第七話 未曾有の大災害

 天上を貫いた炎の柱がやがて水蒸気に姿を変え、海上を厚く白い雲が覆い尽くした。

 うねりながら広がっていく雲を呆然と眺めているうちに、それまで繰り返し轟いていた爆発音が嘘のようにやみ、今度は気味が悪いほどの静寂が辺りを包み始めた。


「ダリアン様! 海面が!」


 叫びながらトトが指差した港の方角に視線を移し、ダリアンは思わず絶句した。

 先ほどまで激しく岸壁を打ちつけていた波が、いつの間にか海底が露わになる程に引いていたのだ。


「!」


 ステラの翼越しに足元に広がる海面を見て、ダリアンは再び言葉を失った。

 通常、寄せては返していくはずの波が、沖に向かって一方向に流れ始めていたのだ。


「津波が……来る……!」


 その状況から恐ろしい結論を導き出したダリアンは、青ざめた顔で小さく叫んだ。


「ステラ、町へ! 急げ!」


 ダリアンが町を指差しながら叫ぶようにそう言うと、ステラは雄叫びをあげて、一気に飛行速度を上げた。





「津波だ! 津波が来るぞ!」


 急激に引き始めた潮。

 それは、津波の前触れだった。

 ダリアンとトトは、上空から人々に避難を呼びかけながら、町の中心部を目指していった。


 空から見下ろすムーの町は、度重る地震により、直視できないほど無残に破壊されていた。

 神殿に向かってまっすぐ伸びていたメインストリートは、大きく蛇行して石畳がめくれ上がり、ところどころ亀裂が走っていた。

 美しいアーチを描いていた水道橋も無残に崩れ、経路を失った水が滝となって、地面を激しく叩きつけていた。

 隣家と寄り添うように立ち並んでいた住居は瓦礫の山となり、その隙間からは、人の手足がいくつも力なく垂れ下がっているのが見えた。

 ふと、喘ぐような声に気付き、目を向けてみると、下敷きになった家族を助け出そうとしているのか、泣きながら必死に瓦礫をかき分けている男がいた。


「津波だ! 津波が来るぞ! 早く高台へ逃げろ!」


 ダリアンの呼びかけに、そばにいた男たちが泣き叫ぶ男の両脇をかかえ、瓦礫の山から無理やり引き剥がした。


「いやだ! まだ生きてるんだ! 中から声がしているんだ!」


 悲痛な叫びに胸を痛めつつも、ダリアンは人々へ避難を呼びかけ続けた。

 今は助かる命を少しでも多く救うこと。

 それが己に与えられた使命だと、自分に言い聞かせて声を張り上げた。


「早く! 近くの丘へ登れ!」


 大災害を前に混乱する人々に向かって、二人は声を枯らして高台へ誘導し続けた。





『コール様! 間も無く津波がやってきます!』


『なんだって?!』


 人々を誘導しながら、ダリアンが現状を報告すると、叫ぶようなコールの声が返ってきた。


『高台への誘導と、怪我人の搬送のために、翼竜隊を出動させてください! あと、倒壊した家屋に閉じ込められた者を助け出すために、ギルトの力も貸してもらえませんか?』


『わかった! すぐに向かわせる!』


「ダリアン様!」


 コールとの同調が閉じられた直後、背後でトトが再び大声をあげた。


「どうした、トト?」


 眉を寄せて振り返るダリアンに、トトは地上を指差して見せた。


「あそこに人が倒れています!」


 見ると、人気のなくなった町の路上に、うずくまるように倒れる人影があった。

 高い位置で結われた金色の髪や、明るい色味の服装から見て、まだ若い女のようだ。


『このままでは、津波に飲み込まれてしまう』


 ダリアンはステラを急降下させ、翼竜の背中から地上へ飛び降りると、女の元へ駆け寄った。


「おい! しっかりしろ! 大丈夫か?!」


 仰向けに女を抱き起こしたダリアンは、あることに気がついて目を見張った。

 大きく膨らんだ腹から見て、彼女は出産間近と思われる妊婦だったのだ。

 おそらく、落下してきた瓦礫の直撃を受けたのだろう。

 女のこめかみの皮膚は裂け、そこから流れ落ちる鮮血が、ダリアンの白い制服を真っ赤に染めた。

