探偵は依頼者と対峙する

 龍二が3人の生徒を伴ってサウナ室に入ると、既に竜太郎が1段目に陣取っていた。それを見た生徒たちは、顔を見合わせて戸惑っている。無理もない。「事故の件で腹を割った話がある」と呼び出され、「腹を割るにはやはりサウナだ」とわけのわからない理由でこの場所に来ているのだ。しかし、それでも拒絶しないのは、やはり、何か思い当たる節があるのだろう。


 生徒たちは、竜太郎と向かい合う形で、部屋の反対側の段へと並んで腰かけた。龍二は竜太郎の隣へと腰掛ける。さあ、だ。緊張した様子の生徒達へと、竜太郎がにこやかに声をかける。


「やあ、皆さん、良く来てくれたね。ありがとう」

「いえ、話っていうのはなんでしょうか」


 宮崎が3人を代表する形でリードする。ファミレスの時もそうだったが、彼がこのグループのリーダー的な存在なのだろう。


「例の事故の事でね。それはそうと、宮崎君、もう足は大丈夫なのかい」

「え? ああ、はい。まだ少し気になりますけど、痛くはありません」


 そう言って、宮崎は左の足先をくるくると回して見せる。見たところ、そこには傷もなければ、腫れや痣のようなものもなかった。


「そのようだね。随分と綺麗だ。――最初から怪我なんてしてなかったみたいに」


 竜太郎の言葉に、宮崎の端正な顔がこわばった。その顔や肌は、蒼ざめてなお、輝くように白い。いつも汗まみれで蒸されいているおじさんだらけのサウナ室内ばかり見ているからだろうか、なにか、不自然さを感じる程に綺麗だった。


 しかし、宮崎はすぐに笑みを浮かべ、冗談めかして笑いながら応じる。


「……ひょっとして僕、何か疑われてます?」


 宮崎は笑顔のまま、探るように問いかける。竜太郎も笑顔で応じたが、肯定も否定もせずに話を続けた。


「実はね、私は探偵事務所をやっていてね。そこに依頼があったんだよ。『この動画には嘘があります。それを見抜いてください』というね。添えられていたのは、君たちの動画だ。さらに追加で、『被害者は穴の場所を知りませんでした。犯人は故意に危険な落とし穴に落としました。その方法を推理して下さい』ともね」

「そんな! 僕たちがなんで岬を……」


 宮崎が抗議しようとしたが、竜太郎はその言葉にかぶせる様に、穏やかな、しかし、はっきりした口調で話を続ける。


「そこで私達は映像を見直したんだよ。そして、分かったんだ。走り方から見るに、岬君は穴の位置をもっと先にあるものと考えていた。『椅子を過ぎたら穴だ』とでも聞かされていたんだろうね。しかし、実際は思っていたより手前だった。おまけに、ご丁寧に穴の前には木の棒を刺して、テグスを使って足をひっかける罠まで用意されている。普通に走っていれば、そんなのはすぐに気づくだろう。だが、あの馬のマスクだ。足元なんてとても見えない。結果、見事に足を引っかけて転倒、そして、落下して怪我をした。つまり、今回の件は偶然起きてしまった不幸な事故なんかじゃない。明確な悪意を持って仕組まれた、事件なんだ」


 竜太郎が一気にまくしたてると、サウナ室内は一瞬、しんとした静寂に包まれた。静寂を破ったのは、やはり宮崎だった。がばりと立ち上がると、敢然と抗議する。


「違う! 違います! あれは岬が勝手に。事件じゃない! 事故なんです」

「いいや、事件だ。そして、犯人は君だ」

「そんなのデタラメです!」

「……と、依頼人は私がそんな風に間違った推理をするのを期待していたみたいなんだよ。宮崎君。わかっているよ。君がそんな細工をしていないことは」

「え?」


 宮崎は少し落ち着いたのか、ゆっくりと腰を降ろした。竜太郎は、相変わらず笑みを浮かべたまま腰掛けている。


――義父さん、かなり怒っているな


 龍二は、竜太郎の様子を見てそう感じていた。一見穏やかそうに見えるが、何かがいつもと違う。


 すると、小太りの星野が小さく手を上げて発言した。


「あの、探偵さん。細工をしていないとか、映像だけでわかるんですか」

「おい風斗フート!」


 思わず宮崎が星野の肩を掴むが、星野はそれを振り払って竜太郎を見つめる。


「おちつけよガク、根拠があるなら聞いときたいじゃんか。また妙なクレームが来た時にそれで対処できる。お前もいつも言ってるだろ? クソ視聴者がうるせーって。それで、どうなんですか、探偵さん。聞かせてくださいよ」


 星野は、まるで挑みかかるような目つきで、竜太郎を睨んでいる。宮崎と増田は、その様子を心配そうに眺めているだけだ。当の竜太郎はと言えば、相変わらずにこやかに微笑みを浮かべている。


「いいでしょう。一番の根拠になるのは、岬君の手の付き方だね。通常ヒトは、予期せず転倒しそうになった場合は、体を庇うために手を出す。風呂場で足を滑らせた時みたいにね。今回のように、倒れるのが前側だったら、こうだ」


 竜太郎は生徒の方に掌を見せるようにして腕を上げた。そして、そのまま前に倒れこむようなフリをした。いわゆる前受け身の姿勢だ。


「事件や事故の時でも、ヒトは咄嗟にこういう姿勢をとるんだ。だから、普通は腕に傷がつくんだよ。逆に言えば、腕に傷が無ければ、庇う気が無かったか、あるいは、倒れこむとき既に意識がなかったと判断できるね。今回の件に当てはめるとしたら、前者だろうね。映像を見ても、岬君はまったく庇おうとしなかった。それどころか、まるで飛び込むかのように頭の上に手を出していた。もし、岬君が穴の場所を知らなかったのなら、つまり、意図せず倒れたのなら、あの姿勢は不自然だ。ましてや、君たちは転ぶことが日常茶飯事の体操部だ。手を付いたり、受け身の姿勢を取らない方がよっぽどおかしい。穴があることは知っていたからこそ、あんな不自然な姿勢だったんだろうね」


