第六話 運命の日

「その昔、地上を我が物顔で歩いていた竜とネフレムですが、ある時起きた大洪水により、低地の大部分が海底に沈み、その多くが溺れ死にました。竜やネフレムから身を守るため、やむなく高地で暮らしていた我々の祖先は、皮肉にもそのおかげで生き延びることができたのです。結果的に高地であった場所が大陸や島として海上に残り、そのひとつであるここパラディソス島で、我々は文明を築きあげてきたのです」


 神殿のある丘に建つ神学校の講堂。

 いつものように、ロギオス(教授)によって退屈な授業が行われていた。

 昼食直後の気だるい午後、ロギオスは教本を片手にあくびを必死に堪えている学徒たちの脇を歩きながら、歴史の続きを抑揚のない口調で、淡々と語り続けていた。

 ふと、ある学徒のそばを通りがかった時、ロギオスはちらりとその青年の横顔に視線を向けてみた。

 そこには、文字を指でなぞり、真剣な表情で教本を見つめるダリアンがいた。

 大神官の嫡男、つまり次期大神官となるこの青年は、さすがというべきか、生まれ持って優れた能力を持ち、物覚えもずば抜けて良い。

 だがこれまでは、勉学や訓練に熱心に取り組もうとする姿勢があまり見られず、将来を不安視していたのだ。

 そんな彼が、どういうわけかここ最近、人が変わったように勉学に励むようになり、不思議に思うのと同時に喜びを感じていた。

 頼もしく見える青年の姿に、満足そうに何度もうなずきながら、ロギオスは教本に視線を戻して講義を続けた。


「もちろん、いち早く高地に避難し、難を逃れた竜やネフレムもおりました。しかし、大洪水が起きて以降、彼らはスフェラの力なくしては生きていけない体になっていたのです」


「ロギオス!」


 その時、一人の学徒が席から立ち上がり、高く手を挙げた。

 講義を中断され、ロギオスは少し不機嫌そうな表情を浮かべて、教本から学徒の方へ視線を移した。


「はい。ダリアン、なんでしょう?」


「スフェラの力とは、具体的にどのようなものなのでしょうか」


 ダリアンが投げかけた質問に、石造りの講堂の中にどよめきが立ちこめた。

 王家最大の秘密であるスフェラについて、詳しく語ることは暗黙の了解ではばかられているのだ。


「それは……」


 珍しく狼狽うろたえた様子で言葉を詰まらせるロギオスを見て、ダリアンは肩を落とした。

 先日、大神官となって皇子を支えると決意して以降、彼は神学校内の図書館に何度も足を運び、あらゆる書物を読み漁ってみた。

 しかし、一般に翼竜やネフレムを生かすと言われているスフェラが持つ力が、具体的にはどのような仕組みで働いているのかについては、どこにも記載されていなかったのだ。

 皇子が言っていたように、現在、ギルトたちを戦力として見ている者は殆どいない。

 だがもし、あの石に彼らを生かす以外の知られざる力があり、それによってこの国が守られているのだとしたら、安易に捨て去るわけにはいかないと考えたのだ。

 この国がこの先岐路に立った時、道を誤らないためにも、スフェラについてもっと深く知りたかった。

 父アルデオから、スフェラの正体について知る者は、代々のラ・ムーと大神官、そしてその後継者のみであると聞かされている。

 そのため、ロギオスといえどもスフェラの前身は知る由がないと思っていたが、石が持つ力の仕組みについても、この老人の知るところではなかったようなのだ。


「それは……」


 同じ言葉を繰り返して、ロギオスは助けを求めるように、ダリアンの隣に座る皇子に目を移した。

 その視線に気がついたコールは、冷や汗をかいている老人に変わって、張りのある声で答えた。


「スフェラの力については、実は我々王家の者にもよくわかっていないのです。あの石の力が及ぶ範囲では、空間の性質が変わるのではないか……ということしか」


「空間の性質?」


 ハラハラと気を揉ませながら、二人の青年の顔を見比べている老人の前で、ダリアンは皇子に尋ね返した。


「ああ。例えばスフェラの力が弱まると、プテラは飛べなくなるし、ギルトは二本足で立てなくなってしまう。そこには重力が関係しているのではないかと、私は推測しているんだ。他にも、時間の流れるスピードや、気温が変わったりもするみたいだよ」


