十.永遠を誓う詞


 ささやかな宴が開かれたのは、その数日後である。

 あの会合のあと、幾人かの住民と長老が村を出て行った。指導的な立場にあった者が突然にいなくなっては困るだろうと、ハルは村に留まることを申し出たが、他でもないティリーアの父がハルに言ったのだ。


「私たちが、この村を支えていきます。貴方は私たちを、何より娘を解放してくださった。そのご恩に報いるためにも、今度は私たちが貴方に教えていただいたことを伝えていきます」


 彼の目は固い決意を宿して輝いていた。それを見てハルは、彼らに村の未来を任せることに決めたのだった。

 少しずつでも、竜族たちは変わっていくに違いない。それを確信したハルの心の中には、早くも別の計画が形を取り始めていた。

 それは未来に向けて新しい風を吹かせるだろう。





 きらめく木漏れ日が、森の中、拓けた場所に立つ二人を彩っている。普段と変わらぬ服装のハルと、頭に花冠を飾っただけのティリーアは、新緑の中それでも十分美しかった。

 リュライオにシエラ、そして、どうしてもついていくと譲らなかったアスラの三人が、それを見守っている。

 柔らかな風が草葉を揺らし、二人を優しくなでてゆく。

 はにかむようにうつむくティリーアの頬にハルの長い指が優しく触れて、彼女を上向かせる。


「指輪は用意できなかったけれど、俺は君に永遠の愛をあげよう」


 ささやいて、ハルは彼女にそっとくちづけた。リュライオが遠慮がちに手を叩き、シエラはからかうように口笛を吹く。

 ティリーアは頬を染め、恥ずかしそうにうなずいた。


「わたしも、……ずっと一緒に、生きてる限り一緒にいます」


 ハルは優しく彼女を抱きしめる。形式めいた儀式などなく、これが二人の結婚の誓いとなる。

 その時になってシエラは、木陰にもう一人の傍観者がいることに気がついた。

 いつからそこに立っていたのか、彼はシエラもハルもリュライオも、よく知っている者だった。


「……クォーム?」


 シエラの視線に気づいたハルが視線を傾け、声をかける。

 促されるように木陰から出てきたのは、地につくほどの銀髪とあでやかな美貌、少年とも少女ともつかない姿のひとだった。


「どーしてだよっ」


 その容姿に不似合いすぎる雑な口調で、は出てくるなりハルに突っかかった。


「どうして、ハルの結婚式なのに……誰も来てないんだよっ」


 鮮やかな青の双眸に怒りをともし、細い眉を寄せて、不満もあらわにハルを睨みつけている。ひねくれ気味の言い方に苦笑しつつ、ハルは答えた。


「俺が呼ばなかっただけだ。おまえこそどうやって嗅ぎつけたんだ? 俺は教えた覚えがないぞ」

「ふふん、オレの情報網ナメるなよなー」


 得意げに言うと、銀髪の少年はふわりと宙に浮かび上がった。そしてハルを見下ろすような位置どりで腰に手を当て、子供みたいに笑う。


「しょうがねーな。いつもイジメられてしゃくだけどさ、オレってば寛大だから。祝福してやるよ、オレが」

「頼んでない」


 驚いて目をみはったまま動きを止めている新妻を腕に抱き、ハルは苦笑いで応じたが、当人は聞いている様子がない。浮かれすぎだろう、とため息をつく。


「クォーム、かき回すのはやめてくださいね。ティリーアさんがびっくりしてるじゃないですか」

「わーってるって。りゅう、引っ張るなよっ」


 今日ばかりはシエラと停戦協定のリュライオが、やんわりたしなめ彼を宙空から引きおろした。わりと素直に地面に降りたクォームはそのまま、リュライオの隣に陣取るつもりのようだ。

 初対面の衝撃に固まっているティリーアとアスラに、ハルが優しく説明する。


「驚かせて悪かったね。こいつは俺にとっては弟みたいなものというか何というか……、一応はりゅうと同じ昔馴染みで、これでも竜族の中では最年長の司竜しりゅう、世界の創始を見たという銀竜だよ」

「いちおとかこれでもとか、失礼だなぁ」


 彼こそが、精神や記憶という形なきものをつかさどるドラゴンであり、ハルやリュライオよりも年上である影の司竜だ。

 しかしその実態がこのような少年で、加えて口も態度も粗野そやなのだということを知る者はあまり多くない。


「ま、おまえ威光も威厳もねぇし」

「は? なんだとシエラっ!」


 ぼそりと肯定したシエラの言を聞きとがめ、クォームが即座につかみ掛かる。身軽に避けたはずが長い後ろ髪をつかまれて、手を出しながら口喧嘩しているさまはまるで子供同士のようだ。

