ep.25◆泣きっ面に宣誓
「ヤブ、もう話いい?」
「ハイハイ後はご自由に」
ティアは扉に隠れるように顔だけ出したまま、部屋に入ってくる様子がなかった。手をひらひらとさせてヤブが出ていっても、その場でじっと見送るだけ。「入れば」と促しても気まずげに視線を床に落とすだけで。
「熱があるなら、寝ていて」
おまけにそう言われた言葉が予想外で、少しだけ返答に詰まる。
いつから聞いてたんだろう、これ。
「入る気ねぇなら、何しに来たの」
「あの、……ごめんなさい」
「……別に怒ってないんだけど」
普通に返したつもりなのに、ティアは気落ちした声で、もう一度「ごめんなさい」と繰り返した。俯き気味の顔に前髪が垂れて、表情が少しわかりにくくなる。
なんか空気が重いし、居心地悪い。どうしたもんかと思っていると、不意に「あの、ね」と声がして。
「様子が、気になったの」
「……様子?」
「あれからずっと、起きなかったから」
途切れ途切れに話すティアは、ぎゅっと眉を寄せて顔を上げる。
「死んでなくて、良かった」
その目はこの前のように、今にも泣き出しそうで。見てるといたたまれなくなってきて、視線を逸らす。
「おおげさ……っ」
その時ざっと頭から血が引く感覚がして、内心で冷や汗を流す。あ、やばいこれ、タイミング最悪だ。
堪えようと思ってもじわじわと不快感がせり上がってきて、力が抜ける前にとベッドに座る。本当は蹲った方が楽なんだけど、傍から見た絵面やばそうだし。
ひたすら息を整えていると「アルテ」と近くで声がして、俯いた視界の端に足が見えた。
「へいき」
「無理しないで」
「してない、」
「休んで。お願い」
ほんとに、気にする程じゃないんだけど。
貧血は空腹の時とかにも時々なるから慣れてるし、そこまで珍しくもない。どうせ少しすれば治まる。
なのに、少し状態がましになってから顔を上げると、ティアの表情は罪悪感でいっぱいになっていた。
「ごめんなさい。私の、せいで、ごめんなさい……」
繰り返される謝罪の端々に滲むのは、明らかな後悔。
何を言うべきなのかわからなかった。その謝罪が今限りのものじゃなく、これまでのこと全てに対するものだと気づいたから。
俺が死なねぇっつっといて二日も寝てたせいで、よけい罪悪感を背負わせる羽目になったのかもしれない。死んでないならそれでいいと思ってたんだけど、やっぱ駄目なんだろうか。
出そうになるため息を飲み込んで、「ねぇ」と謝罪を遮ると、ティアの身体は目に見えて強ばる。
「先に聞きたいことあるんだけど、いい?」
なるべく柔らかく聞こえるよう気をつけても、ティアは身を縮めたままで。ぎこちなく頷くその顔は、どこか青ざめて見えた。
答えたくなかったらそれでいいから。そう前置きしたのにティアは首を横に振って、結局全部に答えてくれた。
血を飲むのは呪いの影響で、ティア自体は吸血鬼という訳ではなく、人間のままだということ。
血は食事ってわけじゃなく、ただ呪いを中和するためのものだということ。飲まないと気が狂うけど、一定以上飲めば姿は元通りになるんだ、とも。
今のティアは、顔の火傷も右腕の骨もそのままだ。いわゆる『元通り』にはなってない。思いながら「今は?」と聞くと、ティアは怯えるように肩を揺らす。
「今……?」
「あの時に飲んだ血、充分な量じゃなかったんだろ。その上で二日経ってるらしいけど。まだ平気?」
左手を自分の右手首に伸ばして、包帯を固定してるテープを剥がす。そのまま端から解いていくと、困惑する声が聞こえた。
「な、ん」
「トびそう?」
掌にぐっしょりと貼り付いた、赤いガーゼを剥がす。その下は縫われた糸に血が絡んでいて、周りにも薄く赤が滲んでいる。
目の前で、小さく喉が鳴る音がした。
見上げたティアの瞳には、わずかに熱がちらついていて。
「っ、だいじょうぶ、です」
「……そ」
反応、ちょっとだけあやしい気はするけど。この前と比べたら遥かに理性的だし、平気かな。
