ep.5◆取り繕った仮面の下
いっそ全部、終わりにしようと思ったんだ。
朝日が昇ったばかりの森の奥。そこに建つ魔女の城はやけに静かで、夜が明けていないような錯覚に陥る。
でもそう感じるならきっと、ティアはまだ寝ているはずだ。だから大丈夫。
途中で邪魔が入ったりしない。
静まり返った城の廊下を、足音を殺して歩く。
あとはここで、何でもいいから物を盗んで帰ればいいだけ。それで全部終わりだ。
元々それこそが、ここに来る目的だったんだから。
『君は人だろ、ティア』
『やめて』
ティアのことは、それまでの暇つぶしだった。いつ切り捨てたって良かった。
ここら辺が潮時だ。
このままでいたいというのなら、これ以上、深入りする意味なんてない。
しばらく歩いていると、不意に廊下の隅に、昨日見た壺があることに気がついた。
少し迷ってから、俺はその壺に手を伸ばした。
◆
『しばらくイーストエンドには近寄らない方がいいよ』
道に転がる瓦礫を踏みしめて、ノルの言葉を思い出す。
煤けて崩れた建物と埃っぽい空気。見慣れた景色の中を歩く道のりは、危機感より懐かしさの方が強かった。
別にあの言葉を忘れたわけじゃない。
ただ、他に行くところがなかっただけだ。
寂れた廃墟のひとつに入り、崩れかけた内階段を上る。ひたすら上だけを目指して進めば、行き着くのは見晴らしのいい屋上だ。
屋上の扉は、既に壊れて無くなっている。ぽっかりと空いたその入口を潜ると、そこに記憶と同じ背中を見つけた。
「ジェイド」
声をかけると、その背中が振り返る。
目つきの悪い金色の瞳には敵意がありありと浮かんでいて、羽織った外套のポケットから出した褐色の手には、既にナイフが握られていた。
「待てって。俺だよ」
「……お前か」
目が合うと、ジェイドは眉根を寄せてナイフをしまう。
いつもの光景、見慣れた態度。もう何度も繰り返したやり取りのはずなのに、なんだかずいぶんと久しぶりな気がした。
考えてみれば、前に来た時よりだいぶ時間が空いてるんだから当然か。
「足音殺すのやめろっつってんだろ。ぶっ刺しそうになる」
そう言うと、ジェイドは目を細めて睨みつけてくる。
こいつはいつも、俺には喧嘩腰だ。
俺も似たようなもんだから、お互い様ではあるんだけど。
「普通に来る方が殺気出してくんじゃん、おまえ」
「当たり前だ。そもそもこんな場所に間違って来る奴なんざ居るか。敵か味方かの二択ならまず敵を疑うのが普通だろ」
「あれ疑うなんてもんじゃねぇじゃんか。殺られる前に殺れって雰囲気だろ」
「そう思ってるからな」
平然と言い切るジェイドに、口元が引つる。
別に、雰囲気だけなら良いと思う。ほんと、雰囲気だけで済むなら何も言わない。でも実際は気づけば近くにいて、まじで刺されそうな手前までいくから、心臓に悪いにも程がある。
「おまえがそんな調子だから、わざと足音忍ばせてんだろ。わかれよ」
「知るか。次やりやがったら刺すぞ」
なんだこいつ。
思わず口を開きかけて、すんでで抑える。このまま続けても、口論に発展するだけなのは目に見えていた。絶対譲らねぇしこいつ。
今はそんな疲れることはしたくなかった。
そんなことしてられるほど、余裕ない。
「お前、その顔やめろ」
一瞬意識が逸れた時にそう言われて、視線を向ける。
俺を見るジェイドは、心底不快そうに顔をしかめていた。
「薄っぺらいんだよ、笑みが。なんで俺にまで媚び売ってくんだ」
「……なんで俺がおまえに媚びなきゃなんねぇの」
「売ってんだろ」
「売ってねぇし」
片手で口元を覆い、目を逸らす。意識して取り繕っていた笑みは、そうして隠せば直ぐに消えてしまった。
ああ、ほら。だからあまり会いたくなかったんだ。
俺とジェイドは友人じゃない。ただ付き合いが他より遥かに長いだけの、腐れ縁だ。
切りたくても切り捨てられない、腐れきった悪縁だ。
