ep.3◆劣等感と、君のこと

 ティアはケイシーの名前を呼ばない。そう気づいたのはたまたまだった。

 きっかけは些細なことだ。話してる時、普通なら名前を出すべき所をいつまでも濁してるから、誰のことかと聞いたのが最初。

 その時はティアがケイシーに会ってから、だいぶ経った頃だった。だから名前を覚えてないはずもないし、なんで未だに呼ばないんだろうと気になって。


『ええと、名前って、大切なものだから。奴隷の私なんかが…………あ』


 聞いてみると、ティアはそんなことを言ってから、自分で目を丸くする。

 敬語とかも一時期は取れてたのに、いつの間にかちらちら混ざってるし。無意識に癖になってんだろうか。

 とはいえ本人はそこまで悩んでなさそうだから、気にしなくてもいいことなのかもしれないけど。


 一度折り合いをつけられたはずの過去が、こういう形で出てくるのを見てると──どう足掻いても過去は切り離せないんだと、突きつけられてるみたいで。

 なんか少し、もやっとする。




 ◆




 正直初めから、めちゃくちゃ気は進まなかったんだ。

 ティアが帰ってからしばらく経った頃。びっちゃびちゃの外套を嫌々羽織り直してから、重い足を引きずりケイシーの家へ行って。


「いやー、ティアちゃん経由だと意外とあっさり捕まんのね。普段どこで何しとるか分からんのに」


 入ってすぐに言われた言葉がそれで、さっそくげんなりしてきた。


 ティアは今、ケイシーの所へ居候してる。そこから結構な頻度で、俺のとこに来るってだけの話だ。何が気に入って入り浸ってんのかは、いまいちよくわかんねぇけど。

 そしてケイシーの家は、同じ集合住宅の二階部分にある。

 やけに住む場所が近いのは、俺が後からケイシーのツテでここに来たせいだ。だからって普段から顔を合わせてるわけじゃないし、むしろ出来れば会いたくないとさえ思ってる。

 理由なんて単純だ。ケイシーは何かと鬱陶しい。


「……何の用」


 さっさと用事済ませて帰ろう。

 そんな気持ちを隠しもせずに扉の前に居座っていると、ケイシーはいつものように笑った。


「すごい久しぶりじゃん。積もる話もあるし、中でご飯でも食ってかん?」

「……」


 帰っていいか。

 喉元まで出かけた言葉をかろうじて飲み下し、「用件は?」とただ返す。いつの間にか、ケイシーの斜め後ろにティアもいた。いや、なんでわざわざ来てんの。


「どうせまた、ろくなもん食っとらんのでしょ。タダ飯食わしてやんよ。ほら、怖くないからこっちおいで」

「さっさと用件言って」

「えー何この子微塵もなびかん……いやいい加減、その手ドアノブからのけろって」


 あからさまに怪しい物言いに目を細める。その場で無言で見返すと、ケイシーは大袈裟に片手で顔を覆いながら、ため息をついた。


「あーハイハイ先に用件ね……最近、って言っても一ヶ月くらい前だけど、ひっさびさにジェイくんに会ったんよ」


 不満げなケイシーがやっと語り出したから、耳を傾けて。一ヶ月前という単語に、ふと引っ掛かりを覚えた。

 一ヶ月前って言ったら、俺が熱でぶっ倒れてたくらいの頃だ。その後にも少なくとも二、三度は顔合わせてるから、何かあったんなら、その時言われてもいいはずなのに。なんで今更。

 てかなんでジェイド?


「しばらく見んうちに、顔つきとかすっかり大人っぽくなっててね? 最初誰だか分からんかったんだけどさー。アルちゃんは昔から外見あんま変わらんよね、久しぶりでもすぐ分かったし。それがさ、なんでだろって。あんたら確か同い年よね?」


