探偵は1段目で温まる
健康ランドは、県道414号線沿いのファミレスのほど近く。さらにもう一本北の道を進んだ場所に位置していた。サウナ後には外気浴がてら、歩いてファミレスへと向かうのもいいかなと思える距離だ。
2人は早速サウナ室へと向かった。15人ほどは入れる広さのサウナ室には、2段のひな壇が設えてある。壁にかかっている温度計の目盛りは90℃。なかなかの温度だ。龍二は颯爽と最上段に陣取ったが、竜太郎はひとつ下の1段目に腰かけた。
「あれ、お父さん、珍しいですね。今日は最上段じゃないんですか」
「ああ。ちょっと今日は体調がね。1段目でじっくり蒸されるとするよ」
「わかりました。でも、段を変えるだけでそんなに変わるんですか」
龍二が尋ねると、竜太郎は驚いた様子で振り返った。
「龍二君、なんでサウナ室に段が作ってあるのか知らないのかい」
「ええ? 沢山の人数が腰かけられるようにじゃないんですか」
「それもあるけどね、一番の違いは温度だよ」
「温度」
竜太郎は頷くと、自分の隣の席をポンポンと叩いた。座ってみろという事なのだろう。龍二は1段降りて、竜太郎の隣へと腰かける。
「あ、本当ですね。それほど熱くない。同じ部屋なのに、かなり差がありますね」
「だろう? 空気という物は、暖かいものほど上に行くからね。基本的にサウナ室は、空気をかき回すような仕組みがないから、上下の温度差は結構なものになるんだよ。段に座らないで、床に直接座ってみると、さらに温度は低くなるよ」
「なるほど。言われてみれば納得です。ということは、サウナ室に段があるのは、自分で好みの温度を選べるようにしているわけですか」
「そういう事。熱さを求める場合は上に行って、ゆっくり温まりたい場合は下というわけさ。その日の気分や体調に合わせて、ちょうどいい温度の位置に座るんだ」
今まで龍二は、あまり深く考えずに最上段に腰かけていた。いつも竜太郎が最上段に行くので、付いて行っているだけというのが大きいのだが、温度の事は考えたことが無かった。
「それで今日は1段目だったんですね。でも、僕なんかは体調が少し悪くても、なんだか負けた気になって最上段に座ってしまいそうです」
「ハハハ。わかるよ。私も若い頃はそうだった。でも、流石にもう無理できないからね。慣れてくると、熱くても大丈夫になってくるのだけど、そう感じているのは頭の中だけで、身体は悲鳴を上げてる、なんて事にもないりかねないからね」
「そういうものかもしれませんね。」
ついつい温度の高い方、言い換えるとキツイほうに行ってしまうのは、体育会系出身者の悪い癖なのかもしれない。だが、そうしているうちに熱さに対して慣れてくるのも事実だ。
龍二も最初の頃は、サウナ室で鼻呼吸するだけで、鼻腔内が焼けるように熱くて辟易した。今でこそ平気な顔で最上段で蒸されているが、あの頃は口を半開きにしてゆっくり口で呼吸をしていたものだ。良く言えば慣れて来て鍛えられたと言えるが、悪く言えば、鈍感になってきたのかもしれない。
「だからね、龍二君。最近は私も、あまり自分の感覚を当てにしすぎないようにしているんだ。『今日は調子が良くて、長く入っていられそうだなあ』と感じる時も、サウナタイマーを見て1周したら出るようにしているよ。12分といったら、結構なものだからね。客観的な物差しを参考にして、一歩引いてみて、やりすぎないように気を付けてるんだよ」
「なるほど。自分の体感だけを信じすぎるのも良くないんですね」
サウナ室内には、ほぼ必ずと言っていいほど、1周で12分を刻むサウナタイマーと温度計が壁に掛けられている。施設によっては、温度計が無い施設はあるが、サウナタイマーが無い施設はほとんどない。多くの人が目安に利用しているからなのだろう。
竜太郎は、サウナタイマーを、サウナ室を出るタイミングの客観的な目安として使っているようだが、龍二はついつい「1周するまで入っていなければ負け」みたいな考えでにらめっこしてしまう。最近は長く入っていられるようになってきているのだが、これもあまり褒められた入り方ではないのかもしれない。
