ep.4◆愛だの恋だの
言われるまですっかり忘れてたこと、そのいち。
ケイシーは他人の恋愛大好き人間だ。しかも誰彼構わずくっつけたがる
「……量多い」
無理やり座らされた椅子の上で、テーブル上に並べられた食べ物にげんなりとする。
四つ割りになったパンの塊に、深皿になみなみと注がれたシチュー。焼いたじゃがいもが半分とチーズ。
いつも食ってるものと比べたら内容は格段に豪勢だけど、量が全然優しくない。今こんなに食えない。
「いや、全然多くないじゃん。むしろ気持ち少なめによそってやったんけど。こんくらいはちゃんと食えよ」
「全部数口ずつでいいんだけど」
「さっき食べ終わるまで言い訳聞かんって言ったよな? 私見入りまくりの見解、このままあることないこと言いふらすぞ」
ちょっと抗議しただけなのに、呆れ顔のままケイシーに脅しかけられて、口を曲げた。
玄関から扉を開けてすぐにある部屋は、入口から見て右手奥に簡易的な調理場がある。その手前にはテーブルと椅子が置いてあって、そこに食べ物が並んでる状態だった。
座ってる場所は、左側奥の椅子にティアで、手前がケイシー、俺は右の手前側。そんな位置関係。
外套はさっき無理やり剥かれた。『なしてこんなびちゃっとしたの着とるん』とか言われて。
とはいえ一度ここに来る前に着替えてたから、下の服はもう濡れてない。ケイシーにバレないように確認もしたし、見た目は何の違和感もない、とは思うんだけど。
物理的に一枚足りないせいか、
「アルテ、食欲ないの? 具合悪い?」
顔をしかめつつテーブル上を見ていると、斜め前から声がする。つられて少し視線をあげると、ティアがやたらと心配そうな顔になってて。
ああ、またか。
ため息を一度噛み殺してから、「悪くないよ」と返す。でもティアは案の定、無駄に深刻そうな顔を変えないままだった。
ひと月ぐらい前に、俺がぶっ倒れたせいなのか。近頃のティアは、些細なことでも大袈裟に心配する節がある。だからか俺がなんとも思ってないことにも、見当外れの心配をしてくることが多かった。
ケイシーにでもなんか吹き込まれたのかな。
最近じゃ、何言っても中々信じようとしないし。
それが時々、すごくやりづらい。
「あの、アルテが嫌がっているなら、無理に食べさせなくても」
「いや、この子すこぶる食に無頓着だから、ちょくちょく食わせんと栄養失調とかで倒れてそうでな。前に問い詰めた時なんか、一ヶ月以上もパンしか食っとらんかったんだぜ? しかも一日通してひとつの黒パンちびちび齧ってんの。さすがにどうよ」
これ以上変なこと吹き込むのやめろよ。
目の前で好き勝手言い出すケイシーを睨みつける。
てかそれ以前に、俺を差し置いて俺を語るな。
「問い詰められた覚えないんだけど。捏造やめろ」
「心外な。自分で言っとったでしょ数ヶ月前に。具体的には……あー、確か三ヶ月前くらい?」
は? んな前のこと、いきなり言われてもわかんねぇし。
三ヶ月前ってことは、ティアに会う更に一ヶ月半前ってことで。何気なく考えた途端にぱっと記憶が浮かんできて、思わず眉根を寄せる。
言われた気がする。
「……知らねぇ」
「ほう」
ケイシーが目を細めて意味深な声を出す。疑われるのが面倒で目を逸らさないままでいると、やがて大袈裟に肩を竦められた。
「じゃあまー、以前のことはいいわ。大事なのは直近ですし。で? 今はもっと食ってんの?」
「に……三個くらい」
「はいアウト。そもそもパン以外食えって話でしたー。てかなんでそんな嫌がんの、腹減ってんでしょ? 意地張ってないでちゃんと食いな」
目の前から「ほら、カトラリー使って」としつこく促されて、渋々テーブル上のスプーンに手を伸ばす。
視界の端にちらちらと映り込むティアは、ずっと心配そうにこっちを見てた。それが常に一挙一動を監視されてるみたいで、すごく居心地悪い。
この心配が限界を越えたら、またあの日みたいに泣くんだろうか。そう思うと、下手に何かを言うことも出来なくて。
『惚れとるんでしょ?』
なんで、そうなんの。
ひと匙すくったシチューを、零れないように気をつけて口に含む。スプーンを持った右手の掌は、些細な動作でも鈍く疼いた。
