ep.7◆翌朝の残痕

 うっすらと目を開けると、何故か床の上に転がってた。

 ぼやけた視界の中には見慣れた部屋。床すれすれから見上げる景色は、なんだかいつもと違ってて。

 あれ、そもそもなんで俺、床で寝てんだっけ。

 てかここ、寒い。思いながら、身体を起こそうと身じろぎした時。


「っ?」


 振動が何故か首元に響いて、そのままの体勢で固まった。

 え、何これ、首痛いんだけど。寝違えた?

 恐る恐る、手で首を押さえてみる。普通に肌にれると思ったのに、実際に掌に感じたのは、布っぽい感触だった。首の上に何か貼ってあるっぽい。

 ん? いや、なんで。


「ごめんなさい!」


 内心で首を傾げていると、いきなり足元から声が聞こえてきて、身体がはねる。

 視線をずらすと、そこには顔を歪めているティアが居て。それを見た途端、一気に昨日のことを思い出した。


 そういや、あの後でティアが寝落ちしたから、いつも使ってる寝椅子は譲ったんだった。

 首の噛み跡は、全部終わってからもじくじくと痛いままだった。だから前に貰った余り物のガーゼ、とりあえず貼っつけといて。

 その後、眠いのに全然寝つけなかったから、朝までこのままかな、とか思ってた。すること無さすぎて、無意味に窓枠の影とか見てぼうっとしてたけど、結局いつの間にか寝てたみたいだ。


 ゆっくりと身体を起こす。ちょっと首を動かすだけで痛い。寝不足のせいか、やけにしぱしぱする目を何度も瞬かせると、そのたびにティアがおろおろと落ち着かない動きをするのが見えた。

 その相変わらずの豹変っぷりに、一周まわって呆れてくる。

 これ、ほんとに血を飲んでる時と同一人物なんだろうか。実は二重人格の類いなんじゃねぇの。


「俺の血にはアルコールでも入ってんの?」

「う」


 ぼそっと呟くと、ティアが顔をしかめてうめき声を漏らす。予想外のいい反応に、ちょっとびっくりした。

 なんか効いてる。


「つーか昨日の、何あれ。いきなりやめて欲しいんだけど。まじで食いちぎられるかと思った」

「あの、……ごめんなさい」

「今謝罪とかどうでもいいから。ああなった理由は?」


 どうせまた、よくわかんない理屈でやったんだろうけど。

 そんなこと思ってたのに、聞いた途端ティアの目が泳ぎ出す。何度も口を開いては閉じてを繰り返して、無駄にを長くするから、だんだん不安になってきた。

 何。怖いんだけど。


「怒らない?」

「……怒るような理由なん」

「え、とね、」


 やけに言いにくそうにしてるから、何かと思えば。


「見えた首筋が綺麗で、美味しそうだった、から」

「……」


 ぶっちゃけ引いた。

 思わず両手で首を覆って、顔を背ける。ストールはどこかと床に視線を這わせるけど、見つからない。

 そういえば、昨日びしょ濡れになったからって干したままだった。どうしよ。


 迷いながらもちらっとティアを盗み見ると、なんだかすごくしょぼくれた顔をしてる。

 いやでも、しょうがないだろ。急所に噛みつかれて平然としてられるほど、俺心広くないし。


「いや、てか違う、そうじゃなくて。直前まで嫌々言ってた割に、急に噛み付いたのはなんなの? ただの衝動?」


 普通に自制できてないじゃん。死んではないけど。


「……嫌と、言うかと思って」

「? 意味わかんねぇんだけど」

「アルテが嫌だったら、やめるかなと」

「普通に口で言ってくれる」


 なんで先に行動に移すかな、と呆れていたら、ティアは珍しくむっとしたような顔をした。


「言いました」

「……」


 確かに言ってた。


「……いいや、どっちもどっちってことで」


 なんか面倒になってきた。


 どっと疲れが出てきた気がして、緩く膝を抱えた体勢のまま、ぐでっと前に体重をかける。そうすると窓からの陽射しが伸びた背中に当たって、じんわりと温かくなってきた。

 元の部屋が寒いせいか、その温度が気持ちいい。


 そういや、今日は晴れてんだ。ずっと晴れてればいいのに。あったかいし。

 脱力する身体をそのままに、だんだんとふやけていく思考に、ぼんやりと思う。

 ああやべ、これ、眠気ぶり返してきてんのかも。


「あの、ね。本当は、少し前から気づいてたの」


 聞こえてきた声に、少し間を置いてから視線を向ける。


「アルテがね、触られるの苦手だって。なんとなくは気づいていたのだけど、確証がなかったから、しばらく様子を見てたの。あの、ごめんなさい。今後は気をつけます」


 そういうティアの表情は、眉が八の字に下がってて、なんだか申し訳なさそうだった。それを数秒ぼうっと見てから、内心で首を捻る。

 なんで知ってんだろ。一瞬、そう思ったけど。

 そういや、昨日も言われたんだった。それ以外が衝撃的すぎて忘れてた。


「……別に、そんな気にしなくていいよ。慣れてはきてるし」

「……本当に?」

「どうせ、慣らせば慣れる程度のことだし……」


 ぽかぽかとした温かさを感じながら、膝の上に顎を乗せる。

 なんか、全部どうでも良くなってきたな。


「無理して慣れないといけないの?」

「無理? 別にしてない……」

「でも、…………?」


 腕くらいなら、もうそんなに気にならないし。不意打ちじゃなければ。

 首は、……ちょっと、想定外すぎたけど。


 緩くそんなこと考えてたせいかも。ティアの言葉が変な風に途切れたことに、すぐ気づけなかった。

 遅れて気づいた時には、ティアが首を傾げてて。


「あの、アルテ。もしかして眠い?」

「……んー」


 否定しても説得力ないだろうし、だからって肯定すんのもなんかやだし。そう思ったら口を動かすのも面倒になってきて、曖昧な返事で濁した。

 妙に身体がだるくて、頭もあんま回んない。

 俺、こんなに寝起き悪かったっけ。

 単に寝不足のせいなんかな。寝不足って、こんな感じだっけ。忘れた。


「あのね。アルテから血を貰わなくて済むように、できるだけ早く、どうにかするから」


 真剣な顔をしてるティアの言葉も、どこか薄ぼんやりとして聞こえる。


「それまでごめんなさい。もう少しだけ、よろしくお願いします」

「……あー、好きにして」


 とりあえず、すごい眠い。

 ティアが帰ったら二度寝しよ。今にも閉じそうなまぶたを何とかこじ開けながら、そんなことを思った。

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