第十五話 招かれざる来訪者

「ニーメ!!」


 森の小川に桶を沈めるニーメの背後から、ネオラの声が響いてきた。


「ネオラ?」


 桶を抱えて立ち上がったニーメは、声のする方へ体ごと振り返った。


「メシアが神殿へ戻ったって知ってる?」


 息を切らしながらネオラが口にした言葉に、一度は驚いたように目を見開いたニーメだったが、次の瞬間、ふっとため息をついて視線を落とした。


「誰かから聞いたわけではないけど、あの方ならそうするような気がしてた」


「……」


「危険な場所に、ダリアン様や神官たちだけを置いていくなんて、できない人だもの……」


 ニーメはそう言い残すと、絶句するネオラの前を通り過ぎて、避難民たちが集まる広場へ向かって歩き始めた。

 しばらくして我を取り戻したネオラは、慌てて振り返り、そんなニーメの背中を目で追った。


「あなたは平気なの? 今すぐ飛んで行って、彼をそばで支えたいとは思わないの?」


 ネオラの言葉に思わず足を止めたニーメは、彼女に背中を向けたまま桶を持つ手に力を込めた。


「大した能力もない、女の私なんかがそばにいれば、いざ戦いが始まった時、足手まといになるだけで逆に迷惑を掛けるわ。ダリアン様からは、ここで避難してきた人々の世話をするよう命じられているのだもの。与えられた任務を遂行することが、何より今私たちが優先すべきことなのよ」


「……」


「それに私には……あの方のそばに居られる理由なんてないし……」


 そう言って再び歩き出したニーメの腕を、ネオラは強く掴んで振り向かせた。

 勢いでニーメの手から桶が落ち、地面に大量の水が飛び散った。


「いい加減、かっこつけてんじゃないわよ! 彼のことが好きなくせに!!」


 驚くニーメの視線の先に、眉を吊り上げて涙を流すネオラの瞳があった。


「彼があなたのことを好きなこともわかってるんでしょ? なんで自分の気持ちに素直になれないのよ!!」


「ネオラ……?」


 初めて目にするネオラの剣幕に、ニーメは思わず後ずさりをした。


「彼はスフェラを悪用されないために、自ら命を絶つつもりなのよ! あなた、そんなことさせてもいいの?!」


「え……」


 その瞬間、ニーメの顔は色を失った。


「足手まといにでも、迷惑にでもなってもいいから、お願いだから彼を止めてよ!!」


 まくしたてるようにそう言って、ネオラはその場にしゃがみ込み、両手で顔を覆って泣き始めた。

 そんな彼女を見下ろすニーメの全身も、ガタガタと震え始めた。


(メシアが……死……?)


 見えない敵がどれほどの戦力を有するのかニーメには想像が及ばず、苦戦を強いられたとしても、ダリアンや隼とは生きてまた会えるような気がしていた。

 だが、隼が自ら命を絶つと聞いて、彼の死へ対する現実味がにわかに湧き起こってきたのだ。


「い……や……」


 嗚咽を漏らして泣き崩れるネオラのそばで、立ち尽くすニーメの頬を、一筋涙が流れ落ちた。


「いやー!」


 次の瞬間、叫ぶようなニーメの声が、森の中にこだました。





「ムーを、再び時空へ……?」


 目を見開く隼の顔をまっすぐ見つめて、ダリアンは大きく頷いた。

 ムーを時空へ飛ばすということは、再び復活の間に眠るスフェラに大量のラ・ムーの血を注ぐということだ。

 つまりそれは、隼の死を意味する。

 その時、彼の心臓を突くのは大神官であるダリアンの役目だ。

 そして、王の死を見届けた彼は、その後を追い自らも命を絶つ。

 隼の祖父ラ・ムーと、ダリアンの父アルデオがそうしたように。


「神官と兵士たちよ。あなたたちは森へ向かい、ムーの民を連れて、スフェラの力が及ばない場所まで避難してください。時空に飛ばされるのは、この地にあるスフェラと、私たち二人だけでいい」