今はやれそうにないし、大丈夫ならいいんだけど。
血まみれのガーゼを近くのごみ箱に放り、そのまま包帯を巻き直す。ガーゼの替えがないから迷ったけど、とりあえずティアに見えなきゃいいかと思って。
「それと、最後に聞いていい? なんでさっきから、そんなびくついてんの」
視線をあげると、顔を青ざめたままのティアと目が合う。
罪悪感が酷いことは見ててわかるんだけど、なんでそんなに怯えてんのかがわからない。他にもなんかあるんだろうか。
「俺、別に怒ってないって。ティアが思うほど気にしてない。もうこれ以上聞かないから、言いたくないなら無理に言わなくていいけど。何がそんな怖いの」
「……怖い、とかではなくて、だって」
そこまで言って言葉を詰まらせたティアは、少しの間を置いて、不意に顔を歪ませた。
あんまり泣いて欲しくないんだけど、なんだかまた、泣き出しそうな顔だった。
「どうして、私を責めないの」
わずかに空いていた一人分の距離が詰められて、ベッドに腰掛けている俺の足元に、ティアが跪く。
一転して見下ろすことになった不安定な瞳には、怯えよりもむしろ、後悔と罪悪感でいっぱいになっているように見えた。
「全部私の、せいなのに。私が悪いのに。私のせいで傷つけて、殺しかけて。手にも怪我をさせて、全部、私が、私、」
震える唇を片手で押さえて、「どうしたら、いいの」と吐き出す声は、今にも消え入りそうな色をしている。
「ごめんなさい、分からないの。何をすればいいのか、全然、分からなくて。……だから、アルテの好きにして、いいよ。気を遣わなくていい。全部暴き立てていい。何をしたって構わない。ねぇ、私はどうしたらいい? 何をしたら償えるの」
「別に何も求めてないよ」
「でも、」
震える声で詰め寄る口元に手を伸ばす。立てた人差し指をその唇に押し付けると、一瞬肩を揺らしたティアは、困惑した様子で押し黙った。
ゆらゆらと不安定な瞳を見下ろしながら、初めの頃のガラス玉のような目が、ふと頭に浮かぶ。
この関係の始まりは、出会った翌日の古城の廊下。あの頃は、バラす気なんてさらさらなかったけど。
「……最初はさ、どうでも良かったんだ」
このまま何も言わないのは、たぶんあまりに卑怯だから。
「俺は本来、ただの盗人なんだよ。最初は君と友達になりたいなんて言ったけど、ほんとは全然本気じゃなかった。あれは宝探しに役立ちそうとか、そういう理由でしかなくて、君自体には別に興味なかったから。……それなのに今じゃ、そんなのどうでもいいって思うくらいには、割と絆されてんだよ」
見下ろした先の顔には不安と困惑が渦巻いていて、初めの頃の無表情はどこにもない。
どうでもよかったはずだった。それが変わったのがいつからかなんて、はっきりとは思い出せないけど。
引き戻すために命をかけて、利き手ひとつ駄目にして。それでもしょうがないと流せてしまう程度には、情が移ってしまってる。
「なんでとか聞かれても、わかんねぇけど。俺だっていつでもティアを見捨てることは出来たし、正直一度はしようともした。なのに結局できなかったんだから、しょうがないだろ」
後悔がないとは言えない。でも何度やり直せたところで、きっと俺はティアを見捨てられないんだと思う。
躊躇ばかりして無数についたかすり傷が、それを証明してるから。
「全部がティアのせいじゃない。この結果の半分は、俺が選んだことだ。──だからもう、ティアのしたこと全部ひっくるめて許容してやるよ」
唇に押し付けていた指を端の方へ滑らせて、戯れに口角を押し上げると、目に湛えた涙を静かに落として、ティアは泣いた。
頬を伝った雫が俺の指先にかかるのを感じながら、ふっと、薄く笑う。
「泣き虫」
目元を指先で掬っても、その端からまたあふれ出して、仄かに目元が赤くなる。
抑えられた嗚咽は部屋の中に響いて、だんだんと小さくなっていった。
「魔女のとこから盗んでやるよ」
そう言うと、泣き濡れた赤い顔はぼんやりとした視線を彷徨わせて、数回瞬きをした。
