五.揺れ動く想い


取り替え子チェンジリングの少女を迫害し続けていた、という事実があるようですね」

 リュライオの言葉に、白髪はくはつの老人は黙って視線を返した。鋭い眼光の宿る、翡翠色の目である。


「迫害などしておらぬ」

 低いがはっきりとした否定だった。対する青年の眉が、わずかに動く。


「貴方は、取り替え子チェンジリングの現象についてご存知でしょう。それなのに貴方は沈黙を貫き、少女とその母はいわれのない誤解と非難を受けた。それを貴方は、黙認していたではないですか」


 言葉の端々はしばしに怒りが込められているとはいえ、こんな時でもリュライオは言葉を選んでしまう。それが彼の優しさであり、不本意ながら侮られる一因でもあった。

 長老竜ウルズは彼の言葉にも、わずかに表情を変えたのみである。


 『風の長ラ・ウィーズ』とも呼ばれるリュライオは竜族の中では最年長の一人だったが、その外観は他の竜たちと比べてずっと若い。加えての中性的な面差おもざしだ、こういう反応は此度こたびがはじめてではない。

 胸中に憤りを覚えつつ、リュライオは気を落ち着かせようとため息のように息をつく。それでもやはり、押し出した声は震えを帯びていた。


「ウルズ殿、わたしたちは懲罰を与えに来たのではありません。ただもう少しだけ心を広げて……村を開放的にして欲しいと、願っているだけです」


 長老はリュライオの言葉を一笑に付し、吐き捨てるように言った。


「人間と交わって我らの血統をけがせと、そう申されるのか、貴方は。彼ら魔力もながい命も持たぬ、我らに比べはるかに劣る、の者たちと。長たる者がそのような考えでは、竜族の未来はいずれ閉ざされるであろうよ」

