ep.15◆路地裏の凶行
近くの廃墟を覗き込むと、隅の方に木枠の残骸が落ちていた。
そこから一番壊れ方が綺麗なものを拾い上げて、軽く振ってみる。
長さはまあまあで、太さもそこそこ。ただ断面が四角いから握ると掌に食い込む。ほとんど棒状だけど、片側だけ少し角が残ってるせいか、重心もちょっと微妙。
でもまあ、これでいいか。ある程度なら使えそうだし。
他にも投げられるものが欲しくて、地面の瓦礫を拾い集めてみたりした。だけどポケットに入れた時、中で擦れる音が気になって結局捨てた。
他に使えそうなものが見当たらない。この木枠くらいしか。さすがに心もとないけど、あんま時間もないし。
荒事は苦手なんだけど。内心でぼやきながら、思い出したエリとの会話に、ため息が出た。
しょうがない。
別にたいして仲の良くない腐れ縁でも、勝手に切れてしまうのは困る。
腰のポーチの中身を確認してから、エリに聞いた方へ足を踏み出した。
◆
混乱と息切れで呂律が回らなかったエリが話せたことは多くない。はやくはやくと焦りを浮かべ泣くエリから、話を聞き出すのは本当に苦労した。
詳細はわからない。ただ話の断片を繋ぎ合わせて、簡潔に今の状況だけはわかった。
つまりはこうだ。
通り魔に襲われそうになったエリを、探しに来たジェイドが庇った。エリ一人逃がしてジェイドは残ったが、庇った時に利き腕を負傷している。
だからジェイドを助けて欲しい、と。
馬鹿か。ひとりで手に負えないなら、おまえもさっさと逃げろっての。
エリが出てきた路地を辿ると、天井の吹き飛んだ廃屋に行き着いた。
崩れた壁の間から中を覗き込む。向かいの壁が月光を遮っているせいで、光は手前側にしか差していない。
目を凝らして、右手奥に人が二人いることまではわかったけど、両者の区別はつかなかった。ただでさえ暗がりで見えにくいのに、絶えず動き回ってるせいだ。
辺りに漂う血の臭いがすごくて、顔をしかめる。あいつの傷、割と深手なのかもしれない。
……大丈夫。ジェイドは普段から護身用にってナイフ振り回してるんだ。足がやられてないなら、避けるのには問題ないはず。
俺はジェイドと違って戦闘能力なんてない。無闇に突っ込めないんだから、まずは考えないと。
素早く視線を巡らせると、廃屋から出られそうな場所は二箇所くらいだった。俺が今居るここと、あとは正面奥に本来の出入口のようなものが一つ。
手前に差す光源とその位置関係を見て、ふと思い立つ。腰のポーチに手を入れてひとつ取りだし、左手の中にすっぽりと収まるそれを握ったまま、手首をくるりと回してみた。
たぶん、これを使えばいけると思う。少なくともただ木枠振り回すよりは。
目を閉じて頭の中で動きを試行しながら、右手の木枠を握り直す。
次に目を開けた時には、もう腹は決まっていた。
「何してんの」
声をかけるとすかさず飛んでくる殺気に、へらりと笑う。
「楽しそうなことしてるね。俺も混ぜてよ」
踏み出した光の中は、思った以上に明るかった。
見えにくい暗がりに目を凝らして、どっちも動きが止まっているのを確認し、小さく息をつく。
俺には戦闘能力なんてない。殺人鬼相手に正面から戦おうなんて、はなから思っちゃいない。
こういう時は、逃げるが勝ち。
つまりは、そのための隙を作ることが最優先。
二つの人影は微妙に前後に重なるような位置にいた。奥の一人は見えにくい。でも俺に背を向けているもう一方は、頭からすっぽりと布を被ったような格好をしている。ジェイドはこんなの着ないから、こっちが例の通り魔なんだろう。
ただ、予想外に小柄なのが拍子抜けだった。イースト区の殺人鬼でジェイドが負傷したと言うから、大柄な男だと思っていたのに。
振り向く気配のない通り魔を注視しつつ、左手で奥の出口の方を指さす。暗くて確認できないけど、ジェイドからは俺が見えてるはず。
隙を見て逃げるからな。これで察しろよ。
小さな呟き声が聞こえた。
正面からぼそぼそと流れてくる音は、囁くような大きさで、内容がまったく聞き取れない。
その後ろ姿が動いたから、とっさに身構えれば。
「え」
そのまま目の前のジェイドに斬りかかっていった。
いやおい、俺は無視かよ。聞こえてんだろ。一回止まったのわかってんだぞ。
ていうか、なんだあれ。
足取りはふらふらとおぼつかないのに、動作がやけに素早くて、なんだか明らかに変だ。
いつか、ジェイドは吸血鬼かもしれないと言っていた。でも、あれはなんというか。
