共同軟禁生活
ep.10◆共同軟禁生活
『ごめんなさい。私の、せいなんです』
途切れ途切れに話しながら、いつもの無表情が崩れるのを、初めて見た。
泣きそうに歪んだその顔を。
◆
今日も嫌味なくらい空が青い。
足元で茂る高い雑草を踏みつけて、俺はレンガ塀の前ではしごを広げた。
元は折りたたみ式のそれを塀にかける。なのに下に伸び放題の雑草のせいで、どうかけ直しても安定しない。
いけんのかな、これ。
だいぶ不安になりながら、はしごの先をちらっと見る。そこに早くもふたつめの問題点を見つけて、げんなりした。
はしごの長さも足りてねぇ。
いや、一番上に乗れば手くらいなら届くかもしれないけど。
そもそも上れんのこれ。悩みながら、はしごと塀を見比べること数秒。
「……やってやるよ」
半分投げやりになりながら、目の前のはしごに手をかけた。
仕方ない。どうせ一度確かめないことには、何も始まらないんだから。
昨日、ティアは薄暗い宵空の下で、魔女に閉じこめられたんだと言った。
こうなったのは自分のせいだ、とも。
『あの人は、私が狼狽えるのを見るのが楽しいの。私の顔が歪むのが、見たいって』
ぽつりと零して俯いたティアは、小さく肩を震わせていた。
正直ティアに言われるまで、魔女に関して他人事のように感じていた所はある。
確かに、城の内装に違和感を覚えたりはしてたけど。結局はこれまで近くに居なかったし、そもそも未知の存在すぎて実感も危機感も薄かったんだ。
けどこうなったら、さすがに信じるしかない。
城から出るために通ろうとした抜け穴は、見えない壁があって進めなかった。あんなの、人がどうこうできる範疇を超えてる。
『だから、一人で逃げてください』
慎重にはしごに足をかけてみる。多少がたつきはするけど、思ったよりはいけそうだった。
重心にさえ気をつければ、たぶん何とかなる、はず。
そろそろとはしごを上り、最後の一段まで来たところで、塀にもたれてバランスをとる。上をちらっと見ると、塀の切れ目は割に近い。
いける。
そのまま腕を思い切り伸ばすと、手首から先が、かろうじて塀より上に出た。
でも、それ以上は無理だった。
レンガ塀の外側に手をやろうとしても、先に進めない。見えない壁があるみたいに、ぺたりと手が宙に張り付く。
やっぱ、駄目っぽい。
さっき試しに投げた石は通ったんだけど。人は駄目なのか。まぁそう簡単にいかないか。
若干気落ちしながらも、はしごを降りようとしたその瞬間。
──チリンチリン、とすぐ近くで鈴の音がした。
「え」
それに驚く間もなかった。
直後、何かがぶつかるような小さな音。同時に足元のはしごがぐらりと揺れて、身体が傾く。宙に投げ出される感覚に、血の気が引いた。
嘘だろ。
とっさに歯を食いしばり、頭を庇おうと身体を丸める。ガシャンとはしごが倒れる音が聞こえたその直後、背中から雑草の上に叩きつけられた。
「~~っ! あ、っ、
突き抜けるような激痛だった。
じんじんと背中に痛みが広がる。響く余韻に唸っていると、鈴の音がだんだんと近づいてくる。傍で止まったその音に、瞑っていた目をうっすらと開けて。
視線を向けると、顔の近くに黒い塊。
「っの、おまえ、ざけんなくそ」
何澄ました顔してんだこいつ。
睨みつけたその先で、黒い頭に生えた三角の耳が、ピンと立ってこっちを向く。
鈴付きの赤い首輪をした黒猫は、応えるようににゃあと鳴いた。
◆
『そもそも出口もないのに逃げろって、無茶言うなよ。つーかなんで俺一人』
『だって、私は。私のことは、あの人に全部筒抜けだから』
ティアは昨日、そう言って軽く目を伏せた。
日が沈み、辺りはどこか薄暗い。でも近づけば表情がわかるくらいには暗すぎない、夜の始めの半端な時間。
その後もいくつかやり取りを挟み、その中で言われた。自分がいると、出口を見つけても魔女にバレてしまう。だから一緒には行動できない、と。
『アルテは私に構わないで。私に見つからないように出口を探して、私に悟られないままこの城を出て。そしてもう、ここには来ないで。……ここに二人、閉じ込められてさえ居なければ、あの人の思惑通りにはならないから』
