刑事は現場を検証する

 龍二は竜太郎を置いて、静岡南警察署へと向かった。南署の署員の多くは顔なじみだ。早速一課へと足を運び、同期の前田まえだを捕まえて事情を聞く。


「前田、なんだかおかしな事になってるそうじゃないか」

「よう、水田。お前が来たのか。中山君が来ると聞いていたんだけどな」

「あいつもそのうち来る。たまたま俺の方が南署に近い場所にいたんで、先に着いただけだ」

「そうか。今から現場に向かうが、お前も来るか?」

「ああ。場所は?」

登呂とろだ。歩いてもいけるくらい近いぞ。まあ、そうは言っても車出すんだけどな」


 前田の車に同乗して着いた先は、4階建てマンションだった。ワンフロアに3世帯、現場となったのはそのうちの3階にある一室だった。広々とした4LDKには、対面式のキッチンにウォークインクローゼットまで備え付けられている。


 被害者が倒れていたのは、玄関を入ってすぐの所にあるリビングダイニングキッチンだった。現場の床には、まだ血痕が点々と残されている。


「被害者はここの住人なのか」

「ああ。吉良きら宏隆ひろたか、31歳。今朝の9時前に、自ら『腹部を刺された』と119番通報してきた。駆け付けた時には部屋に鍵がかかっていて応答も無かったそうだ」

「鍵がかかってたのか」

「そうなんだよ。待っている間に意識を失ったんだろうな。慌てて管理者へ連絡してスペアキーで開けて貰った時には、既にここで倒れていたそうだ。直ぐに搬送されたが、手遅れだった」

「そうか。家の中には被害者だけしかいなかったのか?」

「いや、1歳になる娘もいた。こちらは寝室で眠っていて怪我は無い。まだ、何が起きているのかもわからないんだろうな。念のため病院での検査後に、児童相談所で預かって貰う手はずになっている」


 子供も一緒に室内にいたと聞いて、龍二は胸が締め付けられるような気持になった。怪我や怖い思いをしなくて本当に良かった。


「それで、捜査体制を整えているところに、容疑者が自首してきたってわけだ」

「しかも2人な」

「ああ。訳が分からんよ。」


 前田は腕組みをして首を捻っている。


「ひとり目は被害者の妻の吉良きら小弓こゆみ、23歳。旧姓は十代田そしろだ。まあ、元アイドルの『そっしー』だわな。被害者はDVへきがあったようで、今朝も暴力を振るわれたそうだ。いつものように耐えていたんだが、子供にまで手を出そうとしたので、思わずキッチンにあった包丁で腹部を刺したと言っている」

「そうなると、正当防衛か」

「言っていることが正しければな。被害者は腹部を刺されたまま、ダイニングキッチン横の玄関へと被害者を押し込み、家から叩き出して鍵をかけたそうだ。反撃を恐れたんだろうな」

「それで鍵がかかっていたんだな」

「ああ、状況的には密室殺人事件だったってわけだ。1課の連中も色めき立ったんだけどな。ただ、容疑者がすぐに名乗り出てきたから、スピード解決する――はずだったんだけどな」


 龍二は前田の話を聞きながら、床に着いた血痕を目で追っていた。キッチン中央のテーブル近くが一番血液の量が多く、そこから玄関側へと点々と跡を付けている。さらには、量はそれほどでもないが、壁際の電話の置いてある箇所と、窓の方にも痕跡があった。


 窓の鍵を開けて覗いてみると、そこはバルコニーになっており、干したままの洗濯物が風に揺れていた。龍二は顔をひっこめて、前田に話の続きを促した。


「もうひとりの容疑者ってのはどういう奴なんだ」

「ふたり目は被害者の友人の新浜にいはま啓二けいじ、34歳。近くで診療所を開いている。まあ、医者だ。2人は元々、アイドル時代の小弓容疑者の追っかけだったそうだ。アイドルがファンと結婚てことで大騒ぎになってただろ? その頃からの付き合いらしい」

「なるほど。一応恋敵って事になるのかな」

「まあ、そう言われるとそうなるかな。ただ、今の関係はちょっと違うな。実は少し前、小弓容疑者はウチの生安せいあんにDV被害の相談をしてきてたんだ。その時に証拠となる怪我の写真や診断書を発行したのが新浜だ。患者と医師という関係になるな」

「そうなのか。その時はどう対応したんだ」

「本人の希望もあって、保護命令までは出してない。離婚も視野に入れて相談をしたが、TVに復帰するプランもあるそうで、できれば穏便に解決したいとの事だったそうだ」


 なるほど。言葉は悪いが、先手を打ったというわけなのだろう。DV被害の認定があれば、離婚の際に有利な条件を引き出せる。


「それで、なんでその医者が自首してきたんだ」

「ざっと話を聞いた限りではな、新浜は今朝、被害者宅へ顔を出したそうなんだ。DVの件があるから、定期的に様子を見に行っているらしくてな。そこで被害者と話をしているうちに口論になって、思わず包丁で刺した、と。そして現場から逃走したんだが、思い直して自首してきた、と言っている」

「現場には小弓容疑者はいなかったと主張してるのか」

「ああ。被害者と2人だけで話していたと言っている」


 小弓は自分が刺したと言い、新浜も自分が刺したと言っている。少なくとも、どちらか一方は嘘をついている事になる。どちらが、そして、何のために。


「水田、お前はどう思う」

「どちらかが、どちらかをかばっているセンじゃないかな」

「なるほど」

「2人は互いが自首してきていることを知っているのか」

「いや、知らないと思う。こちらも言っていないし、もちろん別々の部屋で拘留している。それぞれ、なんらかの手段で被害者が刺されたことを知って、それぞれに自首してきたという事だな」

「あるいは、どちらかが相談したセンも」

「ああ、そうなると、2人は割と親密な関係にあったのかもな。その辺りをぶつけてみて反応を見てみるか。水田、頼めるか」

「ああ。だが、そういうのは、俺より中山の方が向いてそうだけどな」

「今回に限っては駄目だ。中山君、彼、そっしーの大ファンだろ。電話口でもわかるくらい舞い上がってたぞ」


 龍二は中山からの電話を思い出して苦笑した。人懐っこい中山は、事情聴取の際に情報を聞き出すのが上手いのだが、今回ばかりは役に立たなさそうだ。


「わかった。じゃあ俺は戻って、鑑取かんどり組の捜査を聞いてからぶつけてみるよ」

「おう、こっちはこっちでもう少し調べてみる」


 龍二は前田と別れ、南署で待つ2人の容疑者の元へと向かった。

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