 ハルはティリーアを促しながら少し距離を取り、困ったように笑いかけた。


「うるさい奴ですまないね。でも、楽しいだろう?」


 少女がはにかみながらも笑顔を返すのを見て、アスラの中の決意が形をとる。

 耐えられない、と思ってしまった。

 この幸せそうな姉の姿がほんの数十年しか続かないなんて、どうしても嫌だ、と。


「姉さん」

「どうしたの? アスラ」


 思いつめたような声の弟に、姉は不思議そうに心配そうに首を傾げた。アスラは姉をまっすぐ見たまま、合わせた両の手を差し出す。


「姉さんへ、ぼくからの贈り物」


 ティリーアは一瞬驚いたような表情かおをし、そのあと嬉しそうに微笑んだ。

 応じるように差し出された華奢きゃしゃなてのひらに、アスラはふわりとそれを解放する。


「……え?」


 彼女の手に弾ける、星のような幾つもの光。それが、あとに銀砂のような余韻を残して消えてゆく。

 ハルが目をみはり、クォームとリュライオは驚いた顔で振り返った。目立った反応を示さなかったのはシエラだけだ。


「『永遠スパイアー』?」

「これはぼくから、姉さんへの贈り物です」


 クォームの呟きに被せるように、アスラが言った。


「姉さん、どうか、永遠に生きて、永遠に幸せになって。ハルさん、姉さんを幸せにしてください。ぼくは、姉さんにをあげる」


 ティリーアの目がまん丸に見開かれる。瞳に涙があふれ、声にならないささやきを返して、彼女は両手を胸に押し当てた。ありがとう、とその唇が形を紡ぐ。


「アスラ……」


 ハルがアスラの前に身を屈め、視線を合わせる。何か言いたげにしばし見合ったのち、彼はその大きな手を少年の頭に置いた。


「ありがとう、約束する」

「おい、ハルいいのかよ……うぁっ」


 焦ったように何かを言い募ろうとしたクォームをシエラが、抱え込んで黙らせる。

 バタバタと暴れて何とか抜け出した銀竜は、シエラの目からすべてを察しそれ以上は何も言わなかった。

 暴れ狼ヴァーセトに喧嘩を売るなど考えただけでも恐ろしいことである。

 ハルはそんなクォームを見て、くすりと笑う。そして立ち上がり、いまだ立ち尽くすティリーアの手を取り、すっと引いた。


「踊ろう、ティリーア。音楽も何もないが構わない、樹々の葉擦はずれと風の渡る音で十分だ。さあ!」

「でも、わたし、ダンスなんて」


 彼女が恥ずかしそうに言いよどむのはみなまで聞かず、ハルはその手を取って数歩後ずさる。そして、危なっかしい足取りのティリーアをエスコートしながら、ゆっくりとステップを踏み始めた。

 宮廷で踊る洗練されたワルツなどではない、いかにもハルらしい、風のように自由なリズム。そよぐ風と草葉のざわめきに合わせて、少女のスカートの裾がくるりくるりと軌跡を描き、ひるがえる。

 はじめは緊張に強ばっていたティリーアの表情が、少しずつ変わってゆく。頰が上気し、でもとても楽しそうに、嬉しそうに。

 そしてそれを見守る、友と家族。


 息をするのも忘れていたアスラはふと、視線を感じて樹々の間に目をやった。

 そして、少年の顔が驚いたように、次いで喜色を映して輝く。

 いつの間に増えたのだろうか。森に住む獣や鳥が、楽しげに輪を描く二人を見守るように集まってきていた。


「大丈夫。姉さんとハルさんを祝福してるのは、ぼくたちだけじゃない」


 涙声で呟いたアスラをリュライオが、シエラが、クォームが見た。そうして彼らもまた、辺りを取り巻くたくさんの生命いきものに気がついた。

 シエラがにいと笑ってうなずく。リュライオは黙って目を伏せる。クォームが泣き出しそうな表情かおで、鮮やかに笑った。


「当たり前じゃん、ハルなんだからさっ」


 その声に二人が振り返り、ハルは不思議そうに首を傾げる。


「俺がどうしたって?」

「何度も言わせんじゃねぇ、この幸せモノ。見ろよ」


 クォームが何かを返すより早く、シエラが彼を押し退けて言い放った。その差し伸べられた手の先に見た光景に、さすがのハルも驚いて言葉を失う。

 運命を導く銀河の竜は、その手を掲げゆっくりと、歌うように祝辞を語る。


「銀河にある、数えきれない幾千、幾万、幾億の星たち。そのすべてがおまえたちの味方だ。何があっても、どんな時でも、おれとここにいるおまえたちの仲間が、宇宙そらを埋める満天の星々が。鳥も獣も樹も花も、皆、おまえたちを祝福するだろう」


 それはひとつの魔法。心を熱くする。

 胸を突きあげる涙がハルの目からあふれた。


「ありがとう、皆。これほど嬉しいことはない。ありがとう」

「いいから続けろよ。奴らをがっかりさせるんじゃねぇ」


 笑うように言って、らしくもなく片目をつむってみせる悪友に、ハルは黙って笑みをこぼした。

 もう一度ティリーアの手を取れば、今度は彼女がハルを見上げてふわりと笑う。


「踊りましょう? ハルさま」

「……ああ」


 二人が再び、軽やかに踊りだす。今度は、風と葉擦れと小鳥のさえずりを音楽にして。

 いつまでも、いつまでも、風と樹々と小鳥の歌が続く限り——。





 この時代より、人族の魂には奇跡の片鱗が宿る。その魔法の力は、人が命を終えるときに天空へと昇り、幻の星をひとつ灯す。

 ゆえに天空の星々はその多くが奇跡の残滓ざんし

 はるか後代に、夜闇を導く星辰せいしんが願いを叶えると語り継がれる、これがいわれである。

 人に奇跡を贈りしの竜——『癒し手』たる名を持つ王は、人族とともに住み、彼らをまもりてひとつの国を建てる。

 彼の治める国は幾百年の長きに渡り、平和と繁栄を享受きょうじゅする。

 その国の名を『太陽の恵みライラ・ディア』という。






 ——…‥・ 第一部 完







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