ep.20◇ある作品の末路※
目に映るものと感覚の全てが、薄いベールの向こう側にあった。
見えない何かに隔てられたような景色は、知らない誰かの視界に見えた。
「ほら、見てくれメメ。君の右腕だ」
声に促され視線を向けると、そこには白骨の腕が置かれていた。
複数の骨を繋ぎ合わせて成形したものが、桐の箱に収められている。
「切り離した腕から肉を削いだ。この骨自体は正真正銘君の物だよ」
主人が箱の中から骨を取り出す。
「本当はこれも僕が作りたかったんだけどね。ただ飾るだけならまだしも、日常的に着けておくならそれなりの耐久性がいるから。ふとした拍子に骨がバラバラになってしまっても困るしね」
だから知り合いの剥製師に頼んでみたんだ、と言って、白骨を肩にあてがう。
丸みを帯びた装着部はぴたりと肩に嵌り、つけられていた紐を身体に巻いて結べば、手を離しても落ちることは無かった。
「それは義手じゃないから動かないけど、ちょっとやそっとじゃ壊れない。安心して」
だけど、ちょっと見栄えが悪いから後々改良してみようか、と一歩引き作品の全身を眺めながら、主人は言った。
「やっぱり、生きた身体に加工をするのは難しいな。なかなか上手くいかないね」
作品の背の皮膚にくぐした糸を取りながら、主人はひとり言葉を漏らす。
「翼は剥製にした本物を使いたかったけど、日常的につけるなら厳しいか。中身のない皮だけじゃ、羽も抜けやすくなるだろうし。背に縫いつけるにしても、あまり重いと自重で垂れるかもしれない。作り物の方がいいのかも」
何度も何度も糸を通す。時々傷が塞がるのを待ってから、理想の形を探して、何度も、何日も。
背に翼がついた。
右側には悪魔を模した黒い翼。左側には天使を模した白い翼。
一度大ぶりのものをつけて「失敗した」と零した主人は、改めて小ぶりの翼をつけ直した。
「うーん、でもまだ足りないかな。なんというか、禍々しさが足りない。死を表現するためにはもっと、……ああ、そうだ」
腕を組んで考え込んでいた主人は、不意に気がついたように声を上げる。
「その眼球も、取り替えてしまおうか」
作品の顔をまじまじと見て、一つ頷く。
「右目はどうせ見えていないんだろう? 君はきっと、赤がよく映えるよ。その青い瞳は少し清廉がすぎる」
手が伸びる。
窓から射す光を遮って、顔に影が落ちる。
ぴく、と身体が動いた。
顔にかざされた手から逃れるように、半歩下がる。その動きに、主人の手が止まる。
一瞬目を見開いた主人は、次には顔を綻ばせていた。
「なんだ、もうとっくに壊れてしまったものと思っていたのに」
再び伸びてきた手に、小さく身体が反応する。
「心を深く沈めた奥底で、君はまだ生きているのか」
その手は瞳に掛かることなく、あやす様に頬を撫でた。
「強い子だね」
緩く瞬きを繰り返す。
ひとしきり頬を撫でていた主人は、やがて一つため息をついた。
「主題を変えるべきかな。本当は半身ずつ生と死を表現しようと思っていたんだけど」
伏せていた目をほんの少し持ち上げると、目の前の表情は苦笑に染まった。
「違った色を見てみたいというのは本当なんだよ? だけど、君のその目があまりに美しいから」
かち合った瞳が、仄暗い熱に溺れている。
「いつもは無機質のくせに、人を思い出した途端に揺れるその不完全な煌めきが、あまりにも美しいから。……それを取上げてしまうのは、少し惜しいな」
君のそれは、義眼じゃ永遠に表せない。
その言葉と共に右の瞼の上に指が乗って、身体が強ばる。
目を閉じると、何もかもが黒く閉ざされた。
しばらくして黒の向こうから、「仕方がないな」と声が上がる。
「もし、君が完全に壊れてしまったら、その時に取り替えてあげるよ」
その後、右側の黒の翼は白いものに変えられた。
眼球を抉られることは無かった。
◇
「メメ、君は魔女を知っているかい?」
ある日、不意に主人は言った。
「人の形をした悪魔。数の少ない稀な種族。彼女たちはね、元は人間らしいよ。それがある方法で魔女になる。一説によれば、その際に感情の一部が欠落するらしい」
主人は小脇に本を抱えている。所々金箔が押された背表紙は少し擦り切れ、装丁の間に挟まった紙束は、
表紙に押された掠れたタイトルは、『魔女の条件』
「興味深いと思わない? 人が悪魔に堕ちるんだ。代償に感情を支払って」
まるで君みたいだね、メメ。言いながら主人は子供のように目を輝かせ、声音に期待を乗せる。
「君をこのまま生かしたら、いずれ何かになってくれるのかな」
このまま、生かしたら。返事をする言葉を持たず、ただそっと目を伏せる。
少し前に、主人は言った。
この身体が成長しきる前に、外側を蝋で固めてしまうのだと。そうしてこの姿のまま、永遠を保つのだと。
メメは名前じゃない。ただの題だ。
メメント・モリ。死を想え。
所詮はただの人形。
息をしている人形。いずれ死にゆく人形。
魔女の居場所が分かったんだ、と主人は嬉しそうに言った。
「一目見てみたいな、少し遠いけど」
「しかし危険では? 」
「行かないと後悔する」
「生きて戻れる保証はありませんよ」
主人と付き人の青年が押し問答をする。その光景を、横でただ見ている。
「死を忌避して諦められるようなら、初めから言わない。命を賭ける価値があるから行くんだ」
主人の視線が横に逸れる。その目が、こちらに向けられる。
主人がふわりと笑った。
「僕は、人の可能性を見てみたい」
馬車に揺られている。
身体を保護するためだと、分厚いクロークを着せられた。視界はフードで狭まったまま、大したものを映さない。
小さな振動が身体を伝う。
馬車は進む。主人の好奇心に煽られながら、残忍と名高い魔女の元へ。
『……夢が、あるからだよ』
『僕にその身体を明け渡して』
生を願った小さな叫びも、死へと誘う無邪気な頼みも。
脳裏で再生される雑音を聞き逃しながら、ゆるゆると目を閉じる。
もう、どうだっていい。
◇
気がついた時には、すべてが終わっていた。
何もかもが炎に巻かれて、その赤の中に消えていく。
鼻腔をつく肉が焦げる臭いも、耳に残る断末魔も、焼け焦げていく人影も。
視界の中の一切が燃え尽きて、この身の終焉をも知らしめる。
炎が怖かったはずだった。
この顔を炙られたあの日から。全てを失ったあの日から。
だけどもう、何も感じない。
すべてがどうでもいい。
痛みも、現状も、絶望も、過去も。
たとえそれが、自らの生死に関わることであろうとも。
恐怖はなかった。
ただ、全てを飲み込んで浄化するような紅蓮が、とても神聖なものに見えた。
赤い髪、赤い瞳。炎の化身のような魔女が、何にも侵されることなくそこに居る。
燃え盛る火炎の中心で静かに佇む彼女の姿を、美しいと思った。
理由もわからないまま、ただ、美しいと。
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