安心の対象でも頼る相手でもなければ、仲も良くない。ただ昔から一緒に居るだけの、幼なじみ。
そのせいでこいつのことはよく知ってるし、同じように俺のことも知られている。
だから顔を合わせれば何かと見透かされるのが、嫌だった。
どうしようもなく嫌だった。
「お前、なんでここに来た」
「別に……ただの息抜き」
でも今に限って言えば、ここが一番楽だ。
ジェイドを無視して屋上の
この廃墟の屋上に、景色を遮るような物は一切ない。そのせいで無駄に見晴らしのいいここからは、下の街が細かい所までよく見えた。
通りで起こっている喧嘩も、道端に蹲る物乞いも、何かに追われるように逃げている誰かも、ほんと、嫌になるくらいよく見える。
「お前、弱ってんのか」
「ない」
「声に覇気ねえぞ」
「うるさい」
下を見てると、イーストエンドに居た頃を思い出す。そうして記憶を思い返していると、よくわかる。
俺のやってることは、間違ってない。正しい。これでいい。
いい、はずだ。
横からため息が聞こえてきた。
近づいてくる気配を感じて、少しだけ面倒になる。
馴れ合いたいわけじゃないし、正直放っといて欲しいんだけど。そう思いながらも、ジェイドに視線を向けた。
いや、向けようとした。
なのに気づけば、視界が反転していた。
「っだ!?」
背中と後頭部に衝撃が走る。下に固い地面の感触。全く身構えていなかったせいか、打った場所の痛みがすごくて、思わず頭を押さえて悶えていた。
痛みをやり過ごしてから目を開ければ、視界に入ってきたのは空と、仁王立ちで不機嫌そうに見下ろしてくる、ジェイドの顔だ。
足を払われてひっくり返ったんだと気づいたのは、数秒経ってからだった。
「……え、は、何」
突然のことに、頭が回らない。
寝転んだまま呆然と見上げれば、ジェイドの眉間の皺が、あからさまに深くなるのが見えた。
「いい加減鬱陶しいんだよ」
低く抑えた声が怒りを滲ませて、上から降ってくる。
「いっつも横で関わるなって顔しながらうじうじしやがって。陰気な空気だけ垂れ流してってどういう
睨みつけられた視線の強さに、思わず固まった。
これ、いつものじゃない。まじで怒ってる。
「嘘も誤魔化しも隠し事もいい加減にしろ。お前が何考えてんのかなんて知らねえがな、どうせまた、よく分かんねえ理屈捏ね回してドツボに嵌ってるだけだろうが!」
叩きつけるような怒声が、ビリビリと空気を震わせる。呆気に取られていたせいで、初めはすんなりと言葉が入ってこなかった。
少ししてから内容を理解し、気まずくなって顔を背ける。
図星だ。
「ごちゃごちゃ考え過ぎなんだよ、お前」
わかってんだよ、そんなこと。思いながら口を引き結ぶ。
だから今までは考えないようにしてたんだ。
たとえ何か問題にぶち当たっても、目を逸らしてきた。考えても仕方がないから、何度考えても解決策が見当たらないから。
今朝、全部を終わらせたくて城に行った。
なのに結局、何も盗めなかった。その理由も、言い訳すら、何も出てこなかった。
自分のことすらよくわからなくなってるんだと、そこで初めて気がついた。
今まで全部曖昧に濁してきたツケが、回ってきたのかもしれない。そう一度思ってしまったら、考えないわけにはいかなくて。
でも一人でいくら考えたところで、やっぱり解決策なんて見つからないままだった。
「ジェイド、俺さ」
一度言いかけて躊躇う。顔を背けたまま、居心地の悪い視線を横顔に感じていた。
「俺、」
笑顔を作るのは、その方が周囲の反応がいいから。
嘘を吐くのは、その方が何かと都合がいいから。
周りに攻撃されなければ、生き抜く確率は遥かに上がる。
本心を隠すのは、大概それが現実的じゃないか、ろくでもないもんだから。
生き抜くために邪魔だから。
「……今更、だけど」
そうやって、生きやすくなるように振舞っているはずなのに。
なんでいつまでも、息苦しいんだろう。
「普通の暮らしには、向いてなかったみたいだ」
