9-4 舞台裏 前編【映ってないよね】VS 羅睺1号





「………」



 黒い影は次第に人間の形になって、懐かしい姿になった。


 ……兄ちゃん。


 最後に会ったのは、私の制服姿を見に来てくれた時だったかな。

 背の高さも、広いおでこも、少し外側に反った耳も、全部見覚えがある

 ただ、目だけが……真っ黒だ。

 アナが空いているみたいに、何も映していない。


 兄ちゃんはゆっくりとコチラを見て、そして、動いた。

 


「三号くん、あぶないっ!!」



 カメラを置いた浅葱さんが、私を庇うように前に立つ。



「かっ、勝手な行動はしないで下さいって……!!」


「分かってる! 分かってるよ!!」



 私の代わりに床に押し倒された浅葱さんは、皮膚を抉る勢いで無遠慮に伸びてくる兄ちゃんの手を自分の腕で必死に防ぎながら、声を枯らして叫んだ。



「三号くん!!」



 私のことを呼んでいる。

 私はそれを、ただ突っ立って見ている。



「厨房にあるお鍋!! 寸胴鍋持ってきて!!」




 大切な家族、兄ちゃんが。

 大切な相棒、浅葱さんを襲っているのに。


 なんで!?


 もう、絶対逃げないって決めたんだっ!!

 なのに、なんで……足が動かないの!?


 動け動け動け!!!!


 せっかくココまでやってきたんだ!

 ココで動かなくて、いつ動くんだよ!!!

 こんな場面、今まで何回もあったのに……!


 那由多じゃない、ウスバカゲロウ三号はいつも冷静で強いんだ!!!


 他人には今まで散々、エラそうなこと言ってきたのに……っ。

 どうして自分のことになると、浅葱さんみたいにポンコツになるの!?

 三号はそんなに弱くない!!



「三号くん! お鍋だよ!! コイツに被せるんだ!!」



 羅睺らごうに乗っ取られた兄ちゃんは、憎悪の対象を浅葱さんに決めたのか、節ばった大きな手で握り拳を作って、執拗に浅葱さんへとぶつける。



「いだっ!? いっ……うあっ!?」


「あ、あさぎ、さ……」



 喉から出た声が掠れている。

 ……こんなの、昔の那由多なゆたみたいじゃないか。

 幽霊に怯えて逃げ回って、兄ちゃんや弟にイヤなことを全部押しつけてしまった時の……。


 いや、元々、私は那由多だった。

 ウスバカゲロウ三号なんて、やっぱり、動画の中だけの存在なんだ……。

 私は何も、変わってない……。




「三号くん!!!」




 浅葱さんの声が、耳に届いた。



「キミが! 廃病院で!! ラフィにしたことを思い出して!!」

 


 羅睺らごうに襲われて、心底ビビっているはずなのに。

 事故物件に泊まるのも怖がりすぎて、本当は一睡もせずに寝返りばかり何度も打っていたはずなのに。


 どうして、アナタは……。




「三号くん!! ……ッなゆ太、くん!!」



 そうだ。

 私は今、三号であり那由多なんだ。

 浅葱さんと一緒に、いままでこなしてきた事故物件の数は変わらない。


 この経験は、私だけのものだ。




 「……ッ!!!」




 金縛りがとけたみたいに、身体が急に動いた。

 磨かれた床に足を取られつつ、厨房に駆け込んでカラの寸胴鍋を乱暴に掴んで戻る。



「このっ……!!!」



 兄ちゃんのカタチをしているだけの存在に、動揺する必要なんてない!!

