【閑話】掃除の経緯

 時系列:幕間「黒糸を断つ」~第二部「ep.1」の間のどこか。

 ティアがアルテの家に、何回目かの訪問をした時の話。


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 月が見えない夜は暗すぎて、ランプを使う必要がある。昔ゴミ捨て場から拾ってきた、ボロっちいやつ。

 なけなしの油がもったいないから、出来れば普段は使いたくないんだけど。


 ランプだと月明かりと比べて明るすぎるから、吸血の時は腕の傷を隠すのが面倒だ。だから取りあえずは左側の、ちょっと後ろの辺りに置いとくことが多い。

 そうして今日もばれる前に、さっさと終わらせようと思ってたのに。


 その日は血をやる前に、突然ティアが聞いてきた。


「部屋の掃除、ずっとしていないの?」


 全然想定してなかった方向に話を振られて、面食らう。

 確かにここに来てから、あんまりしてない。流石に最初は床一面ほこりで真っ白だったから、最低限寝床の周りはやったけど。……ほっとこうとしたら、綺麗に使わなきゃ追い出すって大家に怒られたし。


 でもなんで今、そんなこと聞くんだろう。思いながら理由を聞いてみると、いつもほこりっぽいのが気になったんだという。

 続けて「掃除しないの?」と心底不思議そうに聞かれて、言葉に詰まった。


「……してる暇、無いし」


 まだ気になる? これ。

 イーストエンドの空気に慣れきってるからか、俺はそんなに気にならないんだけど。最初だって、すきま風がほとんどないのに感動したくらいで、ほこりっぽさとかは別に。こんなもんならいいかなって。

 え、普通すんの? この程度で?


「私、暇なので。今度してみてもいい?」


 認識の違いにまごついてたら、更に想定外の言葉が返ってきた。


「えー……」


 そんなわざわざ、しなくていいのに。一瞬そう思ったけど、つまり自発的にしたくなるほど気になるってことだろう。まじか。

 でもなぁ。苦々しく思いながら、ティアの更に後ろをちらっと見る。ランプの灯りだけじゃ暗すぎて、今は細部までは見えないけど。あの辺りには、本棚とかテーブルとか小物とか、色んな物が固まってるんだ。

 確かあの上にもほこりとか蜘蛛の巣とか、色々あったはず。そう考えると、すんなりと頷くことが出来ない。


 ほんとは暇がないって言うより、掃除自体したくないのが本音だ。

 もし掃除するとしたら、絶対あそこの山も手ぇつけることになるだろうし。

 どうにか諦めてくんないかな。


「……水がさ」


 ぽつりと呟くと、ティアは首を傾げた。


「下まで汲みにいかないとない」

「……? 行けばいいのでは」

「井戸から水、片腕で汲める? それともその義手もう慣れたの?」

「…………いえ」


 ティアが難しい顔をする。まぁ、そうだろう。着け始めて数日で使いこなしてたら流石にビビる。

 なんて思ってたら、途中で「あ、けど、何とかなるかも?」と声が聞こえてきた。

 なし崩しで話題流れると思ったのに。手ごわい。


「あのさ、ここどこか覚えてる? 四階建ての建物の屋根裏。実質五階くらいの位置。持ってこれんの?」

「それは、……えと、少量なら頑張れば、おそらく」

「頑張んなくていいんだけど……」


 駄目かな、これ。もうティアの中じゃ決定事項っぽい。


 そんなに気になるなら場所変える?

 ちょっとそう言おうかとも思ったけど、だったらどこにするかって考えても、浮かんでこないし。イーストエンドならともかく、ここら辺は夜もガス灯が点いてるせいか、夜でも人通りはあるんだ。必然的に治安も悪化するから、なるべく表に出たくない。

