ep.12◆狂気の虜囚
「メメ?」
唐突に、どこからか知らない声が聞こえてきた。
部屋の中を見渡してみるけど、人の姿はない。はっとして入口を振り返る。でも、そこにも誰も居なかった。
冷や汗が背中を滑り落ちていく。
何。どこだ。
「何だ、人違いか。お前どうやってここに来た?」
カタカタと、何か軽いものを合わせたような音がした。
声は微妙に反響していて、詳しい出どころがわからない。わかるのは、それが室内から発せられたものだと言うことだけ。
「単に迷い込んだだけか? 度胸試しかなんかか? やめとけよ。ここにゃこわーい魔女が出るぜ? 五体満足なうちにさっさと帰んな」
「……誰だあんた、どこに居る」
「どこって、目の前にいるだろ? その目は飾りか?」
からかう様な声に、もう一度室内を見渡して見るけど、やっぱり人影はない。
苛立って思わず舌打ちを漏らすと、ひきつれた様な笑い声がした。
「ヒハッ、あーそうだ。そうだった。すっかり馴染んじまったから忘れてたな。おい、下だよ。下を見てみろ」
促されるまま視線を落として、思考は止まる。
そこには確かに人は居なかった。
そこにあったのは、骨。
皮も肉も何も無い、首から上だけの、頭蓋骨。
動いてる、髑髏が。上顎と下顎の骨を打ち鳴らせて、カタカタと笑っている。
なんで。嘘だろ。
呆然と口を開けていると、奇妙な骨は、目の前で突然喋りだした。
「ああ、やっぱ驚くかそりゃ。だけど目ぇかっ開いてよーく見ろよ、少年。残念なことに夢でも幻でもなく現実だ。ヒヒッ、悪いなこんな格好で。起きたらもう胴体がどっかいってたんだよ」
一体どこから声が出ているのか。
舌も喉もないはずなのに、発音は流暢で違和感がない。それが逆に異様だ。
目も耳もないのに、まるで見えているかのように、聞こえているかのように話しかけてくる。
怯みそうになる内心に目を瞑って、喋る頭蓋を睨みつける。
汗の滲む掌を握りしめて、細く息を吐く。この現実離れした光景に、緊張感と警戒心が引き絞られていく。
「……おまえ、一体なんなんだよ」
隙を見せるな。
何があるかわかったもんじゃない。
「ヒヒヒ、あんたからおまえに格下げか。悲しいねぇ」
姿に見合わない軽快な口調が、下卑た笑い方が、髑髏のなりで出される人間臭さが。全部、全部歪だった。
あまりに噛み合わない要素が溶け合っていて、それがいっそう異常性を浮き彫りにする。
気持ちが悪い。
「何? 何って人間さ。いや、そう言うには語弊があるか。死人だよ」
「……人間?」
「そこ疑うなよ、余計悲しくなんだろ? こんなナリだが元は正真正銘人間だったよ」
「……死んでんの」
「首と胴が離れてんだから死んでるに決まってる。こんな状態で生きてるわけないだろ」
「喋ってるけど」
「魔女の気まぐれさ。いわゆる魔法の賜物だよ」
また、魔女か。
魔法、魔法、魔法。おかしな状況を生み出しているのは、いつだってそれだ。
「っ、なんなんだよ魔法って……!」
寒気がした。
こんな風に生死すら弄ぶことの出来る、その代物に。
「魔法は魔女にしか使えない力さ。それ以上でも以下でもない」
「……」
「どうせ人の身じゃ仕組みなんて理解できない。同じ土俵で考えるだけ無駄ってもんだ。所詮魔女なんて、人の姿を模した悪魔なんだから」
肉のない髑髏に、表情なんてあるわけない。眼球もないから、視線がどこを向いているのかすらわからない。
なのに眺め回されてるような気がして、身を固くする。
話す声に、からかうような色が混ざって、面白がっていることがよくわかった。
「それにしても良いねえ、少年。俺を見て恐怖よりも警戒や敵意の方が勝るなんて、そこらの健全な少年少女にゃ出来ない芸当だ。さてはろくな人生歩んでねぇな?」
「……、おまえ、魔女の手先か」
