閑話
【閑話】始まりの黄昏
やばい、完全に迷った。
周囲を見渡して途方に暮れる。どこを見ても木、木、木。右も左も同じに見える。方角もどっちかわからない。
上を見れば葉が空を覆う勢いで茂っていて、太陽の位置すらあやふやだ。
唯一わかるのは、合間に見える空の色がほんのり赤みがかってきてることくらい。
調子乗って奥まで来るんじゃなかった。
苦々しく思いながら、俺は背負ったずた袋を持ち直してため息をついた。
腰に着けたポーチの中には、馴染みのおやじの依頼で探し当てた指輪が、布にくるまって入っている。
あんまり条件が良かったもんだから、つい了承してしまったのを、今では少し後悔している。
『人探しを頼まれてくれないか』
今朝細々とした盗品を売りさばきに行ったら、骨董屋のおやじに用事を押し付けられた。
『ここに来る予定の行商人だ。定期的に連絡よこすよう催促してたんだが、森の手前で足取りが途絶えた。ここ最近はあの森を迂回するのが主流だが、そのまま森を突っ切ったのかもしれない。一応、馬車が走れるほどの道は残っているしな』
『あそこ、魔女の噂なかったっけ』
言ったものの、本当に信じていたわけじゃない。それでもその理由を出したのは、わざわざ行くのも面倒だったから。
『そもそもなんで俺。もっと適任居るだろ、他当たれよ』
『急ぎなんだよ。頼む』
『もし食われてたら?』
『万一、人が居なくて荷馬車だけ見つかったら、指輪を探してくれないか。装飾は無い銀色のやつで、内側にSって入ってるから』
『受けるなんて言ってないけど』
『そもそも見つからなかったらそれでいい。奥まで探せとは言わない。危険を感じたらすぐ戻ってこい。それでも金はくれてやる。でも見つかったらその倍、いや三倍は出す。だから頼む』
正直、その条件に心惹かれた。どの道金をくれるならまあ、やってやろうかと。
その結果がこのざまだ。
荷馬車自体は割とすぐ見つかったんだけど。思いながらしばらく前を振り返る。
森の中ほど。一応残っている街道を歩きつつ、横目で森の中を何気なく見た時、ちらっと人工の色合いが見えた。実際そこまで行ってみたら、見事に荷馬車が横転していたんだ。
ただ人も馬も見当たらなくて、荷馬車だけだったけど。
指輪を探すついでに、いくつか金目のものをくすねて。ついでに丁度よくずた袋を見つけたから、そこに結構ものを詰められた。戦利品は割と多い。
思ったよりも満足して、一段落して帰ろうと思いたつと、なんでか元の街道の方向がわからなくなっていた。そんなこんなで、今に至る。
笑えねぇ。
眉根を寄せてずた袋を背負い直す。
大きいものや重いものは避けたから、それほど動きにくいわけじゃない。それでも普段が身軽だから、地味に邪魔に感じる。
そもそも、なんか変だ。元は街道辺りにいたから、あんまり深い場所じゃなかったはずなのに。
歩けば歩くほど森が深くなってく気がする。
周囲になんの気配もないのも不気味だった。葉擦れの音すら聞こえない。異様なほどの静けさに満ちていて、どこかおかしな感じがする。
闇雲に森の中を突き進んでいると、ふと木々で覆われていた目の前が開けた。
その瞬間、止まっていた時間が動き出したような気がした。
鮮やかな朱色に染まった空の下、少し奥の方に見えるのは、明らかな人工物。その手前の右側には湖が見えた。
森深くの澱んだ湖。その畔の古城。
「……魔女の城?」
最近聞いた噂の一つが、ふと頭に浮かぶ。全部嘘っぱちだと思ってたのに、本当にあったっぽい。
イースト区の噂なんて九割はでっち上げだから、全然信じてなかったのに。でも言われてみれば、むしろ初めて聞いたのはサウス区の方だった気が。
他の区だと、噂もちょっとは信憑性上がったりするんだろうか。思いながら古城の廃墟じみた様を見直して、その様子に首を振る。
やっぱ、出処がどこでも噂は噂っぽい。全然人が住んでるようには見えない。
もういっそ、あそこで一夜越そうか。ずた袋を背負い直しながらそう思った。
日も暮れそうだし、森を抜けられる気もしない。それに、ここには獣も出るらしいし。うっかりこのまま夜になって、食い殺されんのは嫌だ。
屋根と壁があるんなら、むしろうってつけなんじゃないの。魔女なんて御伽噺じみた存在、そうそういるわけないし。
どうせただの噂だから、そんな気にしなくてもいいだろ。
ずり落ちかけたずた袋を背負い直して、古城へ足を向けた。
◆
「……魔女?」
「違います」
目の前の少女に思わず呟くと、淡々とした声が返ってきた。
遡ること少し前。運良く塀の切れ目を見つけて、そこを跳び越えた後のこと。初めは気にもしてなかったけど、奥に進むにつれてだんだん違和感が濃くなってきた。
古城の方に近づいてくほど、周りの景色が整ってくんだ。さすがにおかしいと思って足を止める。
まさか本当に魔女の城なのここ。
いや、さすがにそれは現実味無さすぎだけど。魔女じゃなくても盗賊とかなら有り得るかもしれない。てかここ考えてみれば街のそばだし、噂で人も来ないだろうし、条件整い過ぎだよな。まじでなんか犯罪組織の拠点だったりする?
