第六話 嫉妬

 莉香と別れた後、隼は宮殿内の廊下を一人で歩いていた。

 中庭から空を見上げれば、夕焼けの赤に群青色の夜空が混じり、ぽつぽつと星も瞬き始めていた。

 食堂のそばを通りかかると、巫女見習いたちが夕食の準備に追われていた。

 そんな少女らの中に、食器を運ぶニーメの姿を見かけた隼は、後方から彼女に近付いていった。


「なあ」


「きゃ!!」


 背後から声をかけると、ニーメはびくりと肩を震わせて、危うく手にしたトレイを落としかけた。


「な……なんですか?」


 傾いたトレイを持ち直しながら、ニーメは眉をひそめて振り返った。


「これさ。朝飯の時にでも、みんなで食ってくんない?」


 そう言って隼は、素焼きの小さな壺を彼女の持つトレイの上に置いた。

 それは先刻、ネオラが手渡してきた林檎のジャムだった。

 だがニーメはそれを目にした瞬間、隼の胸元に突き返してきた。


「彼女はあなたに食べていただきたくて、それを渡したんです。どうぞ、一人で召し上がってください」


 いつになく棘のある口調でそう言うと、ニーメは踵を返して早足で歩き始めた。

 思わず隼はムッとして、そんな彼女の背中を追った。


「なんだよ。何怒ってんだよ」


「怒ってなんかいません!」


 隼に背を向けたまま、ニーメは強い口調で言い放ち、さらに歩みを速めた。


「なんなんだよ」


 舌を鳴らして立ち止まった隼は、壺を握りしめて彼女の背中を見送った。





「え? 矢沢くん、あの子から林檎のジャムをもらってたの?」


 夕食を終え、宮殿内の薄暗い廊下を歩きながら、莉香は目を大きく見開いた。

 食事中、ニーメの様子がいつもと違うと感じた彼女は、隼に心当たりを聞いてみたのだ。


「で、それをどうしたの?」


「皆んなで食ってくれって言ったら、拒否られたから一人で食った」


 そう言って隼は、面白くなさそうに口元を尖らせた。


「えええ? 食べちゃったの?!」


 叫ぶような莉香の声が廊下に響き、遠くを歩いていた神官たちが何事かと振り返った。

 慌てて口元を手で押さえた莉香は、気をとりなおして隼の顔を真剣な表情で見つめた。


「ちょっと来て!」


 小声でそう言うと、莉香は隼の腕を掴み、自分の部屋に向かって歩き始めた。


「なんなんだよ?」


 抵抗しようとする隼の手を強く引いて、莉香は大股気味に廊下を歩いて行った。




「林檎の実はね、ムーでは女性の象徴なのよ」


 隼を自室に押し込み、後ろ手にドアを閉めた莉香は、険しい顔つきで言った。


「だから? それがなんだって言うんだよ」


 なおも要点が掴めない隼は、苛立ちを滲ませながら尋ね返した。

 そんな彼を見て、莉香は「はあ〜」と、大きなため息をついた。


「林檎をジャムにして渡すのは『私を食べて』ってことで、ここでは愛の告白を意味するの。それを受け取って食べたってことは、あなたは彼女の気持ちを受け入れたってことになるのよ」


