ep.2◆市街の少年
それは遠い昔、唯一子供の頃に読んだことのある物語。
道端で拾った色褪せた絵本を、俺はいつも大切に抱えていた。
まだ文字が読めなかったから、自分じゃたいてい絵を眺めるだけ。内容は時々読める人に頼み込んで、それを横で聞くくらいだった。
不運な少女ティアリアナが、幸運の女神になるまでの、その話を。
……あれ、でも。
ふと思い出す。やばい、今まで忘れてた。そういえばあれって、一度死んでから女神に召し上げられる、って話だったような。
人につけるべき名前じゃなかったかもしれない。
少し前の出来事を思い出し、微妙に罪悪感を覚える。そうしてよそに意識を飛ばしていた時、今まで聞き流していた怒号が、突然大きくなるのを感じた。
「全く、見つかったなら見つかったでその日のうちに来いってんだ。いや、見つからなくたっていいからとっとと来やがれ糞ガキが。何が忘れてただ! こっちはお前が本当に魔女に食われたんじゃないかと冷や冷やしてたんだぞ!」
うるせぇ。
現実逃避を力一杯遮られて顔をしかめる。つーかほんと、いつまで続くのこれ。早く帰りたい。
この街は、大きいとも小さいとも言えない、半端な規模の街だ。
ここに観光で来る人はあまりいない。帝都への街道が通っているせいか、外から来るのは行商人や、宿場町として利用するような人が大半。そのおかげで、中央の宿屋や市場はいつも賑わっている。逆に言うと、それ以外の地域に外の人が来ることは滅多にない、らしい。
住んでる街の情報なんて普段気にしないから、全部人づてで聞いた話だけど。
この街は中央にある噴水広場を境に、分かりやすく東西南北の四つの区に分けられている。
領主である伯爵の屋敷は
遡れば少し前、古城からの帰り道での事だった。
ふと依頼の結果を報告してなかったことを思い出し、俺はサウス区にある馴染みの骨董屋に足を運んだ。
そして店のカウンター越しに目が合った瞬間、店主のおやじは無言で俺に殴りかかってきた。
そこから今まで延々と説教が続いている。
店の隅にある大型の置時計をちらっと見る。始め見た時よりだいぶ進んだ針が、そこにあった。
いや、そろそろいい加減にして欲しいんだけど。まじでしつこい。
「悪かったって。仕事はちゃんとして来たんだからいいだろ。感謝されこそすれ罵倒される筋合いはないんだけど」
思わずおやじの言葉を遮ると、返ってくる声がまた大きくなった。
「心配かけんなっつってんだよ糞ガキ! お前を森に行かせてから、俺がどんだけ後悔したと思ってる! 」
「……あんたそんなに情に厚かったの? 悪い、もっと薄情だと思ってた」
「謝る場所が的外れだ馬鹿か! 俺だって顔見知りが死んだら痛む心ぐらいあるわ!」
予想もしていなかった言葉に、思わず瞬く。
心配とかどうせ社交辞令のくせに、やけに絡んでくるな、とは思っていた。でももしかして、まじで言ってんのか、これ。なんでだ。
俺なんか気にしても、全く得になりそうもないんだけど。
微妙な気持ちでいたのが顔に出ていたのかもしれない。俺を見たおやじがふと目を細め、「お前俺の事なんだと思ってるんだよ」と聞いてきた。
何って。
「がめつい小悪党」
「ぶち殺すぞ」
「言ってることめちゃくちゃだぞおっさん」
途端に殺気立つ気配を感じて、目を逸らす。聞いてきたのはそっちの癖に。短気にも程がある。
ここは今日も大小のガラクタで溢れている。日当たりが悪いのか、窓は大きいのにあまり日光が入ってこない。光源は天井から吊り下げられたいくつかのランプくらいだ。
そのせいで店内はどこか薄暗く、炎の暖色光で仄かに色を変えていた。
表向き骨董屋として店を構えているこのおやじは、裏では盗品商を兼業している。骨董屋だけだと客入りが悪く、儲けが少ないせいらしい。
そんなおやじから昨日の朝、半ば無理矢理押し付けられたのが、人探しの依頼だった。
なんでも呼んだはずの行商人の足どりが、森の手前で途絶えたらしい。それで俺に探してきて欲しい、と。