 逆に昼間は明るすぎて、腕の傷とか誤魔化せないし。


「あの、だめ?」


 妙にか細い声だった。

 ちらっとティアの方を見ると、眉尻が完全に下がってて。

 ため息をつきたくなるのをかろうじて止めて、片手で額を押さえる。

 ああもう。


「……正直言うと、ここにあるもの全部、極力触りたくねぇの。万一汚すなり壊すなりしたら、俺が死ぬから」

「し……え?」

「詳しくは聞くな。頼むから」


 ここの大家はケイシーの知り合いだか友人だからしいから、普通より融通は効くんだけど。逆に言うと完全にこっちを認知されてるから、そうそう逃げられない。

 もしここのものをどうこうしたら、何がなんでも弁償させると言われた。それはもう、非人道的なものすら厭わない、あらゆる手を使ってでも。

 口調だけは冗談めかしてたけど、目がまじだった。

 まじで売られかねない。俺が。


「ものに触ってはいけないのに、その部屋を貸すのは、おかしくないですか」

「触っちゃ駄目っていうか……別に綺麗に使うなら、勝手にしていいとは言われたけど。できるだけ触りたくない。無理」

「けれど、寝椅子は使っているんだよね?」

「……あれはしょうがないじゃん。下手に寝心地良さそうなのが悪い」


 あれを横目に冷たい床で寝るとか、ない。古城のエントランスで寝てたティアじゃあるまいし。

 それにあの寝椅子、初めからちょっと表面の革破れてたんだ。ここぞとばかりに大袈裟に報告しといたから、たぶん多少なんかあっても誤魔化せる。汚さないように一応、シーツ代わりの布挟んで寝てるし。

 うん、あれは大丈夫。でも他は無理。


「けど、そのまま放っておいたほうが、後々困る気が……所々乱雑に積み上げられているだけですし。一度整理しておかないと、少しの振動であちこち崩れてきそうだよ」

「……」


 過去に一部の山を崩した前科があるから、何も言えなかった。


「アルテ?」

「……やればいいんだろ」


 目を逸らしながら投げやりに言うと、不思議そうな声が聞こえてくる。


「あの、暇はないんじゃ? 私がやっておくよ?」

「知らない場所で命綱握られてる方が嫌だ」


 だいたい、俺が借りてる部屋だし。自分はやらないで誰かにやらせるとか、ちょっと。

 あと単純に、ティアに一人で任せるのは、不安だった。




 ◆




 なみなみと水の入ったかめは、小ぶりといってもそこそこ重い。それを五階分運ぶんなら、なおさら。


 今は一夜明けた昼の頃。汲んできた水を何とか部屋まで持ってきて、最後の階段を上りきった辺りで息を吐く。

 ここまで来る途中、何度もティアが代わろうかと言ってきたけど、そっちは頑なに突っぱねた。

 だってこの瓶、積まれたガラクタの中から発掘したやつだし。もし割ったら終わる。俺が。


「そういえばこの街でも、井戸は普通なのね」


 少し休んでから一部の水を木桶に移してると、横で見ていたティアがふと零した。


「どんな想像してたんだよ」

「あ、違うの。あの人……えと、ケイシーさんのところは、家の中に水場があるでしょう? 私の故郷は、広場の井戸しか無かったから」

「? だから何」


 言いたいことがよくわからない。

 少し視線を横にむけると、目が合ったティアは考え込むように、しばらく目線をさ迷わせて。


「えと、ね。家の中に水場があるの、この街で初めて見たから。ここでは全ての家がそうなのかと思ったの。井戸があるって聞いても、てっきりそれも独特の作りをしてるのかな、と」

「……あー、なるほど」


 つまり、知らない設備を一つ見たせいで、ここの全部が知らないものだらけだと思った、と。発想が極端だな。

 そんな複雑に考えなくても、元々の土台にプラスアルファがくっついただけなんだけど。思いながら水を張った桶にボロ布を二つ突っ込んで、水を染み込ませる。


 一番安く水が手に入るのは、自分で井戸まで汲みに行くことだ。これだと井戸の横でふんぞり返ってる斡旋人に、少額掴ませるだけで好きに水が汲める。

 時々忙しい人や高層階に住む人、井戸から遠い人なんかが、あちこち売り歩いてる水売りからちょっと料金割増で買う。だいたいの人はこのどっちか。


 で、俺はあんまり馴染みがないけど、一部の家には水道とか言うのが付いてるらしい。ケイシーのとことか。

 外に出なくても水が確保できて便利だけど、その分使用料が余分にかかるとか何とか。


「なんだっけな……。確かさ、元々帝都の方で作られた制度なんだよ。それを真似して後から作った、んだっけ。ここら辺そういうの珍しくないよ。昔から街道に沿って色々と流れてくんの。ものとか情報とか、制度とか、ほんと色々」


