その呪いと傷痕に

ep.1◆裏通りの骨董店

 海底うなそこ揺蕩たゆたう海の子は、外の世界に憧れていました。

 こんな何も無い場所は嫌だと、悲しげな顔をしていました。


 だから陸の子は、海の子を外界へと連れ出したのです。




 ◆




 灰色だった。

 ぼうっと窓越しに空を見上げる。そこは見渡す限り重たい雲に覆われてて、辺りは昼間なのに薄暗い。雲間から降ってくる雫を目で追うと、いくつもの粒が、そっと石畳へと吸い込まれていくのが見えた。

 雨音さえしないくらい、静かな空間だった。


 じわじわと這い登ってくる肌寒さに、首元のストールに指をかける。それを口の辺りまで引き上げてみるけど、寒さは全然和らがなくて。

 これ、いつになったら止むんだろう。

 変わり映えのしない灰空をただ眺めていると、急に後ろから「そういやお前」と声がした。


「人魚の館って知ってるか」

「……? 人形の館?」

「人形じゃない、人魚だ」


 俺が耳慣れない言葉に振り向くと、おやじは下を向いたままそう言った。


 この街は、わかりやすく東西南北四つの区に分かれている。その中でもサウス区の一角にあるのが、この骨董屋だ。

 区内でも東寄りの裏通りにあるここは、外観が店だとわかりにくいこともあってか、いつも閑散としてる。


 店内は天井からランプや鳥籠が吊られてたり、棚に本や小物が並んでたり。壁には皿やらタペストリーやらが掛けられ、チェストや長椅子とかの家具の類もちらほらと。片手間で盗品商も兼ねている、他よりちょっと後ろ暗い感じの店。それがここ。


 店主であるおやじは、カウンター越しに椅子に座ってた。手持ち無沙汰なのか、さっきから俺が換金した物をつついてる。それを横目で見ながら、訂正されたばかりの単語について考える。

 にんぎょ。

 内心で一度繰り返してから、首を傾げた。聞き覚えがあるような、ないような。やっぱいまいちピンと来ない。


「いや、『にんぎょ』って何。最後にがつくかどうかで、そんな違う?」

「そこからか……お前、そういうのに本当うといよな」


 わからないから聞いたのに、返ってきたのは聞こえよがしなため息だった。

 んな事言われても、知らないもんは知らねぇし。『そういうの』ってなんだよ。不満が募って口の端を曲げる。

 つーかくそ嫌味ったらしくてむかつく。


「あんたさ、人が知らないことにマウント取って楽しいの? ちっさい人間だな」


 不満を押し込めてにっこり笑うと、おやじは一気にしぼんだ。割と効いたらしい。


「……人魚な。幻想生物の一種だ。半分人間で半分魚の生き物だよ」


 その言葉を聞いた途端、心の中がスっと冷めていくのを感じた。


 いわゆる幻想生物の類がただの御伽噺と言えなくなったのは、数百年前の出来事がきっかけらしい。なんでも、歴史の表舞台に魔女がでてきたとか何とか。あんま詳しくないけど。

 なんにせよそのせいで、時代とともに幻想を信じなくなっていた風潮は、一気に反対へと振り切ったそうだ。


 でも、魔女が居るから他も否定できなくなったってだけで、みんながこぞって幻想生物を信じてる訳じゃない。どの道もし居たって、珍し過ぎて一生会うこともないだろうし、大半の人には他人事だ。

 つまりほんのりと未知への意識が変わっただけで、俺たちの生活は何一つ変わりはしないんだ。

 なのに幻想生物への憧れなのかなんなのか、頻繁にそこら中でデマが湧く。いちいち信じてたらキリがない。


 で、なんだっけ。半分人間、半分魚?

 聞いた言葉を元に、頭の中で色々とこねくり回してみる。最終的には鱗で覆われた人間の身体に、魚の頭がくっついたものが出来上がった。我ながらなんか気色悪い。

 こんな感じでいいんだろうか。よくわかんねぇけど。


「それで、その魚人間がどうしたって」

「情緒もクソもねぇな、その呼び方」

「さっさと本題どうぞ?」


 適当に促すと、何か言いたげな空気が漂ってくる。それをまるっと無視して壁に背を預けたら、「相変わらず、興味が無いことにはとことん雑だな」と呆れたような声がした。


「いやな、最近よく聞く噂なんだが。お前、街外れの建物のことは知ってるか? 北東方向にある、やたら物々しいやつ」

「……どうだろ。たぶん知らない」


 北の方、あんま行かないし。行きたくもないし。


「そうか。それは好都合──いやまぁそういう建物があってな? そこの主、ずいぶん昔から人魚狂いとして有名なんだよ。それも親子三代に渡る筋金入りのな。それが何で今更噂になってるのかっていう話なんだが、そもそもはここから南方の海に──」

「待った、それ長くなんの? 聞かなきゃ駄目?」


 延々と続きそうな語り口に、嫌な予感がして遮ると、おやじは不満げに鼻を鳴らす。「どうせ暇だろ、雑談くらい付き合え」と言って。まぁ、確かに雨が止むまで動けないし、暇だけど。


