五.宵に凝る憎悪


 宵闇に沈む路地裏には、幼いころによく聞かされたようたぐいが潜んでいてもおかしくない、とアスラは思う。

 かげかげが混じり合い、静物と動物の区別もつけにくい。こんな場所で何をしているかといえば、独断による調査だ。


 竜族といえ生身であり、アスラはハルほど上手には剣を扱えない。

 妖魔の類であれば魔力で討ち払うことは容易たやすいが、悪意を持った人間——賊や通り魔のような相手が潜んでいる可能性もゼロではない。自然、早足になる。

 と、暗がりから突然に影が伸びてアスラの足をつかんだ。

 不意をつかれてよろめきつつ、アスラは歩みを止めてそちらへ目を向ける。置き捨てられた箱の重なりに隠れるようにうずくまる黒い塊。

 目を凝らせば、それは古びた外套で身を包んだ中年の男性だった。


「なあ、アンタ、……だろう」


 呻くように男が言葉を発した。血の匂いが混じるその声には覚えがあり、アスラははっとしたように屈みこんで彼を覗きこむ。


「あなたは」


 殴打の痕なのか腫れあがっているその顔にも覚えがあった。

 つい先日まで海賊の一味だった彼が職につけるよう世話したのは、アスラだ。名前までは記憶していないが、彼が自分を知っていることからしても間違いないだろう。

 なぜ、彼がこんなところでこんな怪我を。

 そんな疑問に答えるかのように、男が悔しげな声で吐き捨てる。


「なんで、なんでだよ! アンタたちの言う通り真面目に働いて、盗んだりもしてねえのに……なんでこんな目に遭うんだよ!」


 ぎらぎらと光る瞳がアスラを見て言い募る。

 言葉を失い立ち尽くす様子に訴えても無駄だと判断したのか、男は手を離し再び物陰にうずくまった。すすり泣くような声とともに、ぽつぽつと言葉が落ちる。


「アンタ、……何も知らないんだな。なら、国王に訴えてくれよ。……私刑に遭うくらいなら、城の牢獄の方が、よほどマシだってよ」

「私刑……?」


 気力が尽きたのか、男はそれだけ吐きだすと力が抜けたように黙りこんでしまった。アスラは茫然ぼうぜんとその場に立ち尽くしていたが、我に返って男を抱え起こし、警邏けいら兵の詰所まで移動させることにする。

 命に差し障るほどの怪我を負わされたのでないことが、幾らかの幸いだろうか。

 男の手当てと聴き取りを頼み、アスラは再び先ほどの路地裏へと向かった。




『おまえたちのしてきたことが、そう簡単に許されると思うのか!』


 背筋があわだつ冷たい憎悪。打ちつけられる堅い棍棒。

 許されるなどと思ってはいなかった。だが、許すといったのはライデア国王だ。それを信じたからこそ、船を捨てて大人しく従ったのだ。

 それなのに、この仕打ちは。

 抵抗するすべのない者を集団で制裁する行為は、海賊と変わらないではないか。

 国王は知っているのか。

 知っていて容認しているのか。

 ならばなぜ、許すなどと——……




 こごる感情を拾いあげ、記憶を手繰たぐって過去をさぐる。時の竜であるアスラだからこそ可能なことではあるが、その生々しさは想像以上だった。

 眼裏まなうらに再現されるむごい光景だけでなく、よどんだ憎悪の念が胸をえぐる。

 家族を奪われた者たちがいだいきどおり、それが復讐心を引きだし私刑に駆りたてる。的にされた者たちは混乱し、やるせない恨みを募らせる。

 やがて双方が反感を向けるのは、そのどちらの痛みも知らぬもう一人の当事者だ。


「ハル……」


 いずれ分かってもらえる、そう彼は言ったが、アスラにはそうは思えなかった。

 まさか彼はこのことも見越していたというのだろうか。考えても、やはり分からなかった。

 ともかくも、今はこの事実を一刻も早くハルに知らせなくてはならない。





 空虚な瞳はどこへ向けられるでもなく、ぼうと何かを見つめている。全身にたぎっていた怒りは今は燃料を失い、憎しみという暗いくすぶりに形を変えていた。

 まるで抜け殻のように立ち尽くす彼の肩を、彼女は軽く叩いて声掛ける。


「ジェラーク、大丈夫?」


 さまよう瞳がゆっくり彼女をとらえ、数度瞬いてようやく焦点を結んだ。


「あぁ、……ルビア」


 二人は年齢も近く、共に城へ仕える同僚のようなものだった。

 黒曜石のようにつややかな長い黒髪を動きやすいようひとまとめに結い、警備補佐官の制服を着こなす彼女は、一見すれば少年のようにも見える。さっぱりとした性格の彼女はしかし案外と世話好きで家庭的で、エティカと仲が良かった。

