探偵は犯人を岩盤浴に誘う
竜太郎はフルーツ牛乳を力強く飲み干した。龍二もコーヒー牛乳を手にしていたが、推理が気になって飲むどころではない。ハラハラしながら竜太郎の挙動を見守っていると、竜太郎が現役時代を彷彿させる鋭い眼光で断言した。
「龍二君、犯人はやはり俊之だ。彼が被害者を殺害した」
「俊之が。では、羽賀は犯行には関係ない、と」
「ああ、直接には。住居不法侵入や器物破損、それに死体損壊の罪には問われるかもしれない。だが、殺人には関わっていないはずだ。あくまでもこれは私の筋読みに過ぎないがね。龍二君、裏を取ってくれるかい」
「はい。もちろんです。朝一番から始めましょう」
龍二は力強く胸を叩く。
「よし、では、こうしよう。明日、江美たちを送り届けたら、私はそのまま静岡で待機する。龍二君は裏取りができたら、俊之を連れてきてくれ。
「わかりました。場所に時間はどうしますか」
「ふむ……。そうだね、東静岡駅のそばに天然温泉の施設があっただろう。今回の事件には、あそこが丁度いい。現地に18:00あたりということでどうだろうか」
「それだけ時間に猶予があれば問題ありません。了解です」
「よし、じゃあ現時点での筋読みを聞いてくれ。私の読みはこうだ――」
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仮眠から目覚めた龍二は、朝早くに富士宮署に設置された捜査本部へと向かった。既に与五沢や中山を始めとした捜査員達も集まっている。竜太郎の筋読みを元に、重点的に捜査して欲しい項目を伝えると、自らも所轄の刑事と組んで現場付近の聞き込みへと向かった。
昼過ぎには、続々と情報が上がってきた。中山ら地取り班からは、羽賀が現場近くのコンビニでロックアイスを買い込んでいたとの報告が上がり、山崎らの鑑識班からは、ここ数日の裕子の通信履歴の報告に証拠物件の採取状況が上がった。龍二率いる鑑取り班も、岩田夫妻の人となりの情報を得ていた。そのどれもが、竜太郎の筋読みに合致している。しかし、まだ決定打に欠ける。やはり本人の自供が必要だ。
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その日の夕方、龍二は俊之を連れ出して、用宗から少し離れた場所に位置する東静岡駅近郊の天然温泉へと立ち寄った。温泉と岩盤浴が楽しめるその施設の一室では、探偵が座して待っていた。岩盤浴用の館内着を身に纏い。
「俊之さん、昨日はどうも。もうお体は大丈夫ですか」
「え、ええ。お二人が刑事と探偵だとは驚きました。なんでも事件に関してお話があるとの事ですが」
「はい。まあ、楽にしてください。温泉ではなく岩盤浴ですので、昨日よりも体に負担がかかりませんしね」
「はい……」
揃いの館内着を着た3人は、岩盤浴用に敷かれたバスタオルの上へと腰かけた。俊之はあまり落ち着かないようできょろきょろと目を動かしている。そこへ、何気ないように竜太郎が話しかけた。
「そういえば俊之さん、昨日もあのホテルの風呂にいらしてましたね。なんでも、お宅のお風呂を用意するのが面倒で、駅から直行したと伺いましたが」
「え、はい。昨日は亜紀の件もあって疲れていまして」
「お湯を入れるのも面倒だった、と」
「はあ」
俊之は不思議そうに竜太郎を見ている。なぜそんな事を聞くのか、わかっていないのだろう。
「なるほど。では、俊之さんがお風呂を支度する係なんですね。裕子さんは随分と家庭的で世話焼きと聞いていましたので、てっきり裕子さんが支度されているものかと」
俊之の顔が強張った。竜太郎は、気づかないかのように淡々と話を続ける。
「それとも、知っておられたのでしょうか。昨晩は、裕子さんがお風呂を用意できなかったということを。いいえ、もっと言えば、浴槽自体が使えなかったことを」
