終.銀竜に託す物語


 砂混じりの熱風が肌を撫でて吹き抜ける。巌窟がんくつの入り口に立ってかなたを見ていたハルは、陽炎かげろうの向こうから駆けてくる複数の人影を見て表情を緩めた。


「お頭っ、ただいまー!」


 先頭に立って元気に手を振っている少年は、十代半ばほどの人間の子供だ。今ここにいる者たちの中では一番若い。

 その後から何人かの男たちが談笑しながら歩いてくる。めいめいに荷物や武器を持っており、若い者から初老の者までさまざまだ。

 砂漠を通る商人たちの護衛を引き受ける代わりに通行料をいただく——と表現すれば穏やかに聞こえるだろうが、彼らはれっきとした盗賊集団である。

 ただし仕事は選ぶ、と注釈付きだが。


「ハル、お茶の支度ができたわ」


 妻の呼びかけに、お頭、つまりハルは振り返る。そして少年の頭を撫でながら奥へと向かっていく。

 ここに集う者たちは、戦災や災害で国を失い行き場を失った者たちだ。そういった者たちを呼び寄せてまとめ上げ、彼らに仕事を与える。

 傷つき荒んだ心を未来へ向かわせるための、つかの間の回り道として。


 ——理由づけなど何でもいいだろう。俺はただ、彼らに居場所を作ってやりたかっただけなのだから。


 驚いたシエラにそう話して笑ったハルの目は、楽しげだった。形を変えても人々を導く者でありたいと、彼は考えたのかもしれない。


「今日はどうだった?」

「うん、襲ってきた奴らちゃんと追っ払ってやったよ! それとね、面白いこと聞いたんだ。ローヴァンレイのお城に盗賊が入ったんだって。それもとびきりの変り種が!」


 本日護衛した商人たちに聞いた噂だ。まだお頭の耳には届いていないだろうと、得意げな瞳を輝かせて少年はハルを見あげる。


「そいつ……ら? 一人? わかんないけど、そのドロボーさ、前の王様と王妃様をさらっていったんだって。誘拐かなー? ね、お頭はどう思う?」

「そうだな。俺にもわからないが……ひとつ言えるとすれば、さらわれたのは前王ではなく、そのということかな」


 ハルの含みを込めた話しぶりに、少年の目がまん丸になる。


「あ、お頭なにか知ってんの? ズルイ、教えてよー!」

「別に、そういうわけではないさ。ふうん、そうか。なるほど……」

「ねえねえ、何さ! お頭っ」


 腕にすがって賑やかにねだる少年の頭を撫でながら、ハルは自然と頰が緩むのを抑えることはできなかった。



 いにしえ時代より王家が継承してきた宝剣はあの夜に姿を変え、失われてしまったが。今のティルシュがそれを引け目に感じることはない。

 何より確かな証は彼自身のうちにある。

 ローヴァンレイ国にて正統なる新王蜂起の狼煙のろしが上がるのは、その事件より一つの巡りがすぎてからのことだ。

 荒野に住まう盗賊たちがそれに力を貸したという噂もあるが、真偽のほどは定かではない。






 砂霞すながすみに濁った風が砂礫されきの大地を駆けてゆく。かれ色に覆われた砂地を踏んで、一つの風が降り立った。


「すげー久しぶり、相変わらず砂ばっかー」


 流れる銀の髪とつった青い目。絶世の美貌から紡ぎだされる、無作法な言葉。

 重力を感じさせない長髪をたゆらせ、彼はじっと砂にけぶる地平のかなたへ目を凝らした。

 遠い遠い昔から、そこには黒い墓標が立っていたはずだった。その場所を守るように、優しい精霊の女性がひっそりと眠っていたはずだった。

 そのどちらも今は見当たらない。

 それが不思議で、不安で、いぶかしい。真実を確かめるのが少し怖い。


「別にさ、オレが会いに来なくたってなんの不便もねーわけでさ。ハルじゃあるまいし、そんな心配するとか余計なことだろうけどさー」


 わざと大声で言ってみるが、返る答えはなかった。