「いんや? 俺は哀れな被害者だよ。魔女に殺されて、魔女の気まぐれでここに縛りつけられている、哀れな魂さ」
「殺され……」
その言葉に、いつかの話を思い出す。確か、骨董屋でおやじに聞いた話だ。
この森では元々何人も行方不明になっていて、その大半が、余所から来た人間だと。
「ありゃ、今度は驚かねぇか。その様子じゃ何も知らずに入り込んだわけでも無さそうだな。だがまだ生きてるんなら気に入られでもしたか。ヒヒッ、良かったな? そうじゃなけりゃ今頃バラバラだ。煮て焼いてすり潰されてバラ撒かれてたかもな? 俺やそこのお方がいい例だ」
髑髏が示した先を辿る。そこには、初めに見た焼死体が転がっていた。
「ああついでに言うと、そこのお方は俺と違って動かんよ。 初めに目覚めてからしつこく話しかけてるが、まるで反応して頂けねぇ」
黒焦げの身体は半ば以上炭のようになっていて、人相どころか老若男女の区別もつかない。かろうじて人の形を保っているから、人間だったことはわかる、とか、その程度。
いったいどれだけの火で炙れば、こんなことになるんだろう。
これが魔女の仕業なのかと思うと、ほんとぞっとする。
「おまえ、いつからここに居るの」
「さぁ。時間の感覚なんて忘れちまった」
「何でこの城に来たんだよ」
「何でだったかな……ヒヒッ悪いな。目覚めてから記憶が曖昧なんだ。もう自分の名前も分からない。強く印象に残っていることぐらいしか、思い出せない」
「……そう」
やっぱり、早く城を出ないと。
魔女は手出しをしてこない、とは言われたけど、これを見ると悠長になんてしてられない。
髑髏を無視して部屋を再度見渡す。だけど、初めに期待していた手がかりは、ここにはなさそうだった。死体と髑髏の異物以外、何も手を入れた形跡がない。床にはわずかに埃が積もっているし。だいたい牢獄に抜け道があったら本末転倒だし。
無駄足か。そう思って踵を返す。
じゃあもう、こんなところはさっさと出よう。薄気味悪いし。
「ああ待て、そうだ、そうだった」
足を踏み出そうとした矢先、黙り込んでいた髑髏が、不意に声を上げた。
「お前、メメには会ったか?」と突然知らない名前を出されて、振り返る。
メメ?
「知るか。誰だよ」
「黒髪の少女」
心臓が跳ねた。
黒髪。この城にいる、黒髪と言ったら。
脳裏に浮かぶ少女の姿に、ふと初めの記憶を思い出す。そう言えば、彼女は元々名がなかった。
「……さぁ。知らない」
「本当か? ああ、別に少女と断言できなくても構わんよ。そう言えばあれには分厚いクロークを着せていた。フードを被っていれば人相は分からないだろう」
「知らないって。その少女が何」
「少し思い出した。あれが一緒の馬車にいたということは、あれがここに来た理由のはずだ」
『その後に主人に連れられてここに来て、私だけが残りました』
少し前に、ティアはそう言っていた。
こいつの言う『メメ』とは、ティアのことなのだろうか。
こいつがティアの元主人で、馬車にのせられてこの城に来た。そうしてこいつらだけが殺されて、ティアが残った。
話を繋ぎ合わせても矛盾はない。ない、けど。
「そこのご遺体は俺がお仕えしていた伯爵家の、敬愛すべきご子息だ」
何だ、いきなり。
眉根を寄せる。でも髑髏は俺に構う様子もなく、好き勝手に話を続けた。
「ご子息様は第三子で家督を継ぐ立場になく、そのせいか自由なお方でな。その上芸術肌で、趣味でいくつか作品をこしらえていらしたよ。俺はその作品のファンでね。怖気立つほど恐ろしく、混沌とした中に垣間見える退廃的な美が、俺の心を鷲掴みにしたんだ。あの方の作品の為なら、俺はなんだってできる。何でもな」
「何が言いたい」
「ああ、悪い。脱線したな。つまりな、メメはその作品の内の一つだ」
「……作品?」
少女なのに?