「
湧いてくる得体のしれない不安感に、怯みそうになって、堪える。
とりあえずジェイドを逃がすためには、一度俺に注意を引き付けないと。つーかなんであいつ、避けてばっかで反撃しないんだろ。らしくない。
できないほど、負った傷が深いってことだろうか。
……そっか。吸血鬼って言われるくらいだから。
「なあ。血、あげようか?」
言った途端、そいつは先程の無反応が嘘のように、突然一切の行動を止めた。
ぐりんと音がしそうなほど勢いよく首を回して、その顔が俺の方を向く。今まで対峙していたジェイドを放って。
あまりにも狂気じみたその動きに、息を飲む。
深く被ったフードから覗く、歪につり上がった口が開いて。
くれるの? という、吐息のような声。
思わず乾いた笑いが漏れた。
ああ、やべぇわこれ。完全にイッちゃってる。
「そいつは諦めてよ。変わりに俺のをやるからさ」
右手に持っていた木枠から手を離すと、足元で鈍い音がした。
途端に湧いてくる不安感に蓋をして、顔に笑みを貼り付ける。失敗はしない。したら終わる。
手ぶらの右手をひらひらと振って、攻撃の意思がないことを示すと、通り魔がふらりとこっちを向いた。
その手には小さな刃物。位置は、俺から見て右側。──左利き。
「どうした? ほら」
『頸動脈がやられていることが多いな』
いつかの言葉を思い出し、首元のストールに右手をかける。それをするりと抜き取ってから、襟元に指をかけて引っ張ると、夜風が首を撫でて肌寒い。
左手の中で、隠し持っている欠片を密かに固定した。
「どうぞ?」
小さく笑うと、直後通り魔が突っ込んできた。
捻りもなく真っ直ぐに向かってくる様子に、だらりと下げていた左腕を振り上げる。
大丈夫。あの刃が届くより、こっちが仕掛ける方が早い。
待ってた。その影から、
左手首を翻す。手の中の鏡の欠片が、月光を反射して光った。
そのまま素早く角度を調整して、反射光をフードの下へ。
「ぅ」
光を遮るように、通り魔がナイフを持つ手で顔を庇う。
そうして隙のできたその無防備な横腹に、渾身の左蹴りを叩き込んだ。
綺麗に入ったその蹴りで、小柄な身体はくず折れた、けど。
「──いっ、てぇ」
なんか、足に思った以上に反動が。
というか、肉じゃない固いものを蹴ったみたいな、変な感触がした。
冷や汗が垂れる。やばい、間になんか挟んでるのかも。絶対ダメージ通ってないこれ。
「っ逃げるぞ怪我人」
悠長に動向を確認している暇はない。
痛む足を無理やり動かして、来た方と反対の出口に走れば、既にジェイドはそこに居た。
去り際にちらっと振り返った通り魔は、未だ地面に倒れたままだった。
◆
あぶね。怖っ。何あれ。
狭い路地を右へ左へ。万一追いかけてきても撒けるようにと結構な距離を走って、大通りに出た頃にはすっかり息が上がっていた。
背後から足音が聞こえないことを確認しつつ、膝に手をついて荒い息を整える。
「……なんで、お前がいる」
横から聞こえてきた声は若干息が乱れてたものの、俺ほどじゃない。それがちょっと、いやだいぶむかつく。
視線を向けると、怪訝な顔をしたジェイドと目が合う。呼吸の合間に「エリに頼まれて」と言うと、少しだけ安堵したように空気が緩んだ。
でも、すぐその眉間には皺が寄る。
「いや、だとしても来るの早すぎんだろ」
「途中で、ばったり会ったんだよ。たまたま、ここら辺いたから」
言いながら息をつく。やっと息が整ってきた。
月明かりの差し込む大通りは見通しがいい。この辺りの廃墟は、他と比べればあまり損傷が酷くないみたいだった。地面に落ちている瓦礫も少なめで、比較的歩きやすい。
だいぶ走ってきたとはいえ、追われてる身からすれば、見通しいいのは居心地悪いけど。
「そういやおまえの怪我って、……うっわ、えぐ」
何気なく視線をずらしたら、予想以上の惨状に思わず声が漏れた。
身体の横に垂れ下がった右腕は、外套に覆われているせいで傷口は見えない。だけど袖が血でぐっしょりと濡れてる様からは、相当傷が深いらしいとわかった。
しかもまだ血は止まっていないらしい。指先から血が滴ってる。
「それ、動くの?」
「一応。腱は切れてねえし」
ジェイドはそう言うけど、その間にも血が石畳の隙間に染み込んでいくのが見える。
「っていうか、血。……血?」
嫌な予感がして来た道を振り返る。
愕然とした。
「おま、はぁ!?」
来た道に点々と残る、血。