 真剣な表情で語り合う二人の姿を、ロギオスをはじめとする他の学徒たちは不安そうに見守っていた。

 自分たちの理解の範疇を超えた話の内容についていけず、皆ただ、タブーに触れることに不安を覚え、顔を青ざめさせていた。


「もうよろしいでしょう、ダリアン。勉強熱心なのは喜ばしいことですが、それ以上コール様を困らせてはいけません」


 確信に触れることを恐れたロギオスが、話を終わらせようと口を挟んだ瞬間、コールが不意に天井の隅を見上げて、動きを止めた。

 怪訝そうに見つめるダリアンの前で、コールは真剣な表情を浮かべて、見えない誰かに対して、何度もうなずいていた。

 その様子から見て、どうやら何者かから『同調』によって連絡が入ってきたようだった。

 やがて、教壇に立つ老人の方へ向き直ったコールは、少し言いにくそうに用件を口にした。


「ロギオス、すみません。今日はこれで早退させていただけませんか。妻が産気づいたようなのです」


 その瞬間、先ほどまで講堂内に満ちていた重い空気が一変し、あちこちで歓声が上がり始めた。


「おめでとうございます! コール様!」


「おめでとうございます!」


 学友たちに口々に祝福され、コールは照れ臭そうに頭を掻いた。


「どうぞ、すぐにお妃様のもとへ行って差し上げてください」


 さすがのロギオスもこの時ばかりは満面の笑みを浮かべ、戸口を指差しながら皇子を急かした。


「はい!」


 弾んだ声でコールはそう答えると、落ち着きなく教本を脇に抱えて立ち上がった。


「いよいよですね」


 席に腰を下ろし、小声で言うダリアンに、コールは嬉しそうな笑顔を見せた。


「落ち着いたら、また連絡するよ」


 その後、ロギオスに向き直り、勢いよく頭を下げたコールは、慌ただしく戸口へ続く緩やかな石造りの階段を駆けあがっていった。

 そんな彼の後姿を、学友たちの拍手と歓声が見送った。

 そうして、皇子が戸口の扉を開け放った瞬間、バサバサという大きな羽音が聞こえ、その直後、西側に設けられた窓に目を移すと、翼竜が宮殿のある丘に向かって、猛スピードで飛び去って行くのが見えた。





 講義を終えたダリアンは、自宅へ続く道を一人歩いていた。

 レムリアが無事出産を終えたとの連絡は、まだコールからきていない。

 

『頼むから、母子ともに無事でいてくれ』


 心の中でそう祈りながら、通りの先に見える宮殿に目を向けた。

 

