の上に投げ出し、夜空を見上げて一休み。なんとも気持ちがよさそうだ。


 そんな充実した施設で2人が落ち着いた場所は、しかし、サウナだった。30人ほどは入れそうな広いサウナ室の最上段に、タオル一丁で仲良く並んで蒸されている。


「龍二君、やはりサウナは良いね」

「そうですね。最近ようやく良さが分かってきました」


 龍二はサウナにあまり良いイメージを持っていなかった。熱いだけのうえに、なんとなく汚いイメージがあったのだ。だが、竜太郎に付き合って何回か入っているうちに、その効果を実感するようになった。汗をかくのは、単純に気持ちいい。それに加え、肩や首の凝り固まった筋肉がほぐれていく。今では、立ち寄った温浴施設にサウナがあれば、入ってみるようになっていた。


「でも、水風呂は駄目なんだろう?」

「はい……。どうにも冷たくて。僕はサウナはサウナだけでいい派ですね」

「そうなのかね。私はサウナの醍醐味は水風呂と思っている派だね」

「良く入れますね、あんな冷たいの。逆に体に悪いんじゃないんですか」


 龍二がそう言うと、竜太郎は汗がぷつぷつと噴き出ている顔に満面の笑みを浮かべた。温浴効果のためか、はたまたサウナ室内の明かりのせいか、妙にツヤツヤした笑顔だ。


「サウナと水風呂には、自律神経を働かせる効能もあるんだよ。熱いサウナに入った直後や、冷たい水風呂に入った直後に働くのは、急激な温度変化に対応するために働く交感神経だね。さらに、体内の温度が上がると、それが刺激となって心拍数や血圧を整えて、体をリラックスさせる役割を持つ、副交感神経が働くんだ。それぞれを働かせることで、体の調子をととのえるんだよ」

「へえ。使う神経が違うんですね」


 言われて見ればそうだ。サウナと水風呂。熱さと寒さの刺激。刺激へ対応するための活性化と、対応後の安定化。2種類の体のシステムが働くと言うのは、納得感がある。


「サウナ後の水風呂というのは刺激が強いから、良いトレーニングになるんだ。自律神経が鍛えられ、ととのってくると、冷え性が改善したり、よく眠れるようになったり、疲労回復したり、と、いろいろな効果があるからね。だから、水風呂に入らないというのは、半分ととのいそこなっているような物なんだよ。もちろん、熱いサウナだけでも効果はあるのだけどね」

「なるほど。水風呂ですか。でもなあ」

「ものは試しだ。そろそろ汗も十分かけたし、入ってみようじゃないか。ここの水風呂はパナジウム水を使っていて、気持ちがいいんだよ」


 そう言うと竜太郎は立ち上がり、軽快に段を降りて行った。普段気にしている膝の痛みはどこへやら。巨躯を軽々と運んでいる。龍二も慌てて後に続いた。


 水風呂は、サウナ室を出て目の前にあった。竜太郎はすでに桶で水を頭からザバザバと被っている。その跳ねた水を足先に受けた龍二は、思わず足を竦めた。普通に冷たい。気持ちいいを通り越して、冷たい。


 すでに竜太郎は水風呂に入り、肩まで水に浸かっている。目まで閉じて、なんとも気持ち良さそうだ。その姿を見て、龍二も少しやる気になった。あんなに気持ち良さそうなら、自分も試してみよう。水風呂の水を桶に取り、思い切りよくかけてみた。――つま先に。


「冷たっ! やっぱり無理です。シャワーにしときます」


 竜太郎に声をかけると、早々に洗い場へと逃げだす。シャワーの温度を少しぬるめにセットして、頭から浴びると、火照った体が適度に冷やされて気持ちいい。これで十分だ。頭をぶるぶると振って水を払って竜太郎の方を見ると、まだ水風呂に浸かっている。


 体に良い富士山の伏流水パナジウム水とは言うものの、あんな冷たい水に、良くもまあ、あんなに長く浸かっていられるものだ。半ば感心し、半ば呆れて眺めていると、ようやくパッチリと目を開けて、ゆっくりと水風呂から上がってきた。まるで、怪獣が海から上陸しているかのようだ。龍二は、ある種の畏敬の念すら抱いて竜太郎の姿を見ていた。


