ep.7◆安らかにおやすみ

 なんで俺、またこんなとこに来てんだろう。


 目の前でティアの胸元が規則正しく上下する様子を見ながら、ぼんやりと考える。目を閉じているその顔は、病人のように青白い。そのせいで生気の薄い姿は、いつもより数段人形のように見えた。

 でも、それが外側だけだと言うことは、さすがにもう知っている。


 少し前のやり取りを思い出し、目の前の顔に視線を注ぐ。

 ティアの中身は、単なる奴隷と言うよりは、まるで子供みたいだ。

 自力で物事ひとつも決められない、未だ自我が育ちきっていない子供。


 初めからわかっていたはずだ。

 俺は自分のことだけで手一杯で、他人のことにまで気にかける余裕はない。その上でわざわざ何かしようと思えるほど、善良な人間でもない。

 いつもだったらとっくに見捨ててる。宝を盗むという目的すら失った今、ここに来る理由は何もない。


 なのになんで俺、こんなにティアを気にかけてんだろう。

 別に、お節介でも子供好きでもないし、子守りもそんなに得意じゃないのに。

 ティアは所詮赤の他人で、怪しい森の古城にいる、得体の知れない人間でしかないのに。


 思えばそれは、初めから抱えていながら、答えが出ていない問いの気がした。


「……あー、もう」


 埒が明かない。

 ベッドから無理やり視線を剥がす。他に暇つぶしでも探そう。どうせティアが起きるまでは暇だ。

 別にあんな口約束、律儀に守る必要はない。そう思いはするものの、なんだかここを離れた途端、すぐに起きてきそうな気がした。


 部屋の中をぐるりと見渡す。縦長の部屋の真ん中に、頭側が壁に面するように置かれた、大きなベッド。

 ベッドと逆側の壁には、大きな本棚が二つほど並んでいる。その本棚はガラスの嵌った扉付きのもので、開けるのは妙に気後れした。


 その前に置かれている、小さめのテーブルに気が付き、近寄って少し悩む。

 丸い天板の上にはいくつか本が積まれている。暇つぶし、って言えばこれが最適なのかもしれないけど。

 ……どうしよ。

 数秒迷った末に、試しに一冊手に取った。恐る恐る開いてみれば、中には細かい文字がびっちりと。


「うげ」


 ひとつ呻いて思わず閉じる。無理だこれ。頭痛くなる。

 そもそも俺は、読み書きなんて最低限しかできない。普段から使う機会もあまりないから、読むのだって遅い。読書なんて初めっから無理なんだ。仕方ない。そう仕方ない。

 他当たろ。思いながら本を置いた。





「……ひま」


 ゆらゆらと揺れている壁の燭台の火を見ながら、小さく呟く。

 受け皿の上に蝋燭が立っているつくりなのに、ずっと見ていても蝋が垂れてくる気配がない。どうなってんだ、と思ったけど、そういえばここ魔女の城だった。

 なんでもありか、魔女の城。


 テーブルから引き出した椅子に座ったまま、燭台から視線を外す。

 あれからティアを起こさないように気をつけて、部屋の中を色々探した。でも特に収穫はなかった。

 いや、ほんとなんもない。

 まじでない。本しかない。何この部屋。つまんねぇ。


『あなたは私に、怒っていたのではないのですか』


 ちらっと視線をベッドに向けると、変わらずティアは静かに眠っている。


 怒ってるって程ではないけど、正直イラついてはいた。

 何もかもを諦めているようなその態度が、見ていてどこか不愉快だった。足掻く素振りすら見せず、初めから思考を放棄しているその様が。


『そうやって自分殺してると、息苦しくない?』


 あの日言った言葉が自分に返っていると気がついたのは、少ししてからだった。

 俺は、ティアと自分を重ねてるのかもしれない。

 でも、だったらなんだって話だ。


 イーストエンドでだって、同じような境遇の人は掃いて捨てるほどいる。それにいちいち同情なんてしてられない。実際いつもは関わらないようにしてる。

 だからそれは、ティアに関わる理由にはならない。

 決定打が見当たらない。


 顔色の悪い寝顔を見てから、椅子にもたれて息をつく。

 こんなになっても、全く自覚がなかったティア。

 放っておくと、簡単に死んでしまいそうなティア。


 同情と言えるほど、憐れんでるわけじゃない。

 好意と言うには苛立ちが強い。

 言うならこれは、一方的に自分と重ねておいて、思い通りの動きをしないから腹が立っているような、自分勝手な押し付けで。

 なのにそれを認めて見限ろうと思えば、邪魔するように胸の奥が疼いて、堪らない。

 感情の何もかもが矛盾して、正解が何かわからない。


 それでも一つだけ、確実に言えるのは。

 このままティアに、独りで死んで欲しくないというのだけは、本心だった。





「……?」


 不意にどこからか小さな音が聞こえた気がして、顔を上げる。

 部屋の中を見渡しても、何かが落ちたとか倒れたとか、そんな様子はなかった。椅子から立ち上がって入口へ向かい、扉を開けて廊下を確認する。でも、特に何も変化があるようには見えない。

 耳を澄ませても、もうなにも聞こえない。


 一瞬、鈴の音みたいなのが聞こえた気がしたんだけど。

 なんだろう、気のせい?


 内心で首を捻りながらも元の位置に戻ろうとすると、ふと今まで座っていた椅子の真下に、一冊だけ本が落ちているのが見えた。


「……あれ」


 気づかなかった。


 床にしゃがみこんで本を拾い上げる。装丁が綺麗で凝っている割には妙に古めかしく感じるような、変な印象の本だった。

 本に留め具なんてつけるんだ。初めて見た。

 いや、本自体は昔持ってた絵本くらいしか、じっくり見た事ないんだけど。


「血、の、……?」


 表紙の題字をなぞりながら目を細める。後半の単語が擦れてて読めない。

 テーブルの上の本の山を少し奥へ押しやって、椅子に座る。空いたスペースに頬杖をつくと、置いた本の留め具を外し、適当なページを開いた。


 そういえばこの間、帰り際にジェイドに聞いたことがあった。

 イースト区に出る通り魔の話。


『被害にあった死体はいつも同じような状態だ。だいたい頸動脈がやられてる。にも関わらず、その場に残ってる血痕は明らかに少ねえ。死体自体を見りゃ、血が抜かれてることがよく分かる。──どっかの浮浪者がたまたま物陰から見たんだと。フードを深く被った奴が、死体の傷口に口付けて、その血を啜ってたってな』


 本を開いては見たものの、どのページも案の定文字が細かく、詰まっている。紙の端を摘みつつパラパラとページをめくって、めくって、結局諦めてそのまま閉じた。

 やっぱむり。


『奴はただの人間じゃねえかもしれない。もしかしたら、吸血鬼ヴァンパイアの可能性がある』


 そんな話、こういう本か空想の中だけで留めておけばいいのに。

 皆なんでそんなに人外好きなの? 

 発見されて間もない希少種に夢見たいのかもしれないけど、日常生活にまで持ち込むなよ。


 ことある事に誰かが、それを噂の尾ひれにくっつけたがる。そのせいで流れてくる話の全部が嘘くさくなって、どこまでが本当なのかわかりゃしない。


 擦れた題字を指でなぞって、苦々しく呟いた。


魔女ウィッチ吸血鬼ヴァンパイア、ね」


 この辺はいつから御伽噺の舞台になったんだか。

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