 警備という役職柄、聞きつけるのが早かったのだろう、臨時の休暇をとって来てくれたのだという。

 実の姉のように彼女に懐いていた妹を思えば、発作のように息が詰まって泣きだしたい衝動が胸をつく。

 ルビアが細い腕を肩を抱くように回して優しく言った。


「あとのことは私に任せて、エティカちゃんに、会いに……行ってきたら?」


 葬儀を終えたばかりの真新しい墓標に、ジェラークはまだ一度も足を運んでいなかった。行って見てしまったら、今はまだ現実味のない妹の死に今度こそ押し潰されてしまう気がするからだ。

 声もなくうなずく彼を力づけようとルビアは二、三度背中を叩き、腕を解く。


「つき添おうか?」

「……大丈夫だ」


 ルビアの瞳も、心配と悲しみが混じりあって光が揺れてる。そんな彼女の前では泣き顔も弱音も見せたくなくて、ジェラークは強がり、ふらつく足で墓地へと向かって歩きだした。

 彼女はそれをしばらく気遣わしげに見送っていたが、やがて気を取り直すように頭を振り、彼の家に入っていった。





 ライデア国は、どの町や都市でも郊外に共同墓地がしつらえてある。

 地所を持っていない者は葬儀ののち共同墓地へ葬られる。貧しい者や移民でも正しく埋葬できるようにという、国のはからいであった。

 ジェラークとエティカは移民であるため、ルビアはエティカが共同墓地に入れるよう手続きを進めてくれたのだった。それについては感謝しかない。

 それでも町の外れまでは遠く、重い足でそこへ向かうのはただただつらかった。


 ふと背後に足音を感じ、ジェラークは足を止めて振り返る。

 斜陽に照らされ、数人の若者が立っていた。年代はジェラークより年上からずっと下まで、さまざまだ。

 身分も出自も違う彼らをつなぐ共通点を、知らないわけでもない。

 彼らの手には剣や棍棒、あるいは農具といった得物が握られている。その先にこびりついた黒いものが、乾ききらずに赤い光を返す。


 狼藉ろうぜき者に家族や友人、恋人を奪われた若者たちが徒党を組んで、元海賊たちに復讐行為をしているというのは聞いたことがあった。

 くだらない、とジェラークは思う。そんなことをしても、奪われた命が返ってくることはないのだ。

 関わり合いになりたくない、と思いながら背を向ける。彼らの暴力行為に加わる気力も今のジェラークにはなかった。ただ、放っておいて欲しかった。


「ジェラーク様」


 背中に、声が投げられる。黙って振り返り見た視界に、集団から一歩踏みだす位置に立つ青年の姿をとらえる。

 彼はひどく真面目な、真摯しんしな瞳で、ジェラークをまっすぐ見ていた。


「ジェラーク様、王になりませんか?」


 唐突に投げられた誘いに、思わず瞠目どうもくする。それが意味するところを本当に分かっているのだろうか、と思う。


弑逆しいぎゃくそそのかす気か」

「人の世を治めるのは人であるべきだと、思いませんか。竜なんて所詮は超越者、俺らの痛みや苦しみなど解りはしない、そう思いませんか?」


 同じような台詞をどこかで聞いた。

 そうだ、あれは自分がエティカに言ったことだ。

 あのひとは人間ではないから、人間の気持ちが解らないのかもしれない、と。

 それなのになぜ、人間を治めるのか。

 その統治で人間ひとの幸せを築いているのだと、彼は思っているのだろう。その、傲慢ごうまんさにも似た慈愛を振りかざして。

 理解できないくせに、おのれの正しさを疑うこともなく。


「バケモノめ……!」


 視界が暗くなり、胸を這いのぼる憎悪がひどい侮蔑ぶべつとなって口をつく。誰かが近づき、手を取って強く握るのを知覚する。


「協力いたします、ジェラーク様。俺はフェレス。奴らみんな、あなたの同志です」


 指に感じるぬくみを振り払うことができなかった。間違っているという自覚があるのに、フェレスの言葉にすがりつこうとする自分はなんて愚かなのだろう。

 相手は人間ではない。魔術と剣を同時に駆使する、至高の王者だ。

 そんな相手にどうやって勝とうというのだ。



 ——本当に、これでいいの?


 問いかける声が聞こえる。

 エティカのように思えるその声は、あるいは自分の正気なのかもしれなかった。


 どうしてだろう、エティカ。おまえの笑顔を思いだせない。

 何度目を瞑っても、あの、虚ろに瞳を開いたおまえしか、思いだせない。

 エティカ、おまえを失って、オレは。


 わかっている。

 わかっているのに。


 止められない。



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