ep.3◆掃き溜めの故郷

 笑顔は処世術だった。

 浮かべていれば、何もしないよりたいてい事は有利に運ぶ。

 言いがかりをつけられることも、……まあないとは言いきれないけど、だいぶ減る。


『無愛想な小汚い浮浪児』には目もくれなくても、『身なりの粗末な殊勝な子供』になら、多少は同情心が湧くらしい。

 かつて哀れみの眼差しで施されたパンが、それを証明してくれた。そんな幼少期の小さな発見。


 自尊心なんて気にしても飯は食えない。

 愛想を良くして状況が良くなるなら、いくらだってくれてやる。

 口先だけの嘘はとっくに身体に染み付いていて、今更抵抗なんてない。顔を作ることだって、少し時間をかければそう難しいことでもなかった。

 一度慣れてしまえば楽だ。


 道端の他人の言動が、偽りなのか素なのかなんて、誰も気にしちゃいない。

 なら別に、本心なんて出さなくてもいい。

 これがきっと、生きるための最善手なんだから。




「……また、来たのですか」


 無感動に呟くティアは相変わらず無表情で、人間味の欠片もなかった。

 それにどう返そうか一瞬迷って、答える代わりに薄く笑う。


 ティアは俺に興味がない。

 ティアが口にするのはいつも、帰ってくれという言葉だけ。俺の生い立ちも人格もどうでもいい。ただ平等に、誰であろうと城にいて欲しくないだけ。

 だからきっと、俺が何者だって態度が変わったりしない。


 その割り切られた希薄な繋がりが、少し心地よかった。

 興味を持たれてないなら、気を張る必要も無いから。


 古城に入り込んでは中を歩き、途中でティアに会って、少し話して追い返される。

 ティアはいつもどこかの窓の前にいる。いつ見ても、ぼんやりと窓の外を眺めている。


 宝がありそうと思って来ているくせに、今までろくに収穫がないのはなんでだろう。

 友達になりたいという言葉が建前なのか、宝を探す方こそが建前なのか。もう、よくわからない。

 今の古城に魔女は居なくて、この状況は俺次第で、簡単に終わる時間だ。

 宝を持ち帰るまでの、ただの戯れ。ただの好奇心。ただの、暇つぶし。


 染み付いた笑顔は、早々には抜けないけど。

 それでもここにいる間は、無理に取り繕う必要が無いから。何も考えないでいられるから。

 一緒にいるのは、少しだけ、気が楽だ。




 ──俺は、楽だけど。

 ティアは、このままでいいんだろうか。




 ◆




「──ルテ、アルテ、おい、聞こえてる?」


 不意に目の前で手を振られて、我に返る。視線を上げると、見えた人物の全身があまりにも真っ白で、少しだけ固まった。

 肌、口、目、髪。視線を動かしひとつずつ確認して、息をつく。全体的に色素の薄い彼は、よく周囲から浮き上がって見える。そのせいか、いきなり視界に入ってくると驚くことが多い。

 なんだ、ノルか。


「何をほうけているの」


 訝しげに眉を寄せるノルの顔立ちは、未だ幼さが強く出ている。確か今は十三歳だったっけ。たまに忘れそうになる。

 頭の良さが滲み出てるのか、いつも雰囲気はだいぶ大人びてるから。


 きゃー、とはしゃいだような声が聞こえてきた。

 つられて部屋の奥に目を向ける。端に寄せられた粗末な木のテーブルの向こうで、何人かの子供が集まっているのが見えた。そのうちの一人が握っているのは、小さな皮袋。

 ああそっか、俺戻ってきてたんだっけ。


「……別に?」


 視線を戻すと、未だ訝しむノルに向かって、小さく笑った。





 ここ、イースト区は他区に比べて著しく治安が悪い。

 軽犯罪程度なら日常茶飯事のこの場所は、半ば以上無法地帯と化している。そのせいで、警備隊の動きもすこぶる鈍いのが現状だ。


 イースト区の対外的な有名どころといったら、中央近くにある歓楽街だけ。それを除けば、後に残るのは貧者の多い殺伐とした街並みだ。それはさらに東へと行く程に悪化していき、街の東端にまで行きつくと、どこもかしこも住居が崩れまくった廃墟街が現れる。

