第三章 明日につなぐ風

七.運命を導く者

 二人の司竜しりゅうが村に来てから、週がひと巡りしていた。


 はじめの予定では、アスラの家に一泊もしくは数日の滞在ののち長老の家に行くはずだった二人は、しかしなぜか予定を変えたようだった。

 人間ひとと変わらぬようでも人間ひとならざる竜族かれらに、旅の荷物というものはほとんど無かったが、そのわずかな手荷物をまとめる様子もない。


 不思議に思ったアスラが理由を尋ねても、リュライオは気まずそうに言葉を濁すだけだった。仕方なくハルに聞けば、彼と長老が喧嘩したらしいと言って笑う。

 長老竜に確かめてみようと姿を捜すも、避けられているのか遭遇できない。


 その中心に姉の事情が絡んでいる、とまでは思い至らないアスラだった。

 聡明ではあるが、精神こころはまだまだ幼い。それに今のアスラの頭の中は、ようやくつながり出した両親と姉の関係を取り持つことで一杯になっていたのである。



 滞在の間、ハルがティリーアの夢見の能力ちからについて聞きたがったので、アスラは自分が知りうる情報をできるだけ詳しく話した。ハルはそれを一つ一つ丁寧に書き留め、何かを調べているようだった。

 彼のすることだからと不信を感じることはなかったが、どういう意図があるのかやはりアスラには分からなかった。


 そうやって一週間はあっという間に飛び去り、二人との別れが近づいていた。

 しかし運命はその前に、もう一つの邂逅かいこうをこの姉弟に用意していたのである。





 気分が晴れない時でも、アスラが向かうのはいつもの丘だ。

 晴天に、今日は少し大きめな鳥が輪を描いている。それを見るともなしに眺めながら、二人が去ったあとのことをアスラは思い巡らせていた。


 穏やかな風が陽射しを含んでぬるく草葉を撫でてゆく。甘い眠気に誘われていた意識が、草を踏み分ける音をとらえてふいに覚醒した。

 足音、だ。

 身体を起こして見回せば、こちらに歩いてくる大柄な姿が一つ。


「……?」


 近づいてくる誰かに見覚えはなかった。

 見上げるほどに大きく、しなやかな体躯たいく。漆黒でまっすぐな髪を後ろで一つに括っている。つり気味で黒目がちな双眸と精悍せいかんな顔つきは、アスラが今まで見たことのないたぐいのものだった。

 つい目を奪われぼうっとしていると、間違いなく男性であるその誰かはアスラのそばまで近づいてきて、ごく自然に隣に腰を下ろしてしまった。


「あ、あの」


 驚きに若干じゃっかん身を引きつつも、アスラは思い切って声を掛けてみる。

 ちら、と傾けられた瞳と視線がかち合い、思わず少年は息をのんだ。


「よぉ」


 彼が笑う。つられるようになごめられた双眸は黒く、宝石のようだった。瞳がない、いや瞳だけしかない真黒くらやみに散りばめられた、銀光ほしの破片。

 夜空を切り出してはめ込んだような不思議な目が、アスラを見ている。


「え、えぇと……」


 見惚みとれたのか魅入られたのか。視線を外せず戸惑うアスラを、彼は面白がるように観察しているようだった。

 口角を引き上げ笑う様子は野性味のある、あるいは獣じみたと表現できそうな迫力を持っていたが、幼いアスラはまだ野獣と遭遇した経験がない。

 もし知識にあったなら、狼のようだと形容したことだろう。

 そのまま数十秒は見つめ合い、それから彼は愉快そうに笑い出した。


「ばぁか。おまえも竜族だろうに、同じ竜族がそんなに物珍しいものかよ」

「う、えと、ごめんなさい」


 気圧けおされ思わず謝れば、彼は笑みを引かせてアスラに向き直る。


「よろしくな、小さな時の竜。おれはシエラ、ハルの親友だ。おまえの名は?」

「アスラ、と言います」


 漆黒の竜、闇の竜……かな、と思いつつ、問われるまま素直に答える少年を、彼はその不思議な双眸を細めて眺める。


「へぇ、『猛きものアスラ』か。なかなかいいじゃねぇか。こごった時をぶち壊すのに、これ以上似合いの名もないな」


 意味深なことを言って彼が笑う。

 ティリーアと同じくアスラの名にも付された意味があるが、そんな物騒な捉え方をされたことは今まで一度もない。

 だが、彼の目に宿る強い決意は、いつかハルとリュライオに見出したと同じものであり、彼が二人と目的を同じくして動いているのだ分かった。

 それが年相応の好奇心をうずかせる。


「シエラさんて……何者ですか?」


 おそるおそる、しかし思い切りよく本人に尋ねてしまう物怖じのなさも、素直さの現れだ。そんな少年を好ましく感じたのか面白く思ったのか、シエラは楽しげにアスラの頭を撫で回して言った。


「おれのこの名は『幸運シエラ』の意味を持つ。おまえたちへと幸運を導く者、ひとの生き様を見守る者。……それが、おれの役割だ」


 そうして、彼は満足げに立ち上がる。


「じゃあな、また会おうぜアスラ。たぶん近いうちにこの村は変わる。良い方にか悪い方にか、それは村の者たち次第だが」

「変わる、って」

「安心しろ」


 不安が湧きたち表情をかげらせるアスラに、シエラは毅然きぜんと言い切った。


「運命はおまえたちの味方だよ」


 その言葉は不思議と、少年の心を波立たせた。

 ハルたちと出逢う前の夜に星を見上げて感じた予感と、それは同質のものであるように思える。




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