誰かに見つかる前に、さっさと戻った方がいいかもしれない。
あ、でもどの道帰れる気しないんだった。詰んでる。
そうしてどうしようかと悩んでいた時、ふと視線を感じた気がして振り返って。そしたらやけに綺麗な少女がそこにいたんだ。
「誰ですか。どうして、ここに」
俺の呟きを否定したその口で、間髪入れず素性を問われる。
ただ、声は極端に小さい。一瞬独り言かと思った。
「誰って」言いかけて口をつぐむ。いやこれ、素直に答えなきゃいけねぇの?
「……ちょっと、道に迷って」
濁しながらそれだけ返すと、少女は無言で俺を見たまま、数度瞬いた。
艶やかな背の半ばまでの黒髪に、空を映したような青の瞳。
形よいパーツはどれも配置に狂いがなく、大きな目は伏し目がちで、長い睫毛が影を落としている。
指通りの良さそうな髪はよく見れば一部だけ編み込まれていて、後ろの方にまわっているのが見えた。
容姿は間違いなく綺麗だし、いっそ『美しい』って言葉の方が似合いそうなくらいだけど、そこにはどこか生気がない。微塵も動かない表情は無機質で、作り物でも見ているみたいだった。そのせいか、よくわからない違和感がすごい。
なんだか人間と言うより、人形みたいで。
さっき考えていた賊には見えないし、魔女にも見えないのがかろうじて救いだけど。
「正門の横の木。人の頭ほどの位置に、指ほどの長さの印があります」
「は」
「印の先にある木にも、同じように印があります。辿っていけば、森を抜けられるはずです」
「いや、待って」
とっさに遮ると、少女は口を閉じる。やけに素直、いや、そうじゃなくて。
少し考えてから、思い切って問いかけた。
「本当に君は魔女じゃないの?」
「違います」
「ここ、他に誰か人はいる?」
「いません」
脱力する。小声の割にはやけにはっきり言うよな。思いながら古城の方に視線をやると、確かに人の気配はない気がする。
言われてみれば、何かの拠点なら見張りもいないのは変だし、ここに来るまで罠も何もなかったのもおかしい。まさか本当に大丈夫?
「君はなんなの」
思わず問うと、少女は初めてその瞳を揺らした。
見えた表情に、少しだけ目を奪われた。
一瞬、顔に生気が宿る。注視しないとわからないような、淡く浮かぶ困惑の色。
結局少女は、緩く首を降っただけでそれには答えなかった。
「……帰らないのですか」
小さく問われた言葉にはっとする。
「……帰してくれんの」
「帰ってください」
淡々と返事をして、少女はまた、印の位置を繰り返した。
なんだろう、話してると妙に毒気が抜かれるこの感じ。
状況からすればもっと警戒しなきゃいけないはずなのに、なんでかそんな気にならない。
信用していいんだろうか、これ。いや、信用というか。
目の前に佇む少女をじっと見る。
どうも、この少女は嘘をつけないんじゃないかという、妙な確信があった。
なんでかは知らねぇけど。雰囲気か何か?
「この森、肉食獣が出るって聞いたんだけど」
「印のついている所を通って、遭遇したことはないです」
「それでもここからだと結構な距離ない?」
「そもそもあれは、」
何かを言いかけた少女が、ふと口をつぐむ。その様子に内心首を捻ると、少ししてから、少女はおもむろに首元に手を回した。
「これ、どうぞ」
軽く襟元を寛げて首元を引っ掻き、そこに下げられていた紐を指先に絡めて、引きずり出したその輪を、軽く屈めた頭から抜きとってる。
その後差し出された手の中には、掌に収まるくらいの小さな布袋が、革の紐で括られていた。
「何これ」
「獣よけ」
匂い袋かなにかだろうか。あまり匂いがするような気はしないけど。獣にはわかるのか?
「……これでいいですか?」
思わず受け取った俺にそう言うと、少女は軽く首を傾げた。
◆
日が落ちた宵の頃になって、俺はようやく森を抜けた。
空は薄い紫がかっていて、辺りはほんのりと薄暗い。
位置のずれたずた袋を背負い直して、小さくため息をつく。
蓋を開けてみれば、森には魔女なんて居なかった。
俺は腹も胸も裂かれてないし、食われてもいない。やっぱ所詮は噂だ。心中で独りごちて、止まっていた足をまた動かす。
森深くの古城に一人いたのは、ただの人形めいた少女だった。
本当に素直に帰してくれたみたいだから、悪い人間じゃないんだろう。ただ、なんであんな所に居たのかと言われれば、全然見当がつかない。
正直、厄介事の予感しかしない。
雲行きの怪しくなってきた思考を、首を振って散らす。この件はこれでもう終わり。俺にはなんの関係もない。
そうは思うのに、なんだか人形が見せた一瞬の人の顔が、妙に頭から離れなかった。
「……あそこ、なんかお宝ありそうだよな」
気づけば、小さく呟いていた。
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