九.夢見竜と星の奇跡
次の日
いっそ気づかないことにしたかったのに、当の本人がわざわざ近づいてくる。
「朝から怖い顔してんなよ、リュライオ。可愛い顔が台無しだぜ」
「……用がないのなら、話し掛けないでください」
でなければこの心の
その圧に彼の本気を感じたシエラは素直に引き退がることにした。これほど感情的なリュライオは珍しく、こういう時にしつこく絡んではいけない。
向こうでハルが手招きしているのに気づき、シエラは応じてそちらに向かう。
この場には、長老をはじめとした村の主だった者たちと、ハルとリュライオ、そしてティリーアとその家族が集まっている。
ハルがシエラを、村の者たちに紹介した。
「彼は運命を見守る役目を持つ、銀河の竜シエラです。この度の訪問で我々は『時の司竜』と
そこで言葉を切り、ハルはティリーアを見る。優しげな目に促され、少女は立ち上がって彼のそばに来る。
ハルは彼女の肩に手を掛け、再び双眸を村の者たちに向けた。
「彼女の持つ夢見透視の
聞く者たちにざわめきが起きる。人間に『
「もう一つは、先の計画についてです。我々は人間という種族に、ひとつの奇跡を贈りたいと考えました。竜族から人族へ親愛のしるしとして、魂に宿す星の魔力を」
水を打ったように一瞬だけ、沈黙が張り詰める。
ハルの言葉がじわりと浸透し、村の者たちが再びざわめき立った。
星の魔力は、この世で最も強大な力。それは願いを叶える『
これが実現した場合に何が起きるのか、を、立ち会う者たちの誰一人として想像することができずにいた。
不安げにティリーアがハルを見あげるが、彼は確信めいた笑みを
「どうか知ってほしい。人間は決して取るに足りない存在などではありません。
「……はい」
話の先を託され、リュライオはうなずき立ち上がる。
たとえ雄弁ではないとしても、ここからは彼が自身の言葉で伝えねばならないのだ、と。ハルは言いたいに違いなかった。
「すべてのひとが互いを尊重し、それぞれの時の中を精一杯に生きること。皆が手を携えあい、未来を造ってゆくこと。わたしはそれを願い、この
震えそうになる声を抑え、リュライオは意を決する。
「ここから出て、元いた世界へ帰りなさい。ここはわたしの
竜族の者たちはもう、何も言わなかった。ハルがうなずき、場を引き取る。
「皆さん、全部を一度に変えるのは難しいことでしょう。それでも、これは提案ではなく決定である、と覚えていただきたい」
「そして銀河にありし星々は、この決定を支持し、承認する」
シエラが、朗々と宣言した。沈黙がそれに答える。不安そうに見あげる『夢見竜』の少女を、ハルは優しく抱きしめた。
彼らから感じる思いは反意ではない。困惑、戸惑い。竜族たちが長い時間を掛けて向き合わねばならない命題を、ハルは今ここに提起したのだ。
どちらにしても事の正否は、
「私たちの話は以上となります。お付き合いいただき、感謝いたします」
閉会を告げるハルの言葉に、凍りついていた空気が動き出す。
一人、また一人と家へ戻り、最後に残ったのは長老竜のウルズだった。彼は苦々しくティリーアを見、そしてハルを見、吐き捨てた。
「儂は反対だ。竜族と人間に、同等の価値があるなど、愚かな……」
「ウルズ殿」
最後までは言わせず、ハルは声を挟む。
「貴方にも礼を言わねば。彼女に素晴らしい名前をありがとう。貴方の意図がどうであれ、涙は悲しみを浄化するのですよ」
その瞬間、呪いが祝福へと変容したことを長老は知る。一言も言い返すことができぬまま、彼は足を早めてその場を立ち去った。
あとに残るはティリーアとその両親、アスラ、リュライオとシエラ、そしてハルの七人のみ。
「だから君はもう、何も傷つかなくていいんだ」
ハルが言う。
「そして俺は、君に一緒に来て欲しい。ティリーア、俺の妻になってくれないか」
それは少女にとっては唐突すぎる、告白だった。
目を見開き凍りつくのはティリーア本人だけでなく、アスラも、両親二人も、リュライオまでもである。シエラだけはそれを面白がるように眺めていた。