 血の気の失せた唇に耳を近づけると、かすかにまだ息はあるようだった。


「お腹の子だけでも救えるかもしれない」


 母親はすでに瀕死の状態だったが、傷を負ったのが頭だけなら、腹の子は無事かもしれない。

 救える命なら、なんとか救ってやりたい。

 そう思っているダリアンの隣で、トトも心配そうに女の顔を覗き込んでいた。


「とりあえず宮殿に運ぼう。あそこならイアトロス(医師)や産婆もいる」


 顔を見合わせて頷き合った二人は、ステラの背に女を運び上げ、日が暮れ始めた空を宮殿に向かって飛び立った。

 すると、彼らと入れ替わるように、武装した兵士らを乗せた翼竜の一団が町の上空に現れた。

 避難を呼びかけるため、各地に散っていく翼竜隊から地上に視線を落とすと、砂煙の中に巨大な人影が近付いてくるのが見えた。






 その頃、コールは宮殿の一室で、災害の対応に追われていた。

 彼が指揮をとることになった臨時の対策室には、大臣や軍人たちが指示を仰ごうと次々にやってくる。

 父であるラ・ムーは、最初の揺れを感じた直後、大神官アルデオと共に神殿へ赴き、すでにラーに祈りを捧げ始めているはずだ。

 それが、国の危機に際しての、最高神官ラ・ムーの使命だった。

 そして、不在の王に代わり、皇子であるコールに全ての指揮権が委ねられたのだ。


 目の前に置かれた大きな机には、ムーの町とその周辺が細かく記載された地図が広げられている。

 地図上に描かれた要所を指差しながら、コールは各所の担当者へ適宜指示を下していった。

 現時点での最重要課題は、震災から生きのびた民を、津波の脅威から遠ざけることだった。

 ほとんどの地域が平野で占められたムーの町で、高台といえば点在する丘くらいしかない。

 津波が町を飲み込む前に、その限られた場所に人々を避難させなくてはならないのだ。


 この時コールは、ムーが建国以来、最大の危機に瀕していると肌で感じていた。

 繰り返し襲ってくる爆発的な揺れに、ただごとではないとは思っていたが、ダリアンからの報告では、今回の地震は海底火山の噴火によるものらしい。

 もともと、この海域は火山地帯で、彼らが住むパラディソス島も、噴火により隆起してできた山が、大昔に起きた大洪水後、島として海上に残されたものだと言われている。

 当然、海底にも火山があることは想像に難くなく、一部の知識人の中には、いつ噴火をしてもおかしくないと唱え、島を捨てて大陸へ移住していく者もいた。

 しかし、平和で豊かな日々がいつまでも続くと信じて疑わなかった人々の多くは、彼らの話に全く耳を傾けなかったのだ。

 おそらく、ひとつの火山の爆発が刺激となって、休眠中であった火山の噴火を呼び起こし、連鎖的に次々と火を噴き始めたのだろう。

 その波動が島を形作った火山の噴火まで誘発させることになれば、たとえ津波の被害からは免れたとしても、次は噴石や火砕流に襲われることになる。

 そうなれば、生き残れる者は殆どいないだろう。



 絶え間なく部屋を訪れていた男たちの波が一時途切れ、コールは少し疲れた表情でかたわらの壁を見つめた。

 この壁の向こうにある王家専用の医室では、妻レムリアがもう長い時間陣痛に苦しんでいる。

 初産で双子という、ただでさえ難産が予想される状況であるというのに、あろうことかその最中にこのような大災害が始まってしまった。


『なぜ、よりにもよってこんな時に……』


 コールが苦渋の表情を浮かべ、拳を額に押し付けた直後、しばらく収まっていた地震が、再び大地を大きく揺るがした。

 突然の激しい揺れにより、鉄製の燭台が倒れ、その火が床に敷かれたカーペットに燃え移った。

 机の縁を掴み、かろうじて体勢を保ったコールは、すぐさまそばの天幕を引きちぎり、燃え盛る炎を覆った。

 その後、兵士らが運んできた水により、完全に火は消し止められた。

