八.ハルの計画


「もうすぐ、帰らなくてはいけませんね」


 庭の木陰で読書をしていたハルの上に、そういう声とともに影が掛かる。


りゅう


 見上げれば、優顔やさがおの相方が逆光を背負って立っていた。その表情に憂いの色を見て取り、ハルは視線で隣をうながす。

 リュライオは素直に応じて腰を下ろすと、膝を抱えて視線を落とした。

 ここに来た日からずっと悩みを抱えているのであろう友の様子を眺めやり、ハルは本を閉じて少し姿勢を正す。

 責任感が強く心優しい彼の心配事に気づいていないわけではない。


「……村長むらおさの心が変化したとは思えません。わたしたちが帰ったらまた、村はもとの状況に戻ってしまうでしょう。このままでいいんですか、ハル」


 不安げに吐露とろする心境は予想の通りだ。ハルはつい、微笑みをこぼす。


「無論、このまま帰るつもりはないさ。それに事態はそこまで深刻じゃない。なにせここには、時の司竜がいるからね」


 それでも憂いの晴れないリュライオをしばらく見ていたハルだったが、ふいに悪戯いたずらっ子のような笑みを浮かべ言い加えた。


「まぁ、待っていなさい。もうじきアイツが来るはずだから」

「アイツ……?」


 顔を上げ、首を傾げてオウム返したリュライオの表情かおが、その意味を理解した途端に変わる。


「アイツってまさか、シエラですか? 反対です! 絶対に嫌です、彼に協力を頼むとか!」

「そんなに嫌わなくてもいいじゃないか。アイツだって一応俺の友人だぞ」


 ただし悪友、との蛇足はリュライオの耳には届かなかったようだ。勢いよく立ち上がり、眉を寄せてさらに言い募る。


「彼が貴方の友人だろうと、わたしとは無関係ですので! あんな暴れ狼ヴァーセト、二度と関わりたくないですから!」

「そうは言うが、この計画のためにはシエラの協力が必須……ってもういないか」


 リュライオは風の司竜しりゅうである。彼の心の一喜一憂は、彼が造りだしたこの世界においては殊更ことさら、風の流れに影響を及ぼす。

 たかぶった風竜の心情を反映うつし巻き立った風が、どうやら彼自身をどこかに転移させつれさってしまったらしい。

 それほどまでに会いたくない、という意志の表れなのか、どうなのか。


「……りゅうに何をしたんだ、おまえ」


 あおられ乱れた髪を手櫛てぐしで掻きあげつつハルが、ため息混じりの声を押し出せば、木陰から話題の当事者が姿を現した。


「別にィ。あー、おまえそんな可愛い顔なんだし女になればいいんじゃねぇ、って話はしたな」


 リュライオがごうするところの『暴れ狼ヴァーセト』シエラは、悪びれる様子もなく答えてにやりと笑った。

 その手の揶揄からかいをとりわけ嫌う、リュライオの気質を知っていての所業である。とはいえ悪質ではあるが、存外ぞんがい悪気があるわけでもない。


「おまえのことだ、それに輪をかけて怒らせたんだろう? シィ=シエラ」

「おまえこそ、女にかまけてあいつを放ってたんじゃねぇ? ロ=ハル」


 シィは竜語で『頭目』、ロは『王』という意味だ。何かの群れを率いている、というのではないが、好戦的で野心的な彼にハルが付けた渾名あだなのようなものである。

 属性も気質もまったく違う二人ではあるが、こうやって遠慮のないやりとりができるほど親しい仲であり、ハルの望む切り札をようする存在でもあった。


 互いに好き勝手言いながら、互いに顔を見合わせ一緒に吹き出す。

 シエラが笑いを噛み殺しながらハルの隣に腰を下ろした。

 リュライオがその場にいれば怒りで竜巻くらいは起きたかもしれないが、ハルにとってはどちらも気の置けない友に違いはない。


「そうそう、おれも会ったぜ、時の竜の坊やに。あの子の姉なんだな? その、夢見の能力ちからを持つチェンジリングのってのは」

「ああ。ティリーアという名の、美しい娘だよ」


 尊い宝物を抱くようなハルの言葉を、シエラは夜空よる色の瞳を細めて聞く。


「おまえが美しいってんなら、きっと魂レベルの綺麗さなんだろう。『涙の泉ティリーア』か……。長老がどんな意図でそう名づけたにしろ、竜語魔法文字ドラゴンルーンが呪いを内包するなんてことはありえねぇ」

「そうだよ。涙を湧き出させる泉は、それによって渇きを癒すのだから」


 ハルは目を閉じて、誰かに言い聞かせるかのようにささやく。

 無感覚な心が涙を生じることはない。一部の竜族がそうなりつつあると、ハルは思っていた。

 深い感情にともなう涙、それがれてしまったら、あとに残るのは乾ききった心だ。痛みを感じぬそんな心に何の価値があるだろう、と。


「竜族は、変化の必要がある」

「違うな、ハル」


 鋭さを含んだ友の言に、ハルは目を開けシエラを見返す。

 彼はにいと笑って言い加えた。


「おまえが決めるんじゃない。一人一人が、自分で考え決めるんだろ?」


 悪友の思わぬ指摘に思わずハルは苦笑する。

 始まりの時それぞれに与えられた真逆の気質は、各々おのおのの思考にも大きな影響を及ぼすものらしい。


「そうだな。でもやはり、機会を開くのは俺だろう」


 当然だ、とそれにはシエラも同意を示す。


村長むらおさに会合を開いてもらおうか。そこで俺は人間という種族に対し、竜族全体から贈り物をすることを提案しようと思う」


 リュライオの願いを汲み、シエラの協力を得て、ハルが計画したことだった。これに時の司竜の合意を加えて実現する、永遠の贈り物。

 長く願い続けてきたリュライオの理想に、ひとつの答えを与えるものでもある。


 真剣な表情で明日のことを思い巡らすハルを眺めつつ、シエラは黙って含み笑う。

 その場でハルが申し出るつもりでいることがもう一つあると、彼は知っているからだった。

 




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