「……わたしが、ハルさまと?」
「
一番はじめに我を取り戻したのはティリーアだった。娘の声が気付けになったのか、次いで父親が慌てたように問いをかぶせる。
「だってこの子は、人間なのですよ?」
その言葉にもう差別的な意味はない。ハルの本気を疑っているのでもない。
「この子は貴方様よりずっと早くに、命を終えるでしょう。それでもいいと思われるのですか?」
「俺は構わない。彼女の最期の時まで、共に過ごしたいと思っているよ。もちろん返事を今ここで欲しいとは言わないさ。彼女の答えが出るまで、待つつもりだ」
強くはっきり言い切られてしまい、父は言葉を飲み込んだ。母がおずおずとティリーアを抱きしめる。
「あなたが決めていいのよ、ティリーア。わたしは、あなたをちゃんと守れなかったけれど、それでもあなたに幸せになって欲しいの」
その
ティリーアは母親の腕の中、小さくうなずいた。
母の腕から解かれ、少女は濡れた瞳で光色の青年を見上げる。何かを確かめるような沈黙をしばし挟んだのち、ハルがもう一度ティリーアに言った。
「ティリーア。俺と一緒に、生きてくれないか」
「…………はい」
震える声で小さく、しかしきっぱりと、少女は応じる。
ハルは本当に嬉しそうにティリーアを抱きしめた。それを見て泣き出してしまった母を父が支えるように立ち、シエラは
そんな中アスラだけが、納得していない
「どうした、坊や。姉が嫁いでいくのが寂しいのか」
斜め射しの夕日が丘の斜面を夕暮れ色に染めてゆく。
複雑な表情で座り込んでいたアスラを見つけたのは、シエラだ。夕刻間近の風が潮の香りを運び、彼の長い髪を揺らしている。
日中ならば陽に透けて藍にも見える漆黒の髪が、今は紅い光に彩られていた。
「シエラさん。ここをもう少し登ると、丘のてっぺんに大きな
脈絡のない返しに眉を寄せつつ、シエラは少年の隣に腰を下ろした。アスラの言わんとしていることが
「小さなころは、そこから飛び降りたら海に届く気がしてた。時を重ねた老木はそれくらい、ぼくにとって大きくて……時の竜だろうと、絶対に追いつくことはできないって思ってた」
前を向いたまま淡々と語るアスラの横顔は、無邪気な子供のそれではない。シエラはあえて口を挟むことはせず、じっと続きを待つ。
少年が何を言いたいのか、何となく分かってきていた。
「シエラさん。姉さんとハルさんは、うまくやっていけるのかな? 気が遠くなるくらいに違う、今まで重ねた時の違いと、続く未来の無限さの違いと。ぼくだったら、やっぱり辛いよ。先に死なれるのも先に死ぬのも」
素直な少年はその素直さで、目をそらさず知ろうとしている。
そこにアスラの姉へ向ける深い愛情を感じ、シエラは息を詰めた。中途半端にはぐらかしてはいけない、と感じさせる
「おれには解らない。それは個々による……っつーか、経験しないと解らないことだからさ」
「でも、やっぱりダメでしたってなっても、遅いよ」
アスラの目がようやくシエラを見た。若葉色の目に光が揺れる。
「ぼくは姉さんに、
心を揺さぶる一言だった。シエラは思わずアスラから目をそらすと、明後日の方向を見てつぶやく。
「ところで『時の司竜』って時を操れるんじゃなかったか? 時間を止めたり遡ったり、応用編で『永遠の命』を与えたり、とか? あー、でもこれはやっちゃいけないんだったか」
アスラが食い入るように見つめてくるが、あくまでも独り言を装いながらシエラは言葉を続ける。
「でもまぁ、時を操るなんて時の司竜以外できるはずねーんだし、やっちまった者勝ち、ってか?」
独り言だけどよ、と
「ありがと! シエラさん!」
「あー、おれは何も知らねえな」
わざとらしく無関係を決め込むシエラに構わず、アスラは丘を駆け下りていったようだ。あるいは転移魔法で帰ったのかもしれないが。
少年の気配が遠ざかっていったあとで、シエラは片手で顔を覆い深く深くため息をついた。
「おれって、甘いよなぁ」
自己嫌悪に陥る
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