外なら気まぐれに傷つけられて、死にかけることもないだろうと。環境さえ無理に変えてしまえば、そのうち適応して、相応の考え方が出来るようになるんだと思っていた。
でも自分で思うより、俺は適応力が低かったみたいだ。
上辺ばっかり取り繕うことに慣れて、内面は一向に変わらない。変われない。
寝床が変わっただけで、変わらずイーストエンドには入り浸るし、イースト区以外は居心地が悪い。
ここから出たってだけで、ここの全てを切り捨てることが出来ない。
中途半端にどっちにも片足突っ込んでるせいで、どっちにも馴染めない。
知らない誰かに媚びて、知ってるやつに隠して、息つく場所が見当たらない。そうしてる間に、自分のことすらよくわからなくなってきて。
もう、疲れた。
いっそ全部捨ててしまえたら楽なのに、なんで、捨てらんねぇんだろう。
「誰彼構わず顔取り繕ってるから疲れんだろ」
心を見透かされたかのようなタイミングに、一瞬思考が止まった。
顔は背けたままそろりと視線だけを戻すと、相変わらず目つきの悪い金の瞳と、目が合う。
「今、声に出てた?」
「出てねえ。顔に書いてある」
「……俺そんな、わかりやすい?」
「基本分かりにくい」
じゃあ、なんで。
思いながら黙って続きを待っていると、ジェイドは少しして、「ただ」と付け加える。
「昔のまま進歩のねえお前が考えてそうなことは、だいたい分かる」
「あー、そう……」
なんだか妙に腑に落ちて、微妙な気持ちで小さく返した。
これ以上顔を見られたくなくて、腕で目元を隠す。
だから嫌なんだ、こいつと会うのは。
せっかく平静を装ってるのに、隠そうとしてるのに、全部暴かれそうになるから。
「お前、自分で自分の首絞めるの、大概にしとけよ」
「……うるっさい」
呆れを含んだ声に、唇を尖らせる。
それが簡単にできんなら、初めっからこんな拗れてねぇんだよ。
余計なお世話だ、馬鹿野郎。
「お前は自分の行動が正しいと思ってんのかもしれねえがな、それで詰むならどこかしら間違ってんだよ。いいから黙ってやり方曲げろ」
「……どうしろと」
「お前が器用なのは手先と要領だけだろ。ガス抜きも満足に出来ねえなら、大人しく猫被りやめちまえ」
「そんなの出来るか」
だって、外面を崩してしまったら、後に残るのは何も無い。
邪魔くさい感情しか残らない。
「あ? ガタガタうるせえんだよ。初めっから出来ねえと思ってて出来るわけねえだろ馬鹿か。出来る出来ないじゃねえ、やりたいかやりたくねえかの問題だろうが」
その主張に反発は覚えるのに、返す言葉が何も浮かんでこなかった。
「つーか元から出来てもねえ癖して何言ってんだ。やりたくねえもんは大人しくやるな」
「……おまえほんとムカつく」
暴論にも程があんだろ。
目元の腕をずらして隙間から睨みつける。それを受けたジェイドは、対抗するように眉間の皺を濃くしてきた。
「偉そうに説教たれんな、ジェイドのくせに何様だ」
「あ? 自分から聞いといてお前こそ何様だ」
「知るかばーか」
「寝言は寝てほざけ阿呆」
なんだか全部、馬鹿らしくなってきた。
顔から腕を退けて、深くため息を吐く。大の字で寝転んで目も閉じれば、今いる場所がどこかなんて、どうでも良くなる。
いつも感じる荒んだ空気が肌を撫でる。目を開けていれば、イーストエンドのものだとわかる嫌な空気。でも閉じた瞼の闇の中では、それも賑やかな街中とそう変わらないように思えてきた。
どこだろうとなんだろうと変わらない。そんなふうに投げやりに思ってみれば、少しは楽な気がする。
普通にすらなれないくせに、こんな底辺を心地よく思うなんて、俺は心底終わってる。
「優しくすんな。調子狂う」
目を閉じたままぼそっと呟けば、間髪入れず「お前クソめんどくせえな」と返ってきた。
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