8-4 舞台裏 前編【動画はちょっとだけ】一号の罪



 貸会議室で、アップロードボタンを押した。

 パソコンの横には新しいビデオカメラが置いてある。

 一号のカメラはシンプルなつくりだったから覚えやすかったけど、最近はボタンが多いから覚えるのに時間がかかりそうだ。

 触って覚えるしかないか……。



「……三号くん」


「なんですか?」


「一号のカメラで僕を撮るのやめてくれないかな……!!」


「いいじゃないですか。どうせ映らないんだし」


「そうだけどさ。カメラを向けられるの、慣れてないんだよ」


「自意識過剰ですね」



 一号のカメラ。

 彼が消えたとき、僕にはそのカメラだけが残された。

 それからずっと大事に使っていたけれど、『イエローハウス』に行った時にどうにも調子が悪くなってしまった。


 ……調子が悪くなったって言うか、って言うか。



「もう一回、見ますか? 兄ちゃんの動画」


「一回見れば十分だよ……」



 動画の中ではなんとかライトに済ませたけど……途中で切れたと嘘をつくしかなかった。

 公開できるのはあそこまでがギリギリだ。

 僕はイエローハウスでの出来事を思い出す。


「………」





***





「人の格好を恥じないで下さい」


「年齢的な問題でね!? 黒いマスクは若い子が使うイメージがするんだよね……」




ジジッ……ジッ……




「ん? 何の音ですか?」


「なんだろう? カメラから聞こえているような気が……」




ピンポーン♪




「ヒッ!? またチャイム!?」


「静かにして下さい……」




ジジジッ……ジッ、ジジジジジジジッ!!!




「い、一号のカメラから!?」



 僕に向けられたカメラから、明らかにカメラの作動音ではない音がする。



「一旦止めようか……」



 起きあがって、三号くんが持っていたカメラをのぞき込む。



「さっきから、止めようとしているんですけど……っ!」



 三号くんがカチカチと何度も停止ボタンを押しているのに、動画の時間は増え続けている。

 画面は真っ黒だ。



「どうしよう……部屋から出る?」


『せっかく来たのに、もう帰るとか言うなよ〜?』


「……えっ?」



 止まらないカメラから流れてきた音声は、ずっと聞きたかった一号の声だった。



「兄ちゃん……!!」


「どこ? どこにいるんだ!? 一号!」


『お前たちふたりとも、こわがりだからなぁ〜。まさかここまで来るとは思わないけど、一応残しておこうと思ってな!』



 声がする方向を辿りながら再び家の中を進む。

 ダイニングキッチンを抜けて、隣にある和室の……コタツの机の上に、一号は行儀悪く座っていた。



『よぉ! 元気にしてたか?』



 カメラの中で顔全体をクシャッと歪めながら笑う姿は、紛れもなく一号だ。

 


「い、一号……! キミ、あの白い部屋じゃなくて、こんなところに居たのかい……?」


『まぁ元気なわけないだろうけどな〜。こんな場所まで来るってことは、俺のメッセージ読んだってことだろうし。えーっと、たぶん八件ぐらい? 事故物件こなしたんだろ?』


「そ、そうだよ……! 僕、僕は一号にいつも頼ってばかりで……っ!! キミがどんどん痩せていくのに何にもできなくて、心配するばっかりで、だから、キミは、僕のこと……っ!!」