もやもやとした何かを温かさと共に飲み下し、横から来る視線から逃げるように、目を伏せる。
なんで嫌がるかって、そんなの。
使うたびに痛みを主張する、調子の悪い右手のことも。この袖の下に隠した、右腕に巻いてる包帯も。
長居するほど、ボロが出そうだからだよ。
◆
羽織り直した濡れた外套は、乾いたものより肌寒さを感じた。
ケイシーの家を出てすぐ横の壁に凭れて、真っ暗な廊下をぼんやりと見渡す。他の住民に出くわすとやだな、とか思ってたけど、今のところひと気はない。雨だからみんな引っ込んでんのかもしれない。
そうしていると、あまり時間を空けずにケイシーの家の扉が開いた。
「ちょっとお話してくるから待っとって、って言ってきたわ。これでひとまず聞かれんでしょ」
「……ん」
ランタンを持って出てきたケイシーが、こっちを見て首を傾げる。
「表まで行く? ガス灯点いとるし」
「ここでいいよ。今、誰も居ないから」
雨なのに、わざわざ濡れに行きたくもないし。
あの後、ひたすら遅い遅いと野次られながらも、八割くらいは食べた。味は、あんまりしなかった。
でも右手のことは、ばれてはないと思う。ティアの表情、あれより曇らなかったし。
壁にもたれながら視線を下げ、身体の横に垂れてる右手をちらっと見る。今は何もしてないのに、傷痕に冷気が染みる気がした。
明日になったら、治ってるといいけど。
「で、ぶっちゃけどうなん?」
横から聞こえる問いかけが気まずくて、そのまま反対側へと視線を逸らす。
こういう話題、やっぱ苦手だ。
「……違うって言っただろ」
「説得力ないわ」
「あってもなくても、違うもんは違う」
「あのさー……あーもう」
呆れたような声がしたかと思うと、ついでため息が聞こえてきた。
「あんね、あたしが言い訳聞くっつったのは、単に惚れとるかどうかの二択を聞いてんじゃねーの。感情思考全部ぶちまけて、これまでのこと洗いざらい説明しろってこと。なしてティアちゃん連れ帰ったん? 人間不信が他人受け入れた経緯、超気になる」
「……前言った」
「言っとらんだろうが。『ティアが行くとこないみたいなんだけど、ケイシーお願い助けて』っておねだりしてきただけだろ。それじゃ説明足りんってんだよ。てかいい加減こっち向け」
そんな頼み方した覚えないんだけど。
言葉と共に目の前にランタンを掲げられて、少し視線を上げる。仄かな灯りに照らされたケイシーの顔には、軽い苛つきが見え隠れしていた。
「マジで困ってそうだったから、初めは深く聞かんでいてやったけどさ。そろそろ聞いて良いかと思ったら一向に会わなくなるし、気づいたら一ヶ月も経っとるし。そんでここまで来てまだ言わんの? もうほんといい加減にしろ?」
語調はたいして強くないのに、雰囲気はどこか怒ってて。それが居心地悪くて、口を引き結ぶ。
そんな事言われても、受け入れた経緯なんて説明できない。俺自身にだって、未だにわかってないんだから。
それ抜きに連れ帰った理由だけでいいなら、一応話せなくもない、けど。
……言わなきゃ、駄目なのかな。
「飯食う前に言ったじゃん。これがあたしが望む、ティアちゃんと同居する上での見返りだ。金じゃなくて本音をよこせ」
ずいとランタンが迫って、ケイシーが距離を詰めてくる。
至近距離で揺らめくその炎を数秒眺めてから、目を伏せた。
見返り。
「……何も知らない街に、独りきりで放り出されるのは、大変だろうから」
本当はあの時。ティアを盗むと言った、あの時。
俺自身は別に、傍に居たい気持ちはそこまで強くなかったんだ。
ただ、傍に居なきゃいけないんだとは思ってた。あのまま手を離していたら、ティアはずっと独りのままだったから。ずっと、独りきりで泣いてるんだろうと思ったから。
そんな風に、泣いてて欲しくなかっただけだ。
「ここら辺、ただでさえ慣れるの大変じゃん。なのにティア、学はあるっぽいけど常識ないし、泣き虫だし、……片腕だし。イースト区に連れて来るのもどうかと思ったけど、もしここじゃなかったとしても、一人じゃやっていけない気がして」
