第二章 星のくれた未来図

四.チェンジリング


 朝から働きづめで疲れ果てて帰宅したところを、高名な司竜二人に出迎えられ、家への滞在を告げられるという衝撃である。

 両親の動揺は言うまでもないだろう。


 早々に自室へ引きこもってしまったティリーアと、浮かれすぎて父母の心労を察する気もないアスラからでは、ことの経緯いきさつを聞きだしようもなく。

 父はリュライオに説明を求め、ついで長老の家へとそれを伝えに行った。

 その間に母はできうる限りの料理でもてなそうと腕を振るい、珍しくアスラまで駆りたてて手伝わせていた。


 話し相手のアスラが準備のため行ってしまい退屈したハルが、自分たちも手伝おうかと言い出すものだから、リュライオはそれを引き止めた。

 これ以上親御さんの心労を増やすのは忍びない、というわけである。

 ハルの不満は別のところにあることを知ってはいるし、リュライオ自身も思うところがある。しかし強要すべきものでもない。


 そうこうしているうちに無事テーブルも整い、ティリーアも部屋から降りてきて、全員そろった夕食が始まったのである、が。





「珍しいね。ティリーアは人間なのか」


 何のてらいもなくハルが地雷を踏み抜いたので、アスラは心臓が止まるかと思った。

 両親にとって、禁忌でもあるその事実。口にすることは、どんな意図であれ姉を傷つける結果にしかならない。

 それゆえにアスラにとってもそれは自然と禁忌になっていた。


 誰も返答ができず、凍りついたような沈黙が食事の席に張り詰める。

 その不自然さに、ハルは顔を上げ不思議そうに首をかしげた。


「どうしたんだい? ……言ってはいけなかったのか?」

「あの」


 震える声ながらも、はじめに口を開いたのは母だった。

 瞳に、困惑の光が揺れる。


「珍しい、ということは……竜族から人間が産まれるというのは、起きうることなのですか?」

「はい、起きうることですよ。一般的には、取り替え子チェンジリングと呼ばれています」


 リュライオが答え、ハルに目を向けた。


「人間と竜族は、生物学的にではなく魂の位置関係において非常に近い存在だ……と言っていましたね。銀河の竜は」

「そうだね。知らなかったのか……道理で何か、妙だと思ったよ」


 ハルが苦く笑って言ったので、父母はどちらも項垂うなだれてしまった。

 望まぬまま話題の中心になってしまったティリーアと、どうしていいかわからないアスラも、動揺しつつ顔をうつむける。

 こういう状況で話せることばを、二人とも持ってはいない。

 やがて父がようやく顔をあげ、ハルを見た。


「では、ティリーアは本当に私たちの……実の娘なのですね?」


 冷静に受け取ればおかしな質問である。しかしハルはとがめだてるようなことは言わなかった。

 怯えるような、それでいて真剣な父の目を見返しにこりと笑う。


「当たり前じゃないか。こんなにいいは滅多にいるものじゃない」


 そして視線を転じ、母を見る。


「奥さん、卵からかえった時にティリーアはもう目が開いていて、ある程度ことばも理解していたのではないかな?」

「え、ええ、そうですが」


 ハルの意図をつかめず母は首をかしげた。

 竜族にとって、それはごく普通のことだ。


「それは、ティリーアが竜族だからだ。そもそもの前提として、人間は卵では産まれない。それに」


 言葉を選ぶように少し間を置き、ハルはティリーアに視線を移す。


「人間は本当に小さい、未熟な状態で産まれるんだよ。竜族と違わぬ誕生で、しかしドラゴンではなかったというのなら、それは取り替え子チェンジリングで間違いない」


 実に十八年の歳月を経て明かされた、驚愕きょうがくの真実だった。だが、そういう現象があるということを知らなかったからと言って、言い訳にならないことも事実だった。

