結実
ep.24◆どこかの天井
緩やかに意識が浮上する。やけに重いまぶたをゆっくり上げると、目の前に知らない天井があった。
……あれ、どこだここ。
寝起きの頭は霞みでもかかっているみたいで、いまいちうまく働かない。
身体に微妙な重みを感じて下を見ると、胸元まで薄い掛布が掛かっていた。そういや横になってるとこも固くないし、なんか弾力ある気がするし、というかここベッドの上? なんで寝てんの俺。
とりあえず起きようと身じろぎすると、身に覚えのない痛みが全身に走って、思わず固まった。
一瞬の動揺の後にぼやけていた頭が回りだし、脳裏に直前の夜が浮かんできて、途端に脱力。
「……あー」
そうだ、ぶっ倒れたんだった。思いながら身体を起こして見えたのは、狭くて殺風景な部屋だった。
今寝てるベッドは部屋の中央に置かれていて、他に家具と呼べるものは右横にあるサイドテーブルくらい。その奥の右の壁には大きな窓が四枚連なっていて、レース地のカーテンが引かれている。
布越しでも眩しいくらい陽光が差しこんでるせいなのか、少し部屋が暑い気がした。
服はいつの間にか、薄っぺらくてだぶだぶの布一枚になっていた。五分丈の袖口から覗く両腕には、白く真新しい包帯が巻かれている。右手だけ掌にまで包帯が伸びているのを確認し、微かな違和感に眉根を寄せる。
右手の先が上手く動かない。なんかこう、長時間圧迫された時になる、痺れみたいなものがあって。
なにこれ、包帯きつく巻きすぎなんじゃねぇの。内心で愚痴りつつベッドから下りると、ひんやりとした冷たさが足裏に染みた。
さっきはちょっと驚いたけど、身体の痛み自体は大したことない。大抵は避け損ねただけのかすり傷だし、大きな怪我はないはず。
なんかその割に、妙に身体がだるいけど。
左手で窓のカーテンを開けると、見えた景色はどこか見覚えがある気がした。
二階くらいの高さから見える景色は、整備された石畳の道に、所々にある割れてない普通の街灯。道を挟んだ斜め向かいには、赤レンガ造りの古い建物。その建物の入口近くに深緑色の看板がぶら下がってるのが見えて、不意に記憶のものと結びつく。
イースト区の割には景観と治安がましな場所。その中の、いつもは遠目で見るだけの一画。
部屋と格好に気づいてから、うっすらと嫌な予感はしてたけど。
「……最悪」
くそ、ジェイドめ。こんなとこに俺を置き去りにしやがって。
窓を開くと、そよ風が部屋に吹き込んでくる。それに目を細めながら、少し首を出して真下を見た。
二階のせいでちょっと高さはあるけど、結構出っ張りとかあるし、それ伝えばたぶん行ける。見通しが良すぎて外から丸見えなのは、この際しょうがないか。今は運良く人通りもないし。
よし、逃げよう。
思いながら窓枠に手をかけた途端、右の掌に激痛が走って、喉の奥が詰まった。
全力で悲鳴を噛み殺して悶えていると、うっすらとドアノブが回る音が聞こえた気がして。一拍置いて横目で入口を見ると、くたびれた白衣を着たぼさぼさ頭の、普段からやる気のなさそうな男がそこにいた。
「……何してんだ、ガキ」
「……別に」
一瞬だけ丸くなった目がすぐ胡乱げに変わったので、大人しく手を引っ込める。
知らないふりでそっぽを向くと「出てくんなら窓じゃなく扉使え、行かせねェけど」と横から言われて、思わず舌打ちが出た。
普通にバレてる。
「あー窓枠に血……ったく仕事増やすなよ、クソだりィ」
声につられてそこを見ると、今さっき手を置いた場所に赤いものが付いていた。未だ疼く右手を見下ろせば、掌の包帯に血が滲んでいる。
「……」
「起きたんならちょうどいい、ついでに手も処置しとくか」
「待っ、寄るな動くなそこに居ろ入ってくんな!」
「病み上がりたァ思えねェ程の威勢だな」
開いた扉に半身をもたれさせた男が、心底だるそうにあくびをひとつ。高い背を丸めつつ、半分閉じかけた目で顎をしゃくってくる。
「良いから大人しく腕だせや。医者の言葉には黙って従えめんどくせェだろ、オレが」
「医者じゃなくて闇医者だろ。自分でやるから引っ込んでろ、ヤブ」
言いながら睨み上げると、ヤブはため息とともに肩を竦めた。
何の因果かだいぶ前から知り合いではあるけど、意地でもここには来たくなかった。
極端な猫背。よれた白衣にぼさぼさの天パ。濃い隈を引っさげて不摂生を地で行くこの闇医者は、検体が手に入りゃ嬉嬉として解剖を施す、生粋のマッドサイエンティストだ。
長いことヤブ医者のヤブとしか呼んでないから、本名は忘れた。確かヨハンだかヨセフだかそんな感じだった気がするけど、正直どうでもいい。ヤブだって人の名前をろくに覚えないし。
聞くところによると、裏で人をかっ捌いては、取り出した臓器を仲介業者に横流ししているらしい。あるいは逆に買い取って、何かしら生体実験しているとも言われている。
イースト区で流れる噂は大半が眉唾とはいえ、一度うっかり生で見た身にとっちゃ、完全に後押しにしかならない。
そんなやつがいる所に誰が好きこのんで来たがるか。しかもなんだよこの状況、俺が患者とかふざけてる。
「帰る」
