第五話 決別

「まさか……ラ・ムーは……」


 鈍い光を放つ褐色の石を凝視しながら、ダリアンは言葉を詰まらせた。


「死期を悟ったラ・ムーは、ここで最後の時を迎える。亡骸がスフェラへ変化したことを見届け、その後、王のもとへ旅立つのが我々大神官の最後の役目なのだ」


「……そんな、ばかな……」


 ダリアンには、父の話す内容が何一つ理解できなかった。

 確かに、現ラ・ムーにも、その息子であるコールガーシャにも、人間離れした人を惹きつけるオーラがある。

 この国の最高神官でもある王は、誰よりも優れた能力を持ち、その血によって翼竜やネフレムを生かすことから、太陽神ラーの化身と人々から崇められている。

 だが、普段ダリアンと行動をともにしている時のコールは、あたたかい血の通った青年以外の何者でもない。

 心から妻を愛し、巨人の想いに心を痛め、酒に弱くて少し飲めばすぐに眠り込んでしまう。

 そんな彼が死後、こんな無機質な石のかけらになってしまうなんて、にわかに信じられるはずがなかった。

 だが、疑念を抱いて見上げた父の顔は、恐ろしいほど真剣そのものだった。

 

「わしもいずれ、ここにあるしかばねのひとつになる。その前にお前に伝えておかなくてはならないことがあるのだ」


 混乱して言葉を失うダリアンの前で、父は淡々と話を続けた。





「この文字が読めるか」


 スフェラが置かれた台の足元に跪き、父はそこに彫られた文字らしきものを指差した。

 一呼吸して、無理やり心を落ち着かせたダリアンは、隣に並んで腰を下ろし、赤い光の中にぼんやりと浮かびあがる文字を見つめて指でなぞった。

 それは今では使われていない、古代の文字だった。


「ムーが滅びし時、スフェラは王の血を求め、ラーは闇へ消えるだろう……」


 ダリアンがそこに刻まれた言葉を読み上げると、父はため息をついて立ち上がり、息子に背を向けた。


「そこに刻まれた予言通り、滅びの時は近付いている。それも、あの女のせいだ」


 その瞬間、ダリアンは怒りを込めた目で銀髪に覆われた背中を睨みつけた。

 ここに来てから見聞きしたことは信じられないことばかりだったが、何の能力も野望も持たないレムリアがこの国を滅ぼすなど、父の言いがかり以外の何物でもないと思ったのだ。


「父上は、あの方が平民出身であることが気に入らないのですか? 歴代のラ・ムーでも、一般人から妻を娶られた方はいらっしゃるはず。それなのになぜ、そんなにあの方を目の仇にされるのです?」


 声を荒げてまくしたてる息子に、父は驚きの表情を浮かべて振り返った。

 そんな父の顔を、ダリアンは血走った目で見つめ、親子は昨夜宮殿で会った時と同じように無言で睨み合った。

 しばらくして、おもむろに懐に手を入れたアルデオは、何かを掴み出し、その手をダリアンの目の前で開いて見せた。


「これを見てみろ」


 鋭さを保ったまま、視線を父のてのひらに移すと、そこには乳白色の小さな石のかけらが載せられていた。

 それは一見、まだ磨かれていない水晶の原石のようにも見えた。


「何なんですか。この石は」


 特に変わった様子の感じられない石から父の顔へ視線を戻し、ダリアンは眉間に皺を寄せて口を尖らせた。


「これはスフェラだ」


「え……?」


 父が返した思いがけない言葉に、ダリアンは思わず小さな叫び声をあげてしまった。


『これが……スフェラだって?』


 通常、スフェラは鮮やかな緋色をしていて、血が枯れて力が弱まれば褐色になる。

 だが、このように色が抜けて白くなったものなど、これまで見たことも聞いたこともなかった。


「王の妻としてふさわしい人物かどうかを見極めるために、婚儀の前に執り行われる儀式を知っているな」


 話の脈略がつかめないまま、ダリアンはこくりと頷いた。

 ラ・ムー本人かその後継者の配偶者を決める際、対象者の血をスフェラに垂らすしきたりがあることは、神学校でも学んだ。

 スフェラに悪影響を及ぼす血が混ざらないように始まったとされているが、王家の者以外の血にスフェラが反応することはないので、現在は形骸的な儀式として残されているとされていた。