「ああ。あれは生きていて初めて完成する、ご子息様の傑作だ」
その物言いに、ぞわりと背筋が粟立つ。
不意に、出会った頃のティアを思い出した。
頑なに心を閉ざし、自らを物と言い張るその姿を。
「何、したんだ」
「何だ、やっぱり知ってるんだろう」
押し殺した声に被せるように、答えにならない問いがかかる。
思わず息を詰めると、髑髏はカラカラと笑った。
「ありゃ、カマをかけたつもりだったが、その反応からすると正解か。やっぱり生きてるんだな。そいつは良かった」
しまった。
「あれには様々な細工が凝らされているからな。生きているのなら重畳だ。あれ程稀有な作品を壊されるのは、実に忍びない」
髑髏の声は弾んでいた。 これ以上ないくらいに。
でも、そこに心配の色など欠片も見えない。それが余計、髑髏の言葉を裏づけて。
「ああでも惜しいな。あれは少女であるうちが一番美しいんだ。女になってしまったら、あの不完全な魅力は永遠に喪われてしまう。確かに死ぬのも惜しいが、作品自体が変質するよりは大分マシだ。だからその直前に、蝋で固めてしまおうと思っていたのに。ご子息様がこんな有様だから、俺が、俺こそがやり遂げねばならなかったのに」
言っている意味が、すぐにはわからなかった。
蝋で、固めて。
何を?
人を。少女を。──ティアを。
「こんな身体になってしまっては、この先それを行うことも出来ないな」
平然と喋る髑髏を、呆然と見る。
ぞっとした。
訳がわからない。
異常だ。狂ってる。
これは本当に人間か? 本当に、人間だったのか? なんて笑えない冗談だ。
「それにしても奇特だねぇ。なんで庇った? 何も知らない者からすれば、メメの姿など化け物と
「……何を」
そもそも、ティアは初めからクロークなんて着てなかった。
だからといって、その下に変わったものがあった訳じゃない。普通の少女の身体だ。化け物なんて言われるようなものは、何も。
「醜い火傷痕があったろう? 同情でもしたか?」
「そんなもの、知らない」
知らない。そんなもの、見ていない。
「人違いだ。火傷なんてなかった」
髑髏の言った少女の特徴は、黒髪と言うことだけだ。そんな人はありふれている。
だから、人違いだ。そのはず。そうでないと。
「そうか? あれは生きているとは思うけどな。最期に見た時は、魔女に気にいられているようだったし…………あ」
何かに気がついたように声を上げた髑髏は、一瞬の後に、けたたましく笑いだした。
「あー、そうか。そうだった。ヒャハッ、少年、お前が知らなくても仕方ねぇよ」
気でも触れたかのような笑い声だ。
いや、違う。最初から狂ってる。
「そうだな、あれの顔には火傷なんてなかったな。そうだよ、あれは、メメは本当の意味で化け物になったんだ。魔女に見初められたあの時から!」
声が耳を通るたび、内側から侵されていくような気がしてくる。
もう、嫌だ。こいつの声を聞きたくない。
「最高だよ! 人が化け物に変わる瞬間をこの目で見られるなんてさぁ! ああ、でも、あのせいでメメの作品価値は無くなった。それだけが残念だな。本当に傑作だったのに。せめて外見だけでも戻ってくれねぇかなぁ」
「もう、喋んな。耳が腐る」
躊躇なんてなかった。
短く息を吐き出すと、骨を打ち鳴らす髑髏を蹴り上げる。軽いそれに、手応えはほとんどなかった。
勢い込んで吹き飛んだ骨は、壁に激突すると、そのまま砕け散る。骨とは思えない脆さで。
そうして、呆気なく幕は閉じた。
残骸は、もう言葉を話すこともなかった。
◆
──チリンチリン、と鈴の音が聞こえてくる。
扉に凭れて俯いていた状態から、ぼうっと視線を上げる。階段の方を見ると、そこにまた黒猫がいた。
今更ひょっこり出て来て、とは思うけど、何も言う気がおきない。
鍵はまた閉め直したし、鍵束は窓から投げ捨てた。もうここには入りたくない。
でも、結局何をさせたかったんだろう。ゆっくりと近づいてくる黒猫を目で追う。
胸糞悪いけど攻撃はされなかったし、なんなら俺が壊したし。振り返れば初めから、危険はなかった。
なかった、けど。
「……おまえ、俺に何させたいの」
呟いても、猫は何も言わずに身体を擦り付けて来るだけだった。
あんなの全部、頭のおかしい妄言だ。信じる方がどうかしてる。
そう、思うのに。
『お願い、逃げて。ここから。──私から』
少し前に縋るように見上げてきたあの目が、頭を離れなくて。
もう、何がどこまで本当なのか、わからなかった。
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