 そしてそこからさらに東、本来の街から張り出すように形成されているのが、バラックの立ち並ぶ最底辺。


 ここら廃墟街とバラック地区一帯を合わせて、通称、イーストエンドと呼ばれている。浮浪者や犯罪者で溢れる、いわゆるスラムだ。




 廃墟街の一角にあるこの建物は、ずいぶん前から住居として使われている。

 外からの見た目は中々にやばい。表面の漆喰が剥げてむき出しになった石壁に、ごっそり綺麗に吹き飛んだ屋根。旧三、四階部分の一角に至っては、壁ごとえぐれて中身が外に晒されていたりする。

 そんな感じの建物が他にも周囲に密集しているので、いつ崩れるかわからない、と部外者はほぼ近づかない。


 ただ、ノルが言っていた。この建物に限れば、傷んだ部分が綺麗に吹き飛んでるせいで、残っている部分は見た目ほど危なくない、と。

 そんなこんなで誰も寄り付かず地味に安全なここは、今日も子供達の声で溢れていた。


「アルテ、まだ盗み続けてるのか」


 嬉しそうに騒ぐ子供達の方を見てから、ノルが呆れたような目を向けてくる。俺は壁に寄りかかりながら、それに悪びれもなく返した。


「まあ、それが俺の日常だから」

「……相変わらずだね」


 あそこで盛り上がる子供達が持つ皮袋。あれはここに来て早々に俺が渡したものだ。

 ちなみに中身は金。この間、指輪と一緒に拾ってきたのを売ったやつ。

 そこそこいい値段になったから、ついでに渡そうと持って来た。


「アルテ!」


 不意に見ていた子供の一人が振り返り、俺に手を振ってくる。

 ぶんぶんと振り回すその手の中には、例の皮袋。


「ありがとー!」

「ああうん、腹いっぱい食えよ」


 その勢いに苦笑しながら、適当に手を振り返した。


 この建物の中に大人はいない。

 居るのはほとんどが十歳にも満たない子供で、更に言うならもれなく孤児だ。

 こんな場所で、子供が一人で生き抜くのが困難だから、身を寄せあって暮らしている。ただそれだけで、別に組織立った集まりでは無い。

 安全な寝床を共有して、困ったことがあれば助け合う。言うならそんな、隣人のような関係性。


「せっかくここから出たんだから、もっと真っ当に生きたら。そんな風だとまた戻ってくることになるよ」


 ノルがため息をつく。ノルは物言いは冷たいが結構な心配症だ。こちらのことを心配しているのが分かるから、昔からどうも頭が上がらない。


「いや、理屈では分かってんだよ。でも真面目に働いても、給金が割に合わないし」

「子供か? 僕より三つも年上のくせに……」

「それになんか、身体に染み付いちゃってるからさ、こうしないと飯が食えないって。だからもうしょうがないだろ?」

「しょうがないって……いや、どこにもそんな要素ないから。本来犯罪だから。捕まった後で後悔しても遅いからね?」


 呆れたように「やめられる環境ならやめなよ」と繰り返すノルに、曖昧に笑う。


「まあ、そのうちね」


 俺の今の家はここじゃない。

 たまたま、本当にたまたま他にツテがあったから、それを頼りにここを出た。

 運が良かったんだ。普通なら、イーストエンド育ちがここを出ることすら難しい。仮に出た所で行き場がない。どこに行っても、基本一般人には毛嫌いされるから。


 だから本来イーストエンドの住民に、まともな職なんて期待できない。親切心で雇おうとする善良な一般人なんて、まず居ない。

 その上子供ともなると、ほぼ選択肢なんてなかった。

 選り好みなんてしてられない。犯罪だろうがなんだろうが、できることをやらなきゃ死ぬ。ただそれだけ。


「……ここは変わらないな」


 見慣れた室内を見渡しながら、小さく呟く。

 出てからそれほど経ってないのに、なんだか少し、懐かしかった。


 ここの知り合いは全員、普通の職なんて持ってない。死体を運んで、ごみを漁って、身体を売って。そうしないと、満足に生きていけない。


 やめられるなら盗みはやめろって、その理屈もわかるけど。今更、俺だけまともになってどうすんの。