「大神官殿!!」


 ダリアンの言葉を遮るように、カスコが大声をあげた。


「答えを急がずに戦いましょう! 我々の戦闘力と、神官の神通力があれば……!!」


「無駄です」


 今度はダリアンの低い声が、カスコの声を遮った。


「未来から来られたメシアが、自ら命を絶つしか方法が無いと判断されたのです。到底、我々のかなう相手では無いのでしょう」


「……」


 押し黙る男たちの前で、隼も悔しそうに唇を噛み締めた。


「それならば、最大限犠牲は少ない方がいい」




 ゴゴゴゴ……


 その時、どこからともなく地鳴りのような振動音が近付いてきた。


「なんだ?」


 隼とダリアンを取り囲むように立っていた兵士や神官たちは、皆戸惑いの声を上げながら空を見上げた。


「……!!」


 兵士らと同じく頭上を見上げた隼とダリアンの顔に、巨大な影が落ちてきた。

 逆光で黒く見えるそれは、流線型の飛行体だった。


「前に農場に現れた船だ!!」


 一部の兵士には、その船に覚えがあった。

 それは以前、農場に現れたえいのような形をした飛行体だったのだ。


「こいつが……?」


 隼は、地面から吹き返す風を腕で防ぎながら、巨大な鱏を見つめた。

 このような形状の飛行体は、彼が育った21世紀でも見たことはなかった。

 血の気の多い兵士らが空に向かって矢を放ったが、飛行体に届くことはなく、むなしく上空で折り返して地面に落ちた。


『ちょっとさ。撃つのをやめてくんない? 今から降りていくからさ』


 ふと、そこにいるすべての者の心の中に、若い男の声が聞こえてきた。

 一瞬同調かと思ったが、もっと直接的に頭の中に響いてくるような声だった。


『そこに、ダリアンっていう人はいる? 莉香を連れて来たんだけど』


「莉……?」


「撃つのをやめろ!」


 莉香の名を耳にして顔色が変わったダリアンの隣で、隼が兵士らに制止を促した。

 地上から放たれる矢の雨がおさまると、巨大鱏は土埃を巻き上げながら、ゆっくりと高度を下げ始めた。

 息を飲んで見守る男たちの前で、飛行体が着陸した途端、振動音は完全に消え、不気味な静けさが辺りを包み込んだ。


『お姫様を連れて降りるから、頼むから撃たないでくれよ』


 そう言う男の声が聞こえた直後、のっぺりとした飛行体の側面に人が通れるほどの穴があいた。

 息巻く兵士らを後ろ手に抑え、隼はハッチらしきその穴をじっと見つめた。


 コツ、コツ、コツ……。


 硬い床を歩く靴音が飛行体の中から聞こえ始め、まもなく、暗闇の向こうから若い男が姿を現した。


「!!」


 男の胸元に目を留めた隼とダリアンは、目を見開いて息を飲んだ。

 男の腕には、見覚えのある少女が横抱きにされていたのだ。


「莉香!」


「珠仙!」


 同時に叫ぶダリアンと隼の前で、青年はゆっくりと金属製の階段を降りてきた。

 目元を軽く覆う、レモンイエローの髪。

 ゆったりとした白いシャツにジーンズ姿の男は、地面に降り立つと、彼を取り囲むように立つ男たちの顔をゆっくりと見回した。


「僕はテオス。ダリアンは、どの人かな?」


「テオス……」


 以前、莉香が自分をさらっていった男として、その名を口にしていたことを思い出し、ダリアンは奥歯を鳴らして青年を睨みつけた。


「ふーん。あんたがこの子の想い人か。思っていた以上に、年上みたいだね」


 ダリアンの表情から、目的の人物を特定したらしく、テオスはそう言って鼻で笑った。


「どう見ても僕の方が、彼女にはお似合いなのに」


「ごちゃごちゃ言ってねえで、珠仙を早く返せよ!」


 テオスの口ぶりに苛立ちを覚えた隼は、二人の間に割って入り、怒鳴るような声で言った。

 隼に視線を移したテオスは、今度は品定めをするように彼の全身を見つめた。


「黒髪に碧眼。もしかして君が、この国の王子様かな?」


「だったらどうだって言うんだよ!!」


 薄ら笑いを浮かべるテオスの前で、隼は腰の剣を抜き放った。


「なかなか血の気の多そうな王子様だね。でも、僕はがさつな人間が苦手なんだ。君とは仲良くなれそうにないな」