死んでなくて泣いてもないなら、極論傍に居なくても良かった。でもティアは、一人で普通に生きていけるほど、強くは見えなかった。
色々抜けてるし。ほっといたら簡単に騙されて、野垂れ死にしそうだし。それに。
──呪いのこととかも、あるし。
「……だから、突き放せなかっただけ」
つかの間、沈黙が落ちる。
気になって少し視線を上げてみたら、何故かケイシーの顔は、なんとも言えないものになっていた。
「んーまぁ色々説明足りんけど、心配なんは分かった。分かったけども……それで『違う』って何? それもう、愛じゃないの?」
「違う」
なんで。
「絶対違う」
ケイシーが目を丸くする。その反応に、左手を握りしめる。
言われるまですっかり忘れてたこと、そのに。
ケイシーが持つ恋愛至上主義みたいな考えは、そんなに珍しいもんじゃない。むしろ、大多数の人はそうなんじゃないかと思うくらい、やたらとあちこちで見聞きする。
そういう風潮、薄ら寒い。
「なんで、そうやって。全部を色恋に結びつけたがんの。行動の理由、なんでも恋愛感情じゃないと駄目なの。そうじゃないと、おかしいの」
だから嫌だったのに。だから、言いたくなかったのに。
なんでそんな風に、一方的に気持ちを決めつけられなきゃなんないの。
「ケイシーが普段から恋愛がどうだ言うのは勝手だし、好きなようにしてればいいと思うけど。そうすんのが当然なんだって、そうするべきなんだって、こっちにまで価値観押し付けて来んなよ。──俺、」
俺は、そういうの。
「愛とか恋とか、気持ち悪い……」
恋愛なんて所詮、互いのエゴの押し付け合いだ。
本当は自分のことしか考えてないくせに、何かと相手のためって言い訳して、正当化して、自己満足を押し付けて。だったらもう、最初から皆がそういう認識でいてくれたら、まだ許せるのに。
なんでそんなに世間で持て囃されてんのか、理解できない。
恋とか愛とか、好きとかどうとか。見るに堪えない執着や自意識を、表面上綺麗な言葉で取り繕って。そうして汚い内側を覆い隠して、全部いいものなんだって掲げられるのが。
恋愛なら何もかもが許されるみたいな風潮が、心底気持ち悪い。
そんな歪んだ嘘まみれの偽物、俺はいらない。
「あー……うん、すまん。あたしが先走ってたね」
不意に頭に何かが乗った。
じわりと伝わってくる温度に身体が固まり、少し置いて顔を上げる。そしたら何故かケイシーの手が、俺の頭に伸びてきてて。
微妙な気持ちになりながら、緩くその手を振り払う。
なんだよ。
「じゃああれか。ティアちゃんのことは非力な子供扱いしとんのね。一人じゃ何も出来んから、手を貸してるって認識なだけか」
苦笑を漏らしたケイシーは、ランタンを掲げながら首を傾げた。
「でも、そんな過保護にせんでもよくない? あの子そんな弱い子じゃないでしょ」
「……けどティア、すぐ泣くし」
「そう? 見たことないけど……でもそーね、そこら辺は男の子には分からんか」
そう言うと、ケイシーは考えこむような仕草をしてから、「あのさ」と続ける。
「別にね、泣くこと自体は悪いことじゃないのよ。よく『涙は悲しみを洗い流す』とか言うでしょ。泣くといったん気持ちに区切りがつくから、その後うまく切り替え出来たりすんの。だから泣いてからちゃんと前向ける子は、泣けずに溜め込む子よりずっと強いよ」
……そういうもんなの?
思いながら自分のことを振り返ってみるけど、いまいちよくわからない。そうしてるうちにまた泣き顔を思い出して、いたたまれなくなった。
たとえそうでも、やっぱり泣かれんのは苦手だ。
それに、そもそも泣くような出来事がないのが、一番いいに決まってる。誰だって好きで泣きたいわけないだろうし。
「あーあ、でも残念、恋じゃないのか。じゃあさ、結局アルちゃんは────」
ついで言われた言葉に、思考が止まった。
「……え」
惚けたまま顔を上げると、ケイシーが一瞬、ハッとしたような顔をする。
その後ばつが悪そうに視線を逸らして、誤魔化すように頬をかいた。
「すまん、いらん口が滑った。忘れな」
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