盗人と人形
ep.1◆古城の少女
「街より東に見える森の奥、澱んだ湖の畔に建つ古城には、恐ろしい魔女が住む」と言われている。
ふと見上げた空は、青々と晴れ渡っていた。
春の日差しは柔らかくて、気温はそこそこ過ごしやすい。人によっては清々しい気持ちになるんだろうな、と思えなくもないそんな一日。
そんな日にこんな森の奥で何してんのかって聞かれたら、まぁ呑気に日向ぼっこしに来たわけじゃない、としか言えないんだけど。
「……やっぱ、どう見ても廃墟だよな」
空を見ていた視線を落として、俺は小さく呟いた。
森深くの古城には、恐ろしい魔女が住むと言われている。出逢えば腹を引き裂かれ、心臓を抉り取られ、その血を啜られる。決して生きては帰れない。そんな残忍な魔女の噂。
とはいえ目の前にそびえる噂の古城は、魔女どころか人が住めるのかも怪しいくらい、ぼろっぼろの廃墟だった。
正門はすっかり錆び付いて蔦が絡まってるし、地面を見れば腰までありそうな高さの雑草まみれ。門から伸びる高いレンガ塀や城の壁面は、どっちもあちこちひび割れて、蔦や苔が元気に茂ってる。
青空の下で見ると、なんかすごい緑が鮮やかだな、としか言えない。
むしろ自然と一体になりすぎてて、風情があると言えなくもない、のかもしれない。たぶん。
まぁ外観がこんななのに中は普通みたいだから、魔女の城なんて呼ばれてんのかもしれないけど。
緑まみれの古城から目を逸らし、その周りを囲んでるレンガ塀の方へ歩き出す。
確か、昨日見つけた入口はこの先にあったはず。
あの時は庭までしか行けなかったけど、今日は真昼間だし時間だけはあるから、なんとかなるかな。
◆
塀を辿って行くと、途中に一部が崩れた場所がある。その隙間を乗り越えて、すぐ前に見える城の方へ。
塀の近くと違い、奥に進むにつれて周りの景観は整っていく。昨日はどう考えてもおかしいと思ったけど、二回目だからかあんま驚きはない。
鍵がかかってない扉から城内に入り、廊下を進んでしばらく歩くと、ふと隅の方に人影を見つけた。
背の中程まで伸びた黒髪が、日を受けてキラキラと輝いていた。
その横顔は端正でいて、完璧なまでに無表情だ。
窓の外を見つめる華奢な身体は、長い時間そうしているかのように、全然動く気配を見せなかった。
やっぱり居た。
「こんにちは」
声をかけると、固まっていた少女の身体がわずかに揺れる。
少しの間を挟んで、ゆっくりと振り向いた彼女と目が合うと、その目が少しだけ丸くなった気がした。
その瞳が
相変わらず、顔立ちだけはすごく綺麗だ。
「どうして……」
小さく零れた声音はどこか透き通っていて、そのくせどこまでも平坦だった。
彼女は少し目を伏せた後に、窓の外をちらっと見る。その一連の様子を、俺はただ眺めていた。
綺麗な子だとは思う。思うけど。素直に褒める気になれないのは、彼女の雰囲気のせいかもしれない。
その無表情も、淡々とした声も。彼女はどこか生気に欠けていて、作り物みたいに見える。
こんなに人形という言葉が似合う人は、他にいないと思えるくらいに。
「……帰れなかったのですか?」
彼女は少し視線をさ迷わせてからそう言った。一応質問の形ではあるけど、声が小さ過ぎて独り言みたいだ。
さて、ここでどう答えとこう。
少し考えてから、口元に笑みを乗せる。
「いや、君と友達になりたかったから、また来たんだ」
そう言うと彼女は無表情のまま、一度だけ瞬いた。
昨日俺がここに来た経緯は簡単だ。単に迷って辿り着いただけ。
散々森をさまよった後にやっと抜けたと思ったら、街で噂になってる古城の前だった、ってだけの話。
正直、噂なんて全く信じてなかった。経験上、こういった類の噂は九割近く嘘っぱちだし。その上魔女なんて存在、どう考えても一般的じゃない。信じる方がどうかしてる。
てか昨日は噂なんて気にしてる暇なかった。
古城を見つけた頃にはもう日も暮れかけで、しかも森には夜行性の獣が出ると聞いていた。夜までに帰れる気が全くしないし、もし鉢合わせでもしたら逃げ切れる自信も無い。
だったらいっそ、屋根と壁があるここで一晩越そうと忍び込んだんだ。
そしたらそこに、彼女がいた。
「とも、だち?」
「そ、友達」
小さく呟かれる声は、どこか固くてぎこちない。
なんだか戸惑ってるように聞こえなくもないそれに、また笑いかける。
「俺はアルテ。君の名前、教えてくれる?」
昨日は魔女かどうかくらいしか答えてくれなかったから、名前はまだ知らない。
あの時の彼女は魔女ではないと答えて、獣避けの匂い袋と、街までの目印を教えてくれただけだった。他の質問には答えずに。
まぁ正直名前に限っては、昨日の時点じゃ興味なかったから、そもそも聞いてなかったけど。
「用がないなら、帰ってください」
少し目を伏せた少女は、間を置いて小さく首を振る。