『……俺、この城のことなんて何も知らないんだけど。本当に出口あんの?』
『探してください』
とんでもない無茶振りだ。そう思ったし、実際反論もした。
だけど答えるティアの声が、あまりに暗く沈んでいたから、全部は言いきれなくて。
『もう、ここに居たらだめなの。時間がかかるほど、だめになる。狂っていく。だからあの人は、きっとこれ以上手を加えない。ただ見てる。少しずつ、おかしくなっていくのを、ただ見てる。……だから、お願い──』
怯えをわずかに含ませた、縋るような眼差しだった。
最後に付け加えられたあの言葉は、いったいどういう意味だったんだろう。
少し前のことを思い出しながら、城の中庭を歩く。柔らかな日に照らされて、左右に咲く赤薔薇の生垣が、一層目に鮮やかだった。
外側近くと内側で景観違いすぎだろ。まじで。
「……何、いい加減ついてくんなよ」
さっきから後ろで鳴ってる鈴の音が鬱陶しい。
眉をひそめて振り返る。思ったよりは近い位置に居た黒猫が、俺を見上げてひとつ鳴いた。
初めにこの黒猫を見たのは、さっき使っていたはしごがあった、木の小屋の中だ。
今朝、古城の周りを探索していた時のことだった。どこかから小さく鈴の音が聞こえてきて、出処が妙に気になった。この間ティアが寝ていた時にも、その音を聞いた気がしたから。
そうして音の方向に進んでみたら、ぼろっちい木の小屋を見つけたんだ。
どうしようかと悩みながら好奇心に負けて、最終的に扉を開けて。そしたらいきなり中から飛び出してきたのがこいつ。
その後どっかに行ったと思ってたのに、なんでか突然出てきてまとわりつかれてる。
三歩ほど離れた位置に居る猫を見る。
野良にしては毛艶がいい。首に着けられた赤い首輪は、あからさまな飼い猫の証。
どう好意的に解釈しても、ここのペットだ。
最悪だと魔女のしもべか。どっちにしろ、ろくなもんじゃない。
「どっか行けよ。俺、おまえ信用できるほど、おめでたい頭してねぇんだけど」
黒猫に向かって追い払うように手を振る。だけど猫は俺の手の動きを目で追うばかりで、そこから動こうとする気配はない。
一応、魔女が直接危害を加えて来ることはない、とは聞いた。あの時のティアの口ぶりからして、間接的に手を出してくるのは十分ありそうだけど。
ともあれ、だからこの猫は安全だ、なんて冗談でも思えやしない。そもそも今まで見かけたこともないのに。
つーかタイミング的にあやしすぎて、普通に
猫はただ俺をじっと見上げてくる。後ろの方で、立てたしっぽがくねくねと動いていた。
何これ、どういう感情?
しっぽを睨みつけながら内心で首を捻っていると、唐突にチリン、と鈴が鳴った。
「え、ちょ何何何」
気づけば足元に黒い身体。
とっさに足を一歩引いたら、その間に身体を擦り付けられた。
なんだこれ。
「……どっか行けって」
足元を見下ろして顔をしかめる。言葉を投げても猫は離れない。ひたすら身体を擦り付けてくる。
猫って警戒心強くて気まぐれなんじゃなかったっけ。なんでこんな寄ってくるわけ。
もっと野生を思い出せよ。汲み取れよ、俺の敵意を。
それとも何かしてくる気なのか、としばらく注視してたけど、結局その後何事もなく猫は離れていった。
ほんと何これ。
にゃーと、鳴き声が聞こえた。
見るとまだ黒猫は近くにいる。どこかに行くように背を向けて、チラチラと何度もこっちを振り返ってくる。
何だかついてこい、とでも言いたげな仕草だ。
そういえば、はしごから落ちた後にも、そんな態度を取られたような気が。
「……」
誰が行くかよ。
猫に背を向けて歩き出す。少し遅れて、鈴の音が追いかけてくるのが聞こえてきた。
◆
「おまえしつこい……」
足元にまとわりついてくる黒猫にうんざりする。
行く先々で同じようなやり取りを繰り返すこと数度。猫はまるで諦める様子がない。さすがに疲れてきた。
ほんと、なんなんだこの猫。
思っている間に、猫はまた俺から離れる。少し先で聞こえた鳴き声に惰性で視線をやって、今度は少し固まった。
ある扉の前に座って、黒猫はこっちを見ながら何度も鳴き声を上げている。その様子は、明らかに今までとは違うもので。