『万一、人が居なくて荷馬車だけ見つかったら、指輪を探してくれないか。装飾は無い銀色のやつで、内側にSって入ってるから』
正直面倒だったけど、提示された報酬がそこそこ良かったから引き受けた。
そうしてその後、森を探すも人は見当たらず、荷馬車を見つけたので指輪を拾ってきて、そのまま見事に迷ったってのが昨日の経緯。
腰のポーチに手を伸ばし、指先に触れた布を掴み出す。掌に乗せて布を開けば、ランプの光に照らされて、中の指輪がきらりと光る。
ネックレスチェーンが通されたそれは、まるで子供の指に合わせて作られたように小ぶりだった。
「ほら、これ」
それを目の前に突き出せば、途端におやじは口を閉じた。
「……悪いな」
指輪を受け取るおやじの目はやけに真剣で、その手つきからは大切な物だというのがよく伝わってくる。
今まであまり見た事のない雰囲気だ。
別に、詮索なんてする気ないけど。
「……この手はなんだ」
「報酬は?」
だからもう、さっさと帰ろう。
口元に笑みを乗せて催促すると、おやじの眉間にしわが寄る。
別に水を差すつもりは無いし、好きなだけその指輪を眺めていればいいと思う。ただ、目の前で訳の分からない真剣な空気出されても、こっちは困るんだ。
俺が帰った後で思う存分浸ってればいいよ。その方があんたも邪魔されないしウィンウィンだろ。なんて名案。
「後でな」
「は?」
そう思ったのに、何故か一言で切り捨てられた。
いやつーか、いつまで付き合わせるつもりだよ。それとも報酬踏み倒す気なのかこの守銭奴。
ざけんなこちとら死活問題なんだよ。
目を細めて睨みつけると、おやじはわざとらしい仕草で肩をすくめる。
「やらないとは言ってないだろ。まだお前に話があんだよ。報酬はその後だ」
「……面倒くさ」
「どこで見つけた?」
再び顔を引き締めるおやじにため息をつく。
しょうがない。もうちょっとだけなら居てやるか。
「森の中ほど。道から少し外れた所に荷馬車が横転してた。あ、ついでにいくつか金目のものかっぱらってきたから、後で買取って」
「お前、相っ変わらず手癖悪いな」
「それほどでも」
適当に返事をすれば「褒めてねぇからな」と返ってきた。知ってる。
「死体はなかったよ」
ついでに一つ報告をすると、息を詰めるような音がした。ちらっと目線をおやじに投げると、どことなく青い顔が目を見開いている。
「置き去りだったのは荷馬車だけ。馬も人も居なかったし、血の跡も特になかった。馬車だけ放って逃げたんじゃない? 無事だと思うよ」
「……そうか」
どこかほっとしたようなその顔を、なんとはなしに眺める。
なんでそんな顔をするのか。その理由は簡単だ。
だってあそこには噂があるから。
腹を裂いて血を啜る、古城に住まう魔女の噂が。
「……なあ、魔女って、そんなに普通に居るもんだっけ」
話の流れで気になっていたことを思い出し、傍のおやじに問いかける。
ぶっちゃけ、俺は魔女についてあまり詳しくない。
確かに噂は知ってるけど、逆に言えばそれだけだ。基本幻想生物の類に興味ないから、今までその手の話題は聞いても聞き流してた。
俺が名付けた、少女との会話を思い出す。
あの後一応確認したら、やはりあそこは魔女の城で間違いないと言われた。ただ、ここしばらく魔女は帰ってきていない、とも。
聞いたはいいけど、いまいち危機感がわいてこない。
なんだろう、大真面目に御伽噺の存在を主張されてる気分っていうか。
いや、居ることは居るってのは、頭ではわかってるんだけど。あんまり普段馴染みがなさすぎて、全然ぴんと来ない。
それとも、俺の認識自体が間違ってたりするんだろうか。実は身近な存在だったりする? 魔女。
「居ないな」
微妙に悩みながら聞いたのに、おやじの答えは至極あっさりしたものだった。
「そもそも公的に存在が確認されたのも、偶然みたいなものだしな。世界のどこかにいるらしい、って程度だろ」