 ここでようやく事態が飲み込めた隼は、大きく目を見開いた。


「そんなの、知らねえよ!」


「でしょうね」


 呆れ顔をして腕を組む莉香の前で、隼はそばにあった椅子にどかりと腰を下ろした。

 落ち着かない様子でいる隼に背を向けて、莉香も天井を見上げて頭を抱えた。


「でも、それを聞いて機嫌が悪くなったということは、もしかしてニーメちゃん……」


 ふと、ある思いに至って莉香が振り返ると、ドアが閉じる音がして、そこにもう隼の姿はなかった。

 そのまま呆けたようにドアを見つめていた彼女だったが、しばらくすると、ふっとため息まじりに苦笑した。


「まったく……。二人とも素直じゃないんだから」





 翌朝、神学校へ向かう隼を、背後から呼び止める声がした。

 振り返ると、顔を赤らめたネオラが立っていた。

 彼女の姿を見て気をきかせた学友たちは、いそいそと二人から離れて行った。


「あの……。ジャムは……?」


 恐る恐る尋ねてくる彼女に、隼は戸惑いながらも小さく笑った。


「ああ。食ったよ。まあ……うまかった」


 彼の言葉を耳にした瞬間、ネオラの顔がぱあっと明るくなった。


「じゃあ……」


「でも俺、あれをもらった意味とか全然知らなくてさ。食っといて悪いけど、あんたの気持ちには応えられない」


 直後、ネオラの表情が再び一変した。


「なんか……ごめん」


 申し訳なさそうに首の後ろを掻く隼の前で、ネオラは頭をもたげて黙り込んだ。

 彼女の沈んだ様子に気まずさを感じて、隼も足元に視線を落とした。




「メシアは、好きな人はいるんですか?」


「……」


 唐突に投げかけられたネオラの言葉に、隼は思わず顔を上げた。

 するとそこには、切なげに微笑みながら、彼のことを見つめるネオラがいた。


「……よくわかんねえけど、気になるやつはいる」


 彼女には本心を伝えるべきだと感じた隼は、初めて正直な気持ちを口にした。


「その子も、あなたのことを?」


 続けて問いかけるネオラに、隼は左右に小さく首を振って見せた。


「いや。そいつには好きなやつがいるんだ」


 彼の答えを聞いて、ネオラは大きく目を見開いた。


「びっくり。メシアを差し置いて他の人を好きになるなんて、その子趣味が悪いんじゃないかしら?」


 おどけるようにそう言ったあと、思わず吹き出したネオラに、つられて隼も苦笑した。


「そいつが好きな男は、俺よりずっと大人だし、悔しいけど何をやっても敵わねえんだ」


 ふと、真顔に戻った隼は、前方に建つ神殿にダリアンの姿を重ねて言った。


「それでも、いつかは超えてやりたいと思ってる」


 決意の込もった目で神殿を見上げる彼の横顔を、ネオラはまぶしそうに見つめていた。

 



