〈外伝五〉Little 『FIRE』 In Your Heart


『其は則ち、力に拠らず。ただ祈りに近き敬虔な恐れを以て、臆せず心を強くせよ』



 理屈では解ってるという言葉はよく耳にするけれど。


「リクツすらも分かんないよ!」


 幼い火竜の何度目かになる悲鳴に、眉間を押さえリュライオは深く息をついた。

 竜族――特に司竜がその強大な魔法力を制御するためには、力の使い方を教えられる必要はほとんどない。鳥が本能的に翼をはためかせ、時をって海を渡るのと同じく、竜族も成長とともに自然と魔力を操ることができるようになる。


 しかし、すべての例がそうではないことをリュライオははじめて知った。

 特にそれは、まれに取替えっ子チェンジリングと呼ばれる、人間同士の親から竜族が産まれるという現象が生じるときに問題となるらしい。

 狼に育てられた少女が人語を解することができないのと同じく。

 たとえば獣であっても、生まれてすぐに親を失い人の手によって育てられると、我が子の育てかたが解らなくなるのだと言う。同じように竜族も、親が魔力を操るのを見て育つことが必要なのかもしれない。


「理屈じゃあないんですけどね」


 実際リュライオも、魔法に関しては理論とか構成とかを理解して使うわけではない。だから、理屈で説明することは彼にもできないのだった。

 『はじまり』の時『世界の大いなる意志』から与えられた言葉はひとつだけ。しかしあまりに漠然としていて、今のファイアにどれほど役に立つと言うのだろう?





 ぽすとてのひらの上でくすぶる炎のカケラを、ファイアは恨めしげに睨みつけた。

 昨日はクォームという銀の髪のお客さんが来て、顔中煤だらけの自分に腹を抱えてしかも空中を笑い転げて帰って行った。

 リュウが一生懸命説明しているのは分かるのだけど、いかんせん難しくて、いくらやっても巧くできなくて、現在、投げだしたいの境地に差しかかっている。


「どうして、うまくできないのかなあ」


 てのひらに炎のカタマリを出現させる、ただそれだけのこと。

 竜族であれば、赤ん坊だってできるとクォームは言った。


「母様……」


 ニンゲンには、要らないチカラ。

 人間と一緒に住むなら必要にはならなかった――むしろ忌まれた力。


『でもファイア、わたしたちには、その力が必要なんです。わたしたちと、人間たちのために』


 自分に手を伸べてくれたあおい風は、けれどそう言った。

 だって、人間に忌まれた力を、なぜ人間が必要とするのか分からない。この力のために、僕と母様は逃げだしてそして追われて……、


 ――……どうして、逝っちゃったの?

 途端、突きあげてきたせつなさに涙があふれた。





 大きな手が、頬に触れている。涙で濡れたあとが乾いてカピカピの肌に、ざらりと触れる乾いたてのひら。

 細くて滑らかで冷たいリュウの手とは、違う感触の。


 はっと意識が覚醒してファイアは飛び起きた。泣いているうちにいつの間にか寝入ってしまったらしい。そうしたら、肩に掛けてあったらしい大人ものの上着がへたりと折れて地面に落ちた。