 いや、だからなんだって。全然話が見えないんだけど。


「あ、顔のつくりが絶妙に童顔のせい?」


 眉間に皺が寄るのが自分でもわかった。

 よく見たらケイシーの表情は、にまにまとした嫌なものになってる。それに気づいた途端、すっと心の中が冷めていく。


 ああ、そうか。つい流れで聞いてたけどこれ、いつものやつだ。真面目に聞いて損した。

 毎度毎度、何かと意味もなく人の劣等感つつき回しやがって。俺はケイシーの玩具おもちゃじゃねぇっつってんだろ、いい加減にしろよ。


「なんぞその顔。いつも誰かしらに言われとるでしょ。もしかして気にしてたん? かわい」

「うるさい」

「図星か」

「るっさい性悪」


 からかい混じりの笑みが嫌で視線を外す。そしたら逆に、後ろに居たティアとバッチリ目が合った。ハッとしたようなその顔に、いらつきが増す。

 まじで最近わかりやすすぎないか。ちょっとは隠せよ。言われてみれば童顔だ、って、そんな思考が顔に出てんぞ。


「じろじろ見てんじゃねぇよ」


 腕で顔の下半分を隠しつつ睨みつけると、ティアは数度瞬いてから、「ごめんなさい……?」と不思議そうに言った。

 とりあえず謝っとけ感がすごい。むかつく。


 こんな顔、まじでなんもいいことない。

 いつまで経っても周りにはガキガキ言われるし、舐められるし、見下されるし。やってらんねぇ。


「はは、んなぶすくれてんなよ。そういうとこがガキっぽいんだぜ、アルちゃん」

「うるせぇ黙れ」

「いつもの三割増で口わっる。反抗期か」


 誰が反抗期だ。都合よく自分の言動棚に上げんな。


「用ねぇなら帰る」

「待てや、あるあるマジで用事あるから。あ、すまんねティアちゃん、ちょい先行って待ってて。連れてくから」


 ケイシーがそう言うと、ティアは少し首を傾げながら、「はい」 と返事をした。




 ◆




 ティアが奥に行ったのを確認してから、腰のポーチに手を伸ばす。

 ケイシーが何言ってもついて行く気はない。なら、とっとと用事を済ませて帰った方が楽だ。

 すごい用件濁してくるけど、ここでティアを外させたってことは、たぶん本題はこれで合ってるはず。


「ん」

「え、なんですこれ」

「足りない分はちょっと待って」


 引っ張り出した小さな袋を押し付けると、ケイシーは訝しげな顔をした。「確認して」と促すと、ケイシーは視線を落として袋の口を緩める。それを見てから、くるっと回ってドアノブを掴んだ。

