第18話 おじさんと生ハムとチーズ

 ツェルマットの町に到着した日の夜、ちょうどワールドカップのグループ予選でスイスが戦っていた。それはもう町中大盛り上がり……というわけでもなく、やや肩透かしをくらった感じだった。自国の試合でもそんなものなのかと夕食を食べるレストランを探しながら街を歩き回って人々の声を聴いているうちにその疑問は晴れていくことになる。どうやら街に出て活発に動いている人々の大部分はスイス国外からの観光客のようだ。なるほど、それならスイスの試合をやっているかどうかはあまり重要ではないのだろう。

 そんな風景を眺めながら小さめのレストランに入ったところ、その店でもワールドカップの中継を流していた。それほど熱狂している観客がいるわけではないが、みんな画面を注視している。私が通されたテーブルの隣の席でも、老紳士がビールを片手にじっと画面を見つめていた。とりあえずジンジャーエールとピザを注文し、空腹を紛らわせるためにオリーブをかじっていると、スイスがチャンスを迎えた瞬間、一気に店内の雰囲気が変わる。部外者でも感じるほどの緊張感に包まれながら画面を見ていると、見事スイスがゴールを決めた。一気に盛り上がる店内、見知らぬ客同士でもハイタッチの嵐だ。とりあえず面白そうなものには参加しておこうというポリシーに従い私も一緒に盛り上がっていると、隣の席でビールを飲んでいた老紳士が店員に早口で何か言っている。ドイツ語なのかフランス語なのか、私には聞き取れない内容だったが、おそらく嬉しさを伝えているのだろうなという程度に思っていた。

 それから数分経っただろうか。店内はまだ熱気が残り、でも私のピザは届かない。さっきの盛り上がりで注文忘れられてないだろうなと心配になっていると、店員が私の席に向かってくる。その手にはピザではなく生ハムとチーズの盛り合わせ。もちろん注文した覚えはない。店員にその旨を伝えると「お隣のお客様からスイスのゴール祝いのプレゼントです」といきなり予想外のことを言われ、隣に体を向けると満面の笑顔でサムズアップしている老紳士。じいちゃん、カッコよすぎるよ。この大会ではスイスを応援していこうと決めた瞬間だった。

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