「貴方に、何がわかると言うのですか!」


 思わず声を荒げたリュライオだったが、しかしそれ以上言葉をつなぐことはできなかった。怒りと悔しさが全身を満たし、鼓動があがって息をするのも苦しい。


「失礼致しました」


 投げつけるようにそう言い捨て、振り返りもせず早足でその場を立ち去る。長老がそれをどんな顔で見送ったかなど見なかった。見たくもなかった。





 おさまらない怒りをぶつける勢いで、外への扉を押し開く。

 途端、ゴンと鈍い音がした。


「あ」


 なぜそこに居たのか、恐る恐る引いた扉の向こうには、光色の友人が額を押さえて突っ立っていた。一気に怒りが冷めてリュライオは蒼ざめる。


「ごめん、なさい……ハル」

「……りゅう?」

「すみませんっ」


 ハルの笑顔に怯えつつ、リュライオは慌てて謝罪を重ねた。怒りゆえの前方不注意だ、竜族とて生身の生き物、痛いものは痛いのだ。


「別に、やり返しはしないが」


 額をさすりながら、ハルは楽しげに笑う。そうしてリュライオを見ていた双眸そうぼうが、すうと細くなった。


「どうした? おまえがそんなに怒っているのは珍しい……何かあったか?」

「……ええ、まあ」


 怒りが引いて、胸に残ったのは激しい悲しさだ。不甲斐なさに胸が痛み、リュライオはハルから視線を外して目を落とす。


「竜族の人間に対する差別意識が、これほどまでとは思っていませんでした。どの村にも頭の固い分からず屋がいるものですが、それがよりによって村長むらおさなんですから」


 一人で出向かずハルを伴えば良かった、という後悔もある。

 重ねた歳はリュライオの方が幾分か上だが、そもそもの成り立ちが特殊な二人にとって実年齢に意味はなく、ハルの在り方は始まりから庇護ひご者のそれだった。

 彼ならば、あの老獪ろうかい相手に気を乱されることもなかっただろう。

 ぽん、と頭に柔らかな重みが掛かる。まるで子供に対するかのように、ハルがリュライオの頭を撫でている。


「奴を言い負かそうとするな。主張は行動により裏打ちされてゆくものだ。もっと自信を持ちなさい、リュライオ」


 空いてる方の手を、ハルは二人の間に前にかざした。

 その動きにつられて顔を上げるリュライオの眼前に、青い魔法が紡がれてゆく。


「願いが、あるんだろう? ここはおまえの世界ほしなのだから」


 懐かしく胸を震わせる感情に、リュライオは息をのんで目を奪われていた。

 それは二人の故郷星ふるさとぼし、蒼く輝く惑星––––『地球Earth』の幻だった。





 同じ頃アスラは、はじめてハルたちと会ったのと同じ丘の上で独り悩んでいた。

 蒼天には今日も賑やかに小鳥たちが飛び交っていたが、おのれの悩みに没入しているアスラはそれにも気づいていなかった。

 天気は快晴。微温ぬるい風が青草を揺らし、陽光を照してキラキラと輝いていたが、少年の目はそれをとらえずどこか彼方へと向けられている。


 姉が人間だという事実は、今回の件と関わりなく以前からわかっていたことである。おそらく竜族よりずっと短い生だろうとも、おのずと覚悟していたことだった。

 それでもやはり、司竜しりゅう二人にはっきりと肯定されたショックは大きかった。


 姉さんはそのことを、知ってるんだろうか。

 知ってるとすれば、姉さんは悲しくないんだろうか。


 わだかまる疑問を当人にぶつけることなど、できるはずがない。だからといって独りで悩んで糸口が見出みいだせるとも思えない。

 ハルには、何かよくわからない質問ではぐらかされてしまった。

 他に相談できる相手もいない。

 結局独りで悩む以外、アスラは何も思いつかなかった。


「どうしよう」


 悩める少年の声は、風にさらわれ蒼く透きとおった空へと溶けてゆく。





 ティリーアは、彼女にしては珍しく村の中央広場まで出てきていた。

 何かの用事があったのではないが、浮き立つ気分と陽気に誘われつい足が向かっていたのだ。


 普段なら、ひとが多く集まる場所に自分から出向くようなことはしない。彼女にとってこの村は冷たく、怖いところだった。

 誰も彼もが彼女をいないものとして扱う。話しかけてくれる者はおらず、挨拶をしたところで声が返ってくることもない。

 悲しい、さみしいという心をさえ通り越し、ティリーアにとってそれは日常だった。彼女は村の者たちの様子をまったく気に留めていなかったので、物珍しい彼女の姿に村の者たちがざわめきたったことにも気づいてはいなかった。