嘘だろ。台無しだ。
「血ぃ垂れてんじゃんか! 逃走経路丸わかりだろ、止血しろよ!」
「好きで垂れ流してんじゃねえよ!」
ジェイドが目を釣りあげて怒鳴り返してくる。今さら袖の上から傷を抑えだしたけど、簡単には止まらないらしい。少しして舌打ちする音が聞こえた。
「それ貸せ」
言葉と共に示された視線を辿ると、行き着く先は俺の右手。そういえば取ったストールを握ったままだ。
「……えー」
「どうせ取ってんだからいいだろ」
そういう問題じゃない。
「血塗れになることがわかってて貸したくない」
「俺だってお前の汗が染み付いたもん使いたくねえよ」
「ざけんなおまえ、それが人にものを頼む態度か」
「いいから貸せうだうだ言ってる場合か」
うだうだ言いたくもなるわ。言い返そうとする前に「追いつかれんぞ」とたたみかけられて、一瞬言葉に詰まった。
「……念入りに洗って返せよ」
「当たり前だろ」
しぶしぶ手渡す。受け取ったジェイドは無謀にも、片手でどうにかしようとしては失敗してる。
見ていていたたまれなくなるので、ため息をつきながら手伝った。
「お前、エリどうした」
「ちゃんと逃がしたって」
「送ってねぇだろ」
「だから?」
「なんでこっち来てんだよ」
なんでって。
「エリの方は一人でいけそうだから。来る途中たまり場の近くも通ったけど、そっから全然人の気配なかったし」
満月の日は夜道も多少人が増える。でも今日は通り魔の噂のせいなのか、全然人が居ない。エリに会ったとこからなら、たまり場までそんな遠くないし、月明かりもあるから充分一人で帰れるはず。
なのに。
「まだ帰れてないかもしれねえだろ」
「……あーもう、何。何が言いたいわけ」
巻つけたストールの端を結んで顔を上げると、ジェイドは眉根を寄せていた。そうして「エリがまっすぐ帰れてりゃ問題ねえが、そうじゃねえ可能性もある」と言う。
「それにここらは中央より東寄りだ。さっきよりずっとたまり場に近え。ここで撒いたら、標的見失ったやつがエリんとこ行くかもしれねえだろ」
「で?」
「どうせ血の跡辿って追ってくんだから、もう少しここで足止めしときたい」
「馬鹿じゃねぇの」
何言い出してんのこいつ。
「エリだってここら辺把握してるって。帰れてるよ。余計な心配」
「別れてからそんな経ってねえし、夜道を子供の足で歩くなら時間かかる」
「……一理あるけど。じゃあおまえエリ探しに行ったら。その間、俺が通り魔を違う方向に誘導してきてやるから」
「あ? お前一人だけにあんなのの相手させられるか」
思い切り舌打ちする。これ以上なく効率的な案だろ。なんで否定すんだよ、言ってることめちゃくちゃだな。
「じゃあどうしろって」
「だからここで足止めするっつってんだろ」
「それが馬鹿かってんだよ!」
どの道勝てないのにやる意味ねぇだろ。それで怪我したの忘れてんのかこいつ。普通に撒くほうが危険度低いんだからそうすればいいのに。
「いいか、怪我人。自分の状態把握してから物言え。その腕で何が出来るって? 俺だけで充分だから、おまえは大人しく帰れ。気が散る。邪魔。足でまとい」
「左手でもある程度なら使える。だいたいお前一人で逃げ回れるほど体力ねえだろ。さっきも息上がってやがったし」
「うるっせぇな俺だってやれば出来るよ」
「あと」
言いながら合わさった、その鋭い視線に、少しだけ怯む。
「こういう場面でお前一人にすると、ろくなことにならねえしな」
「……いつの話してんの」
ため息が出た。もうやだこいつ。
「くっそめんどくさいなこの雰囲気詐欺のお人好しが」
「誰がお人好しだ目ぇ腐ってんのか」
「自分の言動をよく振り返ってから物言え、考えなし」
「ああ? お前に言われたかねえよ強情者」
「そっくりそのまま返す。つーかもういいから行けっつってんだろ、俺を信じろ」
「どの口が言ってんだ猫被り人間不信」
「うるっさい!」
今それ関係ないだろこの野郎。
「そもそもな!」
おまえが逃げねぇと俺がわざわざ来た意味ないんだよ!
そう言おうとした。言いたかった。
言えなかった。
別方向から聞こえてきた小さな物音に、口をつぐむ。
ばっと振り向いたその先で、血痕のある路地の先から、小柄な影が躍り出た。その口が、何かを小さく呟く。
顔を覆いたくなった。
泣きたい。最悪。
追いつかれた。
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