幕間 其ノ二

〈外伝四〉枯れた大地を導くもの


 豊穣なる大地の恵みの色―—、人は、そう呼んだ。

 それがたとえ何のいわれなきことだとしても、荒廃にさらされた地にてそれは唯一ただひとつの拠所よりどころであったから。



 切るなと言われ続けて数年は伸ばしっぱなしの髪が、今は腰の少し上にまで達そうとしている。

 ここまで伸びると、革紐で縛っているにしろ屈んだり動いたりするのに邪魔だ。

 本音は切ってしまいたいが、切るなというのが臣民の願いであれば王子たる自分が無視するわけにもいかない。


 リアンの両親は二人とも黒髪だ。両親だけではない、このウィザールと呼ばれる島では黒髪の民が主である。

 しかし。

 彼の髪は輝くばかりの金だった。

 常ならばそれは不貞の証として非難されることはあれ、祝福されることなどないだろう。しかしリアンの場合、常ならざる力が関わっていることは明白だった。

 なぜなら、幼いころその髪は確かに黒だったのだから。

 十二の誕生日の朝、彼の黒髪は一夜のうちに黄金へと色を変えていたのである。


 なぜ気味悪がられたりいとわれたりしなかったのか、不思議である。

 王夫婦である両親ははじめ見た時に驚きこそしたが、実にすんなりと受け入れてくれたのだ。そして言った、おまえは大地の恵みを受けた子なのだろうか、と。

 その時の父の痛みをはらんだ瞳が忘れられない。


 今現在も国の各所では、水が枯れ、乾いた風が運ぶ砂は畑地を荒らし、国土は荒廃に瀕していた。それを知っているからこそリアンは、少年ながらも父の痛みを理解できた。力になりたいと思った。

 いずれはこの土地を捨てねばならない、という覚悟を胸に秘めた住人たちにとっても、リアンは希望の象徴だった。

 新たな時代をその身に宿した若き新芽、次期国王である金髪の王子への国民の過剰な期待は、あるいは一種の狂信であったのかもしれない。


 父が滅びを招く王と呼ばれていることを知っていた。そんな噂が耳をよぎるたび、腹だたしく思っていた。

 父がそれを否定しないことが、いっそう苛だたしさを募らせる。

 しかし同時にリアンはその背景を何も知らない。






「王子! 今日は午後から外国語の勉強でしょう」


 外庭に出ようとした途端フェレスに見つかって呼び止められてしまい、渋面でリアンは振り返る。


「そうだっけ? いいよフェレス代わりに受けててよ。そしたら俺、あとからフェレスに聞くから」

「馬鹿なことを言わないでください。俺に外国語なんかできるわけがない」

「自分にできないことを他人に要求するものじゃないよ」

「俺にできようとできまいと、王子は王子なんだから覚える義務があるんです」


 有無もない。ちぇと舌打ちして、リアンはくるりと踵を返した。


「王子、どこへ行くんです」

「父上に呼ばれてるんだ。だから今日は無しって言っといてよ、フェレス」

「嘘でしょうそれは」


 眉を寄せるフェレスにじゃあねと言うと、リアンは身軽く駆けて行ってしまった。

 弾みで獣の尾のように翻る長い金髪が見るとはなしに目に入り、フェレスは思わず重い息を吐きだした。


「誰に似たんだ、ああいう不真面目な所は」

「母親かな」


 いきなり答えが返ってフェレスは跳びあがる。


「へ、陛下……?」


 立ち木の間から歩いて来た国王は、狼狽うろたえるフェレスと、駆けて行く息子の後ろ姿を交互に見やって、ふっと曖昧あいまいな笑みを零した。


「だって私はもっと真面目だろう?」

「自分で言っちまうんですか」


 呆れたように首を振るフェレスの肩に、国王が手を置いた。


「あの子は、本当に愛されているのかな」


 その瞳はフェレスを見ているわけではなく、ずっと遠いどこかを射ている。それが未来なのか過去なのか、フェレスに知るすべはないが。


「信じたいです、俺は。未来を変える力はある、と。そうでしょう?」


 問われた言葉に彼は口もとだけで笑った。





 外庭でつながる離れの館には、王妹夫婦が住んでいる。

 夫は近衛このえ騎士の一人だが、王の妹というだけで彼女に特別の地位はない。ただ館だけを貰ってひっそりと暮らしている。

 彼女には娘が一人いて、リアンの二つ下だった。明朗めいろう活発、天真爛漫てんしんらんまんな少女で、リアンは密かにちびネコと呼んでいる。もちろん本人のいない所でだが。