無意識に漏れた呟きに後押しされて、意思が固まる。そうだ、帰ろう。ヤブなんて知るか。
「どけよヤブ、どうせこんなの軽傷ばっかだろ。自分で納得して来たわけでもねぇのに、こんなとこ長々と居てられるか」
「あー、置いてったのはお前のツレの黒いのだけどな。つーかお前このまま帰ったら近いうちぶっ倒れンぞ」
「そんな軟弱じゃねぇし。てかやっぱあいつの仕業かよくっそ!」
人の名前を覚えないヤブは、人を指す時に見た目の特徴しか言わない。寝る前の状況から言っても、『黒いの』ってのはジェイドの褐色肌を指してるはず。
こんくらいなら止血しとけば、後は何とかなるはずなのに。なんでこんなとこ放り込んだんだあいつ。
「それと軽傷でもねェわ。二日寝てたし、貧血も大分ヤベェから輸血したしな」
「輸けっ……って、え、二日……」
さらっと落とされた爆弾に、思わず顔が引つる。
言われてみれば、古城にいた間の慢性的な眠気、綺麗さっぱり消えてるけど。二日寝たからか。いや待ってそれは良いけど、いや全然良くないけどそれより。
「……輸血って、なんかした?」
こいつの口から出てきたその単語に、正直嫌な予感しかしないんだけど。
「まぁ輸血っつっても、拒絶反応出たから少しだけだが」
「しなくても良かったんじゃんか」
「出血量的にはするかしないか迷うラインだったな」
てか違う、聞きたいのはそうじゃなくて。というか『拒絶反応』とか言うすげぇ不穏な単語なに。何それ。聞きたくなかった。
やっぱこれ、輸血って名目で既に人体実験されてたりするんだろうか。入れた血を鼠とか羊とかの血にするとか。こいつならやりかねない。てか普通に治療してる姿が全然想像できない。
疑心を隠す気もおきず顔を歪めると、あからさまにため息をつかれる。
「残念だがいたって普通の治療しかしてねェよ。怖ェ奴に脅されてるからな。テメェを無事に帰さねェと物理的にオレの首が飛ぶ」
「は」
降って湧いたような話に、一瞬思考が追いつかなかった。
「なにそれ、誰」
「オレは口止めされてるからな、聞きたきゃ直接本人とこ行けや。ついでにそいつが治療費も払ってったから感謝しとけよ」
「え、ほんと誰それ怖」
ヤブの口ぶりから言うと知り合いっぽいけど、全く心当たりがない。しかも金が絡んでるってのが薄気味悪い。いや、俺金ないし払えって言われても困るけど。
一応ヤブにジェイドかと聞いてみたけど、返ってきたのは否定だった。そうするとますます誰かわからなくて、もやもやする。
実は全部ヤブの嘘なんじゃねぇの。そんなことを思い始めた時、不意に視界がくらりと歪んだ。
「……?」
よろめいた身体を持ち直してたたらを踏む。妙なだるさに内心で首を捻ると、「なんだ、やっぱまだあんだな、熱」と不意に声が聞こえた。顔を上げると、気だるげなヤブの視線とかち合って。
「さっき言ったろ、輸血の拒絶反応の発熱だ。まぁまだ血も足りてねェんだから、あんま興奮すんなや」
「……明らかにヤブのせいじゃんか」
なんかやけに部屋が暑いとは思ってたけど。内心で零してため息をつく。
もう、なにがなんだかわからない。いつの間にかヤブのところに突っ込まれてるし、輸血されてて二日経ってて、知らない誰かに治療費払われて、その上なんか熱もあって。情報量多い。
最後のは体感的に微熱で収まってそうなのが、かろうじて救いか。
「つーか起きたんなら言わなきゃいけねェことがあってだな……あーだリィ、なんで一言いうのにこんな遠回りしてんだ。全部テメェが素直に聞かねェせいだろめんどくせェ」
「……何」
もう口挟まないからさっさと言え。
「あー、他の傷はまぁ大したこたねェ部類だが、その右手だけ重症でな。親指除いた指四本、きれーに神経切れてたぜ」
「動かねェだろ」と気だるげに言われた言葉に、一瞬固まった。
言われて目の前まで持ち上げた掌を眺める。傷の辺りは痛いまま、指先は痺れてる。手首までは問題なく動くけど、と思いながら指先に力を込めようとした。
──痺れが邪魔して、ピクリとも動かなかった。
「安心しろよ、とりあえず神経は縫ってくっつけてある。リハビリすりゃかなりの確率でまた動くさ。絶対とは言い切れねェが」
取りなすようなヤブの言葉が、右から左へ流れてく。
「……ミスった」
確かにあの時は、考える暇なんて全然なくて、手が出たのも半ば以上反射だったけど。利き手が使えなくなるなんてさすがに思わなかった。
どうしよ。元々金がないのに片手じゃ稼げないし、稼げないなら飯も食えない。ちまちま貯めてた端金だけじゃ手が治るまでもつ気がしない。打開策が何も浮かばなくて小さく唸る。
いっそ、両利きにでも矯正しようか。
心中でぼやいても、現実逃避の自覚はあった。どのみちすぐには無理だし。
「あーっと、ガキ、……
突然改まった呼び方をされてヤブを見ると、廊下の方を指さしていた。
「客」と一言いわれて視線をずらした瞬間、扉の向こうから、ちょうど見慣れた黒髪が顔を出す。
合間から火傷痕が覗く顔は、目が合うと浮かべていた不安を安堵へと変えた。
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