馬鹿なことを言っている自覚はある。きっと熱のせいで、頭がおかしくなってるんだと思う。
かすれた声で「なに、を?」と不安げに聞いてくるティアに、小さく笑う。
それでもこれが本心なら、手放す方が馬鹿らしいから。
「ティアを。強要はしないから、来るか来ないか君が選んで。どうする?」
「……わか、らな」
「できるだろ?」
瞳を揺らして言葉に詰まるティアに、選択を促す。
「全部捨てても生を選んで、傷つけたくないからって死のうとして。もう誰に何も強制されなくても、自分の意思でものを考えてる。ティアは今なら、自分で泣けるし、笑えるだろ。……お人形はもう卒業して。この先はティアが好きなようにすればいい」
「でも、私。私は、化け物だから」
嗚咽に言葉を詰まらせたティアは、深呼吸をして、必死に息を整えていた。
「人の血を飲むの、やめられないし。また、傷つけるかもしれないし。一人じゃ、何も出来ないし。……魔女様が、許さないかも、しれないし」
「どうでもいいよ」
「でも」
「しがらみは一旦全部忘れて。どうしたらいいかじゃない。どうしたいの? ティア」
そう聞くと、ぼうっとしたまま俯いて、ティアは黙り込む。
涙に濡れた長いまつ毛が瞬いて、長い沈黙の後に、やがて囁くように呟くのが聞こえた。
「…………一緒に、いたい」
言ったそばから迷うように口を結んで、恐る恐る見上げてくる目には、不安の色が濃いけど。
「いても、いいの?」
「いいよ」
目の前の頭を緩く撫でると、その下の身体は小さく震えた。
しばらく泣いて涙を出し尽くした後、ティアは少しだけ恥じ入るように俯いて、「ごめんなさい」と呟いた。
泣いたせいか、どことなくすっきりした顔をしている気がする。本当にそうかはわかんないけど。
少しの間迷うように視線を彷徨わせたティアは、次に顔を上げた時、緊張したような顔をしていた。
「あの、ね。ずっと、ずっと昔はね、私の名前は、イヴだったの」
ティアの口をついて出てきた言葉が想定外で、思わず目を瞬かせる。
イヴ。それが本名だと言われてもどこか違和感があるのは、今まで散々『ティア』で呼び慣れていたせいだろうか。
というか、なんで今そんなこと言うんだろう。
「とっくに死んだ名前なの。ずっとどこかで未練があった。あの名前の時が、私が私のまま自我を保っていられた時間だったから。唯一、『私』を表す呼称だったから。だから、死んだとわかってるのに捨てきれなくて、ずっと、砕いて隠し持ってた」
「……あ、これからそっちで呼べってこと?」
首を傾げるけど、ティアは小さく首を振る。
「ううん、もういいの。……捨てて、いいんだ。やっと、本当にそう思えた」
穏やかに、噛み締めるように繰り返す。
「イヴはもういい。ティアでいい。ティアがいい。その場しのぎの記号じゃなくて、あなたはちゃんと、名前に願いを込めてくれた。その通りにしてくれた」
言いながら下手くそに口の端を上げて、ティアは淡く微笑んだ。始めて見たその笑みに、少し固まる。
火傷で変色した顔の半分は、最初に見慣れていたものじゃない。まぶたは泣いたせいで腫れていて、頬には涙の線が残ってる。
ぐちゃぐちゃで酷い顔なのに、少しだけ、その笑顔に見惚れた。
「ティアリアナは、幸運の女神なんでしょう?」
酷くまっすぐで、綺麗な笑みだった。
「…………手、貸して」
「手……?」
首を傾げながら怖々と伸ばされた手を、下から掬い上げる。その甲に自分の額を押し当てると、少しぬるい体温が、額の熱と溶け合った。
この行為の本当の意味なんて知らない。俺にとっては遠い昔に一度だけされた、ただのおまじないだ。
今まで、思い出そうともしなかった。
だけどなんだか、無性にそうしたいと思った。
目を閉じる。ありったけの願いを込めて、小さく呟いた。
「君の行く先に幸福が訪れますように」
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