 でも、ただでさえ興味無い話を延々と聞かされんのは、地味に苦痛だ。

 そもそも幻想生物関連の噂なんて、九割方嘘っぱちだし。わざわざ無意味な話して何が楽しいんだろう。わけわかんねぇ。


「それで、南方の海なんだが。昔からあの辺りには人魚伝説があってな。数十年前、それに興味を持った男が──」

「長そうだから要約して」

「は」


 バッサリ話を切ると、おやじは一瞬惚ける。その後で眉間に皺を寄せ、声を荒らげだした。


「いやお前、素っ気ないにも程があるだろ! いいか、こういうのは過程も含めて雰囲気たっぷりに楽しむものだ。要点だけ聞いたってつまらないだろうが!」

「あんたは俺に何を求めてんだよ」


 俺がそういうの信じてないって知ってるくせに。


「あー、聞いた噂が脚色盛りすぎてて、いっそ怪談じみてきてたからな。どうせなら、その糞生意気なつらに一泡吹かせてやろうかと」

「性根腐ってんな」


 一気にしらける。聞いて損した。


「まぁ聞けって。こういうのはな、作り話と割りきって存分に楽しむもんなんだよ。そこそこ面白いぞ? 派生のひとつじゃ、『人魚の涙』と『人魚薬』ってのが裏町に──」


 なんだか語り出したけど全然聞く気になれなくて、言葉は右から左に流れていった。

 噂ね。確かにちょっと前の魔女のやつは、あながち的外れじゃなかった。でも、不思議なことはあっても結局俺は魔女を見なかったから、いまいち実感が湧ききらない。


『アルテ』


 芋づる式に、過去の出来事が頭をよぎった。そのまま記憶を掘り起こすと、ふと初めの頃が浮かんできて。

 思えば、あの日とは何もかもがずいぶんと変わった。

 でも、そっか。そういえばあの日森に迷い込んでから、もうひと月半くらい経つのか。

 短いようで、ずいぶん長かった気がする。


「──おい、聞いてたか?」


 急に声が大きくなった。

 つられて顔を上げると、おやじと目が合う。不機嫌そうに眉間にしわを寄せていたから、少し考えて笑うことにする。


「聞いてねぇし、聞く気もない」

「糞ガキめ……おら、小雨になってきたからいい加減帰れ」


 言われて外を見てみるけど、少し前の景色と何も変わってないような。

 いや、何言ってんだこのおっさん。


「あんたにはこれが小雨に見えんの」

「少し前までうるさいくらいの豪雨だったろ。それに比べりゃ充分小雨だ。いいから帰れ、いつまで居座る気だ」

「えー鬼畜……」


 まぁ確かにこれ、全然止む気配ないけど。

 小一時間経っても止まない雨にため息をついて、首元のストールに手をかける。もう諦めるしかないっぽい。


 そのまま右手で外そうとした時、不意に掌に痛みが走って、思わず動きを止めた。

 少ししてから左手に代えてやり直すと、横から不思議そうな声が聞こえてくる。


「その手、どうかしたのか?」

「……」


 細く息を吐いて、ひらひらと左手を振る。


「別にどうもしてないよ。ちょっと必要迫ったから、両利きになろうと頑張ってるだけ」




 ◆




 ストールを頭を覆うように巻き直して、フード代わりにすることがよくある。

 元々薄手だから雨に対しての防御力は皆無だし、気休めにしかならないけど。


 雨で人通りの少ない道は、全体的にくすんで見えた。

 被ったストールの端を引っ張り、少し俯き気味に道を歩く。そうすると、身体の横で揺れる右手がふと目についた。その掌の真ん中には、横一文字に走った傷痕。

 別にこれはもう治ってるし、普通に使えもする。ただ、なんでか時々痛むだけだ。


 新しく張った皮が薄すぎるのか、それとも場所が場所のせいか。理由はいまいちわかんないけど、しょうがないから左手も使うようにしてる。ただそれだけ。


 濡れていく右手を目の前に持ってきて、なんとなしに開閉させる。そうしているとふと頭によぎったのは、骨董屋に入ってすぐに聞いた、おやじの言葉だ。


『ついに足洗ったのかと思ってたけどな。あまりに顔出さないから』


 あの店に行ったのはずいぶん久しぶりだった。

 理由はすごく単純で、行く必要がなかったから。あそこに売れる盗品ものが、今までは手元に無かったから。

 だから足を洗ったのか、なんて。


「……そんなわけないじゃん」


 今さら、やめられるかよ。もう何年続けて来たと思ってんの。

 どうせ俺は、この先もずっと盗人だよ。


 森で迷ってからひと月半。

 掌を怪我したあの夜からは、だいたいひと月。

 こんな程度じゃ、きっと何も変わらない。


「つめた」


 被っていた薄っぺらのストールから、雨が染み出してきて額に垂れた。

 それを片手で拭って、鈍くなっていた歩調を早める。

 雨、やっぱ嫌いだ。

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