 後は言いくるめられる前に帰ろ。


「じゃ、さよなら」

「いや待て要らんて!」


 言い捨てながら足早に出ようとした時、急に後ろから右腕を強く掴まれて、思わず固まった。


「いっ、」


 つきりと走った痛みに声が漏れる。反射的に腕を振り払ってから、乾いた音がして我に返った。

「あ、すまんつい。痛かった?」という声にそろりと振り返ると、ケイシーはばつが悪そうな顔をしてて。


 ばれた、かな。

 いや、でもケイシーなら、気づいてたらもっと何かしら言ってくるはず。たぶんこれは単純に、腕掴んだ時の力加減を気にしてるだけだ。

 ならまだ、大丈夫。


「ちょっと、びっくりしただけ。何」

「何、じゃねーんですよ。呆れてものも言えんってか、もーほんっとアルちゃんさぁ……まー、とりあえずこっち返すわ」


 その言葉と共に布袋を突き返されて、しぶしぶ受け取る。掌に乗せられた袋からは、カチャリと硬貨の擦れる音がした。


 人がひとり生きるためには、何かと金がかかる。

 最低限でも衣食住。何かするならそれ以上。たとえ何もしなくたって、息するだけでも時間が経てば腹は減って、それを満たすにはやっぱり金が必要だ。

 イースト区に居るくらいだから、ケイシーも別に金持ちじゃない。ティアが家に来たことで、確実に経済面でも負担にはなってるはず。

 手の中の袋に視線を落とす。確かに、これじゃ全然足りないとは思う。でも、あって困るもんでもないはずなのに。

 なんで戻してくんだろ。


「本題って、これじゃねぇの?」


 純粋な疑問だったのに、聞くとケイシーは変な顔をした。


「もー、この前も要らん言ったでしょうが。そもそも何、アルちゃんはなんのつもりなん? ティアちゃんの保護者かなんか?」

「……だって、俺が押し付けたようなもんだし」

「一周回って真面目か」

「は、」


 言ってる意味がわからなくて、眉をひそめる。

 真面目って何が。どこをどう勘違いしたらそうなんの。


「あたし、貧乏人から金巻き上げる趣味はないんですけど。そんなの貰わんでも、ティアちゃんと住むの楽しいし、色々手伝ってくれるし、結構満足よ?」

「でもそれだけだと、損得釣り合ってなくない?」

「いや損得て、取引してんじゃないんだからさぁ……知らん仲でもないし、困った時はお互い様って言わん? それじゃ納得できんの?」


 でも俺は、取引のつもりだった。

 だってこれは、一日、二日って話じゃない。一時的な善意をあてにするより、初めから双方の利になるような取引の形にした方が、ずっと確実だ。

 どちらか一方に負担を強いるようなやり方は、いつか綻びるもんだから。もし途中で心変わりされて、放られても困るから。


 だから、そっちのが安心するんだけど。なんで駄目なの。


「それに、アルちゃんにそんなつもりはないんだろうけどさ? ひと様の身柄の移動に関して、金銭を介してどうこうって、人身売買みたいで普通に好かん。だから絶対いらん。てか、そもそも前提がおかしいでしょ。ティアちゃんはアルちゃんの物じゃない。なんでアルちゃんがお金出すの」


 思ってもなかった主張に、一瞬頭が真っ白になった。

 そのすぐ後で、ひと月前の記憶がぐるぐると頭を巡ってきて、視線を落とす。

 ケイシーのが正しいのかな。俺、間違ってる?


 でもそもそも、ティアをあそこから連れ出したのは俺で。だから俺が責任を負うべきなのに、ケイシーに押付けた事実も、変わらなくて。

 それにやっぱり、人の善意ばっかりあてにすんのは、好きじゃない。


「あーほら、他人からの施しは貰っとくタチなんでしょ? そう思っとけばいいじゃん。んでそれでちゃんとした飯食いなよ。そんなだからいつまでも身体ペラッペラなんだぜ」


 ……『施し』、ね。

 モヤつく心は横に置いて、納得した振りをする。何を言っても、どうせ変わらないから。

 わかってたけど。ケイシーの中では、きっと俺はいつまでたっても昔のまま。出会った頃のガキのままなんだ。


 この先もずっと、俺の方が立場が下のまま。

 どこまで行っても対等には、なれない。


「もー、アルちゃんのせいでめちゃくちゃ脱線したじゃん。ティアちゃん待たしてんのにさー」

「……好きに戻れば。俺、帰るから」

「いや、まだ本題にかすりもしとらんから。勝手に勘違いしといて終わった感だすな」


 もう今度で良くない。

 一瞬そう思ったけど、ここで帰ってまた呼び出されんのもやだし。

 諦めて視線を戻すと、ケイシーは軽く腕組みしながらこっちを見ていた。


「んな小難しい用事じゃねーのよ。アルちゃんに求めんのはふたつだけ。観念して飯食ってけってのがまずひとつ。あとはさ、今までは静観しとったけど、いい加減聞いてすっきりさせときたいことがあって」

「飯はいらない。しつこい」

「えーでもタダ飯やぞ。いつもは食うじゃん。具合でも悪いん?」

「悪くないけど。話なに?」


 もう、さくっと終わらせて帰ろう。

 そう思いながら聞いたのに、途端にやりとした笑みが返ってきたから、すげぇ嫌な予感がした。


「いやね、アルちゃんやけにティアちゃんには弱いよな、と思いまして。惚れとるんでしょ?」

「…………は」


 あまりに予想外の言葉に、数秒思考が停止する。その意味を理解するのには、さらに時間がかかった。

 ほれとる? 掘れる? え、惚れ……?


「は?」


 意味の無い声が口から漏れた。

 そこに被せられたケイシーの声は、やたらと生き生きとしていて。


「もうさー、ことあるごとに気になってしゃーないんだこっちは。そろそろ限界。ほら、今こそお願いの見返りをよこせ。本音をよこせ。嘘は禁止な。ま、とりあえず先にご飯食ってけよ。きちんと食べ終わるまでは、一切の言い訳を聞き入れませんので」

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