 ファイアの視線が釘づけになる。

 寝ていた自分の傍らに、いつの間にか座っているおとなの男のひと。

 硬い感じの金の髪を頭の後ろで縛っている。膝に手をかけ首を傾けて、彼は自分を覗きこむように見ていた。

 ちかり、と、天頂近くの太陽から陽光が閃く。


「おはよう、ファイア」


 彼が、言った。強いのに怖くない、心地よい響きの低い声。

 自分の名を知っている不思議よりも彼がここにいる不思議のほうが大きい気がして、ファイアは首を傾げる。すると彼は破顔して、言った。


「俺はライトっていうんだ。光の司竜で、りゅうの自称親友なんだけど、あいつはなんて言うかな。……それはともかく、今日はおまえに挨拶に来た。よろしく」


 差しだされた手をファイアはきょとんと取る。それはさっきのと同じ感触だった。リュウよりも大きくて、骨張っていて、乾いている。


「僕はファイア」


 どんな自己紹介をすべきか分からずそれだけを言ったのだけれど、ライトはにこりと笑った。人なつっこい、惹きつけられる笑顔だ。


「ま、りゅうからちょっとは事情も聞いたけど……おまえ、今泣いてたろ?」


 その表情を崩さずにライトが言った。ファイアが身体を強ばらせたのを見てとって、その笑顔はみるみる柔らかな笑みにとって替わる。


「この俺様が教えてしんぜようじゃないか。なあに怖がることはねえって。おまえは炎の司竜、それは、動かしようのない真実なんだから」


 そう言ってライトは、びくつくファイアの前に自分の右手を差しだした。そこに、集積されてゆく光の粒子――それが剣の形を取る。


「……要するに、誰のために使うかということ」


 ライトは言って、ファイアをまっすぐ見る。瞳に宿る光は不敵に、強い。

 母も、リュウも、こういう強さは持っていなかった。


「ファイアもやってみな。俺はこの剣で、まもりたい者がいる。おまえはどうよ? 大好きなひとなら、いるだろ?」


 ライトの言葉に、ファイアは目を閉じ、てのひらを差しだす。心の中でイメージを描いてみる。守りたい、大好きな――人を。


 ――母様……?


 途端、またもやぽすっと音がして、発火しかけていたてのひらに細かいすすだけ残して魔力が霧散した。ファイアが涙ぐむ。


「だってっ……僕の母様はもういないよぅ! もうっ、守れない!」


 ライトの視線を感じつつも、ファイアは顔をあげることができなかった。涙がポロポロ零れて地面に染みを作ってゆく。


 ——僕が、まもってあげなきゃいけなかったのに……!


 ぽんと頭に手を置かれてファイアは驚いた。

 ライトが、姿勢を屈めて至近から自分を覗きこんでいた。


「おまえは、十分守ったんじゃねえ? 命を守ることより、心を守るほうが難しいんだ。おまえの存在は『母様』の心を温め続けてきたんじゃないのか?」

「え……?」


 意表をつかれてファイアの涙が止まる。思わずあげた瞳に、双眼を細くし見つめるライトが映る。


「もう、いいだろ? おまえをいとうたニンゲンのためじゃなく、おまえを愛したひとのために、できるはずだ。さあ」


 促されて、ファイアはてのひらを差しだした――いま一度。


「思い描くがいい。おまえの大好きなひとに、おまえはいつもどうあって欲しいのかを。おまえの小さな炎は、心を温めるものなのだから」


 言われるままにファイアは目を閉じる。心に広がる温かな思い出。そのすべてがおのれの魔力の源であると、その時はまだ知らなくても。


 母様。あなたが優しく笑っていてくれて、とても深く愛してくれたから、だから僕は今ここにあるんだね。

 そして僕を救いだしてくれた、その細い腕にしっかり抱きあげてくれたあおい風。リュウ。リュライオ。

 みんな、みんな大好きだ。みんな笑っていて。幸せでいて。

 いつだって、いつだって……。


 ぽうんと、体からなにかが抜ける感覚があった。思わずファイアは目を開き、そしてそのまま目をみはった。


「ライト! ライトできたよっ! 僕の、炎だ……」

「おー、キレイな炎じゃねえの」


 ほんの少しだけ湿った声で彼は言い、嬉しそうに笑いながらファイアの頭をくしゃくしゃと撫でた。

 嬉しさと感動を共有して一緒に涙ぐんでくれる、それが彼の優しさなのだと、ファイアは思った。





「ファイア! 成功したんですね!?」


 自分のことのように喜んでくれるのはリュライオも同じだ。えへへと得意気に笑うファイアに、彼は視線をあげてライトに笑いかける。


「あなたが教えてくれたんですね? ありがとう」

「教えたってほどでもないさ」


 そう言うライトも、なんだかちょっと得意気だ。

 リュライオは膝立ちになってファイアと視線を合わせると、笑みを含んだ声で、秘密ごとを打ち明けるように声を潜め囁いた。


「成功のご褒美に、いいことを教えてあげましょう。実は、竜族の言葉でも人間の言葉でも『炎』はファイア――あなたと同じ名前なんですよ」

「ふぁいあ、って?」


 目を見開いたファイアの顔が、みるみる満面の笑顔になる。

 だって、これほど嬉しいことがあるだろうか。お揃いの、名前だなんて。



 この時代より、人を温める炎はすなわち――Fireとなる。






 END.

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