「最終的には、体に無理の無いタイミングを自分で判断するって事だね。良くも悪くも、それを決められるのは自分だけだからね。さて、それじゃあそろそろ水風呂に行こうか」
「はい」
サウナ室のすぐ前にある水風呂は、キンキンに冷えていた。温度計こそないが、体感で15℃ほどだろう。しかも、奥まった場所には水を対流させるための、いわゆるバイブラが設置されている。龍二はバイブラの出口当たりに座り、腰の周りの水が対流するように体の位置を調整した。
「くーっ……」
冷たさに思わず声が漏れる。気持ちいい。以前は、水風呂なんてとても無理と思っていた自分が嘘のようだ。これも慣れなのだろう。今ではサウナのメインは水風呂だと考えるほどになっている。
龍二は目を瞑ってゆっくりゆっくりと冷たさを味わう。入ったばかりの時には、刺すような冷たさを感じた肌の周りの水が暖められ、だんだんと体を包む「水の衣」が作られていく。こうなると、冷たさがかなり和らぐ。バイブラの当たっている腰の部分だけはそうはいかないが、その他の個所では、内部の温かさと、表皮の冷たさがせめぎあい、なんとも言えない気持ちの良い感覚が体を駆け巡る。
そのまま水風呂を堪能していると、隣の竜太郎がざばりと上がった。露天の方を指さして、ぺたぺたとそちらへと歩いていく。一足先に休憩するようだ。龍二も続こうかと思ったが、もう少し入っている事にした。
しばらく水風呂に浸かっていると、だんだんと吐く息に冷たさを感じるようになってきた。肺から喉を通って上がってくる空気が、喉の内側を冷たく撫でるのが心地よい。この状態になった時が、いつもの龍二の上がり時だ。だが、せっかくバイブラのあるキンキンの水風呂だ。もう少しだけ長居しよう。龍二はそう決めて、水風呂の水をバシャバシャと顔にかけ、目を瞑った。
「――龍二君、大丈夫かい?」
竜太郎の声で、隆二はハッと我に返った。どうやら水風呂の中で少しウトウトしてしまっていたらしい。大丈夫です、と反射的に答えて慌てて水風呂から上がる。
「うわっ!」
龍二の意志に反して、水風呂でガチガチに冷えていた足はうまく動かない。
「いやあ、すみません。ついつい長居してしまって」
「気を付けないとね。水風呂慣れすると、冷たさに麻痺して我慢できちゃうからね。でも、当たり前だけど、やっぱり水というのは身体にとっては冷たいんだよ」
「はい。気を付けます」
龍二は慎重に足を運び、露天のベンチへと腰掛けた。必要以上に良く冷えたせいか、体を撫でる露天の風が、いつもより優しく気持ちいい。こういう感覚もあるんだな、と新たな発見に驚いていると、隣に竜太郎がやって来た。
「それにしても、さっきの横受け身、流石だね」
「いえいえお恥ずかしい姿を。いちおう中・高と柔道部でしたからね。今でも道場には通っていますし」
「ふふ。咄嗟に出るものだね」
「ですね。でも、まさか健康ランドで出すとは思いませんでしたけど」
龍二は頭を掻いて苦笑した。なんでもそうだが、「慣れてきた頃が危ない」とは良く言ったものだ。少しサウナと水風呂に対して、調子に乗っていたのかもしれない。そんな龍二の気持ちを見透かしたのか、竜太郎がにっこりと笑って言った。
「龍二君、どうやらわかってきたようだね」
「ええ。もうちょっと慎重に入るようにします」
「そうではなく、今回の事故だよ」
そして、竜太郎は高らかに宣言した。
「ととのいました」
「ええっ!? 義父さん、わかったんですか」
「ああ。すべての謎の答えは、サウナが教えてくれる」
「サ……サウナが? とにかく、事故の謎がわかったんですね」
「そうだ。それはそれとして」
「はい」
探偵はすっくと立ちあがると、パァンと音を立ててタオルを肩にかけた。
「まずはサウナ飯だ」
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