探偵は資格を取得する

 水田みずた龍二りゅうじやぐら家のチャイムを鳴らすと、妻の父、つまりは義理の父である竜太郎りょうたろうが巨躯を丸めて出迎えた。元々大きい体の上に何枚も着込んでいるためか、着ぶくれをしたフォルムは全体として球体に近くなっている。


「龍二君、お疲れさま。すっかり寒くなって来たね」

「お世話になります。義父とうさん。もう12月ですもんね」


 龍二は静岡県警捜査一課の刑事だ。普段は自宅もある静岡市に位置する県警本部に詰めているが、県東部で事件が発生した際には、同じく東部の富士山麓は富士宮市に隠居している竜太郎の家を宿にさせて貰っていた。


 事件発生地区を管轄する警察署に用意されている仮眠室や道場で寝泊まりするのに比べると、随分とゆっくりできるのは正直言ってありがたい。何より、龍二の仕事の事をよく理解していることもあり、気心が知れていて気楽なのだ。


 居間の炬燵に落ち着いてひと息つく。何とはなしに室内を見回すと、定年後の男性が一人暮らしをしているにしては片付いていた。龍二は自分の部屋を思い浮かべ、その違いに唸った。すると、向かいに座った竜太郎が神妙な顔をして切り出してきた。


「龍二君、君とは長い付き合いだが、実は隠していた事があるんだ」

「何ですか、義父さん」

「実は私は……」


 竜太郎はそこでいったん言葉を切る。龍二はごくりと唾を飲み、居住まいを正して先を待った。


「実は私は、寒いのが苦手なんだ。それも凄く」

「知っています」

「どうにも冷え性で冬は苦手で」

「10年は前から承知してます」

「なんで人間って冬眠できないんだろうね。熊ですらできるのに」

「それは知りませんよ」


 竜太郎は不満顔で炬燵に両手まで入れて歯を鳴らす。「今度、日本平動物園で熊に聞いておいてくれ」などとブツブツ言っている。しかし、日本平動物園のスター、ロッシーはホッキョクグマだから冬眠するかは微妙だ。そう言おうとしたが、真面目に相手をするのが馬鹿らしくなって、止めた。


 今ではすっかり寒がりのお爺ちゃんの竜太郎だが、少し前までは龍二と同じ県警捜査一課の刑事だった。「筋読みの櫓竜ロウリュウ」の通り名で呼ばれるほどの敏腕刑事であり、龍二の上司でもあった。定年後も、嘱託としてなんらかのポストで活躍することを期待されていたが、定年を迎えるとあっさり退職して隠居した。


 もう事件に関わるのは十分なのだろう。そう思っていたが、つい先日、なんと探偵事務所を開きたいと言い出した。なんでも、地道な捜査をするのではなく、安楽椅子に座ったまま事件を解決してみたいとかなんとか。そういえば、その件はどうなっているのだろうか。龍二は水を向けてみることにした。


「そういえば義父さん、探偵の件はどうなったんですか」

「ああ、そうだそうだ。実はね、龍二君。そのために資格をひとつ取ったんだよ」


 探偵の資格。確か探偵業を開業するのに必要な国家資格はなかったはずだ。警察署経由で公安委員会に開業届を申請するだけで良い。ただ、それとは別に、いくつかの民間団体が資格試験や技能試験を行っていたはずだ。竜太郎が言っているのはそのどれかなのだろう。義父さん、割と本気なんだな。龍二は思わず感心した。


「資格ですか。どういう調査技能の試験だったんですか」

「調査? いや、取ったのはサウナ・スパ健康アドバイザーの資格だけど」

「なんでサウナ方面の資格取ってるんですか」

「よく温まる方法を知識として押さえておこうと思って。あ、合格証とピンバッジ見るかい?」

「いえ、大丈夫です」


 竜太郎は自慢したかったのか、ちょっと不満げに口を尖らせた。子供か。しかし、竜太郎の言い分にも一理ある。実は少し前、義父は椅子に深く座ったままで、見事に一つの事件の謎を明かしてみせたのだ。――ただし、安楽椅子は露天風呂の休憩用ベンチだったのだが。


 寒い場所ではまったく冴えない推理とも言えない珍説ばかりをぶち上げるが、ひとたびサウナに入って温まると、全盛期を彷彿とさせる冴えを見せる。竜太郎はそんなサウナ探偵なのだ。


 あの露天風呂での推理を思い返し、龍二は竜太郎に気になっていることを相談してみることにした。


「ところで義父さん、ちょっと相談したい案件があるのですが」

「なんだい。ひょっとして小泉の件かね。もう夕方のニュースになっていたよ」

「ええ、その通りです」


 小泉の件とは、今朝、富士宮市の小泉で起きた事件の事だ。著名な女性翻訳家が、その夫と共に死体となって発見されたのだ。


「ニュースでは心中の可能性を報じていたが、一課の龍二君が出張ってきたという事は、事件の可能性もあるのかい」

「ええ、少し気になる事がありまして、実は……」


 龍二が事件のあらましを説明しようとすると、探偵はすっと背筋を伸ばした。コタツに両手を突っ込んだままで。

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