 そのちびネコもといキディの部屋をノックすると、勢いよくバンと扉が開いた。

 危ない。


「あっ! リアンだ!」


 本人は自分がいかに危険なことをしたのかなどまったく頓着とんちゃくせず、嬉しそうに明るい声をあげる。


「遅かったー。あたし、リアンの分もケーキ食べちゃったよ」

「え!? だって十分も遅れてないよ?」

「えへ、ごめーん」


 悪びれもせずキディは上目づかいで見あげてきた。

 少しばかりむっとしたリアンだったが、自分のほうが大人なのだと自身に言い聞かせる。おやつごときでムキになってはみっともない。


「別にいいよ。それよりキディ、読んでもらいたいものがあったんだろ?」

「あ、うん。そうなの。リアンって異国語読めるよね」


 見かけによらず本好きなこの従姉妹は、いつも変わった本をどこからか入手してくる。彼女の本好きは父親似だろうと母が言っていた。


「これなんだけどー、これ、ウィザール語じゃないの」


 そう言ってキディが出してきたのは青い革表紙の厚い本だった。表紙には何のタイトルもついていない。

 リアンは怪訝けげんに思ってそれを受け取り、パラパラとめくってみた。途端、不可解な文字が目に飛びこんでくる。


「これ、うわー。キディこれ、魔法文字だ!」

「マホウモジ……ってなに?」


 キディが無邪気に聞き返す。リアンは目眩を覚えた。

 魔法文字、別称『竜語魔法文字ドラゴンルーン』は、世界の創始に携わったドラゴンと呼ばれる種族が使用したと言われる、魔力をはらんだ文字である。

 教える者が去ったため、人の中でそれを読める者はひと握りしかいない。当然リアンに読めるはずもない。


「無理だよ俺じゃ。キディこれ誰にもらったの?」

「えー、もらったんじゃないよ買ったんだよ!? なのにリアン読めないの?」

「んなこと言われても……」


 不服そうに頬を膨らませるキディに閉口しつつ、リアンはしかめっ面のまま本を捲ってみる。細かな文字が整然と並んでいて、恐らく自分の語学教師でもこれは読めないだろうとリアンは密かに思った。