「だから、友達になりたいんだって」
「私に友達はいりません」
「なんで?」
「必要ないからです」
理由になってないけど。
淡々と返した少女は、ついに俺を見ることもせず背を向けてしまった。あんまりな反応に苦笑が漏れる。
「そもそもさ、なんで君はこんな所に居るの?」
同業のようにも見えないし。思いながら、ちらっと視線を城の廊下へ移した。
外観の酷さとは打って変わって、中は本当に綺麗なもんだ。
所々飾られている美術品や調度品の類はどれも高そうで、壁や扉の装飾一つとっても見慣れたものとは程遠い。全体的に派手さがあるわけじゃないけど、どこか上品な印象がする。これぞ城といった感じ。
昨日入ったのは庭までだったから、これ程とは思わなかった。中まで来ると本当、内と外が違いすぎてわけがわからない。
「ここが魔女の城って言われてんの、知らない?」
「……魔女」
小さく呟いて、彼女が振り返る。その瞳を見て、一瞬たじろいだ。
まるで作り物みたいな、生気のない瞳だった。
暗くて透明な不思議な瞳。ガラス玉か何かのような。
「それが分かっているのに、どうしてあなたはここに居るの」
「え」
まさか聞き返されるとは思わなくて、一瞬言葉に詰まる。
「何度も言ってるでしょ、君と友達になりたいって。だからここに居るんだけど」
「……私が、ここに居るのは」
そう言って、彼女は少しだけ目を伏せる。
「私が魔女の所有物だから」
その声は、あまりにも空っぽだった。
間を置いて見上げてくる瞳には、感情など欠片も含まれていない。
ああ、まただ。作り物の目。
その目を見ていると、なんでか身体の奥がざわつく。
「だから、友達はいりません」
そう言うと彼女は俺の後ろを指し示して、「帰ってください」と繰り返した。
……別に彼女が望むまま、帰ったっていいんだけど。
だけど、なんか。
もやもやした何かを感じた直後、気づいたら、背を向けかけた彼女の腕を掴んでて。彼女の視線がゆっくりと掴んだ腕に注がれ、不思議そうに瞬かれるのを傍で見ていた。
少し悩んでから、彼女に問いかける。
「それは、君の意思なの?」
「……意思?」
「友達がいらないのも、ここに居るのも。強制されているわけじゃなく、君がそうしたいから?」
小首を傾げた彼女は、一瞬だけ考えるように目を伏せ、再び上げる。
「物に意思が必要なのですか」
淡々とした声で言い切る様子は、それが当たり前の事だとでも言いたげで。
「……、確かに、物に意思は要らないかもしれない。でも、君は人だろ。物じゃない」
そう言うと、彼女は小さく身体を強ばらせて、明らかな動揺をその目に浮かべる。ゆらゆらと揺れる瞳は不安そうに虚空をさまよって、やがて口を結んで下を向いた。
今までとは真逆の人間くさい仕草に、思わず目を細める。
いくら外見が人形めいていたとしても、掌に伝わってくるこの体温は、どうしようもなく人だった。
本当は、どうでもいいはずなんだけどな。
彼女の境遇をどうこうしようだなんて、そんな大それたことは思わない。
必要以上に踏み込む気なんてさらさらなかった。
なのに、なんでだろう。
「名前、聞いていい?」
優しく聞こえるように声をかけると、彼女は蚊の鳴くような小さな声で、ないの、と呟いた。
その返答に一瞬固まる。だけど眉尻を下げた彼女の表情が見えたから、思い直して微笑む。
「じゃあ、俺がつけていい?」
「……え」
「そうだな……、うん、ティア。ティアはどう?」
ご大層な正義感を掲げられるほど、俺は立派な人間じゃない。
見知らぬ誰かを救い出すほどの余裕も余力も、俺にはない。
ただの盗人なんだ、俺は。
たまたま辿り着いたこの城に、宝がありそうだと思い直して、一日置いてまた来ただけ。どうせなら昨日会った少女と仲良くなった方が、探索がしやすそうだと思っただけ。
だから、噂だと思っていた魔女が本当に居るなら、このまま諦めて帰ったっていいんだけど。
そのはず、なんだけど。
「確か幸運の女神の名前は、ティアリアナって言うんだよな?」
記憶を思い起こしながらそう言うと、彼女は途方に暮れた子供のような顔をした。
その前に手を差し出して、なるべく優しく見えるように笑いかける。
友達になりたいなんて、ただの建前のはずだった。
宝への下心だけで持ちかけた、表面上の薄っぺらい友情。そこに本物の情なんてない。そんなものを抱く余裕はない。
だから俺がここで彼女に手を差し伸べるのに、深い意味はきっとない。
ただ人形が見せたつかの間の人の顔が、少し、気になるだけ。
そんなちっぽけな、
「よろしく、ティア」
でも、彼女に幸福を願う呼び名をつけたのは、同情心くらいは芽生えたせいなのかもしれない。
……どうなんだろ。
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