三.太陽と月の邂逅


 やわらかな風が、優しく前髪をなでてゆく。

 全身をつつむぬくもりと頰に触れる芝生の感触が心地よくて、彼女はひだまりの中微睡まどろんでいた。


 閉ざしているはずの視界に映る、金色の太陽。

 また夢をているのだと、彼女はぼんやり考える。


 人のであればくらんでしまうほどの、強い光を放つ恒星は、あおい空に溶けいるように、しかし決して呑み込まれることはなく輝いている。

 天空の幾千もの中で、ただひとつ青い空に輝く恒星ほし

 その光を背に凛然りんぜんと立つ、ひとの姿がえた––––。




「……さん? ねえさん、起きてよ」


 耳の奥に届く、呼びかけ。

 まだ微睡まどろみにたゆたう思考がかろうじて、弟の声だと認識した。

 弟の背後うしろにふたつの人影。ティリーアはのろのろと上体を起こす。アスラが心配そうに、自分を覗き込んでいるのが分かる。


「大丈夫? こんな日当たりのいいところで寝たら、頭痛くなっちゃうよ?」


 心底気遣わしげに尋ねるアスラへ、ティリーアは子供のような表情でうなずきを返した。そして、ぼんやりとした視線を後ろの二人に向ける。

 そこには、太陽を背に立つ、長身の姿があった。

 光色の髪。その隣には天頂色の、あおい人影。

 まるで、さっきまでていた夢が現実になったかのように––––。



 ひゅう、とハルが口笛を吹き、聞きとがめたリュライオが彼を振り向く。


「彼女に失礼ですよ、ハル」


 が、彼の視線が少女に釘付けになっているのを見て、リュライオは言葉を続けられなくなってしまった。

 つきあいの長い友人だが、ハルがこういう風に固まるのは非常に珍しいことだ。


「ハル……?」


 怪訝けげんそうなリュライオには構わず、ハルは一歩進み出て身を屈め、ティリーアに向けててのひらを差し出し言った。


「はじめまして、アスラ君のお姉さん。俺はハルという」


 ティリーアは目を丸くしたまま、動かない。姉の素振りを失礼ととらえられては大変だと思ったのだろう、慌てたようにアスラが口添えた。


「姉さん、こちら光の司竜しりゅうのハルさんと、風の司竜しりゅうのリュライオさん。村に滞在するのに、今晩はぼくたちの家に泊まるんだって」

「ハル様と……リュライオ様?」


 夢みるような表情かおのまま弟の台詞をおうむ返しするティリーアにハルは、懐っこい笑顔を向ける。


「しばらく世話になるよ。君の弟のアスラ君とは、ここに着いてすぐ友だちになったのでね。……君とも仲良くできたら嬉しいな。君の名前は?」


 が、その問いを向けられた途端、少女の顔から表情いろが失せた。

 硝子ガラスのような瞳を一度瞬かせ、温度のない声でぽつんと答える。


「……ティリーア」


 リュライオが表情を硬くする。不安そうにアスラはそれを見た。

 村で一番の年少とはいえ、彼とて姉の名前の由来を知らないわけではない。当然ハルが気づかぬはずはないだろう。


「そうか。ティリーア……」


 無表情に見返す少女に、だがハルは優しく笑んだまま言葉を返す。


「綺麗な響きの名前だね。とても良い名だと、俺は思うよ」


 瞬間、姉の瞳にいいようのない感情がよぎったのをアスラは見た。


「嘘……?」


 小鳥のように首をかしげ、ティリーアはハルに問いを返す。不安と期待がないまぜになった姉のこんな表情を、アスラは今まで見たことがない。

 応じるハルは動揺などしなかった。

 きまり悪そうな顔をすることもなく、ごく自然な笑顔で答える。


「嘘じゃないよ。嘘じゃない、––––本当だよ」


 ティリーアの表情が少しずつ変わる。

 頰をわずかに染め、口もとをてのひらで覆って彼女は、今にも泣き出しそうなほど嬉しそうに、涙声でつぶやいた。


「嬉しい……そんなふうに言われたの、はじめて。嘘でも、嬉しい……」

「嘘じゃないって」


 つい声を上げるハルの肩を、リュライオがそっと叩いた。その意図を察し、ハルは黙ってうなずき身をひく。


「よかったね、姉さん」


 かわってアスラが泣き出しそうな姉のそばにしゃがみ込み、細い身体にそっと腕を回した。なだめるように、それでいて甘えるような優しい声で、ささやく。


「ぼくも嬉しい。だって、姉さんのことをちゃんと見てくれた、はじめてのひとだもんね」


 誇張でも、誤解でもない、現実ほんとうのことだった。

 弟の小さな肩に顔をうずめ何度もうなずくティリーアの表情かおを見れば、それは疑うべくもない。


 泣きやまぬ姉と寄り添う弟、歳若い二人を見守るように彼らはしばらく、言葉を控えて立ち尽くしていた。

 温かな昼の陽射しと踊る風を感じつつ、彼らがこの村について何を思ったのか。

 この時のアスラに想像がつくはずもなかったが。



 それがハルとティリーアの、出逢いのはじまりだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る