 やばい、泣きそうだ。

 感極まって、一号のところへ走りだそうとしたら三号くんに腕を掴まれた。



「三号くん?」


『バカだなぁ、お前たち』


「浅葱さん、ダメです」



 三号くんは瞬きを忘れてしまったのかと思うぐらい大きく目を見開いて、小さく首を横に振った。



『そんなことしても、無駄なのに』


「だ、ダメって何が……? ホラ、あそこにお兄さんがいるんだから三号くんだって……!」


『俺はもう、ソッチに戻るつもりはない』


「アレは兄ちゃんじゃありません」



 ホラ、と三号くんは構えていたビデオカメラを僕に見せた。

 画面の中にはコッチに向かって手を振る一号がいる。



「あ……」



 でも、視線を向けた先。


 実際のコタツの上には、


 ただ、埃だけが舞っている。



『全部忘れて、知らんぷりして暮らせばいいのに』



 一号の姿は、カメラ越しでしか捕らえることができない。



『みんな、そうやって生きてるのにさぁ』



 噛み合わない会話。

 肉眼では見えない姿。


 幽霊……、だ。

 一号は、幽霊になったんだ……。



『そーゆーバカなところ、俺は好きだったけど?』


「あれは兄ちゃんの留守電です」


「る、留守電……?」



 そういえば一号が動画の中で、死んでしまったらこの世に留守電を残す程度の干渉しかできなくなるって言ってたっけ……。



『バカだから、騙せると思ったんだ』


「黙って聞いていて下さい」


『どんな順番でここに来たのかは分かんないけど、ラフィに撮ってもらった動画は見たんだろ?』


「で、でも……っ!!」


『俺さぁ、お前たちみたいにバカじゃないの。だから、本当はちょっと気づいていたんだ。もしかしたら、弟を助けるためには代償が必要かもしれないって』


「い、一号……」


『浅葱。お前なら、身代わりになってもいいと思った。だって、他人だし。本当は俺1人でも、事故物件YouTuberできるし』


「そんな……」


『でもなぁ。やっぱりダメだわ。お前のこと犠牲になんてできない。だって、お前バカだもん。バカみたいに俺のこと信じちゃってさぁ……そんなお人好しで、よく今まで生きて来られたよな』


「だって……、こ、こんなにも一号なのに……!?」


『お前を弟の身代わりにするには、ちょっと時間が経ちすぎた。お前に情が移ったし、モタモタしている間に弟の恒河ごうがは消えてしまった。ここに来れば、弟に会えるかと思ったんだけどな。もう遅かったか……。7つまでは神のうち、だもんな。そりゃあ早く溶けちまうわ』


「さっきも言いましたけど、霊感持ちが死ぬと厄介なんです。知識を持ったまま、境界線を渡ってしまうから……」


『弟が消えた今、羅睺らごうなんて呼び出しても無意味だって思った。でも、溜まりに溜まったケガレは爆発寸前。やっぱりいらないです、なんて言えないし。しゃーない、俺の蒔いた種だからな。俺が刈り取るしかないよな。お前は俺をやたらと良いヤツみたいに言うけど、本当の俺は友達を身代わりにしてもいい、なんてサイテーなこと考えちゃうような人間なんだから、いい加減、目を覚ませよ』


「……そんな、そんなことないよっ! 一号は、僕にたくさんのものをくれたじゃないか!! 僕はキミの、キミの弟のためなら身代わりになってもいいって思って……!! キミと一緒に居たのは、僕の意志なんだよっ!?」


「だから、留守電と会話しないで下さいって言ってるでしょ」


「だって……」


「ちゃんと聞いて下さい。兄ちゃんの、伝言です……」



 三号くんの言葉は冷静だけど、やっぱりさっきから全然瞬きをしていない。

 動揺しているんだろう。

 そうだ、僕が……今は僕がしっかりしないと……!!


 なけなしの集中力で、一号がいる辺りを見る。

 相変わらず何もない。

 考えろ……なんで一号はここにいるんだ?

 何か理由があるはずだ……。

 何か……!!



那由多なゆたも』


「……ッ!」



 矛先が三号くんに向いた。

 ビクッと肩を震わせた拍子にカメラが手から滑り落ちそうになったから、慌てて僕も手を添えて支える。



『お前が憑かれやすい体質だったから、お前の分も引き受けてやったのに。そのまま祖父ちゃんたちのところで普通に暮らせばよかったのに』


「………」


『なんで、恒河ごうがが連れ去られたか分かる?』


「えっ……」


『俺に溜まってたお前の分のケガレが、まだ小さい恒河に全部移ったんだ。幽霊も、低いところ……つまり入りやすいところに集まるからな。まぁ、子供だったから【羅睺らごうの器】になる前に消えちゃったけど。でも、その方が良かったかもなぁ。だって、羅睺らごうみたいな自分勝手な幽霊たちに身体を使われるの嫌じゃん? 俺が言えた話じゃないけどさ』


「三号くん……」


『那由多が背負うはずだったケガレ、かなり重かったなぁ。女の子のお前が背負うには、大きすぎた。だから、俺に預けたことは後悔するなよ? 兄として、当然のことをしたまでだからな!』