「足元にはテグスがしかけてあった事はどう説明するんですか」


「あれは、足を引っかけるためじゃない。穴の位置を知らせるためのものだ。馬のマスクでは足元は見えない。だから、足先にテグスがひっかかった感覚で、そこが穴だと知らせるための仕掛けだよ。第一、休耕地のやわらかい土に棒を立てた程度では、転ぶほどテグスは強く張れないからね」


 竜太郎の説明を聞き、星野は顎に手を当ててブツブツと呟き、何かを考えているようだ。そこへ、さらに竜太郎が畳みかける。


「極めつけは、岬君が穴に落ちる時の姿勢だ。あの飛び込むような姿勢。あれは、地面に転ぶときの姿勢じゃない。もっと下を目掛けることを前提にした姿勢だ。そう、穴があると知っていて、飛び込むための姿勢なんだよ。もし穴があることを知らなければ、すぐ目の前の地面に、あんな風に頭を出すなんて事はありえない」


 星野は納得したのか、頷いてまっすぐ竜太郎を見た。そこで、今まで黙っていた増田が戸惑った様子で声を上げた。


「ちょっと待ってくれよ。なんなんだよさっきから。ていうか、依頼って何? 誰が一体そんなもんを探偵さんに頼んだんだ。結局俺達をどうしたいんだよ」


 増田は立ち上がり、竜太郎の方へと詰め寄らんばかりの姿勢になった。が、龍二がそれを制するように立ち上がったのを見ると、舌打ちをして座りなおした。竜太郎は相変わらずどっしりと座ったままだ。そして、星野の方を見て、ゆっくりと口を開いた。


「依頼をしてきたのは君だね、星野君」

「はい」

「目的は、あの動画から、なんとか事件の可能性を見つけられないかの調査」

「その通りです」


 星野は驚くでもなく、淡々と答える。


「君は初めてファミレスで会った時、私を二度見するほど驚いていた。あれは、私がくだんの立像に似ていたからじゃないね。あらかじめwebページで私の写真を見ていたからだ。見知った顔が急に現れたので、思わず二度見してしまったんだね」

「そうです。上手く誤魔化したと思ったのに、ちゃんと見てるんですね」


 増田が再び立ち上がらんばかりの勢いで星野に詰め寄る。


「ちょっと待てよ風斗フート。なんでお前、わざわざ秘密をバラすような真似してんだよ」

「うるせーな。岳の腰ぎんちゃくは黙ってろや」

「な……」


 星野が増田をひと睨みすると、増田は本当に黙ってしまった。そして、すがるように宮崎を見る。余裕の表れなのだろうか、それとも、ポーズなのだろうか、宮崎は口角を上げ星野を見つめる。だが、その端正な顔の額には青筋を浮かんでいた。


「そうか。岬の敵討ちか何かのつもりか。風斗、お前、あいつと幼馴染だったもんな。怪我したのを見て、急に正義感にでもかられたか。それとも、怖くなったのか。いや、違うか。俺に責任を全部押し付ける理屈をこの探偵にでっちあげて貰おうとでも思ったのか。まあ、なんでもいい。なにせ、俺が怪我させたんじゃない、岬が自分で飛び込んだって事は、他でもない、お前が頼んだ探偵さんが証明してくれたんだからな。ねえ、探偵さん、そうですよね」


 宮崎は興奮に瞳を輝かせて竜太郎を見る。竜太郎は、ゆっくりと頷く。


「ああ、その通り。岬君は自ら進んで穴に落ちた。誰に強制される事も無くね」

「ほらみろ! 残念だったな風斗、お前のアイデアなんて、所詮こんなもんなんだよ。別に岬も死んだわけじゃない。怪我しただけなのに妙な事しやがって。バカは余計な事考えずに、黙って俺の考えた通りの事やってりゃいいんだ」


 星野は悔しそうに俯いた。宮崎は整った顔を歪めて高笑いをする。


「探偵さん、じゃあ今日は、風斗の依頼の報告に来て下さったんですね。ありがとうございます。つまりこの事故は、やっぱり岬が勝手に落ちて勝手に失敗した事故ということでいいんですよね」


 龍二はよほど立ち上がって一発殴ってやろうかと思ったが、竜太郎がどっしりと座ったままなのを見て堪えた。宮崎はサウナの熱で火照ったのか、それとも、自分がだと確信したのか、頬を上気させて笑みを浮かべている。その陶器のように白く傷ひとつない体は、程よく温まったのか、光を放って輝いている。なまじ容姿が整っているだけに、汗を纏わせ微笑む様は、美しく、そして醜悪だ。


――悪魔のような奴だな


 龍二が奥歯を噛み締めていると、竜太郎がゆっくりと口を開いた。


「あの動画を見る限り、岬君は自分から穴へと落ちたのは間違いない。そして、私が依頼の報告に来たのもね」

「ほらみろ、じゃあ――」

「だが、私への依頼は『動画の嘘を暴く事』だ」

「え?」

「だから私はその嘘を暴かせて貰うよ。そして、君には、――君たちには、知ってもらわなくてはいけない。なぜ、岬君が自分から穴に落ちるなんて事を選んだのかを」


 探偵は、相変わらずのゆっくりとした口調でそう告げた。だがその眼の中には、燃え盛るかのような炎がたぎっていた。

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