 泥に塗れてる知人の横で、一人綺麗に澄ましてることなんて、出来そうになかった。

 だからもう、別にいい。


 俺の生家はごみに溢れた路地裏だ。

 盗みにもかなり年季が入ってる。今になってやめても、今更感の方が強い。なら別に、泥塗れのままで構わない。

 ここを出たからって綺麗に取り繕って、綺麗な端金はしたがね貯めて。そうして今までなんて何も関係ないって顔するよりは、罪悪感も薄い。

 それにこっちの方が、余分な金は出来やすいし。

 そしたら今回みたいに、持ってくることもできるから。


「どうしても外が生きにくかったら、いつでも戻って来ていいから」


 声につられて視線を向けると、ノルの静かな目が俺を見ていた。

 ……まあ、ノルには絶対言えないけど。

 ただの自己満足なのに、知られたら気にされるのは目に見えてる。


「言うまでもなくここの環境は劣悪だ。本音を言えば、ここの外で生きられるなら、そこで普通の生活を手にして欲しいと思う。その方が明らかに生きやすいだなんて、分かりきっている」


 真っ直ぐに向けられた視線は、やけに真剣に見えた。


「でもどうしても馴染めないなら、無理してそこに居続ける必要は無い。ただアルテが居たいと思う方を選べばいいんだ。君にはいつでも選択肢が二つあるって事、忘れないで」

「……ん、さんきゅ」


 固い声音に押されて、誤魔化すように笑う。

 なんだか少し、見透かされているような気がした。

 たぶん、気のせいだ。元々ノルはこうだから。

 ノルとの付き合いはかれこれ四年くらい。それ以前のことは知らないし、同じように知られてもいない。

 ノルは本当に、長い間ここに居るのが信じられないくらい、擦れていないし、自分を曲げない。

 どうしたらこうなれるのだろうと、時々思う。

 思いはするけど。


 浮かびかけたその先を一度止めて、細く息を吐く。

 別に、今考えることでもないか。


「それよりノル、ちょっと聞きたいことあるんだけど」

「何?」

「イースト区の通り魔って、どうなってる?」


 この間おやじの店で言われたことが、地味に気になっていた。

 イースト区で警備隊はあてにできない。特にイーストエンドなんて尚更だ。

 それはつまり、野放しのまま解決には程遠いということで。


 ここは果たして大丈夫なのか。思いながら聞いた途端、ノルの顔が曇った。

 別にそこまで大きな声では言ってない。だけどノルは静かに、と言うように口の前に指を立てて、横目で子供達の方を見る。

 その仕草に、言われる前に少し察してしまった。

 部屋の奥に集まっている子供達は、こちらを気にしている様子はない。


「……二人、被害にあった。ここで言えるのはそれだけ」


 囁きと言えるほどに絞られた、ノルの声。それを聞きながら、子供達から目を逸らす。

 そっか。


「アルテは、この後ジェイドに会いに行くのか」

「……いや」


 言いたいことは、何となくわかる。ここで話をしたくないから、ジェイドに会うならそこで聞けと言いたいんだろう。

 でも今は、そこまで詳しく聞きたくない。

 あいつにも別に会いたくねぇし。


「気になるなら場所変えて話そうか」

「大丈夫。今はいい」


 あそこに集まっている数人の子供達は、ここで寝泊まりしている全員じゃない。この時間なら本来、一人一人稼ぎに出かけている時間だ。

 だから誰が居なくなったのか、正確にはわからない。


 ざわつく心の中を自覚して、一度目を閉じ、考えるのを止める。

 あまり、はっきりさせたくなかった。


「とにかく、しばらくイーストエンドには近寄らない方がいいよ」


 ノルは神妙な声でそう告げると、じっと俺を見上げてくる。心配の色が見え隠れするその表情に、安心させるように笑った。


「行かないって。大丈夫」

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