「あの女の血に触れると、スフェラは色も力も完全に失う。これはもう、ただの石ころだ」


「……」


 あまりのことに、ダリアンは再び言葉を失った。

 あわあわと唇を震わせる息子の顔を、アルデオは獣のような鋭い目で睨みつけた。


「あの女の腹にいる子どもたちは、この血を引き継いでいる。そのような者に王位を継がせるわけにはいかぬ」


 ダリアンは激しく狼狽しながらも、ここにきて初めて、父が言わんとすることがわかったような気がした。

 その血によってスフェラの力を維持できる能力は、王家にとって最も重要といえる権威だ。

 それがもし、石の力を消滅させる血を持つ者が王位を継ぐことになれば、ラ・ムーは信仰の対象から外れ、国も大きく乱れるだろう。


「ラ・ムーは、あのような女を皇子が選ばれたのも、ラーの思し召しであると、受け入れようとなさっておられる。しかし、わしはこの国が滅びゆく様を指を咥えて見ていることなどできない」


 これに関しても、ダリアンは共感できた。

 国の未来を案ずる者ならば、破滅に導く要因を芽が小さいうちに摘み取りたいと考えるのは、当然かと思えたのだ。

 息子に思いが通じたと感じ取ったのか、アルデオはダリアンの肩に手をかけて目に力を込め、諭すように続けた。

 