 ―—と、その時。

 パラリとページの間から、一枚の半透明な薄紙が落ちた。


「なんだこれ」

「なになに? 綺麗な紙ね……」


 拾ったリアンの手もとをキディが覗きこんで声をあげる。そして二人、顔を見合わせ言った。


「これ、ウィザール語だ」

「ほんとだ! あたしにも読めるよ」


 その、流麗な文字はこう語っていた。




【親愛なるりゅうへ。人と竜が訣別けつべつし、竜族がこの地から去ったのち、大地の恵みは失われ、荒廃の風が地を覆うことだろう。それでもどうか絶望しないで欲しい。】




 ほんの数行の短い手紙だった。しかしそれがどれだけ深い意味を持つものか、リアンはすぐに理解できた。

 これは書いた手紙の上に重ねてインクを吸わせた薄紙なのだろう。この本の持ち主が、誰かに送った手紙の一部なのだ。

 もしかしたら、母の語る昔話の中の、竜の王様……。

 それに思い至った瞬間、全身の血が引くような怒りが込みあげてきて、リアンはいきなり立ちあがった。驚いたようにキディが顔をあげる。


「リアン、どこ行くの?」


 答えずリアンは部屋を飛びだすと階段を駆け降りる。玄関を飛びだした所でフェレスにぶつかりそうになり、ようやくリアンは足を止めた。


「王子、どうなされた?」


 リアンのただならぬ様子に、フェレスの全身にも緊張が走る。リアンは琥珀こはくの目をあげフェレスを睨んで言った。


「大地が荒廃しかかってるのは、竜族の呪いなの!?」

「――え」


 返答にきゅうするフェレスを押し退けると、リアンはその勢いのまま城門を飛びだした。狼狽うろたえて後を追おうとするフェレスのもとにキディが追いつく。


「フェレス! リアン、これ読んで……」


 差しだされた薄紙を受け取りざっと目を通して、フェレスの目が険しくなる。


「俺は王子を追います、姫は」

「行く! あたしも行く!」


 来ないでください、を制して、キディはフェレスの手にすがる。

 フェレスは困惑したが時間がない。リアンの姿はもうどこにも見当たらない、どこに行ったのか——。


「じゃあ馬を連れてくるんで、ここで待っててください!」


 素直にうなずくキディに背を向け、フェレスはやるせなさに黙って唇を噛む。

 この大地は、確かに滅びの呪いをかけられているのかもしれない―—そう思いつつ。






「大地の恵みの証なんて、嘘じゃないか……!」


 リアンは城から少し離れた林の入り口で、長い金の髪を地に広げ、泣きながら地面を拳で叩いていた。その姿は胸に痛い。キディがぐっとフェレスの服をつかんだ。


「王子」

「だって、そうだろ!? 呪われて荒廃する大地の、恵みの証なんてありえないじゃないかっ! ……恵みじゃない、これは、呪いの証だ……!」


 魔力も豊穣もみな『竜』に帰属するものだから。

 竜族がこの地を捨てたのならば、輝く金の髪に宿る力は何だというのか。呪われ荒廃してゆく大地にどんな力が残されているというのか。

 —―この異相に、どんな意味があるというのか。


「リアン……」


 何を言って良いか分からずキディが細く囁いたと同時、リアンはやにわに剣を抜いた。フェレスがはっと身構える。


「王子っ! 何を……!」

「切ってやる! こんな髪、切ってやる――」

「やめてよリアン!」


 絶叫のような三つの声が交差する。フェレスが辛うじてリアンの手から剣を奪い、キディがリアンに抱きついて、リアンは再び崩れるように泣きだした。

 フェレスは黙って重く息をつく。彼もまた、何を言えば良いのか分からない。


「リアンのばかー! 怪我したらどうするの!」


 キディが泣きそうな声で叫ぶ。

 とにかく城へ連れ帰ろうと決意しフェレスが馬に手を掛けた時。傍らの茂みがさわりと音を立てた。反射的にフェレスは振り返る。

 そして―—全身の血が凍りつくような感覚を覚えて立ち尽くした。

 黒くて長いまっすぐな髪、質素な衣服の女性がそこにいた。そして彼女をフェレスは知っている。


「――ティリーア、様?」

「え? だれ?」


 キディが声をあげ、リアンが濡れた瞳をあげる。その二人、いやフェレスも含めた三人に、彼女はふわりと笑いかけた。


「どうしたの? 草原まで聞こえてきたわ、泣く声が。どうしたの?」


 そう言ってゆると首を傾げる彼女にキディが尋ねる、お姉さんは誰なの、と。途端全身を緊張させたフェレスに、ティリーアは微笑みかけて答えた。


「わたしはティリーア、竜族よ」


 リアンが息を呑む。その琥珀の目が彼女を凝視しているのを見てとり、キディは思い切って聞いていた。