『あの女と子ども達を殺せ』


 突如、先日父アルデオが口にした恐ろしい言葉が脳裏に蘇ってきて、ダリアンははっと息を飲み込んだ。


『お前ができぬなら、他の者に命じるまでだ』


「まさか……」


 急に不安を覚えたダリアンだったが、かといって自分に何ができるのかわからず、道の真ん中で立ち止まり、落ち着きなく顎をさすった。


『ダリアン』


 その時、ダリアンの頭の中にコールの声が響いてきた。


『コール様? 産まれましたか?』


 待ち望んでいた皇子からの同調に、ダリアンは弾かれたように問いかけた。


『いや、まだだ。少し時間がかかるらしい。それより今、トトから同調で連絡が入ったんだ』


『トトから?』


 トトとは、先日座礁した船を救ってほしいと彼らに伝えに来た見習い漁師だ。

 一般人である彼がなぜ同調の使い手なのか、一瞬疑問を感じたが、そのことを問うのは、ひとまず後にすることにした。


『港にいる漁師達によると、海の向こうで何やら異変が起きているらしい。今から確認しに行こうと思うんだが、君も付き合ってくれるかい?』


 「もちろんです」と言いかけて、ダリアンは一旦言葉を飲み込んだ。

 もしかしたら、出産が近いと知り、何者かがレムリアと子ども達の命を狙っているかもしれない。

 そう考えると、コールには妻のそばを離れないでいて欲しかった。


『いえ、コール様はレムリア様のそばにいて差し上げてください。様子を見に行くだけなら、俺一人で行ってきます。翼竜を一頭飛ばしていただけませんか?』


 一瞬、考えあぐねるように、黙り込んだコールだったが、しばらくすると明るい声色で答えを返してきた。


『ありがとう。じゃあ、お願いしてもいいかな。何かあれば連絡してくれ。私もすぐに向かうから』


『はい』


 ダリアンがそう答えた直後、激しい風とともに一頭の翼竜が彼の前に降りたち、通りを歩いていた者達が悲鳴をあげて四方に散らばった。


『プテラの弟のステラだ。よろしく頼むよ』


 もたげられたステラの首からよじ登り、大きな背中にまたがったところで、ダリアンは一旦思いを巡らせ、真剣な表情でコールに話しかけた。


『コール様、レムリア様とお子様方から、目を離さないでください』


『……』


 再び黙り込んだコールだったが、やがて力強い声で言い切った。


『ああ、わかっている。ありがとう』





「じゃあ、ステラ、行こうか」


 コールとの同調を終え、ダリアンが背中を軽く叩くと、ステラは「クァー」という雄叫びをあげて、両翼を大きく振り下ろした。

 その瞬間、翼竜の体は一気に地上を離れ、空高く舞い上がった。


「行け! 港へ!」


 港を指差すダリアンに答えるように、ステラはラーが傾きつつある西に向かって、翼をはためかせ始めた。





 ダリアンが目的地に到着し、地上を見下ろすと、港には群衆が溢れていた。

 みな、青ざめた顔つきで海の向こうを指差し、周囲は男達のくぐもった声でざわついていた。


「ダリアン様!」


 遠くに自分の名を呼ぶ声がして視線を動かすと、桟橋の先で手を振るトトの姿があった。

 ダリアンはステラに高度を下げさせ、海面すれすれを飛んで、トトのそばに近付いていった。


「トト、つかまれ!」


 横を飛び過ぎながらダリアンが大声で叫ぶと、トトは大きく頷いて、もたげられた竜の首に飛びついた。

 経験済みのせいかトトは前回よりも落ち着いた様子で、空中で竜の首から背中へ移動し、ダリアンの後に並ぶように腰を下ろした。


「いったい何が起きているんだ?」


 沖に向かって飛行を続けながら、ダリアンは背後のトトに問いかけた。


「西から来た船が噴煙のようなものを見たそうなのです。海底で火山が爆発したのかもしれません」


「火山が?」


 その瞬間、ドグォーンという全身に響く大きな音がして、驚いたステラがバランスを崩した。

 振り落とされないように竜の背にしがみつきながら、ダリアンが目をこらすと、はるか前方に海面から立ちのぼる噴煙らしきものが見えた。

 その高さは天を突き抜けるほどで、黒々とした煙が、青空の中を這うようにして広がっていった。

 青ざめた顔でダリアンが空を眺めていると、さっきより少し近い場所で再び巨大な爆発音が響き、燃え盛る炎で赤く染まった水しぶきが、火柱のように海中から吹き出した。

 熱せられた海水が一瞬で分厚い雲となって視界を遮り、焼けるような熱風も吹き付けてきた。

 身の危険を感じたダリアンは、ステラを旋回させ、急いで港へ引き返そうとした。

 そんな彼らの背後で、またもや爆発音が響き、やがて場所をかえてあちこちから火柱が上がり始めた。


 港に目を向けると、頑強に組まれたはずの岸壁の石垣が、もろく崩れていく様が見えた。

 度重なる噴火と、それに伴う地表のずれが、激しく陸地を揺さぶり始めたのだ。

 海に面して建てられた石造りの倉庫も軒並み崩れ落ち、逃げ惑う人々の頭上から石の塊が襲いかかる。

 石畳が敷き詰められた地面は、隆起しながら生き物のようにぐねぐねとうねり、突如、大きく口を開いた裂け目が、そこにいた者たちを次々と地の底へ飲み込んでいった。

 

『ダリアン、いったい何が起きているんだ? これは、ただの地震ではないだろう?』


 その時、彼の頭の中に、珍しく焦りが感じられるコールの声が響いてきた。

 だが、目の前で起きている惨状にダリアンの思考は停止し、しばらくは何も答えられなかった。


『ダリアン?』


 再び呼びかけるコールの声に、ようやくダリアンは我を取り戻した。


『海底の火山が次々と噴火しているのです。このままでは、ムーは……』


 彼がそう言いかけた時、背後の海で、これまでとは比べ物にならないほどの大爆発が起き、空気さえをも大きく揺るがした。

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