俊之の顔色がサッと変わった。昨日、大浴場で見た時のように、すっかり血の気が引いている。――この反応は、クロだ。そこへ竜太郎が、申し訳なさそうに声をかけた。
「おっと、大丈夫ですか? 顔色が随分と悪いようですね。昨日の今日ですものね。岩盤浴でも辛かったかもしれません。失礼しました。ささ、休むのにうってつけの部屋がありますので、そちらへと移りましょう」
そう言うと、さっと立ち上がって部屋を出ていく。俊之はどうしていいのかわからないのか、龍二の顔を伺っていた。龍二がついて行くように手で促すと、渋々といった様子で立ち上がって後を追った。
3人が入った部屋は、部屋一面が大理石で覆われていた。中はとても涼しい。壁に掛けられている温度計を見ると、室温は10℃ほどだった。サウナで言う所の水風呂の代わりに、ゆっくりと体に負担をかけないように冷やすための部屋なのだろう。天井からは、涼し気な風が流れてくる。
壁の両側の下部は、長椅子のようにせり出している。3人が、そこにバスタオルを敷いて腰かけると、竜太郎が改めて切り出した。
「さて、俊之さん、大丈夫ですか。この部屋でしたら楽でしょう。すみませんでした。いったん事件の話から離れましょうか。そうそう、今日は用宗へと行ったそうですね。あそこの生シラス、美味しいですよね」
「え、ええ」
「生シラスやサクラエビは駿河湾の名物ですけど、普通は冷凍ですものね。生だとやっぱり、違うのでしょうね」
「そうですね。美味しかったです。一概に鮮度が良ければいいというものではありませんが、やっぱり味がかわってきます」
話題が、自分の仕事である水産関係のものになったためか、俊之は少し落ち着いてきたようだ。
「なるほど。でも、冷凍するにしてもいろいろな工夫をしているようですね。なんでも、冷凍だけでなく、解凍する時にもひと工夫が必要だとか」
「ええ、海産物は急速冷凍・急速解凍が一般的なんですが、どうしても身崩れしてしまうんですよね。特に解凍時に一気に温度が変化すると、組織が壊れてしまって、いわゆるドリップが出てしまい、食感も味も落ちてしまうんです」
「ほう、では、どうするのがいいのでしょうか」
「氷水を使うんです。水で解凍するのと違って、氷で水を冷やしながら解凍すると、0℃近辺の温度を保って解凍できます。結果として、組織の損傷を最小限に抑え、鮮度の高い状態で元に戻せるんです。氷水解凍と言うやり方なんですが――」
俊之は饒舌に説明していたが、そこで急に押し黙って竜太郎の顔を見た。竜太郎は微笑を浮かべて俊之を見つめている。だが、その眼光は鋭かった。
「やはり、随分とお詳しいんですね。そういえば、俊之さんの所でも鱒を冷凍して扱っているとか。袋に注水したまま冷凍させるそうですが、氷水解凍がやりやすいような狙いがあるのでしょうね」
「え、ええ……」
冷たい空気が部屋を流れた。それは、体を冷やす冷房のせいだけではないだろう。竜太郎と俊之は、黙ったまま互いを見つめていた。が、やがて、その空気に耐えられなくなったのか、俊之が視線を逸らして吐き捨てた。
「なんなんですか一体。探偵さん、言いたいことがあるならハッキリ言って下さい」
「では、お言葉に甘えて。俊之さん、裕子さんを殺害したのはあなたですね」
「なっ……」
俊之は弾かれたように立ち上がった。が、隣の龍二が中腰になって構えているのを見て取ると、ゆっくりと再び腰を下ろした。
「何を馬鹿なことを。あれは亜紀が……」
弱々しく反論する俊之に、探偵は悲し気に告げる。
「そうですか。まだ、お認めになりませんか。いいでしょう。では、お話しましょう。昨日、いったい何があったのかを――」
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