「ねえ、あたしはキディ、人間よ。ねえティリーア、竜族が大地に呪いをかけたって、本当なの?」

「キディ様!?」


 フェレスが険しい声をあげるが、キディはフェレスをきつく睨んだ。


「だって! 本人にきくのが一番いいじゃないの」

「それでも、この方は……!」

「いいのよフェレス。どうしてそんなに怯えるの? あなたも、竜族は離別の際にこの世界に呪いを掛けたと、思っているの?」


 やわりとティリーアが問う。フェレスは言葉に詰まった。いいえ、と答えることができなかった。


「それは誤解だわ」


 きっぱりとそれを否定し、彼女は静かにリアンのそばまで行く。さらりという衣擦れの音が、フェレスの耳をくすぐって通り過ぎる。


「誤解、なんですか?」


 リアンがティリーアを見て、問うた。少年の眼前にしゃがみ込んで彼女はええ、とうなずく。


「この惑星ほしは竜族によって造られたのだもの。世界を維持するかなめたる竜族が世界から去れば、魔力そのものが希薄になってしまう。そうして弱った大地が荒廃していくのは仕方がないことよ。けれども管理さえ間違えなければ、決して滅びることだけが未来じゃないわ。荒廃は呪いではなく、必然だった——けれどそれを変えられるかは、人間次第よ」

「俺たち次第?」


 リアンに首肯を返し、彼女は続ける。


「だって、大地を覆う光のまもりは、昔より希薄ではあるけれど、今も世界を包んでいるわ。風のまもりだって、そう。わたしの中には、癒しの力が残っている。そして、あなたの中にある大地の力も、まもりが絶えていない証なのよ」

「え」


 驚いて姿勢を正すリアンに、くすとティリーアは笑いかけた。そばでじっと聞いていたキディが首を傾げて尋ね返す。


「大地の力って……どーいうこと?」

「きっかけは分からないけれど。きっと小さいころ、大地に関わる竜族の誰かに愛されて、その親愛のしるしに贈られたのだと思うわ。決まった年齢になったら目覚めるという約定のもとに」


 そう言われて思い返しても、心当たりがあるかないのか思いだせなかったが、リアンは嬉しかった。

 この金の髪がまぎれもなく大地の恵みの証だと、彼女は確証してくれたのだ。


「……ありがとうございます」


 彼女の目が、愛おしげにリアンとキディを見る。


「もう泣かないわね」

「はい」


 うなずいて、リアンはようやく立ちあがった。剣が取りあげられたままだったことに思い至り、フェレスに手を差しだす。


「フェレス、返してくれる?」

「あ、ええ」


 ぼうとしていたフェレスが、我に返ったように剣を差しだした。それを納め、リアンはもう一度深く礼を取る。


「本当にありがとうございました。今日のことは、絶対に忘れません」


 ティリーアはもう一度、花が開くように笑った。





 帰路についた二人を追おうとしていたフェレスが、振り返った。


「ティリーア、様……。貴女は人間を、憎んではいないのですか?」


 それはリアンたちには聴こえぬほどの囁き。問われて、ティリーアはひどく切なげに微笑んだ。


「フェレス……。わたしは、知ってしまったから。あのひとが自分の命を与えたのは、人族を、そしてわたしを、なによりも愛していたからだって。それを知ってしまったわたしが、どうしてあのひとの愛した人間を憎むことができると言うの。それは、あのひとのわたしに対する愛さえも、否定することにならない?」


 それは、痛みをはらんでいてなお、温かく、優しかった。だからフェレスは言わずにはいられなかった。


「ありがとうございます、……本当に、申し訳ありません」


 ふふ、と彼女は笑い、そして手を振る。心残りのまま二人の後を追うフェレスの背を追いかけるように、声が聞こえた。


「わたしも過去には人間であった者よ。今だって、竜族わたしたち人族あなたたちを愛しているわ。同じ大地に生きる者、同じ空の下に生きる者として、愛し続けるわ」


 ――涙が突きあげる。

 フェレスは口の中で何度も繰り返していた。ありがとう、申し訳ない、ありがとう……と。





 大地がこの先も変容してゆくのは逃れようのない定めではある。しかし、荒廃しつつある地にさえ竜族かれらの恵みと癒しは留まっているのだと、知る者は多くはない。

 それでも——それが皆無ではないと近しき言葉であるならば。


 世界の未来は、人間の生きざまにかかっている。






 終


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