第三章 恒星(ほし)の誓う約束

八.断罪と決意


 激昂げっこうする彼女ルビアの繊細な美貌に、怒りが壮絶な美しさを添えている。


「あなたは自分が何をしたのか理解しているの?」

「解ってる」


 麻痺した脳髄にルビアの断罪が沁みてゆく。視線の先には黒檀こくたんの髪を広げ床にうずくまる女性。彼女の激しい慟哭どうこくが耳を通り過ぎ、頭の中に響いていた。

 彼女の腕の中には動かぬ伴侶ハル

 血溜まりに沈む短剣は、自分が彼に渡したものだ。

 傍らに立つ時の竜が獣じみた怒りを全身に満たし、こちらを睨みつけている。


 ……解っていたはずの現実は、思い描いていたつもりの夢想とは、あまりに隔たっていた。


 いや、はじめから描くものなど何もなかったのだ、と。

 ジェラークはふいに泣きたくなった。

 いっそ王が、自分たちを反逆者と断じ滅ぼしてくれていたなら。そうであれば自分は、それを嘲笑あざわらいながら無様ぶざまに死んでゆけたのに。

 理念も理想もない逆恨みの離叛りはんなど極刑に処されて当然だったというのに。

 追いつめられていたのは自分たちではなかったか。どんなに数を揃えようと勝てるはずがなかったのだ——本来は、本来であれば。

 それなのになぜか突然に事態は逆転の結末おわりを迎え、その意義を語れる者は今この場に誰ひとりいない。

 なにもわかってはいなかった。

 自分はあまりに子供で、彼はあまりに優しすぎた。


 ——もう、取り返しはつかない。




「それで、どうするつもりなんだ? ジェラーク」


 アスラがふいに問う。ただの条件反射のように、声が勝手に答えを返す。


「無論、オレは王になる。その後のことはこれから考える」

「は、馬鹿馬鹿しい」


 心底あきれた声だった。それ以上話すことなど何もない、と言わんばかりに、彼は泣き崩れている姉の横に片膝をつき、肩を抱くように腕を回す。

 耳もとに何事かを囁き、彼女を離れさせると、横たわっているハルの身体を慎重に抱えあげる。

 ジェラークは止めなかった。

 もっとも、止めようとしたところで手段はなかっただろうが。


「祟りだろうと呪いだろうと、いつまでだって怯えていればいいさ。どんな災禍がおきようと、もう、竜族が人族を守護することはしない」


 瞳を向けることもせず、アスラは怒りを込めた低い声で吐き捨てた。

 いまだ泣き続けるティリーアと動くことのないハルを連れ、最後までジェラークの方を見ることもせず、アスラは転移の魔法でその場から姿を消したのだった。





「気が済んだの? ジェラーク、あなたハル様を死なせて、本当に良かったと思っているの?」


 静かに畳み掛けられる問いは、冷たい鋭さをともなって胸に突き刺さる。


「わからない」


 竜たちが去って、呪縛が解かれたかのように群衆たちは散っていった。ジェラークに付き従っていた若者たちは今、城の内部を検分しに行っており、この場にはルビアしかいない。

 広いエントランスホールに独り立ち尽くすジェラークと、黙ってそれを見ているルビア。独りと一人の間を湿った空気が流れてゆく。


 わかってたんじゃないの。言われるだろうと思った言葉を、彼女は口にしない。軽蔑されるだろうと思っていたのに、感じる視線は悲しげなだけだった。

 今思えば城に踏み込んだ時、警備補佐である彼女と門で会うことがなかった。

 なぜ、とわいた疑問に不吉な何かを感じ、ジェラークは改めてルビアを見る。

 ようやく自分を正視したジェラークを見てとり、彼女も動いた。


「来て、ジェラーク! あなた、しばらく家に帰ってないでしょう」

「何が言いたいんだよ」

「いいから!」


 しなやかな腕が伸びてジェラークの手をつかむ。

 彼を引きずるようにして、彼女は早足で城下へと向かう。 道中に何かを話すこともなく、歩いて歩いて、向かった先はジェラークの家だった。


「入るわよ」


 声をかけて扉を開くルビアの様子にジェラークは震えた。誰に、と問いを口にするまでもなく、答えが返る。


「はーい」

「——エティカ?」


 たがえようもない声だった。

 ジェラークの背を冷たいものが伝う。なぜという疑問より、恐ろしさが胸をうつ。


「兄さま!」


 幻影でも、幽鬼でもない。小柄な身体に細い手足、なにもかも元のままの妹が満面の笑顔でジェラークを出迎えた。

 茫然ぼうぜんとしている兄に勢いよく抱きつくと、背伸びをしつつ見あげる。


「あのね、兄さま! シエラさん? ってひとが、おまえはまだ死ぬはずのない運命だからって。よかった! 兄さまも無事で……ケガとかしてない?」

「エティカ……」


 気遣わしげに兄の手足を調べる見慣れた姿に涙があふれだした。

 言葉にならず、激しく嗚咽おえつしながら妹を抱きしめる。その小さな身体にみなぎる命を確かめる。

 嬉しさよりも、ただ苦しかった。


 失われた命は返らない。死者が現世に帰ってくることなどない。——そんなことは、誰よりもよくわかっていたつもりだった。

 奪われた痛みをあんなことで癒せるはずがない。

 のこされる痛みを誰よりも知っている自分が、同じ痛みを誰かに与えようとする、など。

 馬鹿げている——、

 そう、あのとき思えたなら。


 エティカは帰ってきた。

 でもきっとハルは帰ってきやしない。

 取り返しのつかない残酷なことを、自分は、なんのためにしたのだろう。



 泣き崩れるジェラークをルビアは黙って見つめる。

 慰めるすべなど持たないし、慰める理由もない。ただ、ひどくやるせなかった。





「詳しくは知らないの。私はハル様にエティカちゃんを託されただけだから。……どうするの、ジェラーク」


 あのあと、まともに声も出せない状態のジェラークの代わりに、ルビアがエティカに事情を説明した。

 当然ながら少女は混乱と動揺で号泣し、激しく兄を責めた。それをルビアがなだめながら寝かしつけ、今ようやく静けさが戻ってきたところである。

 ひとしきり泣いて、傷ついて、ジェラークの心も決まっていた。


あおったのはオレだ。どうかしていた、そう今なら思えるけど、終わってしまったことは変えられないから……オレは王になるよ」


 自分が王の器か、などという問いは無意味だ。

 ただ、責任を果たす。光の王から奪いとった国を治め、導く。この罪がゆるされることは未来永劫ないだろうが、逃げることなどできようか。


「わかった」


 ルビアはまっすぐジェラークを見ていた。燃える宝石に似た鮮やかな紅が、決意を映して濃さを増す。

 その優しく強い瞳は今、ジェラークだけに向けられている。


「私は、あなたがどう生きるかを見届ける。ハル様が何を望んでいたのか、私には解らなけど……」


 揺らぐ瞳を伏せ、彼女は細い指をジェラークの手にかぶせた。誓うように、祈りのように、ルビアは静かな声で宣言した。


「私はあなたを見捨てない、見放さない。何度あなたが間違えて後悔しても、他のみんながあなたを糾弾しても。私だけは最後まで、あなたの味方でいるから」




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