 帝都から来るのは、だいたい新しいものなんだという。それを際限なく受け入れつつ、古い体制はそのままのことも多いから、色んなものが古かったり新しかったりまちまちになってるんだと。


「だからこの街は、他より古いのと新しいのが一緒くたになってんだって。ノルが言ってた」

「ノル?」

「……悪い。知り合い」


 そういやあの口ぶりだと、ノルは他の所を知ってんのかな。俺より歳下なのに。

 俺は、ここら辺しか知らないのに。


 考えながら、水の中のボロ布に手を伸ばす。このままだと服が濡れる、と何気なく腕まくりしようとした時、右腕の袖口から見えた包帯に固まった。

 あ、やばい忘れてた。


「アルテ、どうかした?」

「いや、ちょっと……」


 袖口を戻しながら、横からの問いかけに言葉を濁す。どうしよ。このままだと確実にバレる。

 いや、てかそもそも腕を抜きにしても、この手で布絞れるんだろうか。

 傷痕の残る右の掌を眺めながら、軽く開閉する。指は、動くようになってはきてるけど。布を絞れるくらい力出るかっていうと、わかんね。いけんのかな。


 首を傾げながら、試しに左の手首を掴んでみたけど、全然力が入らなかった。


「……あのさ、ここまで来てなんだけど、やっぱ今日──」


 無理かも、と言いかけながら視線を上げた時、ふとあるものが目に留まる。

 ティア屈みながら膝についてる、無事な方の左手。対して俺の右手は役立たずだけど、左手は普通に動いて。

 使える手。二本あるじゃん。


「ティア、ちょっとそっちしゃがんで」


 言いながら桶の反対側を指で示すと、ティアは首を傾げる。


「この端っこ握ってて」

「……? はい」

「そのまま」


 水から取り出した布の片側を持ってもらって、もう片側を俺が握る。それを奥の方へと捻ってくと、絞られた間からどんどん水が落ちていって。

 あ、いけた。

 そのままちゃんと絞れた手元の布を見て思わず口元が緩む。


「よし。ティア、あともっかい」


 言いながら何気なく顔を上げて、そのまま固まった。

 予想以上に近い場所あった、ティアの顔と目が合って。

 目を丸くしてるそこから微妙に視線を逸らして、少し後ろに下がる。


「……もう一つの方もよろしく」


 びっくりした。




 ◆




 なんだかんだで全部が終わる頃には、日が傾き出していた。

 換気のために開けていた窓から、微かに風が入ってくる。それを頬に感じながら、どことなくすっきりした部屋を眺める。


 ものが多すぎて、全部に手をつけたわけじゃない。でも適当に積まれてたものだけでも整理したら、だいぶ空気が良くなった。

 こんなんでいいのかな。基準、いまいちよくわかんねぇけど。


 ふとティアが居る方に顔を向けると、何かを手に持って考え込んでる姿が見えた。


「何見てんの」

「え、あの、」


 近寄って手元を覗いてみると、そこにはそこそこ分厚い本があって。

 あれ、本なら目の前の本棚に片付ければ済むのに。何悩んでんだろ。

 思いながらどうしたのかと聞いてみると、言いにくそうに内容が気になるのだと返ってきて、少し驚く。


「え、ティア本読めたの」

「はい」

「ふーん……」


 こんな分厚いの、読みたいと思うなんて変わってる。俺は絶対無理。


「読みたいなら読んでもいいよ。でももう日が暮れるから、今度にして」

「え、いいの?」


 本ならそうそう壊れないし、ティアなら汚さないだろうし。考えながら頷くと、ティアはちょっと嬉しそうな顔をした。微かに緩んだ口元を数秒見てから、視線を外して窓を閉めに行く。


 なんか、初めはひたすら面倒だし嫌だったけど、終わってみるとそんなに悪くないかもしれない。

 遠くに見える空の茜色を見ながら、固まった体を解すように伸びをした。


 とりあえず今日は、気持ちよく眠れそうだ。

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我が愛しの化け物へ 砂原樹 @nonben-darari

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