「そんなもん?」
「だが、あの森の噂に関しちゃ根も葉もない話でもない」
そこでいったん言葉を切ると、おやじは凄むように目に力を込める。
「あそこで何人も行方不明になってるのは事実だ。ほとんどがよそ者だからあまり広まっては居ないがな。本当に魔女が居るとまでは言わないが、何かしらやばいことは確かだ」
「……ふーん」
曖昧に相槌を打って、未だしっくり来ない現状に首を傾げる。
本当に、あそこに魔女は関わっているんだろうか。
どうなんだろう。
確かに内装は変だし、見た限り、ティアは嘘がつけるような人間じゃなさそうだったけど。
ああでも、どの道今は古城に居ないんだっけ、魔女。
「それで──」
おやじがそのまま、何かを言いかけた時だった。
不意に店内に、ベルの音がカラカラと鳴り響くのが聞こえた。
一瞬驚いてから入口の方を振り返ると、扉についたベルが揺れているのが見える。開いたその扉から入ってきたのは、身綺麗な女の人。
格好からして、骨董屋の方の客かもしれない。
その人は俺と目が合うと、数秒おいて首を傾げた。
「新しい店員さんでしょうか?」
そう言いながら、じろじろと俺を見る視線は、値踏みするような嫌なもので。
「……いえ、俺もただの客ですよ」
「あら、そうなの。どうりで」
納得したように頷きあからさまに変わった雰囲気に、苦手な人種だと、そう思った。
内心を隠して愛想笑いをすると、後ろから「猫かぶりめ」と、小さく声が聞こえてくる。
うるさい口に出すなよ、聞かれるだろ。
「もういい?」
視線を逸らして、後ろのおやじに小声を投げる。
「もうちょっと待ってろ、まだ話が残ってる」
「……わかった。じゃあ、後でまた来るからよろしく」
「は? おい」
二度手間は面倒だけど、どの道また来るつもりではいた。荷馬車から拾ってきた金目のものを、家に置いてきたままだったから。
別に指輪の報酬は、それ売る時でもいいや。どうしても今じゃなきゃいけない訳でもないし。
今はただ、無性に帰りたくなった。
女の横を素通りして、入口のドアノブに手をかけた時。
「ああ、そういえば貴方、イースト区の殺人鬼はご存知?」
不意に、後ろから声をかけられた。
「最近通り魔事件だ、と騒がれているらしいの。まあ、今のところ被害はイースト区だけのようですけれど」
仕方なく振り向くと、俺を見ていたその目と、視線がかち合う。
ああほんと、嫌な笑みだ。
そこに浮かんでいるものは、優越感か、蔑みか。そんな見下す類の悪感情。
「このままイーストエンドの小汚い住民で満足してくれていれば良いのだけどねぇ。
「……どうも、わざわざありがとうございます」
全てに気付かないふりをして笑みを貼り付けると、俺はそのまま店の扉を押し開けた。
出てきた扉に背を預けながら、細く息を吐く。
短い時間だったのに、なんでかどっと疲労感が押し寄せてきた。
ぼうっと足元の石畳を眺める。何度か緩く瞬きながら、なんとはなしに首元のストールに手をかける。
普段はただ首に巻いているだけのこれは、広げて頭を覆うような巻き方をすれば、即席のフードにもなる。だから顔を見られたくない時には、地味に重宝している。
今は別に、何がある訳でもない。
ただ、無性に顔を隠したい気分だった。
『イーストエンドの小汚い住民』
「……」
見下ろした格好は一応、意識して取り繕っては、いる。余計な印象を抱かれないように、むやみやたらと疑われないように。最近は、それくらいの余裕はある。
でも、使い古しすぎて服がよれているのだとか、端に落ちない染みが残っているのだとか。そういうのはもう、どうしようもない。薄暗い店内でも、あれだけ見ればわかるだろう。
その上で、あの話。
嫌味かよ。
「……うるせぇな」
小さく呟いて、一度強く目を閉じる。
俺だって、出来んなら
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