 言葉とは裏腹に消沈した様子で、銀竜は口をつぐむ。


「帰ろ」


 別に、別にー、と未練がましく呟きながら、帰ろうと宙に浮かび上がる。それでももう一度その場所に足を向けたのは、あるいは必然だったのだろうか。

 駆け抜けた突風の中に、彼は何かの匂いを感じた。それが足を止めさせる。


「——ッ!」


 驚愕きょうがくと、同じほどに強い期待。目を見開いて振り向いた彼は、そこに、漆黒の髪の青年を見た。

 声が、形をさず霧散する。


「何をやっている、クォーム。ティアならもうここにはいないぞ」


 穏やかで低い声が空気を震わせた。ざっと吹き抜けた風の向こう、確かな存在感を持って立つ黒髪の彼は、幻などではなかった。


「……っ」


 何か言おうとしても、何も出てこない。ただ茫然ぼうぜんと立ちすくむ間に、向こうがゆっくりと近づいてくる。

 ゆるく波うつ漆黒の髪、長い前髪の間で不敵に笑う紫水晶アメジストの双眸。

 まとう魔力には強い光の力を感じるのに、その全体から染み出すのは間違いなく、闇の魔力だった。

 立ち尽くす彼が手を伸ばせば届くほどの距離まで近づき、ハルはにこりと笑む。


「久しぶりだな、クォーム。俺の留守中に、悪さを働いていなかっただろうな」


 その瞬間、銀竜の中で張り詰めていた何かが、切れた。


「そー言うなら今までどこ行ってたんだよッ! 馬ッ鹿ヤロウ!」


 人間であれば血を吐きかねない叫びだった。それを穏やかな笑みで受け止め、ハルは黙って腕を伸ばす。

 銀竜の少年は糸が切れたように、その場に座り込んでしまったから。

 心のたがが外れたように、ボロボロと涙をあふれさせてしまったからだ。

 包み込むように、ハルはクォームを抱きしめた。


「悪かったな。寂しかっただろう」

「子供扱いすんなっ、バカヤロ」



 本人の自覚はともかく、泣きじゃくるさまは子供で間違いない。

 ハルはただうなずいた。ぶつけられる強い想いに応えるため、囁いて告げる。


「いつでも来るといい。俺もティアも、いつだってここにいる。今はまだこの大地を離れることはできないが、いずれ魔力を取り戻したなら、もう少し広く出歩けるようになるさ」


 だんだんと、嗚咽おえつの声も静まってゆく。ひとしきり号泣して気分が落ち着いたのか、クォームは濡れた瞳をあげてしげしげとハルを観察した。


「……ってなんだよ、ハルってば、具現ぐげんになったってワケ?」


 具現、あるいは精霊。

 それは少しまでティリーアが取っていたのと同じ、命の在り方だ。

 彼が気づくのを待ってましたと言わんばかりに、ハルはクォームを離れさせて得意げに解説を始める。


「つまりこれは星光の魔力であり、俺は今、闇に属する星光の具現だろうと考えられる。百度分の微弱な星の魔力は、ティアの中に宿っていたのだろうよ。それに、ティアが取り込んでいた俺の魔力とが合わさり、星刻の奇跡によってかたちを得たというわけだ。短剣に重ねられた悔恨の念は過去の象徴であり、過去が砕けることによって訣別けつべつは覆された。そのすべてが星刻の奇跡と同時に起きたため、俺の再生が果たされたのではなかろうか……って、聞いているのか? クォーム」


 虚ろな半目で見つめる銀竜に、ハルは得意げな笑みを向ける。クォームはため息をついた。 


「オレが聞いて解るわけねーじゃん」


 率直な感想を聞いてハルは笑い、言い加えた。


「まあ、過程はどうでもいいよ。とにかく俺は今、闇に属する星光の具現なのでね、この世界の空の下でしか存在できないのだよ。黒い色にもそういう理由があるらしくてね、……時間はかかるが、大地に散らした俺の魔力を少しずつ集めてもとの姿に戻れるようにしよう、とは思っているが」

