探偵は手掛かりを掴む

 2人は国道1号線をしばらく東へと向かい、沼津市まで足を延ばして温浴施設にやって来た。浴室内には通常の白湯だけではなく、電気風呂やジェットバスが設えられており、露天にも3種類ほどの湯舟が待っていた。充実したお湯のラインナップに加え、手打ちの十割蕎麦が売りの食堂コーナーまでもが併設されている。


 しかし、龍二と竜太郎が落ち着いた先は、湯船でも食堂でもなく、サウナだった。なぜか数名のおじさん達と一緒に、室内の一番上の段に2人仲良く並んで腰をかけていた。


「お義父さん、なんで僕たちサウナに入ってるんですか」

「なんでって、そりゃ温まるためだよ」


 竜太郎は、先ほどとのいじけた姿とは打って変わり、ニコニコとやけに上機嫌だ。タオル一枚を腰に置き、少し前かがみになって蒸されている。額や肩には、ぷつぷつと汗が噴き出している。


 そうなのだ。熱いのだ。鼻で息をすると、鼻腔がぴりっと来る程熱い。部屋の中の温度計を見ると、80℃を指している。これが水温だったらとても温まるどころではない。龍二はそんな事を考えながら、口から少しずつ息を吸っていた。


「お義父さん、やっぱり僕は湯舟の方に……」


 龍二がそう言いかけた時、サウナ室のドア開き、1名の店員が入ってきた。何やら神輿祭りの時にでも使う大きな団扇と、桶を手にしている。


「お、来た来た。龍二君、ロウリュが始まるよ」

「ロウリュ? なんですかそれ」

「まあ、見ていれば分かるよ。今日はこのために来たようなものさ」


 店員は手にした桶に入っているアロマ水がどうのこうのと説明を始め、おもむろにその水をサウナ室内のサウナストーン――良く熱せられた石、にかけ始めた。そのとたん、ジュワッっと水が蒸発し、良い香りが漂ってくる。と、同時に、なんだか室内の温度が少し上がったような気がした。


 さらに店員は手にした団扇で、サウナストーン周辺や天井付近を扇ぎ始めた。何をしているのだろう。そう思っているうちに、突然頭上から先ほどまでとは桁違いの熱波が降り注いできた。熱い。驚くほど暑い。一気に汗が噴き出てくる。そうか、これは、部屋の空気をかき混ぜ、上に溜まっている熱い空気を循環させているのか。


 龍二が思わず隣の竜太郎の方を見ると、竜太郎は気持ちよさそうに熱波のシャワーを背中で受けていた。竜太郎だけでなく、室内のおじさん達は皆、思い思いのポーズで熱波を浴びている。なんだこの光景は。


「では、今からお一人ずつ扇いでいきますね~」


 店員はそう宣言すると、一人ずつ団扇で扇ぎ始めた。わけも分からず見ているうちに、すぐ龍二の番になる。店員と目が合い、なんとなくぺこりと礼をする。店員が団扇を龍二に向かって振るや否や、体の真正面から恐ろしく熱い風が吹きつけてきた。熱い! シンプルに熱い! 龍二は思わず声が漏れそうになるのをなんとかこらえた。気付けば全身汗みずくだ。


 こんな熱風、義父さんは大丈夫なのだろうか。心配になって竜太郎の方を見ると、なんと、蛇が鎌首を持ち上げるかのように、両の手を高々と掲げている。なんですかそのポーズ。熱すぎておかしくなったのか、それとも新手の降参の表現なのかと思ったが、竜太郎が扇がれる番になると、すぐにその理由が分かった。義父は、真正面から襲い来る熱風を、全身で受けきろうとしているのだ。降参などではない、むしろ竜太郎は攻めている。


 店員がばっさばさと団扇を扇ぐ。竜太郎はその熱風を、目を閉じ、気持ちよさそうに浴びている。なんだこれは。なんだこの部屋は。おじさん達が、熱い部屋にタオル一丁で集まって団扇で扇がれている。まるでどこかの村落にある奇祭か何かのようだ。龍二は初めて体験するロウリュのサービスに呆気に取られていた。だが、店員が全てのおじさんを扇ぎ終わって一礼する頃には、すっかり気持ちよく汗をかき、他のおじさん達と一緒に拍手を送っていたのだ。


「お疲れさまでした~。氷のサービスです。おひとつずつどうぞ~」


 店員は氷を取り出すと、ひとり一人に配り始めた。なんの変哲もない氷が、今はとても愛おしい。冷たい。ただただ冷たい。その冷たさがありがたい。室内のおじさん達は、思い思いに氷を体に当てたり、口に含んで冷たさを味わっている。龍二も顔中に氷を這わせ、爽快な気分になっていた。


「いやあ、お義父さん、氷がこんなにありがたいとは思いませんでしたよ」

「ふふ。ロウリュの良さが分かっただろう」

「ええ。どちらかと言えばサウナは苦手なんですが、気持ちいいものですね」

「そして、私も分かったよ」

「何がですか?」

「事件の真相が、だよ」


 龍二は氷を持った手を止めて、竜太郎の顔をまじまじと眺めた。汗まみれのその顔は、いつもよりツヤツヤとし、瞳は鋭く輝いている。まるで元気な頃の義父、いや、「筋読みの櫓竜ロウリュウ」と呼ばれていた刑事の頃の、自信に満ち溢れたあの瞳だった。


「本当ですか、お義父さん」

「ああ。ほぼ間違いない。すべての事件の答えは、サウナが教えてくれる」

「サウナが……答えを……? とにかく、犯人がわかったんですね」

「そうだ。それはそれとして」

「はい」


 探偵はすっくと立ちあがると、くいっと顎をしゃくった。


「まずは水風呂だ」

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