「彼女の心を掴めるように、頑張ってください!」


 突然、ネオラが隼の両手をとって、輝く瞳で見つめてきた。


「お……おう?」


 いつの間にか、自分の方が励まされていることに戸惑いながらも、隼は頷いた。


「私も頑張りますから!」


 明るい声でそう言い残すと、ネオラは手を振りながら神殿に向かって駆けて行った。







「え? 振られたの?」


 その日の夕刻。

 いつものように夕食の準備に忙しい調理のに、少女たちの驚きの声が響いた。


「うん。メシアには好きな人がいるみたい」


「うそー!」


 ネオラの話を聞いて、少女たちの何人かが悲鳴にも似た声を上げた。

 水場から汲んできた水を樽に移しながら、ニーメも気がつけばその話に聞き入っていた。


「でも、彼も片思いしてるみたいなの。相手の子には、好きな人がいるんだって」


「なんか、切ないね」


 しみじみと語り始めた少女たちを横目に、ニーメの心中も穏やかではなかった。



「ちょっと! ニーメ! 溢れてるわよ!!」


 突然、間近に自分の名を呼ぶ声がして、ニーメはハッと我に返った。

 見ると、水瓶から注ぎ入れていた水が、樽から溢れて床を濡らしていた。


「あーあ、なにやってんのよ」


 麻布で溢れた水を拭きながら、ネオラはため息まじりに笑った。


「ごめんなさい」


 慌てて懐から布を取り出し、床を拭き始めたニーメの顔を、ネオラが覗き込んできた。


「もしかして、あなたもメシアのことが気になる?」


「……」


 思わず手の動きを止めたニーメの顔を、ネオラは揺らぎのない瞳でまっすぐ見つめた。


「私ね。今日話をして、もっとメシアのことが好きになっちゃった」


「……」


「ボヤボヤしていて、後悔しても知らないわよ」


「……え?」


「私、諦めてないから」


 驚くニーメにそう言い残して、ネオラはその場から去って行った。






 その日の夕食中も、ニーメは終始無言のままだった。

 莉香が話しかけると一応受け答えはするのだが、どことなく上の空という感じで、ずっと何か考え込んでいる様子だった。

 斜め向かいに対面して座る隼に対しては、目を合わせようともしない。

 出会った当初も、彼女は怯えて彼と目を合わさなかったのだが、最近は少しずつ心を開き始めていたのだ。

 心当たりがあるとすれば、ネオラからジャムを渡されたことなのだが、そのせいでなぜ彼女がこのようによそよそしい態度をとるようになったのか、隼には理解できなかった。


 食事を終えた隼が中庭を通りかかると、いつものように莉香とニーメは、外廊に座って夜空を見上げていた。


「ちょっと、いいか」


 隼が背後から声をかけると、二人の少女は一斉に振り返った。


「そうだ。私、寝る前にやっておきたいことがあったんだ」


 隼から視線を外すニーメの隣で、莉香は白々しくそう言って立ちあがった。


「じゃあ、私も……」


「ニーメちゃんは、ゆっくり星を見てて」


 続いて立ち上がろうとするニーメの肩を押しとどめて、莉香は隼のそばへ歩いて行った。

 そして真横を通り過ぎざま、ウインクをした彼女は、軽く手を振ってその場を去って行った。


「わ……私も、後片付けをしなくちゃ……」


 莉香の姿が見えなくなると、ニーメはそう言って立ち上がり、隼に背を向けた。


「待てよ」


 そんな彼女の手首を掴み、隼は引き止めた。

 ニーメは振り向かなかったが、震えているのが細い手首から伝わってきた。


「俺、ネオラあのことはなんでもないから」


 その瞬間、ニーメはびくりと肩を震わせた。


「……知っています。彼女から話は聞いていますから……」


 背中を向けたまま、ニーメは今にも消えいりそうな声で言った。

 だが、体の震えはさっきまでより顕著になっていた。

 

「じゃあ、何を怒ってんだよ」


「怒ってなんか……!」


 弾かれたように振り返ったニーメは、そう言って隼の顔を見上げた。

 そこで彼と目が合った彼女は、そのまま動けなくなった。

 体の自由を奪われたのは、隼も同じだった。

 月明かりを反射して輝く青い瞳に、意識まで吸い込まれそうで、一瞬気が遠くなった。

 そのまま、二人は無言のまま互いに視線を外せずに見つめあった。


「だいたい、どうして私にそんなことを?」


 しばらくして、ようやくニーメが口を開いた。

 怪訝そうに首を傾げる隼から目をそらして、ニーメは話を続けた。


「あなたが誰と仲良くされようと、私には関係のないことです」


「……」


 その言葉に我に返った隼は、彼女の手首からゆっくりと手を離した。

 そうだ。

 彼女は、以前からずっとダリアンのことが好きなのだ。

 わかりきっていたはずなのに、彼女の機嫌が悪いのは嫉妬心からだと、どこかで期待している自分がいた。


「……そうだな。お前には関係のないことだよな」


 唇を噛み締め、絞り出すように言って、隼は彼女に背を向けて歩き出した。


(待って……!)


 去って行く背中に向かって、ニーメは心の中でそう叫んでいた。

 そして、感じたことのない衝動にかられた彼女は、その場から駆け出そうと床を蹴った。


『彼も片思いしてるみたいなの』


 だがその時、頭の中にネオラの言葉が響いて、彼女の動きを止めた。


(好きな人……いるんだ……)


 そう思った瞬間、何故か瞳から涙がこぼれ落ちた。

 そのまま、崩れるようにしゃがみ込んだニーメは、声を殺して泣き出した。

 泣きながら、彼女は自分の中にある感情に嫌悪感を抱いていた。

 怒りや、悲しみや、驕りがぐちゃぐちゃに入り混じった醜い感情。

 これまでこんなものに、心の中を支配されたことはなかった。

 この感情に名前があることを、この時の彼女はまだ知らなかった。

 ただ、涙と一緒に綺麗に洗い流せたらと心から願っていた。

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