「実はティリーアと髪色だって、喜んでるんじゃね?」

「大人をからかうんじゃない」


 横槍を入れるクォームを小突きつつも、その笑顔は満更でもなさそうだ。

 要するに、闇の精霊から光の精霊へと成り代わろうというのだろうが、そんな話はクォームでも聞いたことがない。

 とはいえ、彼がそうするというのであれば、どんな途方のないことでも叶えてしまいそうだとは思う。


「……そういえば、クォーム。りゅうが、亡くなったと聞いたんだが」


 不意打ちで切りだされた話題に、クォームはきょをつかれて黙り込んだ。

 始まりより在った優しい風の竜、人間と惑星ほしを愛したリュライオは、戦争によって傷つき汚れ果てた故郷星ふるさとぼしに再生の願いをかけて、その命を散らしたのだ。


 よみがえる記憶とともに心に広がる、苦い感情。

 砕けて散る飛沫の白さと、どこまでもあおく穏やかな南の海と。

 あおい風が祈りを手向けて消えた、島国のきわ


「オレ、ひとつ利口になったんだぜー、ハル。自由って、孤独とすごく近しい言葉なんだって、ったんだ。信じらんないだろー、でも、本当なんだ」


 口調とは裏腹にひどく静かに発せられた呟きに、ハルは、銀竜のたとえようもない孤独をる。無限の記憶の重さをる。


「解るさ、クォーム。解っている」


 穏やかな同意に促されるように、銀竜の青い両目に涙があふれた。


「……うん。あいつ、戦争で傷ついた『地球Earth』を浄化するため、魔力を放出したんだ」

「そうだったのか」


 瞬いて涙を散らし、クォームは黙っててのひらを握った。

 この手に託された幾つもの、記憶。無限をさえ生きる自分が書き留め続けた言葉の中に、残る真実。その意味を思い見る。

 時は螺旋を描いて巡ってゆく。その中にあって移ろい消える命の記憶は、いつしか。自分の中に降り積もって、形となる。


 奇跡を願う祈りが記憶の残像に真実のかたちを与えたのなら。

 ふいに思い至って、クォームは顔を跳ねあげた。その瞳が強く、光を弾く。


「ハル! りゅうは、戻ってくるかもしれない」

「……それは、どういう意味だい?」


 不思議そうに首を傾げるハルをクォームは見あげた。


「わかんないけど、そんな気がしたんだ。だって、ハル、オレ、あいつらの記憶を託されてるんだ! だから……!」


 具体的な何かがわかったわけではない。ハルのように理路整然と説明することも、彼にはできなかった。

 だが、ハルは戻ってきた。その事実が確信を引き寄せる。

 真剣なクォームの瞳に真実味を見出みいだしたのだろう、ハルが不敵に微笑んだ。


「おまえがしたいようにすればいい。おまえが動くなら、俺も協力しよう。俺だってりゅうにもう一度会いたいしな」

「——ん」


 強く答えて見あげる少年の目に、もう涙はなかった。流れる銀の髪が風に波立つのを眺めながら、ハルが思いだしたのは銀竜に付された名の意味だった。


 ——過去、未来へとはるかに繋ぐ、銀の夢。


「おまえになら、できるのかもしれないな」


 ひっそりと呟いたハル自身でさえも、今はまだ知らない。

 彼自身が引き起こしたこの奇跡こそ、この先に連なるさまざまな奇跡の切っ掛けであり、起点となるということを。

 これははるかな未来へと続く、物語の始まりにすぎないゆえ。






 かくして、ひとつの伝説が終束おわりを迎える。

 しかしそれは、新たな物語の序章に過ぎない。陽が巡り星が巡り、螺旋の時が途切れることはないゆえに。


 人の歴史が広がる限り。

 世界が人を愛する限り。

 広がり紡がれゆく命の軌跡こそが、歴史を織り成す糸であるならば。

 幾多の物語が紡がれ、がそれを書き留めてゆくだろう。



 だがそれは、別の物語。

 いずれ違う時と場所にて、語り合うことにしよう。







 ——…‥・ 第三部 完


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