まるでここを開けろとでも言うような態度だ。
まさかここが目的地なのか。なんでだ。
別に猫について行ったわけでもないのに。
というかこれ、ここで無視してもまた同じようなことになるだけなんじゃ。
「……もういいや、どうにでもなれ」
そう考えたら、抵抗が全部無駄に思えてきた。
ため息をつく。黒猫の方へ近づくと、猫は鳴くのをやめて横に退く。
ひとつ深呼吸をしてから、そろりと扉を開ける。いったい何があるのか、と緊張しながら覗き込んだのに内装を見て気が抜けた。
ただの厨房だ。
そこそこ広い部屋に、奥の壁際に暖炉。他に鍋や薪なども見えたけど、何より目を引いたのは、中央に辺りに置かれている巨大なテーブル。
その上にはこれでもかと言うほどの食材が積み上げられて、ちょっとした山になっている。
……なんで。絶対ろくな部屋じゃないと思ってたんだけど。
「俺に毒でも食わせたいの?」
足元を見下ろすと、猫はしっぽをピンと立てて鳴く。俺を見返すその目をわずかに細めて。
何考えてんのか、ほんとよくわからない。
視線を戻せば野菜に果物、木の実に魚、肉。生モノが剥き身で置いてあって大丈夫なのかとは思うが、腐敗臭はしない。そばによって眺めてみても、どれもこれも新鮮に見える。
昨日城に来てから何も食ってないから、正直腹は空いている。空いてはいる、けど。
……猫って、何食うんだ。
確かねずみ狩るから、肉食?
テーブルに近づき、少し考えてから、薄切りの生肉をひとつ摘む。その端っこを指先で千切ると、片膝をついてしゃがんだ。
そばに居る猫に「ほら」と声をかける。
「俺に食わせたいなら、まずおまえが毒味して?」
そう言ったらどうするのか、反応でも見てやろうかと思ったんだけど。
にっこり笑って肉を差し出した瞬間、反応する間もなくかすめ取られて固まった。
視線をずらした時には既に、肉の欠片は猫の口に収まっている。
「あ、ちょ、馬鹿」
え、嘘。普通食う前に匂い嗅いだり、警戒したりするもんじゃねぇの。なんの躊躇いもなく食いやがったこいつ。
「え、なんともない? 苦しくない? 大丈夫?」
手を伸ばすと、猫はするりとそれを避けて、どこか不満げに鳴く。
なんだ、これどっちだ。悲鳴? 催促?
はっとした。
さっき見たばかりのテーブルの上の状態を思い出す。しゃがんだまま肉を触ってない左手を伸ばし、手探りで机上のりんごを引っ掴むと、その表面に歯を立てた。
口内に温い果汁が溢れて、果肉が舌の上に残る。
しばらく飲み込まずに転がしてみても、特に変な味はしなかった。痺れたりも、しない。
大丈夫そう。
また足元に寄ってきた猫が、もっとよこせと言うように、にゃうにゃう鳴いた。
「……うるせぇ、にゃーじゃねぇんだよばーか」
一気に身体から力が抜けた。
つまりここに連れてきたのは、単に自分が飯食いたかっただけ、と。
何こいつ、自由すぎねぇ?
投げ出した右手から肉の匂いでもするのか、猫が近くにきて顔を寄せる。その後また顔を上げて、何度も鳴き出した。
うるさいほんと。なんなんだこの馬鹿猫。ただの猫みたいな態度とりやがって。
こいつがただの猫である可能性なんて、限りなく低い。……低いけど無くはないのが、一番嫌なとこなんだけど。
動物虐待してる気がして気分悪いから、切実にやめて欲しい。
それが狙いならかなり性格悪い。
「……結局、おまえどっちなの」
投げ出した右手に、黒猫がすり寄ってくる。
艶のある毛皮越しの体温は、ちゃんと温かいし、生きてるし。よくわからない。
本当は、ティアに確認するのが一番手っ取り早いんだけど。そこまで考えて昨日の様子を思い出し、気が重くなる。
ティアはまだ、俺に何かを隠してる。
魔女の思惑を知っていそうなのに、頑なに喋ろうとしなかった。城に閉じ込められたところで、俺はともかくティアに何の不都合があるのか。その疑問にも答えなかった。
ただひたすらに、青い顔で『ごめんなさい』と言うだけで。
『お願い、逃げて。ここから。──私から』
聞き逃しそうな小声で放った言葉の意味が、いくら考えてもわからない。
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