「さて、露天で少し休憩しようか」

「はい」


 2人は露天スペースに出ると、畳敷きの上に胡坐をかいて座り込んだ。夜風がサウナで火照った体をやさしく撫で、なんとも気持ちいい。冬場の外気浴は、夏場とは違った爽やかさがある。家の中でさえ、あんなに着込んで震えていた竜太郎も、タオル一丁で涼しい顔をして体を投げ出している。


 サウナで汗をかいている時も良いが、サウナ後に休憩している時も良い。ここで冷たいビールか炭酸水でも飲めたら最高だなあ。龍二はそんな事を考えて、ぼんやり夜空を見上げていた。


「龍二君、そろそろ行こうか」

「はい」


 そう言って竜太郎が立ち上がったので、龍二も続いた。首尾よく温まった2人の行き先はと言えば、――サウナ室だった。2人は大体、サウナと水風呂と休憩を3セット程繰り返すことにしていた。汗をかき、水で流し、休憩をする。各工程でそれぞれに違う気持ちよさがある。その工程を繰り返し味わうのだ。


「同じサウナと休憩でも、1セット目と2セット目の気持ちよさって、少し違いますよね」

「そうだね。体の慣れもあるんだろうね。私は水風呂でキンキンに体を冷やしてから、2セット目で急に温度が上がって体がカッと来る瞬間が好きだなあ」

「水風呂に入ると、そんな事にもなるんですか。へえ」

「龍二君も試してみなよ。気持ち良いぞ~。サウナに来て水風呂に入らないのは、損をしているようなものだよ」

「いや、まあ、そのうちに」


 竜太郎自身は冷え性の癖に、グイグイ水風呂を推してくる。しかし、あんなに寒がりの竜太郎がこんなに推してくるのだから、やはり慣れれば気持ちいいのだろうか。「損をしている」とまで言われると、やや反発する気持ちも出てくるが、龍二としても水風呂にというのは癪だ。――よし、やってやろうじゃないか。龍二は頬を両手でぴしゃりと叩き、水風呂対策を練ってから挑む決意を固めた。


 まずは観察だ。サウナ室から出た龍二は、竜太郎の行動に注視した。何か水風呂に対する必勝法が隠されているかもしれない。張り込み中もかくやという真剣な眼差しで、タオル一丁のおじさんの一挙手一投足を見守る。自身も全裸で。


 は桶に水風呂の水を汲むと、頭からざばざばと3回ほど被る。おそらく、汗を流すと同時に冷たさに体を慣らしているのだろう。それにしても、明らかに堅気の被り方ではない。豪快すぎる。続いて、手足にも水をかけた。これも汗を流しているのだろう。


 そして次に、気になる行動を取った。水風呂の水を汲んだ後、それを体にかけずに水風呂のかまち、つまりふちの部分にそのまま置いたのだ。なんの意味があるのだろう。疑問を抱えたまま観察を続けると、そのままざぶざぶと怪獣が海に帰るように水風呂へと入っていった。


 その巨躯の体積に応じて、水風呂の水がざんぶと溢れる。框に置かれた風呂桶にも水が押し寄せるが、中に汲んである水のおかげか、そのままの位置にとどまっている。そうか、あの水は桶が流されないようにするための重石だったのか。マルタイは意外に気配りができるタイプらしい。だがそんな事にほだされる程ヤワではない。龍二は刑事デカ魂を燃やして観察を続行する。


 水風呂に入った後は、胡坐をかき、浴槽に背を持たせかけて首筋まで浸かっている。見ているだけで震えが来る。やはりマルタイはまともじゃない。あの恍惚とした表情。ツヤツヤとしたお肌。明らかに何かキメている。現行犯逮捕だ。龍二が声をかけようとした時、はカッと両目を見開いた。


「ととのいました」

「ええっ!? 義父さん、もしかして……」

「ああ。すべての事件の答えは、サウナが教えてくれる」

「サウナが……? とにかく、事件の謎がわかったんですね」

「そうだ。それはそれとして」

「はい」


 探偵はすっくと立ちあがると、くいっと顎をしゃくった。


「まずは休憩だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る