 ぼんやりと歩いていた彼女はふと、広場の中央にしつらえてある噴水の前で足を止めた。見上げた顔にパラパラと細かい霧が降ってくる。

 まるで晴天からくだる霧の雨のようだと、少女は思った。


 ティリーアは、この噴水が嫌いだ。

 絶えることなく水を吐きだす噴水は、水の湧きでる泉を連想させる。それは彼女に自分の名前の意味を思い出させた。

 絶えず涙を湧きださせる、わざわいの泉という意味の名を。


 けれど、昨日、この名を綺麗だと褒めてくれたひとがいた。

 彼はそれだけでなく、たったの一夜で両親の心を変えてくれた。


 思い出すと胸の奥が熱くうずく。彼と会う直前にた夢。

 輝く太陽。天空の王。

 あのひとがそう言ってくれたから、この噴水だって好きになれるかもしれない。そうすれば、きっと自分の名前だって。


 意識を夢にゆだね、心の中に幻を描く。光色の青年、青い風、そして––––……


「ティリーア」


 唐突に名を呼ばれ、冷水を浴びたかのように意識が覚醒した。

 聞きなれた声に胸の奥深くをえぐられるように感じて、ティリーアは身体を震わせ視線を落とす。

 振り返らなくても分かっていた。そこには、自分の名付け親でもある村長むらおさ、長老竜のウルズが立っていた。


「はい……長老さま」


 かろうじて押し出した返事は、聞き取れないほど小さなもの。萎縮いしゅくした心にひきずられ、顔を上げることすらできない。

 彼がどれだけ自分をいとい憎んでいるかは、ティリーア自身もよく分かっていた。


「ここで何をしている」


 黙って震える少女を侮蔑ぶべつに満ちた眼差しで見やり、長老は返事も待たずに続ける。


「おまえの家には今、司竜殿が泊まっているな。おまえはあの方々に一体なにを吹き込んだのだ。人間風情が、竜族の長たる方々と対等に会話しようなど、身の程知らずにもいいところだな」


 反駁はんばくする余地も与えず––––あったとしてティリーアにできるはずもなかったが、一方的にウルズは言い募る。

 怯えてうつむく少女の姿にいくらか胸もすいたのだろう、吐き捨てるように言い加えた。


「分かったのであれば、家から出ようなどと思わないことだ。ここはおまえのような者が来る場所ではないのだから」


 涙があふれそうになるのをギリギリでこらえ、ティリーアは物分かり良くうなずいた。

 両親にこの長老を説得することができないのは、分かりきっている。であれば今もこの先もやはり、この村に彼女の居場所はないままなのだろう。


 その、時。

 誰かの手が肩に触れ、かばうように抱き込んだ。

 驚きと緊張に心臓が跳ね上がり、首から上が一気に熱くなる。見上げて確かめるまでもない、それは。


「長老殿、貴方は何か勘違いをされているようだ」

「光の司竜殿」


 堂々とした、だがあっするものではない声音。

 苦さを含んだ長老竜の声が応じる。


 彼は、どこからこの会話を聞いていたのだろう。もしかして自分を、捜しにきてくれたのだろうか。

 そんな、甘いような切ないような想いが少女の胸を満たしてゆく。


「ハルさま……?」


 確かめるように呼びかければ、彼は覗き込むよう視線を合わせて優しく笑った。


「君も、あんなに言われて黙って聞いているなんて良くないな」


 そうは言っても彼の所作しょさに、ティリーアを責める様子はない。

 ハルは腕に少女を抱き込んだまま、挑戦的な目で長老を見返し言い返す。


「私たちは彼女から聞いたのではありませんよ、長老殿。事情は彼女の弟であり時の司竜である、アスラ君から聞きました。ひどい差別を誘導なさっていたようですね」


 口調は丁寧だが反論を許すものでもない。

 外観はリュライオより幾分いくぶん歳上なだけの若者だが、ハルが与える印象は苛烈かれつさであり、さすがの長老もたじろぐほどだった。


「我々を、罰すると言うのですか」

「そうではない。私は貴方に、考えて欲しいだけだ。長老殿」


 ハルが言った。腕を解き、ティリーアを一歩前に立たせるように肩を押す。


「貴方や、同じように考えている大勢の竜族に。私は考えて欲しいと思っているのですよ」


 一呼吸を置き、ハルは少女の肩に両手を掛けて言葉を続けた。


「竜族が人間より優れた種族であると、?」


 世界の始まりより在ると伝えられる光の司竜は、そんな根源的な問いかけを村長むらおさに投げかけた。

 長老は目を見開く。それに答えられる者がいるとすれば、それは眼前の光の竜と、やはり始まりより存在した風の竜、でしかないのだと言う事実を突きつけられた、と理解したのだ。


「貴方の信じていることには、何の根拠もないのですよ」


 そう静かに宣告し、目を見開いたまま凍りつく長老には構わずに、ハルの瞳がティリーアを見る。


「行こうか。君が構わなければ、少し森の方を案内して欲しいんだが」


 素直にティリーアはうなずいた。喉の奥につっかえていた涙はとうに消えていたが、熱を帯びた動悸は落ち着く気配がなかった。

 胸の奥に熱いようなうずきがある。

 少女の中で、ハルの存在がどんどんと大きくなっていき、その想いを止めるすべは分からなかった。



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