 私は両手で高く持ち上げた鍋を、兄ちゃんの頭めがけて被せるように打ち下ろした。



「やった……!」



 幽霊に乗っ取られたラフィの視界を封じたら動きが鈍ったから、今度も同じことが起きるのかと思っていたら……違った。



「………」



 兄ちゃんは何かを探すように立ち上がると、無造作に鍋を投げ捨てて、そして……。



「………」



 薄く、笑って……霧のように消えてしまった。

 後には、黒い霧の名残だけが残される。



「な、なんで……」


「……逃げられましたね」



 静かになった店内に、一瞬だけ車のライトが光る。

 裏口をノックするような音が、聞こえたような気がした。






***






 動画のアップロードを終えて、貸会議室の片づけをはじめた浅葱さんに後ろから声をかける。



「浅葱さん」


「ん? どうしたの?」



 パソコンに繋いでいたコード類を纏めている手を止めて、浅葱さんが私に向き直った。



「さっきの動画、変な間をあけちゃってすいませんでした」


「いやいや! 僕の方こそゴメンね!」



 ライオンマスクを脱いだ浅葱さんの顔には、兄ちゃんに殴られた痕が残っている。



「……浅葱さん、けっこう冷たいんですね」


「なんで!? 僕、なにか変なことした……?」


「……兄ちゃんのこと、なんだか割り切れてるみたいだったので」


「割り切れてなんかないよ!? めっちゃ怖かったし!!」


「それにしては、冷静だったじゃないですか」


「あれは……だって、前に三号くんが僕にしてくれたことだから、覚えていたんだよ」


「肉体を得た霊の視界を塞げば、動きが鈍くなるってことですか」


「そうそう。三号くんこそ、ちょっとキミらしくなかったね」



 浅葱さんの言葉にドキッとする。

 図星だからだ。

 普段鈍いくせに、なんでこういう時だけ……。



「だって……」


「確かに見た目は一号だけど、でも、中身は一号じゃないよ。全然違う。別のモノが入ってる。一号とずっと一緒に居た僕が言うんだから間違いないよ。キミもそうでしょ?」


「私は……七歳になる前に兄ちゃんとは離れて暮らすようになってしまいましたから」


「そっか……。そうだったね。あんまり会えなかったの?」


「年に数回、会う程度ですね」


「頻繁に手紙のやり取りしていたみたいだから、もっと会ってるのかと思ってたよ」


「兄ちゃんに会うと、兄ちゃんに憑いてる奴らのせいで私の体調が悪くなってしまうので、控えていたんです。血が近いと、そういうことが起きるんですよ」


「なんか、それはちょっと大変だね……家族なのに」


「家族だから、ですよ。良いときも悪いときも背負い合うんです」



 浅葱さんは私の説明に納得したのか、フンフンと大きく頷いている。



「結局、私は私なんですよね……」


「どういうこと?」


「強くて冷静な三号のフリをしてみたって、やっぱり弱いままなんです」


「そんなことないよ!!」



 浅葱さんは急に立ち上がって私の肩を掴んだ。

 そのまま前後にブンブンと揺さぶる。



「三号くんは、今まで何回も僕を助けてくれたじゃないか! キミに救われた幽霊や依頼主も多いはずだよ!!」


「わ、わ、分かりましたから……止めて下さい」


「あっ、ごめん……つい。それを言うなら僕だって、動画の中とリアルとではずいぶんキャラが違うでしょ?」


「ビビリってことは、同じですけど」


「そこは見逃して!? だからその……僕も、キミと同じような事を考えていた時期があったんだよ」


「えっ?」


「『ゴーストイーター』のウスバカゲロウ二号なら、もっとうまくやれるのに……って。でも、僕はどう足掻いても浅葱優斗あさぎゆうとだからさ。二号にはなれないんだ」


「………」


「だから、その……三号くんもさ、無理してウスバカゲロウ三号にならなくても良いんじゃないの?」


「……参りましたね。お見通しでしたか」


「そこはまぁ……僕、キミよりも生きてるわけだし」



 再びパイプ椅子に座った浅葱さんが、立っている私を見上げる。



「キミよりも悩んでるし、キミよりも迷ってるし、キミよりも無理してるし、キミよりも……格好悪いからね。弱気を察するのは得意なんだよ」


「……その、キミっていうの止めて下さい」


「あっ、えっと……三号くん? それとも、なゆ太くんだっけ? どんな漢字書くの?」


「数の単位で、那由多なゆたです」


「んん……?」


「……那覇市の『那』に、自由の『由』に、多い少ないの『多』ですよ」



 数の単位を理解してなさそうだった浅葱さんのために、丁寧に説明する。

 ちょっと考えてから、浅葱さんは「那由多ちゃんか」と呟いた。


「……ちゃん付けは、今更気持ち悪いです」


「気持ち悪い!? じゃあ、那由多くん」


「はい」


「ん」


「なんですか?」



 浅葱さんは両手を広げた姿勢のまま固まってしまった。



「また変なトコロ触っちゃったら悪いし、僕はこのまま動かないから」


「はぁ……?」



 浅葱さんの真意を掴みかねて、首を傾げる。



「好きなだけ、抱きついてもいいよ?」


「はぁ!?」


「だって、那由多くんいつも眠るとき抱き枕しっかり抱いているし。ギュッとすると安心するのかなぁって」


「ちっ、違いますよ!! バカじゃないですか!?」


「違った? それならゴメン……」


「……でも、まぁ、せっかくですし」



 バツが悪そうに腕を下げて目を伏せた浅葱さんの後ろに回って、背中から腕を回した。


「わっ。……素直じゃないなぁ」


「うるさいですよ」



 浅葱さんは、兄ちゃんみたいに逞しい身体じゃない。

 痩せ続けるのは止まったとは言え、まだ痩せすぎの身体はあちこち骨が張っていてゴツゴツしている。

 でも、皮膚の匂いとぬるい体温は、冷たい位牌よりもずっと良い。



「ちょっと弱い那由多くんも、ちょっと強い三号くんも、どっちも僕の相棒だよ」



 私の右手あたりに、ちょうど浅葱さんの心臓がある。

 トクトクと規則正しく脈打つ鼓動は、少しずつ早くなっていく。



「……二号さんの時も浅葱さんの時も、アナタは変わらずポンコツですね」


「ハハ……確かにそうだ。こんな僕と相棒でいてくれて、本当にありがとう」

 


 浅葱さんはついさっき自分で言ったことをもう忘れてしまったのか、心臓に触れていた私の手を抱き締めるように背中を丸める。



「……そうですね。浅葱さんの相棒が出来るのなんて、私ぐらいですから」


「うん、うん」


「……大事に、して下さい」



 私の小さな呟きは聞こえたのか聞こえなかったのか分からないけど、浅葱さんの「もちろん」という返事はやけに大きく耳に届いた。



 そっか。

 私は、私のままでもいいんだな。



 私は、私のままでも。

 浅葱さんは、ゆるしてくれるんだな。


 それってなんだか……。



「……家族、みたいですね」




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