「ダリアン、この国と王家を守るために、あの女と子どもたちを殺せ。そして、しかるべき人物を改めて皇子の妻に迎えるのだ」


 その瞬間、ダリアンは父の手を払いのけて、大声を張り上げていた。


「そんなこと、できるわけがないじゃないですか!」


 怒りに顔を赤く染め、肩で息をする息子を、アルデオは冷ややかな目で見つめていた。

 ダリアンには、先ほど父が吐いた言葉があやなどではなく、真剣であることがわかっていた。

 父がこの国の未来を憂いていることはよくわかる。

 だが、何の罪もないレムリアと、まだこの世に生を受けてさえいない無垢な子ども達に手をかけるなど、許せる道義はなかった。

 頑なな拒絶を示すダリアンに背を向けて、アルデオは再び深いため息をついた。


「まあよい。お前ができぬのなら、他の者に命じるまでだ」


「!?」


「それにあの女の命を狙っているのは、わしだけではない。そやつらは、皇子さえも亡き者にしようとしている」


「それは……どういうことですか?」


 青ざめた顔で問い返す息子に何も語らぬまま、アルデオはドアを押し開け、地上へ続く階段を登り始めた。





 地上にある神殿へ戻り、無言のまま父と別れたダリアンは、呆然と出口へ続く回廊を歩いていた。

 たった今、見聞きしてきたことを何度も頭の中で思い返してみたが、考えれば考えるほど、現実のこととは思い難かった。

 足を引きずるように歩みを進めていくと、開け放たれた戸口から徐々にラーの光が溢れ出し、ダリアンはその眩しさに思わず目を細めた。


「やあ、ダリアン。もう、お説教は済んだのかい? ずいぶん早かったね」


 白一色に染まる視界の中で、彼に話しかける声がした。

 徐々に光に目が慣れてくると、目の前に笑顔で手を振るコールがいた。


「コール様……」


 まだ心の整理がついていなかったダリアンは、突然の再会に激しく狼狽うろたえ、思わず皇子から視線をそらしてしまった。


「?」


 いつもと様子が違うと感じとったのか、コールは不思議そうに首を傾げてダリアンを見つめていた。

 そんな彼の背後には、甲冑を身に付けた大柄の男が立っていた。


「コール様、それでは私はこれで」


 二人に気をきかせたのか、軍人風の鋭い目をした男は、そう言って皇子に軽く頭を下げ、その場から去っていった。

 そんな男の後ろ姿を、コールは軽く手を振って見送った。


 「あれは、ガゼロ将軍ですね。あの者と、今までずっと話していらしたのですか?」


 なんとか心を落ち着かせて、ダリアンが去っていく男の背中を見つめながら尋ねると、コールは目を丸くして驚きの表情を見せた。


「いや、ついさっき君と神殿の中で別れてからここで会って、挨拶を交わしただけだが?」


 それを聞いたダリアンは、首を大きく傾げた。

 父アルデオに連れられて地下の部屋へ行き、話をしているうちに数時間は経っていると思っていた。

 だが、コールの口ぶりでは、ついさっき自分と別れたばかりのようなのだ。

 納得がいかないまま、ふと空を見上げたダリアンは「あっ」と小さな叫び声をあげた。

 すでに高い位置にあるかと思っていたラーが、まだ日の出後間のない東の空にとどまっていたのだ。

 あのラーの位置から考えれば、確かに祈りの時間からさほど時が経っていないようだ。

 現実が受け止められず、動揺するダリアンを見て、コールは何かに思い至ったように何度も頷いた。


「アルデオと『復活の間』に行っていたんだね。あそこは、ここと時間の流れ方が違うから」


 さらりとそう言った皇子に、ダリアンは目を大きく見開き、その場に立ち尽くした。






「スフェラの正体を知って、さぞ驚いただろう」


 石畳の敷かれた神殿前の広場を歩きながら、コールはため息混じりにそう言った。

 返す言葉が見つからず、ダリアンは足元に続く白い石に目を向けたまま、黙って皇子の後を追った。


「私もいずれは、あんな石のかけらになってしまうのかな」


 コールの言葉に弾かれるように、ダリアンは地面から視線を持ち上げた。

 その視線の先には、切な気に微笑むコールがいた。

 この時、見慣れた皇子の顔が妙に儚げに見えて、ダリアンの中で例えようのない不安が湧き起こった。

 そんな彼に背を向けて、コールはラーが徐々に昇りゆく東の空を仰いだ。

 その姿は、今にも朝陽に溶け込んで消えてしまいそうで、ダリアンは胸が張り裂けそうになった。


「でも、それよりも私は、君をあんなところで死なせたくないよ」


「……」


 そう言って振り返ったコールは、真剣な表情でダリアンを見つめた。

 その朝陽にきらめくブルーの瞳は、どこまでも深い慈悲に溢れていた。


「我々王家の人間の遺体は、あの部屋に置いておくとスフェラになるらしい。でもこの先、私にその時がきても、君は最後まで付き合わなくてもいいよ。君は君の天命を全うするべきだ」


 その瞬間、こらえきれず、ダリアンの目から熱いものがこぼれ落ちた。





「アルデオがレムリアのことを良く思っていない理由も、聞いたのかい?」


 しばらく黙って、ダリアンの顔を見つめていたコールが、ため息混じりにつぶやいた。

 彼の言葉に我を取り戻し、自分が泣いていることに気がついたダリアンは、慌てて腕で頬を拭った。


「……はい」


 ダリアンは顔を隠すようにうつむいて、小さくそう答え、きつく唇を噛み締めた。

 父がレムリアへ疑念を抱いていることも、彼は知っていたのだ。

 その上で、彼が以前と何ら変わらぬ態度で自分に接してくれていたのだと思うと、居た堪れなかった。


「悪く思わないでやってくれ。彼なりにこの国の未来を憂いてくれてのことなんだ」


 コールが口にした意外な言葉に、ダリアンはうつむいたまま息をのんだ。


「かつてよりムーは、絶滅の危機にあった翼竜やネフレムをスフェラによって生き長らえさせ、戦力とすることで他の国々を征してきた。だが、時を経て翼竜の数は激減し、ネフレムに至っては、ギルトが最後の生き残りとなってしまった。もう、スフェラの力に頼る時代じゃない」


 スフェラによって権力を維持してきた王家の者とは思えない見解に、ダリアンが思わず顔を上げると、そこには朝日を見上げて立つコールの姿があった。

 黒髪をなびかせ、真紅のヒマティオン(外衣)を風にひるがえすその姿は眩しいほどに美しく、次期王としての威厳に満ちていた。

 

「私はね、レムリアはこの国に現れた救世主メシアだと思っているんだ。スフェラを捨てて、新たな国を造り出すためのね。私がラ・ムーを引き継げば、そんな国造りをしたいと思っている」


 驚きに言葉を失ったままのダリアンの方へ向き直り、コールはいつもの柔らかい笑顔を浮かべて言葉を続けた。


「ギルトやプテラの仲間のこともあるし、今すぐにとはいかないけどね。私の子や孫の時代にはそうなっていて欲しいと思っているんだ」


 そう言うとコールは、突然ダリアンの両手を持ち上げ、その手をぎゅっと握りしめた。


「そのためにも、君も大神官になったら、私に力を貸して欲しい」


 真顔でそう訴えかけてくる皇子に、ダリアンは思わず身を引いてしまった。

 いずれコールがラ・ムーを引き継げば、自分も大神官になって彼に仕えるのは、当然のことだと思い育ってきた。

 けれど、このような過酷な運命を背負った皇子を支えることができるのか、一瞬自分自身に不安を抱いたのだ。

 だが、固い意志が込められた瞳を見つめているうちに、自分の中に覚悟のようなものが芽生えてくるのを感じた。

 そうして気がつけば、彼の手も皇子の手を強く握り返していた。


「もちろんです」


 力強い口調でそう答えるダリアンに、コールは今度は嬉しそうな屈託のない笑顔を見せた。

 そうして二人の青年は、見つめ合ったまま、いつまでも互いに手を固く握り合った。


『父上、俺はこの方を信じてついていきます』


 朝日に輝く皇子の瞳を見つめながら、ダリアンは心の中で父に向かってそう宣言した。

 それは彼にとって、父との決別を意味するものだった。

 だがそれに対する返答はなく、父にその声が届いたのかどうかはわからなかった。

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