刑事は筋読みを整理する

 龍二が南署へと戻ると、ちょうど署から出てくる中山と鉢合わせた。まるで犬のように嬉しそうに駆け寄って来る。


「先輩! お疲れ様です! 事情聴取、もう済みました?」

「いや、これからだ。今、現場を見に行って来たところだ。そっちはどうだ」

「鑑取り班が聞き込んできた話の裏を取りに、児童相談所に行こうかと」

「児相に? あの家に虐待の疑いがあったのか?」

「はい。ひと月ほど前、同フロアの住人が『喧嘩の声や子供の泣き声が止まない』と児相に連絡してきた事があるそうです。すぐに職員が来て、直接確認したところ、ちょっと派手な夫婦喧嘩という事で収まったそうで。その時点では、子供への虐待は認められなかったとのことですが、詳しい話を聞いてきます」

「そうか。戻ってきたらシェアしてくれ」

「はい。正確な日時も確認してきます」

「頼むぞ。ああ、そうだ。児相には被害者の娘さんが預けられているそうだから、ついでにそっちの様子も見てきてくれ」

「はい。わかりました」


 ひと月ほど前にそんな騒ぎがあったという事は、吉良家の夫婦仲は相当こじれていたのだろう。小弓がDVの相談をしたというのもその辺りだろうか。確認しておいた方がいいだろう。龍二は生活安全課へ顔を出し、吉良家の件を対応したという藁科わらしなへと声をかけた。


 藁科は、小弓と同年代くらいの女性署員だ。小柄で、いかにも人当たりが良さそうな笑顔が好ましい。既に小弓が自首をしてきたという事は知っていたようで、すぐに相談時の資料をまとめたファイルを探し出してくれた。


「こちらが相談の際に持ち込んできた資料になります。コピーですが」

「ありがとう。借りて行ってもいいかな。聴取の際に使いたいのだけど」

「はい。構いません。それにしても、本当にそっしーさんがやったんでしょうか」


 藁科は小弓に同情的な様子だった。愛称で呼んでいるという事は、程度の差こそあれ、中山と同じくファンだったのだろう。


「まだわからないんだ。相談に来た時は、事件を起こしそうな兆候というのは見受けられたのかい」

「いえ、割と淡々というか、落ち着いた様子でした。最も、うちに相談に見える方の場合、感情がたかぶららないように押さえつけている事も多いのですけど。そっしーさんは、そういうわけでもなく、ごく自然な印象でした。こう言ってはなんですが、アイドル時代の印象とは真逆ですね」

「真逆か。アイドル時代は、確か、もうちょっと派手だったかな」

「はい。メイクもギャル風でパキっとしていましたし。あのころは皆、そっしーさんのメイクを真似してたんですよ。言動もあけすけというか、ちょっとおバカっぽいというか。でも、相談に見えた時は全然印象が違いました。髪型やメイクも落ち着いていましたし、地味で、真面目で思慮深いというような……。怪我もされていましたし、相談内容が内容ですので、無理も無いのかもしれませんけど」

「ありがとう。参考になるよ」


 龍二はファイルを持って捜査一課へと向かい、地取り班や鑑取り班の集めてきた情報をざっと確認した。小弓の交友関係は地味だったようだ。良い評判も悪い評判も特に無い。人付き合い自体が少なかったのだろう。アイドル時代とはメイクも印象も全然違う事もあり、聞き込みをして初めて元芸能人と気づいた人もいたようだ。唯一、事件に関係ありそうな話が、先日の児相騒ぎといったところだ。


 一方、新浜の方は、評判のいい医者だったようだ。悪い評判はほとんどない。被害者との仲もかなり良好だったらしく、2人で連れ立って東京までライブを見に行ったり、飲みに行ったりといった話をよくしていたそうだ。そうなると、急に刃物で刺すというのはやはり違和感がある。


 そうこうしているうちに中山から一報が入った。児相の職員は確かに吉良家を訪問していた。日時は2月5日。DV相談に来た日付を確認すると、2月13日。時系列としては、まず、2月の5日に児相への通報があり、その1週間後にDVの相談、そして、さらに1月後に事件発生、という流れになる。


 その事実から、龍二は事件に至るまでの経緯の筋読みをした。発端となったのは、思わぬ騒ぎで児相へ通報された件だろう。それまでは対外的には隠していた夫婦仲の不和が、思わぬ形で露見した。そこで、世間体を気にした小弓は、先手を打ってDVの件を公にしておくために医師である新浜に相談し、写真と診断書を持って南署に相談に来た、こういう流れだろう。


 そうなると、新浜は被害者の宏隆ではなく、小弓の肩を持っている事になる。普段の付き合いからすると、宏隆の味方をしそうなものだが、そこはやはり元ファンの性だろうか。あるいは、宏隆と親しいからこそ、更生させたいという意思を持って小弓に肩入れしたのかもしれない。


 穿った見方をすると、宏隆と小弓の仲を裂き、自分が割って入ろうとした可能性も考えられる。どちらにせよ、新浜はDVの件を良く知っていた事は間違いない。


 そして、今朝、何らかのきっかにより宏隆が爆発し、それを抑えようとして事件が起きた。その際、宏隆に危害を加えたのは、小弓、もしくは新浜のいずれかの可能性が濃厚だ。最優先すべき事項は、「誰が」危害を加えたのかを確定させる事、次に、「何故」危害を加えるほどの事態になったのか突き止める事。こんな所だろうか。


――よし、それじゃあ本人たちに聞いてみるとするか。


 龍二は自分なりの筋読みを終え、2人の容疑者の元へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る