「大丈夫です。知ってます……私は一度、逃げてしまったから。だから、今度は絶対に逃げないんです」


 ショックを受けているかもしれない、と思って顔色をうかがう。

 口では強気なことを言っていても、その声は明らかにいつもより細かった。



『この伝言を聞いてるなら、もう俺のことについては諦めついてるよな?』



「……ッ」


 三号くんの前で「そうだ」と即答はできないけれど、僕の心はほとんど固まっている。

 だって、一号を取り戻すための身代わりなんて用意できない。

 ずっと自分が身代わりになればいいと思っていたけれど、それはただの思考の放棄だと気が付いた。


 そんな方法で一号を取り戻しても、彼は絶対に喜ばないだろう。


 結局、僕がしていたことは残された者の自己満足だったのかもしれない。

 自己犠牲にみせかけて、僕は自分の足で歩くことを忘れていたんだ。


 だから、もう……。



「……だ」


「えっ?」


「やだ……いやだ、嫌です……嫌だよ、兄ちゃん……!!!」



 三号くんが、物言わぬビデオに向かって声を絞り出しながら叫ぶ。

 澄ました顔で物わかりの良いことばかり言っている時とは大違いだ。



「兄ちゃん!!」


『巻き込んで、ごめんな』


「いやだ!! 諦めたくなんかない!!!」


『俺のことなんて、本当に、ガチで、真剣に、助けるなよ?』


「戻ってきてよ! 兄ちゃん!! 行かないで!!」


『俺は浅葱が身代わりになってもいいと思ったことがあるし、弟をケガレから守れなかったダメな兄ちゃんなんだよ。助けてもらう理由がない』


「バカ!!! ばかばかばか!! なんで、そんなに自分勝手なのっ!? 理由なんかなくてもいいでしょ! 家族なんだから!!!」


『もしもお前たちのどっちかが身代わりになって、俺を助けるとするだろ? そしたら、俺はお前たちを助けるためにまた羅睺らごうを呼び出して今度は自分が身代わりになるぞ? 二回目になるから、今度はスムーズだと思う!』


「ハァ、ハァ……」



 叫び疲れたのか、肩で息を繰り返す三号くんの背中をソッとさすった。

 涙は出ていないけれど、それ以上に憔悴した顔をしている。

 三号くんにとって一号は家族だから、簡単には割り切れないんだろう。


 ……僕だって、完全に割り切ったわけじゃない。

 むしろ今でも、全然割り切れてなんかいない。

 だけど以前よりはほんの少しだけ……進みたいと思った。


 一号に頼ってばかりの僕はもうやめる。


 自分で自分を、嫌いにならないためにも。

 彼が居ない世界を、生きていく覚悟をするんだ。



『……なぁ、こんなくだらないイタチごっこはやめようぜ? ここでおわり!! に、したらいいじゃん? わかった? それじゃあ、解散!!』



 一号は言いたいことだけ一方的に言い残して、カメラの中からも消えてしまった。

 イエローハウスは再び静かになって、遠くで知らない子供のはしゃぐ声がする。



「さ、三号くん……」


「なんですか……留守電と会話してしまった私を笑いたいなら、笑えば良いじゃないですか」


「そ、そんなこと……ない、よ。うん……絶対に、ない」



 俯いたまま鼻をグスグスと鳴らしている三号くんの小さな肩に触れると、そのまま引き寄せた。



「僕はキミを、笑ったりなんかしない」


「知ってますけど……」



 僕の腕の中でおとなしく目を瞑って、溢れる感情をなんとか飲み込もうとしている三号くんにもっと気の利いた、年上らしい含蓄ある台詞を言ってあげたかったけど……僕にできるのは、自分の体温をちょっと分けてあげることだけだった。



「……あたま」


「頭?」


「撫でて下さい」


「こうかな……?」



 求められるまま、三号くんの髪に触れる。

 いつもの黒いキャップがないから変な感じだ。

 地毛の黒と人工的な金色が混じった髪は、見た目よりずっとサラサラと指通りが良くて綺麗だった。

 同じシャンプーを使っているはずなのに、どうしてこんなに彼女は良い匂いがするんだろう?

 


「浅葱さん」


「ん?」


「アナタは……いなくならないで、下さい」



 両腕をだらんと垂らして僕にされるがままだった三号くんは、急に僕の背中に手を回してぎゅう、と抱きついた。



「ぅわ……っ!」



 さ、流石にその密着度だと……む、胸の存在が分かるんだけど……!!!!!

 あっ、しかも今日スポブラだから余計にちょ、……ほんとにヤメて!!わかるから!

 ああ〜ダメだダメだ。

 こんな時に何を考えているんだ僕は!!

 


「も、もちろんだよ……! ずっと近くにいるよ」


「本当ですか……」


「キミを悲しませたりしないって、約束したじゃないか」


「そうでしたね……忘れてました」

 

「忘れないで!? 毎回言うの恥ずかしいんだから……」


「ふふ……」



 ちょっとだけ、いつもの調子が戻ってきたみたいだ。

 くぐもった笑いが聞こえてくる。



「何回でも、言って下さい。私……」


「うん、うん。よしよし」



 子供みたいに甘えてくるから、ついあやすように撫でたら何故か振り払われてしまった。


 な、何が違うんだ……?

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