 大事に至らず、一瞬安堵のため息をついたコールだったが、ふと、ある不安にかられて部屋を飛び出して行った。




「皆無事か?!」


 医室の扉を強く叩き、大声で尋ねる彼に、中から震える侍女らしき女の声が答えた。


「お妃様はご無事でいらっしゃいます!」


 妻の無事を知り、再び安堵したコールだったが、突然、そばの壁を拳で殴り、唇をきつく噛み締めた。

 滅亡の危機に瀕したこの国に対しても、生みの苦しみと戦っている妻に対しても、なすすべがない非力な自分が腹立たしかった。




「コール様!」


 その時、額を汗で濡らしたダリアンとトトが、入り口の方向から彼の元へ走ってきた。


「ダリアン……」


 親友の顔を見て、緊張の糸をほどきかけたコールだったが、彼の腕に血だらけの女が抱えられていることに気付き、再び表情を硬めて目で事情を問うた。


「町で倒れていた妊婦です。重傷を負っていますが、腹の子だけでも助けられるかもしれません」


 それを聞いて女の腹を目にした瞬間、コールは顔色を変えて医室の扉に向き直り、再び木製のドアを激しく叩いた。


「開けてくれ! 急患なんだ!」


 彼は、我が子と同じ時期に生まれようとしている赤ん坊に運命的なものを感じ、何としてもその命を救ってやりたいと思ったのだ。

 間も無く、中から産婆見習いらしき少女が、恐る恐る顔を出してきた。

 王家のための医室に、一般の者を入れていいものかと、返答に困っている少女の背後から、イアトロス(医師)らしき女が近づいてきた。

 体格の良い中年の女は、妊婦の状態を見るやいなや、慌てて扉を大きく開け放った。


「どうぞ、早く、中へ!」


 イアトロスに背中を押され、ダリアンは妊婦を抱いたまま寝室へ入っていった。

 先ほどの少女が簡易の寝台に毛布を広げると、ダリアンはゆっくり妊婦の体をそこに下ろした。

 無事女を医師のもとへ届けることができ、ほっと肩をなでおろしたダリアンは、何気なく部屋の内部を見回した。

 そして、かすかに聞こえてくる苦しげな女の声に気がついた彼は、部屋の奥に下げられた青い天幕に目を留めた。

 やがて、そこにいるのがレムリアだと悟ったダリアンは、戸口に立つコールの方へ振り返り、不安げな目で状況を問いかけた。

 そんな彼に、コールは目を伏せて唇を噛みしめ、首を小さく振って無言で返答した。

 



『ダリアン』


 その時、ダリアンの頭の中に、聞き慣れた男の声が響いてきた。


『父上?』


 それは、父アルデオからの同調だった。


『今すぐ神殿へ来い』


『今すぐ……ですか……』


 ダリアンはこの後、再び町へ戻り、逃げ遅れた人々の救助を続けるつもりでいた。

 返答をためらう息子に、父は信じられない言葉を言い放った。


『ラ・ムーが、復活の間に入られる』


『え……』


『重大さが理解できたなら、皇子とともにすぐに来い』


 アルデオは用件だけを伝えると、いつものように同調を一方的に遮断した。

 青ざめた顔で、ダリアンがコールの方へ視線を向けると、皇子の顔も蒼白になっていた。

 どうやら彼もたった今、父ラ・ムーから同じ事実を告げられたらしく、呆然とした様子でダリアンの顔を見つめていた。

 ラ・ムーが、復活の間に入る。

 すなわちそれは、王の死を意味していた。

 通常であれば、己の死期を悟った時、ラ・ムーはあの部屋へ入り、最後の時を迎える。

 だが、今回はそれには当てはまらない。

 今日こんにちまで、ラ・ムーの健康状態に問題はなかったはずだ。



 ムーが滅びし時

 スフェラは王の血を求め

 ラーは闇へ消えるだろう



 その時、ダリアンの脳裏に復活の間に刻まれていた、あのいにしえの言葉が蘇ってきた。


「スフェラが、王の血を求めている……?」


 単なる言い伝えだと思っていたその言葉に、急に信憑性を感じ、ダリアンの背筋に冷たいものが走った。

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