「そんなもん、こっちから願い下げだ!!」


 剣を構えて声を荒げる隼を無視して、テオスはダリアンに視線を戻した。


「なあ、あんた。彼女の幻影を探してくれよ」


「……?」


 そう言うテオスの表情は、先ほどまでの飄々としたものから、懇願するようなものに変わっていた。


「幻影になってあんたを探しに行ったまま、完全に意識が離れてしまってさ。実体に戻れなくなっちゃったんだよね」


「……」


 次の瞬間、テオスのそばへ歩み寄ったダリアンは、彼の腕から強引に莉香の体を奪いとった。


「おっと……」


 一瞬驚いたような表情を見せたテオスだったが、莉香を腕に抱いて、自分を睨みつけるダリアンの顔を見て、ふっと笑った。


「早く探さないと、実体から遠のくほどに意識が薄れて、自分が何者かもわからなくなっちゃうよ」


 テオスの言葉に眉を微かに動かし、ダリアンは莉香の顔に視線を落とした。

 息こそしているものの、彼女は眠ったように目を閉じたまま、微動だにしない。

 その様子から、テオスの話が真実であることを悟ったダリアンは、悔しげに唇を噛み締めた。


「行けよ。ダリアン」


 その時、隼がダリアンの肩を掴んでそう言った。


「しかし……」


 戸惑うダリアンの手から、今度は隼が莉香の体を取り上げた。


「こいつの意識を連れ戻してきてくれよ」


 莉香は、自分やムーの人々を守るために、テオスの呼び出しに応じてさらわれた。

 見たところ危害は加えられていないようだが、どれほどの恐怖と心細さの中で過ごしていたことだろう。

 そして今度は、自分たちに危険を知らせるために、限界を超えて幻影を飛ばしてきたのだ。

 意識と肉体が完全に離れてしまえば、体は仮死状態になり、意識は浮遊霊のようにさまよい続けるという。

 前世からダリアンを思い続け、現世でようやく再会を果たせた彼女を、一刻も早く彼のもとに戻してやりたかった。


「……しかし……」


 なおも戸惑いを見せるダリアンの顔を、隼は力を込めた目で見上げた。

 彼には、ダリアンがなぜこの場をなかなか離れようとしないのか、その理由がわかっていた。


「あんたが戻るまでは、一人で勝手に死んだりしねえからさ」







 隼の言葉を信じたダリアンは、莉香の意識を探すために、幻影となって空へ飛び立って行った。

 それを見届けた隼は、唇をぐっと噛み締めると、改めてテオスの方へ向き直った。


「……で、お前はここに何しに来たんだよ」


 上目遣いに睨みながら問いかける隼に、テオスは大きなため息をついた。


「何って、莉香の意識を取り戻したくてさ。彼女、僕のタイプなんだ」


 そう言ってテオスは、隼の腕に抱かれた莉香の白い顔を見つめた。


「それだけで、のこのこここまで一人で来たって言うのか? カスコに重傷を負わせて、珠仙をさらっていったお前を、俺もここにいる奴らもみんな、ボコボコにしてやりたいって思ってるんだぜ」


 隼の言葉に合わせるように、カスコが手の甲を重ねて鳴らし、兵士らが一歩ずつテオスに歩み寄った。

 殺気立つ男たちに囲まれて、テオスは慌てたように胸の前で手のひらを左右に振った。


「あの場合は仕方がなかったんだよ。莉香には一人で来るように言ってあったのに、怖いおじさんが付いてきて邪魔をするしさ」


「おじ……!」


 瞬間、顔を赤くしてテオスに掴みかかろうとするカスコの体を、そばにいた兵士らが押しとどめた。


「でも、彼女が殺さないでって言うから、ちゃんと弾を外してやっただろ? ちょっとは感謝してほしいな」


「こいつ……!!」


 聞き捨てならないテオスの言葉に、兵士らに抑えられながらもカスコは再び息巻いた。

 そんな大男を一瞥すると、テオスは今度は落ち着いた様子で隼に向き直った。


「まあ、白状すると君の言う通り、ここに来た目的は他にもあるよ」


 不意に真剣な表情を浮かべてそう言うと、テオスは隼の顔をじっと見つめた。


「ゴッドを倒して、奴らの計画を阻止して欲しいんだ。メシア」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る