 周囲の目がどうであれ、彼女が実の娘であることに違いはなかったのだから。


「わたしたち、今まで……この子に酷いことをしてきました」


 震える声で呟くと、母の目が娘を見る。あふれ出た涙はこの十八年間に累積したさまざまな感情だ。

 戸惑うように瞳を揺らす娘を見ながら落とされる言葉は、彼女自身の傷でもある。


「ずっとこの子を傷つけて、……辛い思いをさせてきました。今さらどうやって、償えばよいのでしょう……」


 ハルはただ優しく笑った。


「今さらなんてことはないさ。今から始めればいいと、俺は思うよ」


 その言葉についに泣き崩れた母に驚いたのか、ティリーアが立ち上がる。

 それでも駆け寄ることのできない娘に、同じく立ち上がった父がそっと触れ、ぎこちなく抱きしめた。


「すまない、ティリーア」


 彼の中には妻への猜疑さいぎ心や、娘への嫌悪が確かに、存在していたのだろう。無知ゆえとはいえ、この十八年の間この家族に本当の意味での絆などなかったのだ。

 それが今、ようやく、変わろうとしていた。


 ハルがリュライオを促し、立ち上がる。視線を交わして部屋を出て行く二人の後を、アスラは急いで立ち上がり追いかけた。

 父と母はきっともう、大丈夫だ。

 それよりも今は、聞かなければならないことがある。





「ハルさん、リュライオさん! 待ってくださいっ」


 外に行こうとでもしていたのだろうか、玄関にまで出ていた二人は、アスラの声を聞いて同時に振り向いた。


「何ですか、アスラ」


 優しく問い返すリュライオをまっすぐ見上げ、アスラは胸に湧いた不安をそのままぶつける。


「聞きたいことがあるんです。お二人、取り替え子チェンジリングは竜族とおなじ誕生って言いましたね? ……だったら姉さんの寿命も、竜族とおなじなんですか?」


 瞬間、彼の瞳が揺らいだのをアスラは見逃さなかった。

 勢いに任せてリュライオの服をつかみ、つめ寄る。


「やっぱり……ダメなんですか? 姉さんは、人間みたいにほんの何十年かしか生きられないんですか?」

「……ハル」


 今にも泣き出しそうな少年に事実を告げることができず、リュライオは視線を揺らして友を呼ぶ。

 ハルはうなずくと、リュライオに取りすがるアスラの横にしゃがみ込んで、その大きなてのひらを少年の頭に置いた。


「その通りだ、アスラ。君の姉さんは人間だ。それは、人間の身体を持っているということだ。人間は竜族ほどに命を永らえることはできない……ずっと繊細な器だからね。竜族と人間は魂の在り方が近いのであって、身体はそうじゃない。分かるよな」

「でも、そんなの姉さんが可哀想だよっ」


 予想していたとは言え事実をはっきり突きつけられて、アスラの両目から涙があふれる。


「やっと父さんと母さんが、姉さんを見てくれるようになったのに……」


 そうだね、と優しい声がアスラの悲しみを肯定する。ハルは少年の涙を拭うと、穏やかな瞳でまっすぐ彼の若葉色の両眼を見つめた。


「でもね、アスラ。ひとが幸せになるのに、長い寿命は本当に必要だろうか?」


 その問いの唐突さに驚いて、アスラの涙が止まる。彼が何を言わんとしているかを図りかね、困惑げに見返せば、ハルはにこりと笑って続けた。


「いつかわかる時がくるさ、アスラ。君は時の竜だからね。生命の在り方によってそれぞれの持つ時間に違いはあるが、永遠と一瞬に、そう大きな違いはないんだよ」


 言葉を失う幼い竜に、ハルはそれ以上説明を加えることはしなかった。立ち上がり、リュライオへ視線を向けて扉へと促す。

 はぐらかされたような思いをいだきつつ、アスラはハルを見あげるしかなかった。



 ハルの言葉の意味を、遠い未来いつかにアスラは知ることとなる。


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