〈外伝一〉Shine in the Hands of You
――どうして、冷たくなるのだろう。
眩しすぎる
時間に取り残されたような感傷を覚える、遅い朝。
ずっと、まだ暗い時間からずっと見ていたのに、何も出来なかった。
悲しさと、罪悪感に、あふれる涙がとまらない。
冷たくなった茶色の塊。
それを地表に産み落とした母鹿が、ひたすらそれを舐め続けている。
――少しの傷なら、癒してやれるのに。
衣の袖で涙を拭いながら、リュライオは心の中でつぶやく。
――失われた命を戻してあげることなんて出来やしない。
母鹿の必死の努力にも関わらず、生まれてきた子鹿にはすでに息がなかった。
死んで生まれてくるのならなぜ、生まれてきたのだろう。
これまで何度も繰り返してきた問いが
なぜ、死んでしまうのだろう。
こんなに深い悲しみをあとに残して。
その時、ふいにひとの気配を感じて、リュライオは身を硬くした。
よく見知ったもうひとりの『
そして今度こそ完全に硬直してしまった。
天空の
自分より、さらには
「――誰ですか」
驚きに、思わず
しかし青年は、気を悪くした様子はなかった。ただ、瞳を巡らし、リュライオの腕の中のものを見る。
「死んだのかい?」
発せられた声はやや低めの、温もりを含んだ響きで、それが鼓膜を震わせた途端なぜか、リュライオの目からとまったはずの涙がまたあふれ出した。
「……はい。生まれた、時から……もう」
切れ切れと答える声にしゃくりあげる音が混じる。
まるで初対面の誰と分からぬ相手なのに、彼の瞳を見ているとどうしてか涙が次から次とあふれ出して、リュライオは子供みたいに泣き続けた。
ややあって彼が、膝を折って身を屈め、冷たい子鹿の
宝玉の瞳が一度、瞬く。
「もしも自分に力があれば、迷わず生かしてあげるのに。そう、思っているね?」
「……はい」
視線を傾け彼が言った言葉に、リュライオは内心どきりとする。
消え入りそうな声で答えつつも、なぜ解ったのかとは恐くて
「それでいいと、本当に思っているのかい?」
口調はあくまで穏やかなのに、なぜか厳しく問い質されている気がして、リュライオは答えられず息を詰めた。
解らない、解らないけど。
もし可能なのならそうやって救ってあげるのは良いことではないでしょうか。
当惑するリュライオに彼は、笑みの形に口の端をつり上げ言った。
「たとえ今この子を蘇生させても、いずれは病気や、事故で死んでしまうかもしれない。その運命を逃れても、老いて死んでゆくという時の法則は誰にも変えられない。それを踏まえた上でも君は……同じ問いに、同じ答えを返すかい?」
険しさすら含んだ強い瞳にさらされて、リュライオは言葉を失う。
「君の願いは、この子鹿のためを思ってのことじゃあないと、自分の
その糾弾の言葉が持つ厳しさに、返しうる答えを見いだすことができなかった。
あふれる涙を拭うこともせず、リュライオはただ顔を上げて彼を見る。
彼の言葉は正論だったから、
だから彼は、なにも答えられなかった。
冷たい沈黙が二人の間を支配する。
数刻ののち、リュライオが言った。
「それでも、わたしは」
「解った」
その一言だけで、彼はリュライオの言いたいことを察したようだった。
まったく
太陽にも似た微熱を含む、きんいろの光だった。それが彼の手に、宿っていた。
触れられた子鹿の小さな身体も、目映い光に包まれる。
それは、まぎれもなく奇跡の顕現だった。
正真正銘、今度こそ、自らの四つ足で大地を踏みしめ立ち上がった子鹿を見た途端、感動が押し寄せてきてリュライオは思わず賞賛の拍手を送っていた。
母鹿がいとおしげに濡れた鼻面を我が子の温かな身体に押しつけるのを、涙ぐんで見つめる。
この優しい母親から、ちいさな我が子が奪われずにすんで、本当に良かった。
先のことなど何も解らないけれど。
今この瞬間の、この母子の小さな幸せが破られずにすんで良かったと、リュライオは本心から思う。
そこではたと思い至り、恐る恐る傍らの彼を見れば。
思いもかけず彼は屈託ない笑みを満面に映し、その様子を眺めていた。
予想外のことに驚いて目を丸くするリュライオに気がつき、彼は切れ長の瞳をすうと和ませる。
「蘇生・復活の魔法は決して軽々しく扱うべきものではない。その覚悟を、確かめたかったのさ。それに」
口元を笑みの形につり上げて、彼は瞳を伏せた。
「感情なんて、理屈で割り切れるようなものじゃないしね」
彼の名を、その出来事ののち。リュライオは知ることになる。
ティリアル=ロ=ハル、すなわち『癒し手』たる意味を名に付された、光の
彼が奇跡とも呼べるこの魔法を操れることは、多くのひとには知られなかった。
なぜなら、彼がこれを施行したのは数えても五本の指で足りるほどだったから。
そしてリュライオ自身も、同じ魔法を再び目にすることは、なかったから。
この時はまだリュライオは、自身ともうひとりの友人にとって彼がどれほど大きな存在となるかを知らなかった。
けれどそれでも、予感は――確かにこの時から感じていた。
だから、思わずこんなことを言ったのかもしれない。
「貴方にぜひ、わたしの友人に会っていただきたいです」
「世界の創始を見たという、銀竜だね? どんなひとだい?」
好奇心で瞳を輝かせるハルに対し、どんな形容で彼を説明するのが最もふさわしいだろう。言葉を探そうと彼の普段を思い返せば、思わず笑みが口もとに上る。
「彼は『
ハルが目を丸くする。そして口の端をつり上げて、笑った。
「興味深い描写だね、それは」
リュライオの説明が、ハルのクォームに対する第一印象にどう影響を与えたかは定かではない。
ただひとつ、確実に言えることはある。
リュライオの予感は、どうやら的中したようだ。
fin.
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